07 アンドロイドは電気羊の夢を覚えていない
【痛々しい注意】
俺は気がついた時には、まるで磔刑にでもされているかの様な状態だった。
どこぞも知れぬ廃墟の中でレンガの壁にもたれかかり、床に座って足を投げ出した状態で両手を上げている。
太い鉄の杭で両手首と腕の中程が貫通し、四本の杭によってレンガの壁に固定されているのだ。
しかし、残念ながら俺は死ねない。
なんでかと言えば、今俺の体はアンドロイド……機械なのだ。
出血多量もショック死も起きない。
ただ、杭の辺りからは断線したコードの様な物が飛び出し、何かに使われているらしい、オイルがだらだら流れて全く体に力が入らない。俺は逃げることも出来ないのだ。
朦朧とする意識の中、何時間過ごしたか分からない。
しばらくすると、スーツを着た男が数人俺の前に居た。なにやら俺に向かて何かを話しかけているが、意識がはっきりせず言葉が理解できない。声も上手く出せないので、「あぁ……」とか「うぅ……」と呻く程度で精一杯であった。
何回か顔を殴られた後、部屋の奥から錆びついたノコギリを持って来た男が来る。そいつは、俺の近くにいる男にノコギリを渡し、何かを話している。なんだか、笑っているように見える。
視界がぼやけて歪む中、ノコギリを片手に持った男は俺のすぐ側まで歩くと、ノコギリを人の首にあてがってくる。
「ーーー、ーーーーーー?ーーーーー?」
なんと言っているのか聞き取れない。音の上がり下がりで、何か質問をされている事は予想できた。
「……うっぅ…………ぁ……あ……」
俺はぎこちなく口を広げ声を出そうとするが、言葉とも音としてもまともに出ては来なかった。
男は声が一段大きくなり、首筋に触れるノコギリの小さな刃が強く皮膚に当たる。しかし、俺は相変わらず相手の言葉も理解出来なければ、自分の言葉も発することが出来ないままだった。
男が脅すかのように顔を近づけて再度言葉を向けてくる。無言の俺を見て、片手のそれを大きく引いた。
皮膚の表面がザリザリと赤茶に錆びついた細かな刃で割かれていく。引き終わり、押されると、俺の首に出来た一本の線は、更に鈍い銀色と茶色の板に割り込まれる様に広がって深くなる。
耳元には、耳障りなブチブチ、ガリガリという音が聞こえる。
何回、掻き出されるようにノコギリを引かれたかは分からないが、幸い俺には痛みは無かった。アンドロイドで良かったかな。と思う。
ただ、酷く感覚がぼんやりとしていて、痛いとか暑いとか辛いとか寒いとか、あらゆる感覚が薄ボケて感じているようだった。
首筋は機械としては大した傷では無かった。人力で切り落とすには固かったのかもしれない。首の左側には深さ一センチ程度の汚らしい切れ目が長く入っていた。刃こぼれと錆でゴリゴリと削られたせいで切り口はグチャグチャであった。そこで断線した部分も勿論あるし、血の代わりにオイルや液体が漏れてもいる。
スーツ姿の奴らは気が済んだのか、簡単に切断出来ない事が分かると帰っていった。
視界はぼやけて、レンガ造りの暗い廃墟。以外の物は見ることが出来なかった。
何日かした後、またスーツ姿の男達が俺のもとにやって来た。
何が動力源なのかは分からないが、俺は飲まず食わずで平気だった。体は動かないので、最初と同じ壁に打ち付けられた状態で過ごし続けるしかない。意識が朦朧としてその間の事は覚えていなかった。
奴らはまた、手に何かを持ってやって来ている。袋から取り出しゴソゴソと手元を動かすと、俺の顔を上に持ち上げる。目の前には針と糸……細いワイヤーか何かが通されている。
一切動く事が出来ない状態で、俺はこの先を理解することが出来てもされるがままだった。
重たく僅かに開く瞼を指で閉じられ、乱雑に両目の瞼を縫い合わされた。痛みは無い。針を通されている感覚も最早よく分からない。これも、酷く痛い。痛いはずなのだ。
片目は完全にピッタリと閉じられてしまい、張り付いたかのように開かなくなった。もう片方は針を入れる回数が少なかったせいか、頑張るとうっすら隙間が開き、ぼやけた色とごく近い場所を見ることが出来た。
周りでは男達の話し声が聞こえる。内容は聞き取れない。そしてまた顔を上に向かされ、顎を掴まれて口を最大限まで開かされた。鼻につく匂いがするドロドロとした液体を喉の奥まで流されていく。上を向いているので吐き出すことは出来ない。喉や食道にへばり付くそれは、ある程度奥まで流れると動きを止めた。
匂いからして、接着剤なんだろう。
食道の奥で栓ができ、そこから上の方まで入るだけ流し込まれた。ゴポゴポと空気が道を塞がれて音を鳴らしている。苦しい。きっと苦しい。そうなんだろう。喉の奥から溢れだして、口の中に広がりだすと注ぎ終わった様だった。
俺は顔を上向きで壁に押し付けられている。ほどなく、接着剤は固まり吐き出すことは出来なくなった。
喋ることもできない。食べる必要もない。呼吸もいらない。食道を塞がれても俺は生きてはいけた。
男達は壁に打ち付けられていた杭を引き抜き、拘束をとく。自由になったからと言って、動く力は全くない。
ずるずると、体の重さに従って上半身が床に投げ出す足に向かって倒れていく。倒れきる前に、俺の腹に重たい衝撃が走った。周りの声が騒がしくなっている気がする。衝撃に体が傾くと、脇腹など胴体を中心に激しい衝撃を受け、体が跳ねた。
痛みを感じない上、目を塞がれた俺はこいつらから暴行を受けている事に気が付くのが緩慢だった。
人間だったら、内臓が破裂して死んでもおかしくないのだろう。しかし、俺は中身がいくらぐちゃぐちゃに潰れようが生きているのだ。意識があるのだ。
アンドロイドの俺が生きているというのは、どういう事なのだろう。
そんな疑問も、段々と霧がかった思考の中で何処かへ消えていった。
しばらく、ボールのように跳ねながら俺はやつらに蹴られ続けたが、遊び飽きると男達は何処かへ去っていったのだ。これが最後だった。
夜なのだろうか、暗く青い月明かりが射す部屋で俺は意識を失った。
真っ暗だった。
それから、ふと気がついては僅かに開く目を開けた。あれから男達は来なくなった。俺は床に投げ出され、横向きに横たわった状態で過ごしている。
外が明るければ昼なのだろう。暗ければ夜。俺に分かる事はこれくらいだった。あれから、意識を保てる時間がどんどん短くなっていった。俺の世界は真っ黒な黒一色と、僅かに見える日光や月明かりに照らされたレンガ造りの廃墟。どんどん、黒い時間が増えていく。いや、黒い時間は一瞬なんだ。一瞬、黒い色が覆ったかと思うと、次の瞬間目を開けるとそこはもう夜だったり、昼だったり、違う日なのだ。
体内時計の設定が正しいなら、俺は一、二週間意識を失い続けている時だって普通にあった。しかし、これからどうするかを考える間もなく、俺の世界は暗転して日を過ごしている。
意識がある時ですら、思考も感覚も感情もなにもボヤケており、何かを考えることも悩むことも出来なかったのだ。
しかし、まだ俺は生きているのだ。生存、している。
瞬間的に触れる外の世界……レンガ造りの廃墟を僅かな時間眺めるだけの俺は、何をもって生きているのか。アンドロイドとしてなら、動いている。が正しいのかもしれないが、体も知覚も働きはしない。
ただ、僅かな思考と自分という意識が消えずに残り続けているだけなのだ。
ぼんやりと、目を開けて外を確認し、瞼の重たさに目を閉じると、俺はどこか深いところへひゅっと落ちてしまうのだ。真っ暗などこかへ。そして、また目を開けられるくらいになれば、それは数日先の事。
目を開けると、俺の周りは赤や黄色が溢れている。よく見れば、落ち葉に俺は埋もれているのだ。
そうか……ここに来てから半年は経っている………もう秋なのか。寒い。のかな……。
ぼんやりと動かなくなった色々の中で、やっとそんな事を思うことが出来た。
遠くで、サイレンの音がする。近づいて、この近くで止まった。人の声がする。知っている声に聞こえる。そう、あれは俺の大切な人にそっくりで………
そこで俺は重たい目を閉じて真っ黒へ行った。顔にかかる空気は冷たくて、埋もれる落ち葉は暖かい気がした。
2005.06.25