ブランカ教授の異世界魔法講座
~暗黒暦6606年 4月12日 木曜日~
日付が変わって俺は再び湖畔にいる。
ただし、今日はスーノ教官の姿は見えない。ブランカがいるだけだ。俺も血みどろの戦闘などせずに小岩に腰かけている。
例のフカフカモコモコの巣で目覚めた俺はブランカから昨日の事を聞いた。どうやら、スーノ教官の拷問活人剣は冗談で、ちょっとダレていた俺を精根尽き果てるまで一生懸命にさせるのが目的だったらしい。全く、心臓に悪い話だ。尤も、拷問活人剣がスーノ教官の秘剣のレパートリーにあるのは本当の事らしいが・・・。
で、今日はスーノ教官が俺のメイン武器と俺の訓練方法を考えたり準備したりする間にブランカから魔法の授業を受ける事になっている。
全く嬉しい限りである。
異世界転生したなら、誰でも使ってみたいと思うのが魔法である。なので、そういうワクワク感も嬉しい理由である。とはいえ、嬉しいと思える最大の理由は昨日、一昨日の訓練がハード過ぎたのであれから逃れる事が出来れば何だって良かったからだが。
「そう言えば、ハクアちゃん。昨日教えてあげた数字とか記号は覚えているかしら?」
お、ブランカはスーノ教官と違って雑談から入るタイプの教師なのか。
俺は地面に指でうろ覚えの数字や記号を描いていく。ブランカに間違っていた所を指摘して貰う。
なんか、ちゃんと勉強してるって感じだ。あれ? そう言えば、ものすごく今更感があるが俺はなんで冥界の住人と話が出来ているんだ?? 数字や記号を習っているって事は文字や言語も本来は学習する必要があるはずだと思うのだが。
まずは検証してみよう。
俺とブランカが使っている言葉が日本語かそうでないかについて。多分違うと思うけどな。実はこれを調べるのは結構簡単な方法があるのである。
「ブランカさん、ちょっとだけシリトリ遊びしてくれませんか?」
「? いいわよ?」
「じゃあ、俺から。悪魔。」
「魚。」
「城。」
「昼寝。」
「あ、もういいです。有難う御座います。」
「ふふ。なんだったのかしらねぇ。」
ただの実験です。
俺とブランカはシリトリをちゃんと行えていた。少なくとも俺の聴覚はきちんと音の連続を認めていた。そしてブランカが変に思っていなかった事から俺の言葉においても正しくブランカの聴覚上において音が連続していたはずである。しかし、日本語での思考では全くシリトリに為っていない事を俺は理解できている。
というわけで、俺とブランカは今日本語とは異なる言語で会話しており、俺はその言語と日本語の両方が使えると言うわけだ。
「ブランカさん。俺達が会話しているのに使っている言語って何ですか?」
「ああ、なるほど。さっきのはそういう・・・。私達が使っているのは冥府語よ。魔児は皆孵化するまでの6年間で冥界の大地から冥府語の知識やある程度の魔法的素養や霊的才能を注がれているのよ。」
ほほう。人間で言う所の胎教みたいなもんか。
「因みに、冥府語は私達にとっては紛う事無き言語だけど、地上の人間達の言語とは本質的に異なってるみたいね。人間達の言語は脳で考え出して口を動かし、空気の振動音を発生させて伝達する。一方、冥府語は霊魂思念を起点にして霊体振動波を発生させて伝達しているのよ。だから、言語としては認知されない場合が多くて、唯のテレパシー扱いされちゃってるわね。実際、言語習得系スキルを持っている人間に冥府語を教えようとした悪魔もいるみたいだけど、上手くいかなかったそうよ。」
つまるところ、俺が冥府語を理解出来るのは100%俺を生み出してくれた白色大地様のおかげであって、どっかの象面の自称女神が全言語理解のチート能力をサービスしてくれたとかいうわけでは全く無いわけだ。良かった。あんなのに借りを作りたくなかったからな!
「さてさて。それじゃ、そろそろお待ちかねの魔法講義を始めましょうか。」
「はい。ブランカ教授。」
スーノが教官なので、ブランカは教授と呼ぶ事にした。
俺は先程も言った通りワクワクしていたが、同時に過剰な期待を抱かないように必死に自分を戒めてもいた。スーノ教官の暗黒魔法適正ゼロ発言を忘れたわけではないからだ。・・・なぜ、俺に暗黒魔法の適性が無いかは何となく、薄々理由には思い当たる節がある。おそらくだが、もしかしたら濡れ衣かもしれないが、どこぞの象面のドS女が欲しいと言ってもいないプレゼントを俺に与えたからだろうと睨んでいる。ホント、アイツは碌な事しねぇな。
「さてと、さっさと実践に入りたいから説明は簡単にしておくわね。・・・詳しい話は面倒臭いし。」
ブランカお前もか! ・・・ブルータスとブランカは先頭のブの字しか共通点はないんだけどね。
「まず、この世界の生物は自身の物理的な肉体以外に3つの力を利用する事が出来るわ。生命力、魔力、霊力の3基礎力ね。因みに、霊体生物である悪魔は肉体が無いので生命力がありません。ということで、今日は魔力と霊力のお話です。」
なんかさらりと凄い事言われた様な。生命力が無いって、まるで死んでいるみたいなんですが。
「悪魔をアンデッド系統に分類している学者がいるのも、これが原因だったりするわね。でも、同じ霊体生物である天使はそんな扱い受けないし。ダブルスタンダードも良い所よね。・・・ブツブツ。」
ブランカが小声で何かを愚痴っている。何か地上で嫌な経験でもしたのかもしれない。
「えーっと、気を取り直していきましょう。さて、魔力を使う術を魔法術又は魔法と呼び、霊力を使う術を心霊術又は心術と呼びます。更に、基礎力である魔力と霊力の両方を使う事によって発動できる術を梵術と呼びます。当然の事ですが、二種の力を使う梵術は一種類の力だけを使う魔法術や心霊術より難度が高いです。」
「生命力も混ぜて三種混合の術なんかもあったりするんでしょうか?」
「あるわよ。ただし、生命力関連は今のハクアちゃんには関係ない事だからまた今度ね。」
『今の』・・・ね。霊体生物である悪魔が生命力を持たないなら一生関係無い気もするが。
「さて、悪魔は地上の生物と違って、体が霊素によって構成されています。従って心霊術に対する適性は極めて高いです。また、霊魔変換技能により霊力を魔力へと交換して魔法を行使する事も可能です。しかし、この変換も無制限に出来るわけではありません。変換効率が悪かったり低かったりすると、魔法行使可能な魔力を再補充するのにとても時間が掛る事に為ります。」
当然ながら、生まれたばかりの魔児である俺は変換効率が最底辺のはずだから一日で使える魔力もたかが知れている事だろう。隠れて特訓なんてのはやらない方が良いだろうな。魔法を練習するのはアドバイスが貰えるであろうブランカの目の前でのみやるべきだろう。
「魔法に関する資質には幾つかありますが、一番目に来るのは属性適性です。魔法の属性には次の8属性、即ち聖・火・天・木・冥・水・地・鉱があります。生物は全てこの属性適性のどれかを持ちますが、適性には高低があり、属性適性レベルが低ければ魔法は行使する事が出来ません。さて、他にも制御能力やらセンスといった物も当然重要な要素ですがそう言った物は確定的な分類が出来たり計測できません。逆に、計測可能な資質も有ります。それが次の三つ。魔力容量、魔力流速、魔力圧量です。」
さっきから新しい用語がポンポン出てくるので海馬が悲鳴をあげている。
確かに、これは生命力に関する説明なんて聞いてる場合じゃなかったわ。
「まず、魔力容量とは個人が自分の中に貯め込んでおける最大保有魔力量のことです。単位はリム。次に魔力流速とは自分の中に貯め込んだ魔力を引き出せる速度を言います。これの単位はリムスル。最後の魔力圧量とは個人が魔法を行使するに当たって引き出した魔力、放出魔力の最大維持量です。単位は魔力量なので同じくリムです。」
「???」
理解力の無い俺にはチンプンカンプンである。
「じゃあ、具体的な話をするわね。例えば、ここに火属性の人間が一匹いるとします。彼の魔力容量、即ち最大保有魔力量が30リム、魔力流速、即ち魔力を引き出せる速度が2リムスル、魔力圧量、即ち放出魔力の最大維持量を6リムとします。いいですか?」
「はい。」
俺は地面に30、2、6とメモっていく。数字の御勉強を先にしておいて良かった。
「例えば、火属性の魔法ファイアボールとファイアランスをこの人間が使いたいとしましょう。魔法には発動下限量というのがありますが、例えばファイアボールの発動下限量が5で、ファイアランスの発動下限量が7としましょう。」
俺は丸と槍の絵を描いて、横に5と7とメモる。
「さて、魔法が発動できるかどうかを決定するのは魔力圧量、即ち放出魔力の最大維持量です。これが発動したい魔法の下限量を上回っていないといけません。」
「ってことは、この人間はファイアボールは撃てるけど、ファイアランスは使えない?」
「正解。」
保有量は30リムあるけど、魔法行使の為に維持出来る量は6リムまでだから7リムのコストがかかる魔法は使えないって事か。つまり、超大魔力を保有している場合でも魔力圧量が低いとしょぼい魔法しか使えないわけだ。となると、実際の戦闘では魔力の保有量よりも魔力圧量の高低が物を言いそうだな。
「そして、彼の魔力圧量は上限が6リムなので、5リムから6リムの魔力を籠めたファイアボールを放てると言う事です。まあ、ここでは最低威力の5リムのファイボールを撃つとしましょう。さて、この人間はファイボールを何発撃つ事ができるでしょう?」
「総魔力が30リムだから、6発です。」
「正解。」
ブランカが満足そうに頷く。
ふむ。同じファイアボールでも6リム籠めて威力を上げる事も出来るのか。その場合は5発しか撃てなくなるが。戦略的に重要な選択だな。
「さて、この人間の魔力流速は2リムスルです。よって、5リムのファイボールを打つには2.5スルの時間が掛ります。6リムのファイボールを撃つ場合は3スル要します。」
「1スルというのは?」
俺の問いかけに対して、ブランカは触手で地面をパン、パンと2回叩いてみせる。
「今の間隔が1スルね。」
う~ん、分からん。一秒くらいか?
「心霊術に時心っていう時間を計測するスキルがあるから、暇な時に習得してみると良いわね。」
「便利そうですね。」
面白いスキルがあるものだ。
それにしても、魔力の発動時間が籠める魔力量によって変わってくるなら、戦略的要素がさらに増えるな。0.5秒の差というのは実際の戦闘においては大きいだろう。
「次に霊力ですが、これは魔力と違って、最大霊力量のみが計測されます。これは心霊術が魔法術と違ってその強さがほぼ習熟度に依存するからです。勿論、魔法術においても習熟度のようなものは存在しますが魔法の強さなどには影響せず、魔法発動時に要する集中力を軽減し、魔法発動の成功率をあげるものです。」
おそらく、最大霊力量も習熟度も戦闘中にどうこう出来るものじゃないだろう。そう考えると心霊術は魔法術よりも運用は比較的単純か。尤も、心霊術のスキルが時間を計測するスキルみたいなのばっかりだったら、そもそも戦闘中に使用することなど無いだろうが。
「それで、梵術はこの魔力と霊力の双方の制約を受ける事に為ります。言葉で説明出来るのはこんな所かしらね。というわけで実践にいっちゃいましょう。まずは魔力を感じ取る所から始めましょうね。」
いよいよか。
俺は気を引き締める。
「最初は体内にある魔力の存在を把握して、それを自分の意志で動かせるようになるというのが第一目標なんだけど、中々この最初の一歩が難しいのよ。悪魔は魔法の素質が高い生き物なんだけど、それでも才能が無いと一週間くらい掛っちゃったりするのよねぇ。才能がある人だと一発で上手くいったりするんだけど。こればかりは試してみるしかないわねぇ。それじゃ、ハクアちゃん! まずは、神経を集中させて体の中に何かエネルギーみたいなものを感じないかやってみて。」
俺は瞑目する。神経を研ぎ澄ませる。丹田の辺りに力を込めてみる。体の中を探る様に意識をグルグル回していく。全身の血流を巡らせるようなイメージだ。尤も、この霊体生物としての肉体に血液があるとは思えないが。
そんな風にしていると何となく全身の細胞が活性化されてきたように思えてくる。体全体に熱を感じる。これってもしかして魔力なんじゃ? あとはこれを動かせたら!
俺は更に神経を集中し、体全体に渡って存在する熱量を俺の意志に従えようとイメージし続ける。そうするとモゾモゾ動き出す様な感覚がある。これは俺って才能あるってことじゃ?
期待を込めて目を開けてブランカを見る。
「えーっと、ハクアちゃん。今、活性化しているのはハクアちゃんの霊力の方ね。魔力の方は、その何と言うか、全く感じ取れていないみたいよ。」
ブランカは気遣う様な眼差しだ。
俺はそれから一時間ぐらい試行錯誤してみた。なんとなく霊力以外の存在も感じるのだが、意識を向けた途端に霊力の中に溶け込むように逃げてしまうのだ。不毛な追いかけっこをしているように感じる。
「ハクアちゃん。ちょっと荒治療しましょうか。」
行き詰っている俺にブランカが提案して来た。俺に対してまるで才能を感じなかったという事なのだろうか。俺としてもただ座って過ごすだけよりも、早く魔法を実際に使ってみたい所だし何らかの手段があるなら歓迎したい所では有るが。荒治療・・・ね。
「ちょっとだけチクリとするかもしれないけど良い子だから我慢してね。」
ブランカが幼児に注射しようとするお医者さんのような事を言う。嫌な予感しかしない。
ブランカの背中から伸びてきた一本の触手が形状をみるみる変えていく。先端が鋭く尖った針になった。長さ一メートルくらいの針だ。太さは直径5ミリくらいで比率的にみると凄く細い感じがするが、騙されてはいけない。直径5ミリの針なんて、食事に使う箸が丁度一本分くらいの太さがあるのだ。で、それが当然のように俺の方へと向かってくる。俺は顔を引き攣らせた。
「ええっと、ブランカさん。これは?」
「大丈夫よ。入れるのは先っちょだけだから。先っちょだけ。」
俺は無意識のうちに逃げ出していた。本能である。魔法習得の為に必要な事なのだろうと分かっちゃいるが、どうしようもない。針が近付けば、逃げる。これが生理現象でなくてなんだというのだ。
しかし、俺はそこから二歩も離れられなかった。ブランカの他の触手が俺を取り押さえて、地面に磔にしてしまった。そして、次の瞬間。
何かが腹部に刺さる感覚。苦痛に俺は呻く。しかし、これは一日目に腹部を貫かれた時の痛みよりは小さい。良かった。大したこと無いな。怖がって損した。
「じゃあ、今からチクリとするから、頑張ってね。ハクアちゃん。」
「え?」
頭上から降って来るブランカの言葉に疑問の声を上げた次の瞬間、俺は絶叫していた。
~~~~~
そう言えば、予防接種の注射とかでも本当に痛いのは針を刺した瞬間じゃなくて、内容物を体内に注入している瞬間の方だったなぁ。などと思いながら俺は仰向けに転がったまま天を仰ぐ。脱脂綿の様な柔らかそうな虹色の雲が浮かんでいる。
ブランカが針を引き抜いたのは1分後くらいだったが、俺の激痛による絶叫はたっぷり10分くらいの間続いた。腹部に強烈な違和感が発生したと思った瞬間に、槍でめった刺しにされる様な苦痛が広がり、激しい嘔吐感に苛まされ、かと思えば頭の中で火花が迸り、万力で体中を捩じり上げられるような錯覚に支配された。
たかが10分。されど10分。スーノ教官の訓練の方がマシだと思う羽目になるなんて。スーノ教官の訓練の場合はしょっちゅう殺されるが、一瞬で眠りに就かされるから長い間苦しむという事が無い。今のはまさに生き地獄だった。
俺が荒い息をしながら回復に努める間にブランカがしてくれた解説によると、ブランカは自身の魔力を魔力硬化剤というものに変えて俺に注射したらしい。これで、現在俺の体内で俺の魔力は硬質化し塊のような状態になっているとのこと。だから、把握するのは容易くなっているそうだ。もっとも、硬質化した魔力なんてゴロゴロと体内を転がせるだけで魔法術のエネルギーには使用できないそうだが。
「元々、魔法能力の高い敵に対して魔法を封じる手段として開発したスキルだったんだけど、最近、魔力把握の苦手な魔児の訓練にも流用できる事に気付いたのよ。痛みが伴っちゃうのは、その元の用途が用途だけにね。」
つまり、訓練の効率化の為だけに、対魔術師用の必殺技を受ける羽目になったというわけだ。というか、このスキル凶悪過ぎだろう。猛毒の短剣とかで斬りつけられてしまっても、治癒魔法みたいなのが使えれば助かるだろうが、魔力硬化剤なんて撃ち込まれたら魔術師は木偶の坊になってしまう。
「未だ疲れてるだろうけど、そろそろ訓練を再開しましょうか。」
え~~。もうちょっとダラダラしてたいな。
「魔力硬化剤は1時間くらいで効果が切れちゃうのよ。だから、効果が切れる前に魔力把握が習得できなかったら、もう一回打たなきゃいけなくなるのよね~。」
俺が跳び起きて、訓練を再開した事は言うまでも無い。
というわけで、必死に頑張った結果、体内の異物感を感知し、それを体中でゴロゴロ動かせるようになった。ブランカにはそれを続けるように言われる。1時間経つと元に戻り始めるので、その柔らかくなっていく過程で常に追尾し続ければ、普通の状態の魔力もちゃんと把握できるようになるとのことだ。因みに、これを失敗したらもう一度注射器のご登場である。それだけは御免被りたい。
俺はぎゅっと目を瞑る。慎重に慎重を重ねて魔力の塊を追尾し続けた。塊がドロドロになっても、追尾出来た。どんどん溶けていき輪郭が不安定になっていくにつれて不安感が増したが、俺は魔力を追い続ける。そしてついに霊体内に溶け合わさって尚、俺は魔力の存在を知覚し続ける事に成功した。不思議な感覚である。常温の水のプールの中に漂うように温水と冷水の二つの存在があった。俺の意識の働きかけにより温水と冷水がそれぞれ束ねられ、二つの人工的な流れをプール、俺の霊体の中に作りだす。更にその二つをDNAのイメージで螺旋状に束ねていく。一本の太い魔力の紐が出来上がった。しかし、それも綱という感じでは無く、ヌルヌルとすべる鰻みたいなもんでツルリと滑って消えてしまいそうである。
「いいわ。紐の形状にしてるのがちょっと面白いけど、ちゃんと出来てるわよ。ハクアちゃん。それじゃ、次のステージにいっちゃうからその紐をしっかり維持したままにして、私の説明を聞いてね。」
俺は目を瞑ったまま無言で頷く。視覚も言葉も、この紐を解いてしまいそうで怖い。
「さて、本来ならその魔力を使って魔法を発現させれば良いだけです。しかし、幾つかの制約によりこのままでは魔法が使えないわ。実は冥界では冥属性が支配的で他の属性魔法が使えないのよ。そして、冥属性に対して適性の高い黒石魔は暗黒魔法を使えるんだけど、ハクアちゃんは無理です。でも、梵術なら行使できるの。つまり、今からやって貰う事は霊力と魔力の2種混合。」
いきなり、ハードルが高い。つまり、俺は魔術の訓練をすっ飛ばして、それより難度の高い梵術の訓練を開始しようとしているわけかい。
「それじゃあ、体中の霊力を活性化さて、そこから溢れ出た霊力で魔力の紐を覆ってみてくれるかしら?」
俺は言われた通りやってみる。霊力の方は魔力よりも余程扱いやすい。自身の意志に抵抗感なく動いてくれる。霊力が魔力の紐を覆い尽くし、更にその内において一本の霊力の紐が二つの魔力帯と三つ編みのような要領で絡まっていく。鰻だったのものが、綱に為っていく。
「いいわ。いいわ。その調子。さて、私達白玉魔は種族特質梵術として具象梵術というものが使えます。まずは、初心者用の具象梵術の一つを試しにやってもらうわね。まずは、目を開けてくれるかしら?」
俺はそっと薄目を開ける。綱はびくともしない。徐々に目を開いていく。霊魔の綱は俺の制御下から離れない。俺の目の前にブランカは乳白色の陶器の碗を出す。ブランカの前にも同じような物が用意されていた。その上にブランカは自分の猫の手をかざす。
「それじゃあ、こんな風に御碗の上に手をかざしてね。この御碗の中に球体の石ころみたいなのを出すイメージを作ってみて。梵珠具象」
ブランカが詠唱するとその掌から丸い輝く何かがポトリと碗の中に落ちて、カランと乾いた音を立てる。覗いてみると、綺麗な乳白色をした完全な球状の物体が光沢を放つ。波打つ幾本もの虹色の筋が入っていて美しい。
よっし、俺もあんな宝石みたいなのだすぞ!
俺は集中する。右手を碗の上にかざし、腕を伝って霊魔の紐を伸ばしていく。掌まで到達すると俺は程良い分量で紐を千切り、粘土をこねる様に丸めこんだ。さあ、後は宝玉をイメージしながらこれを碗の中に落とすだけだ!
「梵珠具象」
自信満々に唱えた俺は、右手の中にあった丸めこまれた球体上の霊魔の紐がフルフルと震えるのを感じた。何だか、逡巡しているように感じる。何迷ってたんだ。俺は右手に霊力を押し流して、後押ししてやる。球体はひどく嫌がる様に抵抗しながらも、掌から落ちていく。
ベチャ。
泥のような物が碗の中に落ちた。
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
まあ、あれだ。俺には泥が分相応ということなんだろう。きっと。
泣いて良いですかね。
落ち込んだ俺はブランカにひとしきり慰められた後、気を取り直してもう一度やってみるがダメだった。魔力不足かと思って、霊魔の紐を全部右手に集めてから詠唱したのだがデカイ泥の塊が出現しただけだった。おかげで魔力切れである。
ブランカも首を傾げていて、俺が失敗した理由が分からないようだった。術が下手なだけなら歪な形の石ころが出るという程度らしく、泥状になってしまうのは見た事が無いという。それじゃ、俺に梵術のセンスが無いのかと訊けば、そういう風には見えなかったとのこと。謎である。とにかく、何度も練習してみて理由を探ろうという事になった。
才能の無い子は嫌いだとか言われて、ブランカに匙を投げられないようにしないとなぁ。