悪魔の幼児教育一日目 中篇
「ブランカ。次はレベル4の雑魚だ。一体な。」
スーノ教官は俺の訴えなど無かったかのように振る舞っている。っていうか、なんで、いきなりレベル4なんですかね。レベル1をクリアしたんだから、そこはレベル2でしょ。ちょっと間違えていやしませんかね。
俺の内心など関係無く、ブランカの触手からはまたしても何かが生まれ出てくる。今回のはさっきの猫よりも大きそうだ。レベル4なんだから当然だろうが。直ぐに猫の形に為るとスーノ教官と同じ二足歩行の態勢になる。顔は相変わらずレベル1の時と同じで可愛らしいのだが、体が筋骨隆々という感じで著しくバランスが悪かった。筋肉が盛りあがって腹筋が割れてる猫なんてペットには欲しくない。
俺は気付くと溜息をついていた。明らかに強そうなのだから仕方ない。おそらく、コンセプトとしてはさっきが敏捷な敵に対応する事で、今回は攻撃力及び防御力の強い敵に対処する事なのだろう。もしあの体格で動きまでレベル1と同じ速さが出るとしたら、お手上げだ。拳や膝の挟みこみで殴ってもダメージが通りそうにない。そもそも、相手が仮に全く動かない的になっていたとしてもダメージを与える事が出来るのか疑問だが。そして、俺がまごついている間に、抱きかかえられて絞殺されるというわけだ。
俺は作戦を練る事にした。訓練内容が相手と同じ土俵で戦って力を付ける事ならば、パワーファイター相手にどれだけ腕力勝負が出来るか計測したいという所なんだろう。さっきの俺の野蛮じみた戦い方から俺をパワーファイトに適性があると見たのかもしれない。ハハハ。俺の方は、まともに勝負する気なんか無いがね。
筋肉猫兵の背丈は俺より頭二つ分くらい高い。普通の人間の大人よりはだいぶ小さいだろう。手は猫の手の形だが、肉球はあるが爪は無さそうだ。腕力による肉弾戦に特化していると考えて良い。ならば、幾らでもやりようはあるというものだ。
前回で懲りた俺は油断せずに、まず相手から距離を取る。緊張感がアドリナリンを放出しているのか左右の脇腹の痛みは収まり始めていた。悪魔が人間と同じ生態をしているならばの話だが。そんな事を頭の片隅で考えていられるのは少しだけ精神的ゆとりがあるからだろう。筋肉猫兵は鈍重そうな足取りでノッシノッシと俺の方へと歩いて来る。幸いな事にスピードは無さそうなのだ。・・・これが演技でないと祈る。
俺はゆっくりと距離を保って湖面へと素足を入れる。銀の液体は地球の水と同じ感触だ。敢えて言えば、少し比重が重そうという所だろう。
「おい。いつまで逃げてるつもりだ。それ以上逃げたらもう一匹追加するぞ。」
外野から野次が飛んでくる。俺はその場で留まった。別にスーノ教官に言われなくてもここで待ち受けるつもりだったから問題無い。
筋肉猫兵は大股で俺へと迫って来る。迫力はあるが、顔が顔なので恐怖感より滑稽さが先にくる。俺は冷静だ。さて、勝負は一瞬だ。問題は俺がどれだけ過去に習った事を覚えているかだが・・・。
筋肉猫兵が直ぐ目の前に来ると右肘を軽く引く。俺はそれを見ると、右ストレートが打ち出されるのに合わせて一歩左足を下げた。筋肉猫兵は強引にただでさえ背の低い俺に拳を当てようと腕を伸ばして前傾姿勢に為る。俺はその時既に体をくるりと回すと後ろ向きになって筋肉猫兵の懐に入り込んでいた。こいつが鈍重で良かった。俺はそう思いながら、腰を沈め、敵の体毛を引っ掴み、敵の脇に自分の肘を付き込むと、トリャッーー! と掛け声をあげた。
そして、投げた。
背負い投げである。
決まった。
バシャアン! と大きな水音を立てながら筋肉猫兵を湖面に叩きつける事に成功した。勿論、首元を掴んで頭をぶつけないようにしてやるなんていう柔道の配慮なんて行わない。というか、殆ど頭から真っ逆さまに落とせるように頑張ってみたくらいだ。あいにく、そこまで上手くは行かなかったが。ということは未だトドメをさせていないという事だ。殺せとは直接言われていない。というか、正確には戦えとすら言明されなかったしな。レベル1との戦闘や何やらの雰囲気から言って、敵が用意されれば戦い、戦うなら殺す事がここでは自明の理なのかしれない。とんでもなく、荒みきった所に転生してしまったものだ。
俺は上体を起こそうともがく筋肉猫兵の後ろ側から首に抱きつくと手足を絡ませて仰け反りながら締めあげる。筋肉猫兵は暴れた。俺は振り落とされそうになりながらも、きつく抱きつき体を腰から捻る。捻りあげる。そして、ついにボキンという嫌悪感を湧きあがらせる様な音と共に筋肉猫兵の首が曲がる。そして、口から白い泡を出し停止した。
俺は力を入れ過ぎて痺れてしまった手足を摩りながら、死体から離れる。その際、背中に四本の短いが太い触手が生えていた事に初めて気付いたのだった。あの鈍重さだ。本来なら、背後に回って近づくものを力で払い除ける役目を果たすものだったのだろう。今回は残念ながら出番はなかったようだ。俺は乱れた息を整えながら、死体を眺める。体は筋肉マッチョだが、顔は可愛らしい猫というのはどうにかならないもんだろうか。自分であんなあっさり殺しておいて言うのもなんだが、罪悪感が凄まじい。
「お前は、本当に無茶苦茶だな。」
スーノ教官、無茶苦茶なのはこんな血生臭い訓練を生まれたばかりの幼児相手に課す方だと思うよ。
「それにしても、さっきの体術は良かった。あんなのは見た事がないが・・・。いや、東海起倒武術に似ていたか? いずれにせよクリアだが、腕力の方は結局いまいちだったな。あれの弱点である首を絞めるのに、かなり時間が掛っていた。」
スーノ教官は髭を撫でつけながら、少々考え込む。
あれは柔道の背負い投げって技ですよ。スーノ教官。しかし、世の中何が幸いするか分からんものだ。高校の時に習った柔道が活躍するとはね。運動音痴の俺は学校授業の体育なんて死ぬほど嫌いだったが、此処に至っては感謝せねばなるまい。芸は身を助くというが、嫌々やっていた柔道の技に助けられたのだから。この分だと、小学生の時に無理矢理通わされていた空手も役立つかもしれんな。
まあ、それは良いとして・・・。俺はブランカの方へと視線を向けた。
「ブランカさん。すみませんが、分離猫兵の顔をもっと厳つい感じに変えられませんか? あの顔だとやり辛くて。」
「あら、ダメよ。それも含めて訓練の一環だもの。」
ブランカは俺の頼みを却下する。
なるほど、訓練の一環か。地球でも、兵士の養成ではちゃんと人を殺せるように心理教育するらしいしな。ひょっとして、俺は誕生した当日に、殺人マシーンになる為の調教を施され始めているんじゃなかろうか。そりゃまあ、悪魔と言ったらそういうモノなのかもしれないなとは思うけれど。釈然としない。それとも、これは俺が悪魔として転生してしまった事実を受け入れる為に重要な事なのだろうか。果して、此処にいる俺の本質は前世の人間のものだろうか、それとも今世の悪魔のものなのか、あるいは、どちらかであろうとするべきなのか?
「ブランカ。次だ。レベル3を2体」
スーノ教官は早くも次の訓練を開始する。俺にはあれこれ考えている暇も無い様だ。というか、与える気が無いという事だろうか。レベル1クリアの時も休憩は無かった。まずいな。このまま思考する暇も無く訓練漬けにされて感覚を麻痺させられると、俺は人間性を失って戦闘機械になってしまうんじゃないか? それだけは御免被りたいところだが。
次の相手はひょろ長い胴体を持つ二足歩行の猫兵が2匹だ。仮にノッポ猫兵と名付けよう。そう言えば、さっきのレベル4は無意識に筋肉猫兵なんて名付けてたな。レベルは4から3になったが、2体と数は増えている。一匹に集中出来ないというのは辛い所だ。
ノッポ猫兵は2匹仲良く並んでシズシズと歩いて来る。一匹だけを相手しようと片側だけの方へと回り込もうとするが、此方の動きに合わせて立ち位置を変えてしまう。俺が位置取りが上手くいかずにグズグズしていると、外野から逃げたらもう2匹追加投入するぞと脅しが飛んできたので、やむなく俺は立ち止った。今回は何も作戦が無い。ノッポ猫兵がどういう特徴を持っているか想像し難いのが原因である。あの体型でどういった方法で攻撃してくるのか。一度、攻撃を受けてみるより他ないか。
2体のノッポ猫兵は俺の左右に並び立つと、腕組みする。なんだ? と疑問に思った次の瞬間、2匹の背中からそれぞれ3本ずつ飛び出た合計6本の触手が俺に襲いかかった。
「うわぁ。」
俺は慌ててその場を飛び退く。ノッポ猫兵は俺を追い掛けてくる。速くはない。さっきは突然だったからビビって逃げてしまったが、触手攻撃もそこまで速くなかった。多分、手で弾く事は可能だったろう。しかし、俺の腕は残念ながら2本しかついていないのである。同時に対処出来るのは2本までだ。残り4本にタコ殴りにされてしまう。参ったな。セオリーとしては各個撃破だろうが。どう攻めるべきか。
「おい。逃げるなって言っただろう。追加な。」
俺が作戦を立てながら逃げていると、スーノ教官が恐ろしい事を言う。おいおい。ちょっと待って下さいってば。逃げてるんじゃなくて、策を練るための時間稼ぎをしてるだけですってば。って、聞いてねえし。ブランカさん、何やってんですかねー。その触手から垂れてる2つの物体は何でしょう? あ、ノッポ猫兵ですね。2匹追加されるんですね。
俺は前後左右をノッポ猫兵4匹に囲まれた。どないせーゆーねんな。
合計12本の触手が襲いかかる。俺は残り11本にタコ殴りにされる覚悟を決めて、一本の触手を両手でムンズと掴んで勢いよく引っ張った。これで倒れてくれれば、その包囲網に出来た穴から脱出する算段である。が、ダメだった。引っ張る事によってヒョロ長の体型が著しい前傾姿勢に為るほど相手の態勢は崩せたのだが、残り2本の触手を地面に突き刺して三脚の要領で俺との綱引きに拮抗して見せたのである。そして、無防備になった俺の体に9本の触手による打撃が殺到する。
全身に衝撃が走る。もう立っていられない。フラフラとその場に倒れそうになった。が、倒れる前に両腕を何かに縛られて体が静止する。気付くと、両腕両足を9本の触手に拘束されていた。引き剥がそうともがくが拘束は外れない。しかも、俺とさっきまで綱引きをしていた触手が何やら先端を鋭く尖らせながら、ゆっくりと回転を始める。あれは不味い。すこぶる不味い。俺はいよいよもって暴れまわり何とか拘束している触手に噛みつこうとしてみるが、思うようにいかない。そんな抵抗をしている間にも例の触手の回転数が上がってきたのか、キュィーンという唸るような音がし始める。
おい、待て。まさか。なんで、それを俺の腹に向けて近づけるんだ。いや、分かってるけど。分かってるけど止めろよ。冗談だろ。
俺は皆大好きスーノ教官に懇願した眼差しを送るが、なぜかゲラゲラ笑われた。あ、もしかして、この人始めから俺の事を殺すつもりだったんだろうか。
もうダメだ。
俺の腹に触手がドリルのように突き刺さり、体をぶち抜いた。