悪魔の幼児教育一日目 前篇
巨猫の名前はブランカという。正式には白玉魔公ブランカだ。
ブランカは見送りをしていた俺の注意を自分に向けさせると、白砂の上の小岩に腰かけるように俺を促してきた。俺が素直に腰をおろしてブランカを見詰めると、彼女は自分が悪魔の中でも同じ種族である白玉魔の魔児を集めて育てる事にしている旨を話す。クリステが言っていた事と同じだ。俺はここ、冥界についても悪魔についても何も知らないので、良い機会だからと色々聞いてみる事にした。
ブランカの説明によると、魔児というのは生まれたばかりの悪魔の幼児の事を言うらしい。まあそのまんまだな。俺は勿論、魔児である。悪魔は悪魔同士の有性生殖で生まれる事は無く、俺が始めに居たような鉱物の塊――魔太母大地――に自然発生的に誕生するようだ。ワルプルギスという3年に一回ある3カ月の期間に、魔太母大地の鉱物群から卵型の結晶が生え出てくる。そして、次の次のワルプルギスの頃、即ち6年経ったら孵化するそうな。この孵化は、目覚めとも呼ばれる。
従って、悪魔には親がいない。兄弟がいない。子供がいない。敢えて言うなら、魔太母大地が悪魔たちの親なのだ。あー、因みに、有性生殖で生まれて来ないからと言って悪魔がそういう事をしないかと言えば必ずしもそういうわけでは無いらしく、一部の悪魔は趣味としてそういう行為に耽る場合も有るとのことだ。・・・ブランカはなんで生まれたばかりの幼児に対してそんな説明を追加したのやら。
これで、生まれたばかりなのに赤ん坊よりは育っている体だったのは納得がいく。生を受けてから実際に孵化するまで6年も経っているのだ。人間の赤ん坊は生を受けてからたったの10ヶ月あまりで此の世に出てくるもんな。ただ孵化した時から服を着ていた理由は尋ねても要領の良い返答は頂けなかった。悪魔の属性特性によって外郭が被膜化して魂魄情報によって再構築されるんじゃないかと思われるとかなんとか・・・。ブランカもよく知らないそうだ。悪魔生物学者でも目指さない限り、それはそういうものと思っておこう。
魔児を集めて育てるなんて事をしているのはブランカを含めて冥界広しと言えども数名だけだそうだ。普通はそんなことしない。殆どの悪魔の共通見解は放置放任、自然淘汰の弱肉強食でこそ悪魔の質が担保されるはずであり、下手に介入することは種族としての劣化を招くというものらしい。ブランカもその見解については大筋では同意しているようだ。では、なぜブランカが『介入』しているのかと言えば、白玉魔の脆弱さと絶対数の少なさが原因らしい。
「白玉魔というのは悪魔の内の更に細かい種族分類の一つということで良いですか?」
「そうよ。私や貴方のように白色大地で生まれた悪魔が白玉魔。」
更にブランカの説明は続く。悪魔には7つの色種がある。冥界の9割を占める黒石魔。そして、青玉魔、紅玉魔、金剛魔、紫晶魔で約1割を埋め、残る白玉魔と緑柱魔が割合として表示するのも馬鹿らしいほどの少数である。故に、白玉魔と緑柱魔が保護政策を取ろうとするのはやむを得ないという判断なのだろう。母数の寡多で子育ての態度が変化するのは地球の生物でも同様である。
そんな風にブランカによる冥界解説を聞いていた所、キュッキュッキュッと砂を踏みしめる音が向かってきた。見ると、2匹目の白猫の登場である。ただ大きさはブランカと比べると頗る小さい。と言っても、人間の大人位の大きさはあるので俺よりはだいぶ大きい。そいつは膝近くまである真っ赤なロングブーツを履いて2足歩行している。長靴――雨の日に履くゴム製品の方じゃなくて、中世貴族とかが履いてそうな靴――ってやつだろうか。真っ白いズボンを履いて、上半身は真紅の軽鎧を着ている。顔には荒くれ者である事を示すが如く縦に伸びた傷跡がついている。そんなのが右手に持った抜き身のレイピアで肩をトントン叩きながらこっちに向かってきた。
「おい、ブランカ。もう魔児が目覚めたのか?」
ドスのきいた低くもよく通りそうな声。鋭い眼光が俺を捉えていた。
「ええ。今期最初の子よ。ちょっとお話してたけど、受け答えもしっかりしているし理解力、思考力は抜群だわ。将来有望よ。」
「・・・頭でっかちじゃ、早死にしそうだがな。」
頭でっかちね。確かに俺はそういう所があるかもしれない。尤も、頭すら大して詰まって無い気もしないでも無いが・・・。
「ま、実際にしごいてみりゃわかる事だな。吾輩はスーノだ。宜しくな。」
「こちらこそ、宜しくお願いします。」
スーノの挨拶に対し、俺は座っていた小岩から砂地に降りるとペコリとお辞儀した。内心では、しごいてみるってなんぞや? なにゆえじゃ? と冷や汗流しながら。
「よし、では・・・えーっと、ブランカ。コイツの名前はもう決めたのか。」
スーノがブランカの方を振り仰ぎ見る。
「ああ、そう言えば、『名付け』が未だだったわ。何って名前にしようかしら。」
「あ、俺の名前は、さい・・・」
「ハクアにしましょう! 我、ブランカが名付ける。汝が名はハクア。」
俺が何かを告げようとした時、ブランカは既にしゃべっていた。ブランカの言葉が終わると同時に一瞬頭の中を何かが通り抜ける様な感覚と痛みが走ったが、直ぐに去ってしまった。何だろう。ちょっとフワフワした変な感覚だった。
「そうか。よし、ハクア。今日から吾輩の事はスーノ教官と呼べ。」
「あー、スーノ教官・・・ですか。」
教官か・・・。なんだろう。凄く嫌な雰囲気を纏っている言葉だな。何となく俺を待ちうけている未来が想像できてしまって戦々恐々なんだが。あれ? そう言えば、さっきブランカに何か告げようとしたような。思い出せないな。結構大切な事だったような。まあ、いいか。重要な事ならまた後で思い出すだろう。今は、この自称教官さんに何をされるのかという不安で頭がいっぱいだ。
「むむ。ハクア。」
「えーっと、なんでございましょうか。」
俺の名前を呼ぶスーノ教官に怖々要件を尋ねる。
「まず、俺の言葉への返事はハイだ。ノーは認めない。いいな?」
えー、いきなりですか。やっぱり思ってた通りあっち系のタイプか。俺の天敵、体育会系だ。これは素直にハイハイ言っちゃって良いんだろうか。というか、前世ではノーと言えない日本人だったんだから、転生後くらいノーと言える悪魔になりたい。俺はチラリとブランカに視線をやる。彼女は俺の味方になってくれるはず。
「ハクアちゃん。スーノの言う事はしっかり聞くのよ。こんなんでも教師としては優秀だから。」
「・・・はい。」
裏切られてしまった。いやでも、あの優しげなブランカが優秀な教師として推すくらいだ。さっきの台詞は無茶苦茶だったけど、指導内容は無茶じゃないのかもしれない。それこそ生徒の状態を慮ってくれて、生徒がノーを言う必要が無い華麗な指導をしてくれるのかもしれない。
「よし、ハクア。もう一度最初からだ。吾輩の事はスーノ教官と呼べ。」
「・・・ハイ。」
「返事はもっと速く。大きくだ。」
「ハイ。」
「もっと大きい声を出せ。」
「はい!」
じ、実害が出ないうちは大人しく従っておいてやろう。そうだ、これは決して体育会系のノリに押し切られてしまったわけでも、ヘタレたからでもないぞ。戦略的行動ってやつだ。面従腹背だ。
「さて、ハクア。これから吾輩はお前を鍛え上げる。その為に、お前の適性を試してみる必要があるというわけだ。鍛えるのは次の4つ。即ち、体捌き、武器の扱い、心霊術、梵術だ。」
「心霊術?梵術?」
「心霊術とは霊力をエネルギーとして使う能力であり、梵術は魔力と霊力の両方を使う技だ。」
「あの・・・、全く言っている事が分からないので、体系だてて説明して頂けると有難いのですが。」
「ああ、それはつまりだな、あのだな。・・・それは、それは後でブランカに聞け。吾輩が最初にお前に教えるのは前の二つの方だからな。説明とかぶっちゃけ、めんどい。」
「うわぁ・・・。」
「返事はハイだ。」
「はい!」
やはり、スーノ教官は体育会系なのだ。俺は、後でブランカに霊力やら魔力やらとその使い方について解説して貰おうと記憶に留めながら、取り敢えず、返事しておく。
「それでは、まず体捌きからだ。ブランカ、レベル1の雑魚を頼む。」
「一体でいいかしら?」
「ああ。まずは一体だ。」
スーノ教官が何やらブランカに頼んでいる。何が始まるのやら。いや、大体予想はつくんですけどね。どうせ、その雑魚とやらの相手をしろって言われるんだろう。レベル1が一体からスタートだ。先の展開も見当はつく。
そんな風に思いながら観察していると、ブランカの触手の一本が此方に伸び来て、地面の上に垂れさがると先端がちょっとふくらみフルフル震えた。すると、蛇口から水滴がこぼれ落ちるかのように、ポトンと丸まった白色の球体が触手から分離して地面に落ちる。落ちた球体はモゾモゾ動くと、次の瞬間にはググッと背を伸ばし、触手が背中から一本生えている猫になった。地球上の普通の猫と同じくらいの大きさだ。触手に目を瞑れば、結構可愛らしい。
「じゃじゃ~ん。私の分離猫兵よ。」
ブランカが自慢げに紹介する。俺が緊張した面持ちでスーノ教官に目線を送ると、腕組みして顎をクィッと上げてみせる。たぶん、戦えという事だろう。言うまでも無いという事なのか、一切指示は無しだ。と言うか、俺は丸腰なんですけどね。拳で殴れば良いんだろうか。でも、あの猫可愛らしいし、なんか罪悪感湧くなぁ。あんなの殴ったら弱い者虐めじゃん。動物虐待じゃん。
なんて、思ってた時が俺にもありました。
初撃は当然、ぽややんと見ていた俺では無く、猫兵。あっと思った瞬間、奴は跳躍し、いやむしろ発射というべきかもしれないが、俺の腹部に頭突きをかましていた。俺は呻いた。衝撃で白砂の地面に仰向けに転がる。幼児体型のせいで体の重心が上方にあるためか、全く踏ん張れなかった。
猫兵はそこから容赦もへったくれもなく、鋭い牙を剥き俺の喉へと喰らい付こうと襲いかかって来る。俺は全く頭が働いていなかったが、本能のおかげか思いっきり振るった腕が敵を迎撃する事に成功していた。俺の細腕に弾かれた猫兵はポンっと再度跳躍して俺から距離を取ると、身を屈める。これは最初にやってみせた発射態勢だろう。
いやいや、ちょっと待て。こいつ、さっき俺をマジで殺しに来てなかったか? 体捌きの訓練じゃないのかよ。訓練の名を冠しながら、いきなり生き死にを掛けた実践とかおかしいだろ。もう、あの猫が可愛く見えない。動物虐待どころか、猛獣に生き餌を与えるようなもんじゃないのか。これが悪魔の常識なのか? そうなのか? 生まれたその日に戦闘訓練させるとか、悪魔の教育方針が理解出来ない。・・・愚痴っていても仕方ない。少なくとも俺の今のか弱い肉体による打撃でも有効だと分かったのだ。戦略と呼べる代物でも無いが方針としてはアイツの発射を避け、逆にこちらの拳を直撃させればダメージを与える事が出来るはずだ。
俺は集中して猫兵に対して身構える。さっきは油断しまくっていたからな。この状態でまた同じ様に攻撃を受けてしまったら俺はなぶり殺しされる未来が確定するので教官に泣き付こう。恥? 外聞? 命とどっちが大事??
猫兵が後ろ脚に力を籠める。発射。俺は全神経を使って精一杯避けようとした。が、体の中心線を外す事は出来たものの、右の脇腹を強く打たれた。苦痛に呻き、思わずその場にしゃがみこんでしまう。猫兵はというと距離をとって跳躍の構えに入っていた。クソッ。俺は歯噛みした。全く対応できなかったというわけでは無い。次は避けれるかもしれない。しかし、避けた所で相手を攻撃するのは無理そうだ。一時的に速さに慣れたとしても集中力が途切れて終わりという未来しか見えない。
次は避けてから、滞空中の所を襲うか、着地後の瞬間を狙うという方法を模索してみたが、ダメだった。左脇腹を打ち据えられ、痛みをおして拳を振るおうとしたが背中から生えている触手が俺の拳を払いのけてしまう。着地点に俺が辿り着く頃には、再度跳躍されて充分な距離を取られていた。なるほど、あの触手はカウンター対策なのか。って、感心してる場合じゃない。
未だ、ちゃんと攻撃を避ける事も出来ず、仮に避けらても反撃は不可能っぽい。
・・・避けるという選択が誤答なのか?
俺は立ち上がった。重心を少し後ろに下げた左足に多く分配し、体はやや前傾姿勢になる。腕は肘を引いて両手とも硬く拳を作った。初撃の頭突きは痛かった。俺の体が引っ繰り返されるくらい強い衝撃だった。でも、もう一撃なら耐えられるはずだ・・・。
猫兵は己を発射した。俺の胴体のド真ん中を愚直に狙って。
来た! 俺が反応するよりも猫兵による頭突きの衝撃が俺の体内に駆け巡る方が先だったが、それは一瞬の誤差だ。問題無い。後ろに下げた左足に斜めに掛かる体重と衝撃は俺の体をひっくり返す事はない。苦痛に耐えて、いや、猫兵の動きを捉えきれずとも苦痛こそを信号として俺の右足の膝と両手の拳が猫兵の細い胴体を挟みこむように殺到する。ポキポキと嫌な音が拳を伝わって振動として俺の鼓膜に到達してくる。背中の触手がピクピクと痙攣した後、猫兵から一切の抵抗感が無くなり俺は体を離した。猫兵は口から白い泡を噴き出してペシャリと白砂の上に転がり落ちる。
俺は荒い息をしてその場に座り込む。胴体が苦痛の総合商社だ。動かない猫兵を見て俺はちょっとだけ罪悪感に駆られる。
「ああ、まあ、何と言うか。クリアだな。」
スーノ教官が呆れと戸惑いが混じった複雑な表情で俺を見る。あれ? なぜにそんな表情を? この訓練は、動きは速いが防御力が低い相手は足を止めてぶちのめせというのを学ばせるものだったんじゃないのか? 俺があっさりクリアして驚いてるのか?
「にしても、野蛮な戦い方だったな。相手が一匹だけだったから何とかなったが、相手が複数匹いたら使えん手だぞ。今の訓練は俊敏さを鍛えて、突っ込んでくる相手に正確に素早くカウンターを決める技術を磨く用途だったのだが・・・。」
さいですか。俺は野蛮人ですか。というより、あれは俊敏さを鍛える訓練だったのか。鍛える前に喉笛を噛み切られていたような気がするのだが。尤も、複数匹相手にするならスーノ教官の言う通り、あんな無防備な構えを取る必要のある技は使えないし、そもそも、相手が一匹だけだったとしても敵の体重が増えれば吹っ飛ばされて終わりである。
「ただオマエが見せた闘争センス自体は評価してやるよ。俊敏さについては中の下くらいだったから、きっちり鍛える必要がありそうだがな。さてと、じゃ次行くか。」
「済みません。未だ痛むんでちょっと休憩入れて貰えませんか。」
スーノ教官が平然と次の訓練に移行しようとするので、俺は慌てて胴体を摩りながら止めに入る。
「・・・返事は?」
「え?」
「教えただろう。返事は?」
「・・・はい?」
「もっとはっきり大きな声で!」
「はい!」
「よし。次の訓練行くか。」
鬼! 悪魔! あ、悪魔か。