天使様からの手紙。①
ガーデンパーティから数日後、ハリエットのところにアンドリューから贈り物と手紙が届いた。
目立つ人物と関わると面倒だからとあっさりしたお礼状を送ってこの関わりを終わらせようと思っていたハリエットだが、思うようにはならなくて・・・。
とある国の田舎にあるお屋敷の一室。
古ぼけたソファが置かれた居間で若い女性が本を読んでいた。
「リタ、お届け物ですよ。」
小さな荷物を持った女性と小さい女の子がその部屋に入ってきた。
「あ、お母様、お届け物?わたしに?誰からですか?」
「おてがみもあるの。はい、リタねえちゃま。」
「トリシャ、ありがとう。」
リタ、と呼ばれたのは ハリエット。スペンサー伯爵家の長女で15歳。
届け物を持って部屋に入ってきたのはスペンサー伯爵夫人。伯爵夫人と一緒に部屋に入ってきてトリシャと呼ばれたのは伯爵夫人の娘で今年4歳になるパトリシア。ハリエットとは血のつながりのない継母と腹違いの妹。
スペンサー伯爵家は「伯爵家」とは名ばかりの貧乏貴族。
およそ15年前。
ハリエットの母親がハリエットを産んですぐに亡くなってしまったため、スペンサー伯爵は世を儚み、自室に引きこもってしまった。
ハリエットが10歳になった頃、伯爵家の後継者問題のために自室から引きずり出されたスペンサー伯爵は、親族が用意した多産な家系の後妻を迎えた。その後妻との間に生まれたのがパトリシアであり、その後に待望の長男が誕生した。長男トーマスは現在2歳、ハリエットが読書をしていたソファで昼寝中である。
スペンサー伯爵家の者は皆、トーマスに人並みの教育を受けさせ、伯爵家の跡取りとして一人前にする事を最大の目標にしている。従ってハリエットとパトリシア、そして伯爵夫人の3人の女性は伯爵家の女性とは思えないほどの地味な暮らしぶりでひっそりと生活している。けれども、今だ引きこもりがちで頼りにならない父親のもと、かわいいトーマスを一人前にするという目標を掲げた3人はアイデアを出し合って節約を楽しみ、お互いを思いやりながら暮らしている。
そういう理由から使用人も最低限しかいず、娘に届いた届け物を伯爵夫人自らがが運んでいるのである。
「差出人はアンドリュー・ステッド。ステッド子爵のご子息からのようですね。」
「アンドリュー・ステッド子爵子息・・・最近聞いたような・・・。」
「この前ストラスフォードの大旦那様に連れて行っていただいたガーデンパーティではありませんか?」
「そういえばそうだったような・・・。」
「開けてみますね、・・・。あ!」
「リタねえちゃま、なに?」
「最近話題になってて読みたいと思っていた星座の本と、あ、素敵な星座のしおりも・・・。」
「おてがみはなにって?」
「・・・えっと、簡単に言うと、踏んづけてゴメンって・・・。」
「へっ?何ですって??」
「リタねえちゃま、ふまれたの?」
「あ、と、うーん、あ、そうなの、足をね。」
「その方と本が好きって話をしたんですか?」
「・・・いいえ。ただ、図書室で踏まれたから・・・。」
「図書室で足を踏まれたの?」
「え・・・と、はい、まあ・・・。」
「そんな話は初めて聞いたわ、リタ。」
「そ、そうですよね、お母様。あまりおもしろい話じゃないと思って。」
「いいえ、リタ。お母様はものすごーくその話に興味があるわ。どうして大旦那様とガーデンパーティに行ったはずのリタが図書室で子爵家のご子息に足を踏まれたのかしら?」
「えっと。ちょっと人に疲れたから図書室で、き、休憩、してて・・・。」
「ふうん。でもね、リタ。図書室でたまたま会った少女の足を踏んでしまった若者がいたとしたら、普通だったらお菓子とかお茶とかそういった当たり障りのないものを贈るものだと思うわ、母様は。」
「え?おかしってあまいもの?」
「・・・ごめんね、トリシャ。私が普通の贈り物をもらえないような姉さまで。」
「ううん、トリシャはリタねえちゃまがうれしそうだからうれしいよ。」
「まあ、ありがとう、優しいわねトリシャは。あぁ、でも、お返しとかをするべきですか?お母様。」
「そうねえ、お礼状でいいんじゃないかしら。」
「そうですね。お礼状を送るようにしますね。」
「で、そのパーティのお話は聞かせてもらえないのかしら。」
「えっと!失礼にならないように早めにお礼状を書かないと!」
「リタ。このお話はまたゆっくりとしましょうね。」
「トリシャもおはなしするー。」
「そうね、姉さまは今からちょっとお手紙を書いてくるから、またね、トリシャ。」
ハリエットは伯爵夫人からの質問から逃げるようにして自室に戻るとアンドリューからの手紙を取り出して読み直した。
スペンサー伯爵家ご令嬢、ハリエット様へ
先日のフィーシャー子爵家でのガーデンパーティでは大変失礼いたしました。
あの時はご挨拶もできませんでしたので、失礼かとは思いましたがあなた様の事を調べさせていただき、お詫びの品をご用意させていただきました。
「天体と時間、距離」について興味がおありのようでしたので、最近、私が読んで興味深いと思った本を選びました。あなた様の好みにあいましたら幸いです。
ステッド子爵家長男、アンドリューより
簡潔で事務的な文章と男らしい筆圧の高い文字。
天使のような見た目だったあの若者からの手紙とは思えなかった。
きっと執事の代筆ね。プレゼントを選んだのも執事かしら・・・。っていうか、私があの図書室の床で本 を置いて読んでたって執事にも話したのかしら・・・。
恥ずかしい。
いくらおじい様やアンジェラをまいて図書室に忍び込んで、誰にも気づかれないようにソファの陰に隠れていたとはいえ、床にはいつくばって本を読んでいて、しかも本に夢中になって図書室に人が入って来た事に気づかなかったなんて・・・。さらに気まずい事に、あの時、アンドリューに声を掛けられて驚きのあまり気が動転し、本を広げたまま逃げてしまった。手紙に「天体と時間、距離」という文言が入っているという事は、彼が私の広げていた本内容を確認したという事。さぞ変な女だと思われたはずだわ。本当だったら猫でも踏んだと思って無視するところでしょうけど、一応、私が伯爵家の娘だから気を使って執事に贈り物と手紙を用意するように、とでも指示したのでしょうね・・・。
ちょっとがっかりした気持ちになったことに気づき、ハリエットは頭を振った。
何を期待してがっかりしてるのかしら、私。それよりも、まだおじい様の図書室にない本をただで読めてラッキーだわ。しおりも素敵だし。お礼状も形ばかりのものでいいわよね。便箋ももう残りが少ないし・・・。
手紙に使う便箋の残量を考えないといけないほどの生活なので、便箋の無駄遣いは控えなければいけない。ハリエットはアンドリューからの手紙の裏にお礼状を書く時の注意点を箇条書きする。
・本のお礼は簡単に。
・しおりが気に入った。
・返事のいらない内容にする。
しばらくお礼状の文章を考えてから、残り少ない便箋を丁寧に2枚切り離してお礼状を書く。
ステッド子爵家ご令息、アンドリュー様へ
素敵なしおりと話題の本をいただきましてありがとうございます。
先日のパーティでは大変失礼いたしました。
あの図書室での事はあなた様のお心にそっとしまっておいていただければ幸いです。
スペンサー伯爵家長女、ハリエットより
このお礼状を送ればもうこの若者とのつながりは終わるだろう。
失礼のないように、印象に残らぬように、注意して当たり障りのない文章をしたためた。
そこでハリエットはふと気づいた。
あのパーティにはアンジェラと一緒に行ったのにこの人からの手紙には全くアンジェラの事に触れられていないのね。
珍しい。
私に近づいてくる人はいとこのアンジェラに近づきたい人ばかりなのに。
まあ、跡取りとなるべき男子がいる貧乏伯爵家の娘で美人でもない私の価値など、今季社交界デビューしたレディの中で一番の美人と評判のアンジェラと血が繋がってるぐらいしかないのだけれど・・・。
あの人みたいなお金持ちの子爵家の長男でしかもあの美男子ぶりだったらもう決まったお相手などもいてアンジェラに興味を持ったりしないものなのかもしれないわね。
ハリエットは引きこもりがちで気難しい父親と、困窮する我が家の陰口を言い、煙たがるばかりで全く援助もしてくれない冷淡な親族を見て育ったせいか、あまり異性に興味がなかった。
男性で自分が愛していると思えるのは弟のトーマスと唯一自分たちの家族を気に掛けてくれる祖父のストラスフォード元伯爵ぐらいだった。
そのせいで、ハリエットはトーマスを立派に一人前にした後は、自分は修道院に入り、家族の幸せを祈って暮らそうと考えていた。
あのガーデンパーティも祖父といとこのアンジェラからどうしても一緒に行こうと誘われたので同行したまでだった。ハリエットは花婿候補を見つけようという野望は全くなく、それよりもこのあたりの貴族の中では最も読書好きで立派な図書室を持っていると噂のフィーシャー子爵家の図書室に興味があった。
うまくいけば読みたい本が読めるかもしれない、そればかりを考えて参加したパーティだった。
ガーデンパーティ用のドレスなどもちろん用意できるはずもなく、アンジェラからもらったお下がりのドレスを手先の器用な継母がハリエットに似合うようにリメイクしてくれたものだったし、靴は継母が結婚した時に持参したもので、サイズが大きいためにつま先に布を詰めて履いていた。
パーティに参加していた人の名前はなんとなく覚えているが、顔にいたっては全く覚えていない。
覚えていることといえば背の高い若者がアンジェラにうっとりと見惚れていたことと、フィーシャー子爵家の娘をはじめ、そこにいた若い娘全員が金髪の美しい若者に見とれていたこと。
ああいう人目を引く美しい人たちは一体どういう人生を送るのかしら?
ハリエットが今したためたお礼状のインクが乾くのを待ちながら、ぼんやりとそんな事を考えていると、来客を告げるベルが鳴った。
前作からかなり時間がたっていますが、まだ続く予定ではいます。