ステッド元子爵家の女仕立て屋②
ロレンスは元子爵夫人の家令兼執事である老パーシヴァルとお茶の支度のタイミングを図りながら立ち話をしていた。
老パーシヴァルはもともとはステッド子爵家の家令であったが、元子爵夫人が田舎の別宅に隠居した時、夫人と一緒にこの屋敷にやってきた。
もうすっかり年老いてしまったが、ジョージ・パーシヴァルは非常に優秀な家令であった。
ロレンスの父も老パーシヴァルの元で執事の経験を積み、一人前の家令となった。
「ミスター・パーシヴァル、最近、大奥様はことのほかご機嫌がよろしいようですね。」
「大奥様はクローディアを気に入っておられる。楽しみがあるのは良い事だ。」
「・・・最近、この屋敷に旦那様や奥様が訪れた事はありますか?」
「いや、大奥様がこの屋敷には旦那様も奥様もお招きしないようにとおっしゃっているからな。」
「そうですか。」
「若様の大学進学の目途はどうだ?」
「滞りなく進んでおります。」
「そうか、何よりだな。」
「はい。」
アンドリューの仮縫いを終えたクローディアが部屋から出てきた。
「ミスター・パーシヴァル、若様の仮縫いが終わりました。」
「ああ、ではお茶の準備をしよう。」
「私は部屋に荷物を片付けて参ります。」
「あ、クローディア、荷物を持つよ。」
「・・・ありがとうございます、ミスター・ヒューイット。」
ロレンスはクローディアが持っていた仕事道具の入った大きなカゴを受け取ると、並んで歩きだした。
「私の事はロレンスでいい。」
「・・・ですが。」
「私とクローディアは違う主に使える使用人同士。敬称で呼ぶ必要はないだろう?」
「わかりました。」
「で、クローディア。将来はどうするつもりなんだ?」
「将来、ですか?」
「子爵家のお抱え仕立て屋で満足ではないだろう?」
「いえ、私は洋服を作って安定した生活ができればそれで満足です。」
「首都に店を出したいとか、裕福な男と結婚したいとか、温かい家庭を築きたいとか、そういった希望はあるだろう?」
「いいえ。」
「若様の気持ちに応えれば首都に店などすぐに出せるぞ?」
「そんな不確かなものに頼るつもりはありません。」
「若様はそれなりに本気だと思うが?」
「若様の今の気持ちの本気度を疑っている訳ではありません。人の気落ちが移ろいやすい事を知っているのです。結婚も同じ理由で憧れはありません。」
「子爵夫人の地位に魅力はないか?」
「私が子爵夫人になど、身分が違いすぎます。」
そこまで話した時、クローディアの部屋の前に到着した。
「ありがとうございました。」
クローディアはロレンスに一礼すると、カゴを受け取り部屋に入っていった。ロレンスは部屋の前でクローディアが出てくるのを待った。
クローディアは荷物を簡単に片づけると、テラスでのお茶会に参加するために戻ってきた。
「では、愛人では?」
ロレンスは先ほどの会話の続きをしようとクローディアに話しかけた。
「貴族様の愛人などしていては、今の仕事量はこなせません。」
「愛人になれば服を作る必要はなくなると思うが?」
「ですから、私は服が作りたいんです。」
「本来なら喜ぶべきなんだろうが、お仕えする若様をないがしろにされているような複雑な気持ちだな。」
「若様には幸せになっていただきたいと思っていますから。結婚もしていないのに愛人など作っていてはいけません。」
「そうだな。だが、今の若様はクローディアしか目に入らないらしくてね。他の女性に興味は持てないと駄々をこねていてね。」
「そこをなんとかしてこその専属執事でしょう?」
「はは、確かに。」
歩きながら話しているうちにテラスが見えてきた。
テラスからは元子爵夫人と向かい合って座っているアンドリューが、並んで歩いているロレンスとクローディアをじーっと見ていた。
「若様がお待ちかねだ。」
「そのようですわね。」
寄宿学校に帰る馬車の中で、アンドリューはロレンスに詰め寄っていた。
「ロレンス!クローディアと何を話していたんだ?」
「若様の事ですよ。」
「え!? な、何を??」
アンドリューは頬を染めて期待に満ちた顔でロレンスの言葉を待った。
「お似合いのお嬢さんとお幸せになられるとよいですね、と。」
「・・・。」
アンドリューはがっくりと肩を落とした。
「クローディアは洋服を作って安定した生活がしたいそうですよ、若様。」
「贅沢をしたいとか、遊んで暮らしたいとか言ってくれれば僕でも何とかできるのに。首都に店を用意したら感謝してくれるかな?」
「おそらく無理だと思いますよ。自分の力しか頼りたくないようですから。」
「でも、クローディア以外の女性に興味を持てないんだ。何か僕を気にしてもらえるような事ができないものかなあ。」
「洋服の仕立てを依頼する以外にですか?」
「御祖母様と同じような事を言うなよ、ロレンス。僕が工夫の足りないヤツみたいじゃないか。」
「・・・それは失礼しました。」
ロレンスは笑い出したいのを堪えていた。
アンドリューはそんなロレンスの様子を一瞥すると諦めたように話を続けた。
「クローディアは僕の外見とか子爵家の地位や財産とかに興味がないだろう?」
「そうですね。」
「ロレンス、そこはもうちょっと希望を持たせてくれてもいいだろう?」
「それよりも、夜会に出席してたくさんの女性と出会って子爵家の世継ぎ誕生に向け努力していただくのが私の希望でございますから。クローディアに関しては身分も違いますし、たとえ若様と思いを通じ合わせても将来はありませんからね。」
「あ、愛人になってくれるかもしれないだろう?」
「クローディアに若様の愛人になって肩身の狭い思いをさせるおつもりで?」
「う、で、でも、愛人でも幸せな人もいるだろう?」
「結婚もしていない男の愛人になって幸せになった人の話は私は聞いた事がありません。」
「う、そうだよね。」
「まあ、なんでしたら私がクローディアを娶って、延々のろけ話をして差し上げましょうか?そうすれば諦めもついて、若様も妻が欲しくなるかもしれませんでしょう?」
「ロレンス!まさかお前もクローディアが好きなんじゃないだろうな!?」
「・・・。私は若様と違って何の障害もありませんから。」
「さてはさっき、やっぱり口説いていたな?」
「先ほどは口説いてなどいませんよ。これからです。」
「こ、これからって!」
「まずは大奥様の承諾をいただきませんと。」
「な、何を着々と!」
「幸い私には今、自由になる時間もございますし。クローディアも特に結婚にこだわりはないようですし。」
「結婚にこだわりがないって、どういう事だ?」
「私は若様の専属執事ですから、若様の許可がないと結婚できませんが、先ほど話を聞いたらクローディアは特に結婚に憧れもないと言っていましたし。」
「そんなことまで聞いたのか?」
「私は優秀な執事ですから。」
「誰が言ったんだ?お前の事を優秀な執事だなんて!」
「私ですよ。」
「ロレンス、お前。」
アンドリューは興奮で顔を赤くし、言うべき言葉を見つけられず口をパクパクさせていた。
「おや、本当の事を言ったまでですが、言葉が過ぎたようですね。申し訳ございません。」
「心がこもってないんだよな。ロレンスの謝罪って。」
「・・・整いすぎた顔立ちが良くないのですかね?」
ロレンスはニヤリと笑ってアンドリューの目を見た。
「・・・。まあ、それはともかく、もし、万が一、ロレンスとクローディアがうまくいったら僕は結婚を許さないほど心の狭い男じゃないからな!」
「おや、それはそれは。」
「僕よりもロレンスのほうがクローディアを幸せにできそうな気がするから仕方ない。まあ、もし万が一クローディアがロレンスを好きになったら、だけどな。」
「結果を楽しみにしていて下さいませ。」
拗ねて窓の外に目線を移したアンドリューの横顔を見ながら、ロレンスは楽しそうに笑った。
なんだかんだ言ってもロレンスは、アンドリューを大切に思っていた。物心ついた時から毎日一緒にいて世話をしてきた、かわいくてしかたがない若様だ。
ロレンスは自分がクローディアに好意を持っていることを今、アンドリューと話す事でやっと、はっきり自覚した。
しかも、勢いで これからクローディアを口説く、とアンドリューに宣言してしまった。
困ったことになったな、と思いつつも心が弾んでいることに気づく。
「若様には誰もが認める良い奥方をご用意して差し上げますからね。」
ロレンスは心の中でそうつぶやくと、これからのことについて策をめぐらすのであった。