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8月3日 樫枝悟司 その2

 それから一時間後――


「やっぱり邪気が充ち満ちていたわね。部屋の隅々まで浄化しないと気が済まないわ」


 水谷は勝手に部屋の中へと上がり込んでいた。

 あの後も、インターホンとドアノックのコンボをかましてくれた水谷。

 悟司はそんな彼女の騒音攻撃を全てヘッドホンで遮断して、黙々とギターを弾き続けていた。


 三十分後、ようやく去ってくれただろうと思いながらヘッドホンを取ると、彼女の騒音攻撃はまだ一向に収まっていなかった。全くとんでもない執念である。

 完全に根負けした形で悟司がドアを開けると、水谷は急に「この部屋に邪気の気配を感じるわ」などと意味不明な言葉を吐いて、おもむろに部屋の中まで上がり込んできた。


 そうして現在。

 水谷は、悟司の部屋をぴかぴかに掃除してくれていた。

 床に散らばっていたゴミを全てゴミ袋にまとめ、洗い物は全て流しの中で洗剤漬けにし、部屋の隅々まで掃除機までかけた後で聖水をふりまいた。


「あ、あのぅ……そ、それ。やめ、やめてくれません、かね?」


 聖水をふりまく水谷に向かって、悟司は布団の中にくるまりながら声をかけた。

「どうして?」

 きょとんとする水谷。

「だ、だって。水浸しになって、るじゃ、な、ないですか……」

 悟司の言うとおり、部屋の中は一面、聖水とやらでびちゃびちゃだった。

「そ、掃除してくれたのは嬉しいです、けど……こ、これじゃ、余計ひどい」

「ふぅむ」


 悟司の言葉にしばし長考する水谷。

「確かに。私の部屋も、こんなにふりまくことはしないわね。せいぜい霧吹き程度。でも、それはあなたの部屋が邪気に満ちているから――」


 またそれだ。

 いよいよ頭が痛くなってきた。まともに会話しようとしてもこれじゃ、一向に話は成立しない。仕方なしに立ち上がると、悟司は流しの方から雑巾を持ってきた。

 そのまま床の水を拭き取ろうとすると、


「いいわよ、私がやるわ」

 と、言って悟司の手から雑巾をもぎ取った。

 その素っ気ない感じにむすりと顔をしかめていると、


「樫枝くん、私のこと迷惑だと思ってるでしょ?」

「へ?」

 膝をついて床を拭きながら、水谷はこちらを見ることなく言った。

「でもね、この部屋が邪気に満ちてるのも、樫枝くんが悪いせいじゃないのよ。全ての原因はあれだけのゴミと汚れ。そこから負の気が集まって、邪気となってるのよ」

「は、はぁ……」

 そもそもゴミを散らかしたのは自分のせいなのだが、と思ったが余計な口を挟むとまためんどくさいことを言われてしまいそうな気がした。


「あなたの手を煩わせる必要はないわ。だから私が全てやる。私はそういう使命をヤハウェ様から言い使わされているのよ」

「さいですか……」

「あなたが悪いわけじゃないのよ。悪いのは穢れること。穢れさえこの世からなくなってしまえば、何もせずともあなたや私はヤハウェ様の仰る天国へ行けるはずなのだわ」

 それから、水谷はぶつぶつと「あなたは悪くないの」と何度も何度も呟いて、床を磨き上げていた。

 悟司はそんな水谷を見て、言い様のない気持ちに駆られてしまった。

 彼女にとっては、今信じているその“教え”こそが全てであり、絶対なのだろう。


「ど、どうして――」

「ん?」

 悟司の呼びかけに、水谷が顔を上げた。

「どうしてみ、水谷さんは、いちじく会に入った、の?」

 すっかり聖水を含んでしまった雑巾を持って水谷は立ち上がる。

「あんまり面白い話じゃないわよ」

 そう言って、水谷は流しの方へ雑巾をしぼりに向かった。

 しぼった雑巾から水が溢れ出す音が、悟司の耳へかすかに届く。


「……もうどうしようもなかったの。だからよ」


 それは圧倒的に短縮された説明であったが、それだけでも十分に伝わるものが、彼女の語り口からは感じ取れた。


「い、今の自分は…………違う、と?」

「違うわ」

 再び流しから戻ってきた水谷は、はっきりとした口調でそう告げると、そのまま無表情で悟司を見つめた。

「今生きていられるってだけでも奇跡なのよ。あの頃より、ずっとね」

 それだけ言うと、水谷はもうこちらを見ることなく、濡れた床を拭き取る作業へ戻った。

 それ以上は尋ねるな、ということなのだろうか。

「樫枝くんもきっとわかるわよ。いちじく会に入れば」

 そんなことを思っていると、先ほどのトーンとは打って変わって、再び元気な彼女の声がやってきた。

「絶対、は、入りませんけどね」

「どうして」


 今度は水谷が悟司に向かってそう呼びかけた。

「いっつも、あんなにつまらなそうだったじゃない? 前に喫茶店で話した時に思ったの。『ああ、この人も救いを必要としている人だ』って。私の目はごまかせないわよ」

 確かに、あの頃はそうだったかもしれない。


 でも、今は違う。千佐都も春日も月子も。皆が自分を必要としてくれているんだ。

 悟司は、ごくりと唾を飲み込んで答えた。

「今は、た、楽しいから」

 反応のない水谷に、悟司は続けた。


「お、俺には……目に見えない救いなんて、ひ、必要ないんですよ」

「ふーん」

 悟司の言葉を聞いて、水谷はつまらなそうに声を上げる。


 そして――



「……羨ましいな」


 それは彼女の口から、微かに聞き取れる程度のボリュームで静かに漏れた一言だった。



 ようやく、部屋が綺麗になった。

 といっても、別に悟司が何かしたわけではなく、全て水谷のおかげなのだが。

「あ、ありがとうございます」

 悟司が丁寧に頭を下げると、

「お礼はヤハウェ様に言って」

 水谷は、掃除の間ずっとつけていたヘアゴムを取りながらそう言った。まとめていたロングの髪がふわりと解けて、シャンプーの甘い香りが悟司の鼻孔をくすぐる。

「と、ところでさ」

 十字架を揺らしながら、肘の辺りまでまくり上げていた袖を戻している水谷の横で、悟司はずっと思っていた疑問を口にした。


「そもそも、な、なにしに来たんですか」

「なにしにって――」


 どうみてもパチモンの修道服のような、藍色の服を正すと水谷は急に眉間に皺を寄せた。

「そうだ……こうしちゃいられないのよ」

 そこまで言うと水谷は、顎に手を置いて再び長考、もとい自分の世界に入り込んでぶつぶつと唇を動かしながら呟き始めた。

「まだ十二件もあるのよ……このまま一人で回りきっても、果たしてちゃんと終わりきるかしら……」

 そこで、水谷がちらりと悟司の顔を見た。急に視線を寄こされてもどうすればいいのかわからない悟司が、曖昧な笑みを浮かべていると、


「樫枝くん、部屋を掃除してあげたお礼の代わりに、今から安藤くんの家まで行ってきてもらえないかしら?」

 なんと、いきなり水谷からお願いをされてしまった。

「あ、安藤さんですか?」

 先ほども言ったように、安藤とは水谷と同じ「いちじく会」の一員である。しかし、悟司は安藤の住所など全く心当たりがない。そもそも水谷同様、ずっと避け続けていた人物の居住先など、知っているはずがないのだ。

「お、俺知らないですよ? 安藤さんの家なんて」

「このアパートを出て左折すれば大きな通りに出るでしょ? そこから未開大に向かう方へと曲がって一本目の丁字路が見えたら、そこから一番近いアパートが安藤くんの家よ」


 どうやら驚くほど近かったようだ。

 そのアパートは悟司もよく知っていた。今水谷が言った「大きな通り」とは、悟司がいつも未開大に向かう際に通る道であり、大学まではその道をまっすぐ進むだけなのだ。

 一本目の丁字路を曲がった先に見えるアパートは悟司もよく知っている。郵便局へ向かう際はそちらへと曲がるので、幾度となくそのアパートの前を通り過ぎたはずだった。

「二階の二○三号室が彼の部屋よ。そこへ行って、彼からビラをもらってきて。二十部あれば足りるわ」

「ビラ?」

「ついてきて」


 そう言って水谷に案内されるまま玄関の外へと出て、郵便受けを見ると、悟司の一○一号室の郵便受けには「いちじく会」の案内チラシが挟まれていた。

「今日から二週間で、残り十二件のお祈りと勧誘活動をしなきゃいけないの。ちょうど樫枝くんの家でビラがなくなっちゃったのね。だからお願い」

「み、水谷さんが直接行けば良いじゃないですか。ななんで、俺が」

「私は今からちょっと協会の支部へ戻る用があるのよ」

 そう言って水谷はくるりと背を向けると、

「場所はそうね……。チョっちゃん坂をくだって陸橋を降りた先に公園があるでしょ?」


 そこは大学近くの公園であり、以前悟司が月子を見かけた場所でもあった。さらに言えば、ダース○イダー春日がこの町を支配しにきた場所でもある。


「そこのベンチで待ち合わせしましょ。もしすっぽかしたら――」

「す、すっぽかしたら?」

「まだ邪念に支配されてるようだから清めなきゃいけないわね」

 そう言って、再び奇妙な小瓶を見せつける水谷。

 ちょっとだけ変な刺激臭もするので、かけられたらたまったものじゃない。

 まぁでも、掃除をしてくれたことは確かに感謝すべきことであり、無碍に断るのもなんだか悪い気がした。

「わ、わかりましたよ。行ってきます……」

 渋々了承すると、悟司はニングルハイツの前で一旦水谷と別れた。



 言われた通りのアパートにたどり着くと、悟司は二○三号室の前で立ち止まった。

 表札には安藤と書かれている。間違いない。

「……しかし、どうしてあの二人は一緒じゃなかったんだろう?」

 以前、悟司が「いちじく会」に引き込まれそうになった時もそうだったが、水谷と安藤は、常にその行動を共にしていたはずだ。それが、今日は水谷だけが来訪してくるなんて。

 疑問には思ったが、そこら辺のことはあまり深く考えずに悟司はインターホンを鳴らした。押した瞬間、玄関のドアから数メートル離れて様子を伺う。


「……あれ?」


 待ってみても、一向に安藤が出てくる気配はなかった。今度は軽くノックをして、再び数メートル離れて様子をみるが、それでも反応がない。

 こういってしまっては失礼な気もするが、安藤はある種水谷よりも危険人物であると悟司は思っていた。なんだかんだ水谷は女性なので、最悪無理矢理羽交い締めにされて誘拐されたとしても腕っ節で言えば負けるはずはない……のである。多分。

 そう思いつつも、悟司は先ほどの彼女の握力を思い出して再びぞっとしてしまった。

 だが、当の安藤は男性である。ひょろすぎるもやしっ子の悟司と違い、安藤は春日ほど背はないものの、体格に関しては春日以上に引き締まった肉体の持ち主であった。

 想像するまでもなく、力勝負なら敵わない人間だ。もちろん彼が、そういった実力行使を行なう人間であるのかどうかも、「いちじく会」がそこまで強硬策に訴えるような新興宗教であるのかどうかも、悟司には一切わからないし、わかる機会もなければ、これから先もわかりたくないのだが。


 それが、先ほどから何度もアクションを起こしては数メートル距離を置く理由であった。悟司は警戒しながらも注意深く玄関のドアの方を見つめて、じっと安藤が出てくるのを待った。いきなり開いて、引きずり込んでくるとも限らない。

 しかし、やはりどれだけ待っても安藤が出てくる様子はなかった。


「留守かな?」


 もしくは、先ほど自分のしていたような居留守を使っているのだろうか。悟司はアパートの壁に背を預けながらそんなことを思う。

 悟司は、普段からインターホンを鳴らされても扉を開けることをしない。ネット注文で頼んだ荷物待ちだったり、出前を取ったりする以外にはろくな用件でないと決めつけているからなのだが。

 その洗礼を真っ向から受けてしまったのが、新聞屋の勧誘であった。どれだけいりませんと頼んでも、無理矢理契約させようとあれこれ画策して喋ってくる。あれは一人暮らしの者にとって、実に忌々しい天敵だ。

 おそらく自分よりも一人暮らしの長そうな安藤のことだ。同じような戦法をとっているとしてもおかしくはない。


「でも、このままビラを持たずに水谷さんと落ち合うのもなぁ……」


 水谷に電話をかけたいと思ったが、そもそも悟司は彼女に番号を教えていない。教えると怖い。

 もう一度、ノックをしてから数メートル離れよう。そう思ってドアに近付いたところで、


「……あれ?」


 目を下へ向けると、ドアがわずかに半開きになっていたことに今更ながら気付いてしまった。どうみてもこのアパートはニングルハイツよりも年季がある。もしかしたら、たてつけが悪くなってしまったのかも知れない。


「不用心な」


 そう言葉に吐いてみて、同時に思う。

 ……こっそり入って、勝手にビラを持ち出してしまおうか?

 おそるおそる半開きになっているドアから聞き耳を立てるが、生活音は一切聞こえない。どうやら思っていた通りに留守のようだ。

 最大の問題は度胸だ。勝手に押し入って、ビラを探すことが出来るだろうか。

 だからといってこのまま膠着状態で時が過ぎると、後で水谷からなんて言われるかわかったもんじゃない。無駄に時間を過ごしている猶予もあまりないはずなのだ。


 悟司は意を決してドアノブをつかんだ。

 思っていた通りにたてつけが悪い。軽い力で引いてみると、ひっかかったようにドアが途中で止まってしまった。さらに力を入れると、鈍い音を立ててようやく扉が全開になった。

 玄関から中の様子を伺う。短い廊下の先は、ニングルハイツと違って部屋の中が玄関からそのまま見ることが出来た。カーテンがかかったままの安藤の部屋は、電気もなく真っ暗だった。


「お、お邪魔しまーっす……」


 ドアを閉めるのは怖かったので、勝手に靴を借りて、それをついたてにしながら悟司は安藤の部屋の中へと入った。

 部屋について真っ先に目がいったのは、壁一面にでかでかと貼ってある気持ちの悪い天使の絵だった。宗教画のようだが、天使の目がどう見ても生気を宿していない。芸術的にもどうかと思うほどの出来映えなので、不気味さしか抱けなかった。


 月子の絵とは完全に対極している。月子の絵は、たとえ百合っぽい絵であってもその温かい雰囲気がはっきりとこちらまで伝わってくる。キャラクターの息吹を感じるのだ。

 暗がりでそんなものを見てしまったので思わず悲鳴をあげてしまいそうになったが、どうにかこらえて悟司は部屋の中を見渡した。


「あった……」


 目当てのビラは彼の机にぽんと置かれていた。それを手にとると、悟司は急いで部屋から出ようとした。

 廊下に移動しようとしたところで、彼のベッドに白い袋が転がっているのが目に入った。処方箋と書かれているその袋からは、いくつかの錠剤が溢れ出しており、その他にも新品のマスクやら、熱冷ましのシートなども置かれている。

 なるほど、水谷が一人でいるのはそのせいだったのか。

 悟司はようやく自身の中で合点がいくと、急いで安藤の部屋から外に出た。


 公園には既に水谷が待っていた。


「あ、安藤さんって、風邪ひいてるん、ですか?」


 ビラを手渡しながら悟司が尋ねると、


「そうよ。おかげで、私一人で十二件のノルマをこなさなきゃいけなくなったの」

「あの、さっきから、言ってるそ、その十二件って……なん、なんですか?」

「説明してなかったっけ?」


 水谷はビラの枚数を数えながら、答える。


「今日から三週間、二人一組で計十五件の家の浄化と勧誘活動を行なわなくちゃいけないの。これは、この町の支部の名誉のために、何が何でもやらなきゃいけない最低数のノルマなのよ」


 なんでもこういうことらしかった。

 いちじく会は北海道と、関東、中部、関西、九州地方の計三十八からなる本部と支部で構成されている。主な活動は今更なので伏せるが、他にも開運グッズや健康食品や器具などの販売も行なっているらしい。

 そんないちじく会は、全国の中でも北海道がダントツでその布教率が高いそうだ。本部が札幌にあるというのも、原因ではあるのだろう。そして、そのダントツの北海道の中でも、さらに上位に食い込むのがこの町だそうで。


「でもた、確か、前に六人しかい、いないと言っていたような――」


 上位に食い込むにしては数が少ないと思った悟司が、そんなことを口走ると、水谷は呆れたように口を開いた。


「それは未開大の中での話よ。町の協会支部にはもっといるわ」


 ま、そりゃそうか。

 心の中で納得する。


「未開大のは名目上、ボランティア活動を行なうサークルってことになっているの。今は六人だけど、私が入学した頃はもっと多かったのよ」


 しかし、大学で新興宗教に引っかかるケースというのはそれほど珍しい話でもないが、実際に引っかかった人物とこうして会話を交わしているというのも、それはそれでなかなかに貴重な経験かもしれない――あまり好ましくはないが。


「さっき、協会支部の方へ戻ってなんとか話をつけてきたわ。安藤くんの容態はどうだったの?」

 話をつけてきた? なんのことだろうか。

「い。いませんでしたよ? だから黙ってそれを」


 水谷の言葉に疑問に抱きつつ、悟司がビラを指さすと、


「病院行ったのかしらね? とにかく、許可は下りたから。さ、行きましょ」


 そう言って水谷はいきなり悟司の腕を掴んで歩き始めた。

 完全に油断していたので、手を引くことすら出来なかった。


「へ? あ、あの……一体どういうことで?」

「どういうこともこういうことよ」


 相変わらずの馬鹿力で悟司を引きずる水谷。

 どれだけ振り切ろうとしても、まるでびくともしない。


「ちゃ、ちゃんと言葉で、言ってください、よ! お、俺はこれからどこへ――」


 嫌な予感がする悟司に、水谷は笑顔で振り返った。


「もちろん勧誘よ。あなたも一緒にね。部外者が一緒でも大丈夫だって、許可が下りたから」

 ……やはりそういうことか。


「お、俺。ま、末法なんたらの、一派なんです、けど……」


 以前、春日が使ってくれた別のカルト宗教の名前を出してみる(言えてない)が、水谷は、はんっと鼻で悟司の発言を笑い飛ばした。


「あなたが末法開眼じゃないってことは、とっくのとうにリサーチ済みよ」


 そう言ってきらりと光る首元の十字架が、ひどく恨めしかった。


「い、嫌だ…………」




 ……こんなはずじゃなかった。

 のんべんだらりと過ごしながら、コンビニで買ったアイスを食べて、ぐだぐだと一人の時間を漫喫する。

 それが事前から考えていた、悟司の夏休みだった。

 それが、どうして。


 どうしてこのわけのわからぬカルト女と一緒に過ごすことに――




「ほら樫枝くんも、ビバヤハウェ!」

「…………やはうぇ」


 涙も乾く、夏の日差しの中。


 八月はまだ始まったばかりであった。





(「8月9日 樫枝悟司」へ続く)

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