閃光少女(2)
――あの日鏡を見たとき、自身でもはっきりと目つきが悪かった。
そんな自覚をしていた。
母親と名古屋から電車を乗り継ぎ、山梨にある高校の入寮手続きを済ませた日のこと。
あの日、寮長とは一切視線が合わなかったことを千佐都は今でもはっきり覚えている。
今になって思えば寮長はとても優しい人だったし、あの時の擦れた態度の自分を見れば、誰だってぎょっとするに決まっていた。
何より自身の髪の色も、相当尋常じゃなかったのではないかと。
今はそんな風にも思えるのだった――
***
「とりあえず……入学前には染め直してきましょうね……?」
そういう寮長の言葉にも、適当に頷く。
そうして脱色して傷みまくった髪をいじりながら、千佐都は寮長に案内されるまま自身が三年間暮らすことになる部屋を案内されることになった。
「――樫枝……千佐都さん?」
先に入寮していたその彼女の名は、三井なんとかといった。
正直、こいつの下の名前なんてろくに覚えていない。
「そう。三井さん、樫枝さんと仲良くしてあげてね?」
寮長の言葉に曖昧な頷き方をする三井は、第一印象で既に仲良くなれそうになる気がしなかった――というより元より誰とも仲良くするつもりも、その頃の千佐都には毛頭なかった。
せいぜいうっとうしく話しかけてこなければ、三年間こちらとしても空気のように扱ってみせる。だから余計なお節介やいらぬ世話など一切焼かなくて良い。
おびえる三井という女の姿に妙なむかつきを覚えながらも、千佐都はそんなことをただぼんやりと思っていたのであった。
そうして時間は刻々と流れていき、母親は寮長に最後の挨拶を交わして、去り際に不機嫌そうな千佐都の顔を見つめてぽつりとこう呟いた。
「……ごめんね」
本当に、なんて最低な言葉だろうと思った。
結局本気で自分のことを厄介払いしたかっただけなのだ。娘にかける言葉というものを完全に誤っていたと思う。
「頑張ってね」とか、「風邪を引かないでね」とか。
そういう少しでもこちらを心配するような――たとえ本気でそうは思っていなかったとしても――そんな言葉だったならば、一体自分はこの時どれだけ救われたことかと思う。
いや……もしかすると厄介払いではないのかもしれなかったのではないかと、ふとそんな風に思う。
母親だって人間だ。きっと人並みに自分自身の事で精一杯だった――そう思い直してみる。
まだ幼い息子が亡くなって失意に暮れているというのに、そのうえ父親とも折り合いがつかなくなって、おまけに娘もこんなだから。
精神的にも、母はこの時が限界だったのかもしれないと今ではそんな風に思えてならなかった。
しかし、それでも今はこう思えてしまうのだ。
――もし弟の樫枝剛児の方が生きていたら、こんなにぎくしゃくとした家族にはならなかったのだろうか、と。
少なくともこの時の自分は、父や母と同じく相手の気持ちを量る余裕を何一つ持っていやしなかった。
なぜなら、こうして去っていく自らの母親のことすら、労ることも出来なかったのだから。
「ダメ人間……ばかりか」
そうして母がタクシーで去っていってからも、千佐都は寮の外に立ち尽くしたままだった。
だけれども、さすがに入り口に立っていると他の生徒たちから目立つかもしれない。そういう髪の色をしていた。
そう思った千佐都は、そのまま少しだけ寮の外を散歩してみることにした。
そうして寮のある坂を下っていくとバス停が見えた。バス停の時刻表を覗いてみると、どうやら町の方へ向かうにはここのバスに乗らないといけないらしい。
この場所を起点に、十以上も並んでいる停留所の数を見てげんなりする。まるで隔離施設か何かのようじゃないか。
もしかするとこの坂の上にあるのは寮なんかではなく刑務所なんじゃないだろうか。
「くそったれ……」
こうしてこの町にやってきたことに、この当時の千佐都は自責の念など少しも感じていなかった。
もちろん親元から離れて家を追い出されることには抵抗もなかった。
だけどかといって、こんな僻地に連れてこられるなんて――と、そんな風に思っていた。
思考回路の拠点が、まずそうした被害者意識でいっぱいだった。
全力で被害者面していたのだった。
結局どうすることもなく、パーカーのポケットに入れっぱなしだったiPodを取り出すと、千佐都は来た坂道を引き返していく。
そうして寮に戻って自分の部屋の扉を開けてみると、先ほどいた三井という女子は、挨拶を済ませて早々どこかへ消えてしまったらしいことに気付いた。
好都合だと思った。このままろくに会話もせずに空気のように扱ってくれれば何も言うことはない。
二段ベッドがあって、千佐都は特に考えることもないまま上の階へとよじ登る。
「固いなぁ……」
ベッドのマット部分を触って、そんな風に呟きながらその場に寝転がってみた。
――おそらく何も希望の持てない三年間。
そんな風に思い、気付けば旅の疲れのせいもあって、千佐都はそのまま夢の中へと入っていった。
***
「――どうしたの、お姉ちゃん?」
夢の中には剛児がいた。
あの頃と何も変わらない容姿で、自分だけが中途半端に成長してしまった状態の中、剛児は千佐都に屈託なく微笑んでみせる。
「高校入学おめでとう。でも、なんだかとてもつまらなさそうだね」
「明るく振る舞うなんて……出来ないよ」
「どうして?」
剛児の顔を見て、千佐都はその理由を口にすることが出来ない。
あなたがいないから、だなんて。
剛児のせいにして。そんな風に全てを亡くなった剛児へと押しつけることなんて出来なかった。全てが、自分自身で悪い方向に持っていっていることに気付いていたからこそ、絶対にそんな言葉は吐けなかった。
「でもさ、“そんな風に思っていること”自体は否定出来ないんだね?」
否定、だなんてどこでそんな大人びた言葉を覚えたのだろうと思いつつも、千佐都は首を振ってみせる。それが無意味だとわかっていても。
この、夢の中の剛児にはもうとっくに心を見透かされているとしても、そうすることしか出来なかった。
「ちがう……そうじゃない……。あたしは……あたしは……っ」
呼吸が出来なくなる。
息苦しくて、涙が溢れる。
「あ……た、し…………は…………」
とうとう声が出なくなった。
そのまま剛児の姿が遠ざかっていく。
フェードアウト。
暗闇が視界を覆う。
***
「――あ。やっと起きたんじゃねーですか?」
気付くと頬は涙で濡れていて、すぐに鼻を摘まれていることに気付いた千佐都は、その台詞を発した人物の腕を強引に振りほどいて起き上がった。
「な……にすんのっ!! このクソ女っ!」
「おーおー。こわー。まさしく見た目通りってヤツですねー」
千佐都の激昂する姿を見てもその女は顔色一つ変えず、二段ベッドの階段から身体を半分ほどこちらに出して笑っていた。窒息するかもしれないってのに何笑っていやがる。
それをそのまま口にしようとしたところで、
「ヤンキー女。樫枝千佐都」
まるでこちらの神経を逆なでするように、その女はびっと千佐都に人差し指を突きつけた。
そばかすのあるお世辞にも綺麗とも言えない女子だった。髪型は正直、ダサいと一言でそう断言出来るほどセンスのないお団子頭だ。
そんな団子頭が千佐都へ告げる。
「既に有名みたいですね。アタシも実はさっき来たばっかで、さっそく食堂でべらべらと喋ってる女がいたから、『なるほどどんな奴だろー?』って思ってやってきたわけですよ。つか脱色しすぎじゃねーですか? こんなに落としたら髪が溶けると思うんですけど?」
「べらべら喋ってる女がいたって……それ誰?」
「三井って言ったですかね? 昨日からいる女子達ともうグループ作っちゃってて、『あちゃーこりゃもう輪に入れねーな』って思っちゃって。ありゃー一大勢力になりますよ。アタシの見識にゃ間違いにゃーです」
その名前を聞いて、千佐都はちっと舌打ちをする。
あの野郎。挨拶の時はあれだけビクついていたくせに大したタマだ。
「あいつ、呼んできてよ」
苛立ちに任せて団子頭にそう告げると、
「それは無理じゃにゃーですかね。もうすっかり消灯時間だし、アナタ食堂のご飯にも呼ばれてなかったんじゃないですか?」
「消灯?」
びっくりして千佐都は携帯の時計を見ると、既に時刻は午後十一時を三十分も回っていることに気がついた。一体どれだけ居眠りこいていたんだと思う。
「要するにアナタはあの三井って子にシカトぶっこかれてご飯呼ばれなかったってことです。そんなわけで朝までご飯が食べられないし、文句を言いたくても今はもうこの部屋から外には出られませーん。まだ入学式前だけど上級生もいるし、まぁ規則ってヤツですよね」
「あんたは?」
「ん?」
千佐都はぎろっと睨みつけるように団子頭を見つめる。
「消灯なのになんであんたがいるの? 話が見えない。ここはあたしと三井とかいうクソ女の部屋でしょうが」
「あーそうそう。それなんですけど――」
団子は思い出したように手を打つと、
「実はアタシ、三井って子と部屋交換したんですよ」
「……は?」
「いやー。試しに聞いてみたらもーノリノリで、もー命の恩人かってくらいに感謝されてですねー。やっぱこんなことでも人から感謝されるのって、気分良いなーっていうか」
「信じらんない……っ。なんなのアイツ!」
「まぁ信じたくなくても、ここは一つよろしくってことで」
そう言ってへらへら笑いながら差し出してくる手を、千佐都は思いっきり打ち払った。
「ありゃ」
払われた手をぷらぷらと振ってみせながら、団子はそんなとぼけた調子で千佐都を見つめる。
「あー。つれーわー。いきなり入寮当初こんなに嫌われるなんて、アタシ超つれーわー」
「もう話しかけないで」
これ以上団子のペースに呑まれないよう、かなりキツめにそう言って布団を被る。だが団子はそれでもめげじと千佐都に向かって声をかける。
「どうでもいいけど、お腹空いてないんですか?」
「黙れ」
「実はこの部屋にポットあるって知ってました? アナタが寝てる間に、アタシが中の水を汲んできて、さっき沸騰したとこなんだけど――」
「死ね」
「死ね、とまで来ましたか……しゃーない」
ようやくこちらの気を察してくれたように、団子が二段ベッドの階段を下りていく。正直、かなりほっとした。
ここまでぐいぐいと人の心を割って入る人など存在しなかった千佐都は、正直この団子女の勢いに自らの抵抗が押し負けそうになっていたからだった。
なのに――
その瞬間、物凄い音で千佐都の腹がぐるるると鳴きだしてしまった。
「……おんやぁ?」
途端嬉しそうな団子の声が耳に届く。やばい。
対する千佐都は布団の中で顔を赤くさせる。きっと耳まで真っ赤だったに違いない。
「お腹ペコリンなんじゃないですかぁ? か、し、え、だ、ちゃーん?」
「う……うるさい、うるさいっっ!!」
とうとう感情が爆発して千佐都は布団を剥ぎ取ると、ベッドの下にいる団子に向かって全力で吠え立てた。
「なんなのアンタ!? あたしに構うなっつってんだろ!! そうやっていちいち構ってくるのうっとーしいんだよっ!! 消えろ! あたしの前から消えろバカっ!」
「そんなこと言っても、お腹の虫は正直ですからなぁ」
そう言う団子の膝の上にあるものを見て、千佐都は目を見開きながらそれをまじまじと凝視した。
団子は千佐都の視線が注がれていることを思いっきり意識しながら、わざとらしくいやらしい笑みでそれへと視線を落とす。
「夜食のカップ麺ですよ。……ふふ。実はアタシ、ここに来るまでに夕食間に合わないだろうと思って大量に買っておいたんですよね。おまけにほれ、ここにおにぎりもあります」
そう言ってどこからともなく出したコンビニのおにぎりのフィルムを、団子はわざとらしくゆっくりと、ぺりぺり音を立てながら見せつけるようにして破いていく。
「あー。やっぱ買って置いて大正解でしたわー。夕食の量じゃ物足りなかったんですよねぇ。念のためをと思っておにぎりも二個。あーさすがにお腹いっぱいで幸せいっぱいになりそうだわぁー」
ごくっと唾を飲み込む千佐都。思えばここに来るまで、朝食すらろくに食べていなかったことを思い出す。
限界まで収縮した胃は、なおも千佐都に食物を催促するようきゅるきゅると音を立て続けている。
だがそんなことにはお構いなく、団子はカップ麺のかやくを空けて乾燥麺の上にそれらをぶちまけると、ポットのお湯を注いで鼻歌まで歌ってみせた。
程なく美味しそうなスープの香りが部屋全体へと広がっていき、千佐都の苦しみが絶頂に達したそのタイミングで、
「……あ。もし良かったら食べますぅ?」
そんな風に意地悪く笑ってみせたのだった。
団子の名は佐久間卯月。
千佐都の高校三年間の最大の悪友ともなる、その人物であった。
※佐久間の語尾修正。小馬鹿にした感じの敬語っぽくしました。




