キダサン(4)
――まず家に戻って、べろんべろんになろう。
それが、成司の考えた「逆ギレ作戦」の第一フェーズである。
その酔いに任せて気が大きくなったところで、テレビのボリュームをいつもより少しだけ大きめにする。トイレにも行く。足音も気にせず歩く。これが、第二フェーズ。
そうして、木田のヤツが出てきたところで、こっちの言い分を酔いに任せてぶちまけるという第三フェーズで終了だ。
どれだけうまくいくかはわからないが、とりあえずやってみるだけやってみよう。
そう思いながら、成司は雪だらけのまま自分の家の玄関へと滑り込んだ。
「あったあった」
成司は忍び足でキッチンの戸棚の引き開けると、中から大きなビンを取りだして床に置いた。そのビンを見るなり成司は思わず顔をしかめる。
「うえぇ……こんなの本当に飲めるのかよ……」
実家から送られてきたはいいが、こんなものを飲む機会など絶対にないと思っていた。
沖縄名物、ハブ酒である。成司の持っていたこのハブ酒はアルコール度数三十五度、容量は八百ミリリットル、ビンの中にはちゃんと酒に漬けられたハブがそのまま入っている。
「ビールなら、親戚に無理矢理飲まされて慣れたんだけど」
考えてみれば、両親がこれを飲んでいるところを成司は一度も見たことが無かった。実家の居酒屋では一応、これとはまた別のハブ酒があるにはある。だが、思い返せばあのハブ酒は成司が小学生くらいの頃からずっと置物のように鎮座しているだけで、封を切って誰かが飲んでいるなんてことはなかったはずだ。
しかし、そもそもなぜこんなものを両親は寄こしたのだろうか。
「考えてみても仕方ねぇか……」
家にあるアルコール飲料といえば、こんなものしか置いていないのだ。
適当に何か買いに行ってから帰ってこれば良かったとも思ったが、今更そんなことを思っても仕方がない。
成司は覚悟を決めて、ハブ酒の封を開けた。
「くさっ!」
つーんとアルコールの匂いが鼻をついて、またしても成司はそっぽを向いた。
「えーっとグラスグラス……」
食器洗いのカゴから適当なサイズのコップをつかんで、成司はじょぼじょぼとハブ酒を注ぐ。少しビンを傾けただけで中身のハブが揺れた。その様子がまたなんとも不気味である。
「……よし」
茶色の液体を注ぎ込んだコップを目の前にかざして、成司はゆっくりとうなずく。つまみは今日の朝に開けたばかりのポテトチップスがあった。湿気ているかもしれないが、まぁいい。
「いけっ!」
そう自分を奮い立たせるように小さく漏らすと、成司はそのままコップに入ったハブ酒をぐっと一気に飲み干した。
「まずいっ!!」
こん、とコップを乱暴に床に置くと、成司はそのまま喉元を押さえて呻いた。
喉から胃の中へと渡ったハブ酒は、そのままかぁっと成司の身体に火照りを与える。
これはやばい。下手したら悪酔いして、木田どころの騒ぎじゃなくなってしまう。
飲み方を間違えたと反省しながら、今度は少しだけコップに注いでちびちびと飲み始める。二度目は最初のイッキよりもひどくはなかったが、それでも喉が焼けるような感触がして、成司は顔をくしゃっとさせながら再びコップを雑に置いた。
「しかし……どうにも酔う気がしないんだけれども……」
それでも、少しずつぽかぽかと身体が温かくなってきたような気がした。ガスストーブを点けると、成司はつまみのポテトチップスをくわえて立ち上がった。氷を入れて、何かで割るという方法を思いついたのだった。そうすればきっと、少しは飲みやすいに違いない。
冷蔵庫を開けてみるもジュースなどは何も入ってなかったので、仕方なく水道水に氷を入れて、三度ハブ酒を注ぐ。割り箸でからからと音を立ててかき回し、少しだけ喉に流し込むと、先ほどよりも断然飲みやすくなったと思った。
「よしよし」
この時点で既に成司の顔は少し赤らんでいたのだが、当然本人は気付いていない。
※ ※ ※
一時間ほどして成司がトイレに立った瞬間、下からどんっと強い衝撃音が響いた。
成司は千鳥足で玄関を飛び出すと、ちょうど今まさに木田がアパートの階段をあがってくる音が聞こえた。
木田の姿が視界に入る。と同時に、相手も成司を見るなりぎりりと歯を食いしばって鋭く睨みつけてきた。いつも通りである。
「おい、おま――」
「……なんだぁ、文句あるのかよぉ~」
「――へ?」
明らかにおかしい成司の様子に、木田の目が点になる。
「おれぁ、歩いただけさぁ~。なのに、なんで毎回怒鳴られにゃならんのだぁっ!」
成司はアパートの塀に寄りかかりながら、呂律の回らぬ舌で独り言のように呟き始めた。
「おれぁっ! おれぁ……いつも普通にひへる(※してる)だけだぞぉ。木田さんよぉ……」
「木田? 木田って誰のこ――」
「うるしゃいっ!」
「……はい」
成司の勢いに押され木田が押し黙る。成司は塀に寄っかかったまま、すっかり座ってしまった瞳で木田を睨みつけた。
「いっつもいっつも……、『うるへぇべ』とか言いやがっへぇ……おれぁ、かんかんに怒ってンだぁっ! キレちまってんだよぉ!」
「あ、あのさ。お前、ちょっと酔いすぎてないか?」
「酔っへなひっ!」
「いや酔ってるだろ!?」
「うるはいっ! 木田っ! おれぁに謝へ!」
「だから、なんで俺がお前に謝らなきゃ……それに俺の名前は木田じゃなく――」
「いいからあやま……おげええええええええ!」
その瞬間、吐瀉物をその場に撒き散らす成司。そんな成司の姿を一部始終見ていた木田は、自らの表情を一気に固まらせる。
さんざ胃の中のものを吐きまくった後、成司は口元を袖で拭いながらふらふらと木田に近付きはじめた。足下はひどくふらつき、目はうつろで、下手すればゾンビのようだ。
「あや……まれへぇ……よぉ……」
「ちょっ……お前。わかったから、それ以上くるな……」
服についたゲロなど全く気付かないで、成司はゆっくりと木田の元へ迫る。
「あや……ま、おげええええええええ!」
「また吐いた!?」
「うぷっ! 何度……でも、吐いてやる……」
「や、やめろってマジで……」
「……十、九、八……」
「なんのカウントダウンだそれ!?」
木田はそのまま後ずさって、階段の手すりに手をかけると、
「な、なぁ……悪かったよ? だからもうそれ以上くるな? な?」
「だみぇ(訳※ダメ)」
いつの間にか真っ赤だった成司の顔は今、完全に青ざめている。
「お、俺が階段を下りる間にお前が吐いちまったら、俺はどうなると思う? お前のゲロのシャワーを真上から浴びるハメになるだろ? だから――」
「そにょ……つもひだ(訳※その……つもりだ)」
「ひぃぃっっ!」
慌てて木田が階段を駆け下りようとしたその時、
「ぎゃああああああああああっっ!」
物凄い音を響かせながら、木田が階段を転がり落ちていった。凍り付いた階段を急いで下りようとして、足を滑らしてしまったのだろう。そんな風に思いながら、成司は階下で雪のクッションの上に寝そべっている木田を見下ろして、
「おえええええええええええっっ!」
また、吐いたのであった――
※ ※ ※
時は流れ、三月。
まだ凍てつく気温は続き、春の陽気とはほど遠いこの月に、
「――木田さん、いなくなったんスか?」
「みたいだな」
部屋に遊びにきた阿古屋の問いに、成司は軽く頷きながらギターを手に取った。
「でも、あれだけずっと居座っていた人が、どーして急に?」
「……それが、俺にもよく思い出せなくてさ」
部屋の外で言い争いをしていたところまでは記憶にあるけれども、その後のことは全く思い出せなかった。成司はあまり深く考えずに、
「まぁでも、そのおかげで俺が引っ越すこともなくなったし、めでたしめで――」
「たくないッスよ! ちっとも!」
ぐいっと阿古屋が顔を近づける。
「成司くん、結局フランス料理食べる前に十二万円全部散財しちゃったじゃないスか。パチンコで勝ったお金でまたパチンコ行って負けるとか、ホント意味わかんないッス」
「あ、あぁ……まぁもうその話はもういいじゃん? ね?」
「だめッス。スズは今すぐフランス料理食べたいッス」
「あのねぇ……」
「食べたい食べたい食べたーいっ!」
ぐりぐりと頬をこすりつける阿古屋に、いよいよ我慢できなくなった成司は、
「う……うるさいっ!」
と、言ってそのまま阿古屋の唇に自らの唇を押し当てた。
「……んんっ!?」
口を塞がれた阿古屋が、思わず身もだえる。
「……とりあえずこれで、落ち着いてくれよ」
顔を真っ赤にさせながら口を離すと、再び成司はギターに目をやった。今の成司は、いい加減そろそろFコードを弾けるようにならなければという気持ちでいっぱいであった。前述の阿古屋の言葉通り、パチンコで散財して、既に財布の中身は翌月まで七千円。せっかくの春休みに、これではどこにも行けない。ならばいっそここでギターの上達に精を出すしかないだろう、とそう思っていた。
一方で、予想外のハプニングを食らった阿古屋はそのままぽーっと固まってしまっていた。とはいっても、おとなしくしているのは今のうちだけで、どうせまた落ち着いたらしつこくフランス料理をせがんでくるに違いない。
そのわずかの間だけでいい。
成司は左手の指をFのポジションに置くと、ピックを握った右手を一気に振り落とした。
綺麗な和音が、部屋中に響き渡る。
「……弾けた」
たまらず目をひん剥きながら、右手を上に下に。成司はそうやって何度も何度もストロークしてみせる。その度に、これまで何度やっても鳴らなかったFの音が、濁りのない音色を響かせて成司の鼓膜を心地良く震わせた。
「弾けた……弾けたぞ! スズちゃん!」
「……ほへ?」
まだうつろな目をしている阿古屋に、成司がギターを抱えたまま飛びかかった。
「やったぁぁぁっ!」
「ひゃあっ! ちょっ! 成司くん重いっ!? 重いッス!」
「がははは! スズちゃーん」
※ ※ ※
そんな風に、ちょうど二人がじゃれ合っている時――
同じアパートの住民である安藤があくびを漏らしながら自分の部屋から出ると、
「……ん?」
ちょうどそこは「木田」の住んでいた部屋の前であった。
そこの表札を見て、安藤は一言、
「あれ……まだ“本田”さんの表札、外されてなかったのか……」
と言って、かすれきって横の一本線がなくなってしまった表札から目を離して、そのまま郵便受けへと向かって行った。
「キダサン」終了です。
今回の話は、少しだけ体験談も交えてみました。
(どの部分が体験談なのかはあえて言いませんw)
次回はいよいよエピ5までの繋ぎ回ラストのお話です。




