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キダサン(3)

 翌日の夜、阿古屋のメールに書かれた「シュガ部屋での鍋パーティ」にお呼ばれされた成司は、悟司と月子と阿古屋を前に、声を荒げながらこれまでの事の経緯を説明した。


「とにもかくにもひどいんですよ! ウチの階下の住人、木田って男は!」


 こたつにどんっと音を立ててマグカップを置くと、


「ちょっ! 成司くん。お鍋がひっくり返るッス!」


 と阿古屋が慌てて膝立ちで鍋の中身を確認しはじめた。


「でもまぁ……なんというかそれは」


 悟司が月子へ振りかえると、月子は苦笑いしながら、


「災難、ですよね」


 と、そんな無難なコメントを成司に送った。


「あぁもう……どうしようかな。このままじゃ満足にギターも弾けないし」


 頭を抱える成司に、阿古屋がジト目になる。


「……元々弾いてなかったじゃないッスか。夏からずーっと。自分が言っても全然耳を貸さなかったし」

「で、でもだなぁ! 他にも色々不便だらけなんだぞ? テレビだって小さくしないと見れないし、まずなによりトイレにいけない」

「トイレまで文句をつけられるのは、さすがにちょっとね」


 悟司が成司の言葉に、一応の同情を込めた言葉を残すと、


「でも良い機会かも」


 と言ってその場を立ち上がった。そのまま悟司はシュガ部屋を出ていくと、程なくしてすぐに何かの冊子を持って戻ってきた。よくよく見るとそれは、入学の際にもらった生協のパンフレットである。


 悟司はそれをぱらぱらとめくりながら、再びこたつの中に潜り込んで言った。


「季節柄アパートが引き払われることも多いし、この際引っ越ししちゃう、ってのはどうかな?」

「引っ越し、ですか」

「うん。なんか、話によると結構パチンコで勝ったらしいじゃない」

「まぁ……勝ちましたけれども」

「先輩も近いうち家を引き払うそうだし、今のタイミングで引っ越しっていうのもいいんじゃないかな? どうせなら大学の目の前の物件なんか、便利だしいいじゃない」

「でも」


 成司はぐっと唇を噛みながら思う。せっかく勝ったお金をそんな風に使ってしまうなんて、それはあまりにももったいなさすぎるではないか。それに、木田のために自らが出て行くという形は、なんだか木田に負けた気分がする。


 そこで、ふと成司はここに春日がいないことに気付いて悟司に尋ねた。


「そういや、春日先輩はどこ行ったんですか? 鍋パーティなのに」

「ああ」


 悟司がパンフレットから顔を上げて成司を見る。


「先輩と千佐都は、ここには来ないよ」

「へ? なんでスか?」


 阿古屋が不思議そうに首を傾げると、悟司はどこか言いにくそうに、


「あーなんというか。二人とも用事があるみたいでさ」

「ほほう」


 成司は腕を組みながら、いやらしい笑みを浮かべる。前々からあの二人は怪しいなと思っていたが、どうやら知らないうちにそんな話にまで発展していたとは。意外や意外。

 そんな成司の思惑も知らずに悟司は、


「まぁそんな感じだからさ。あまり気にしなくて良いよ」


 と適当に鍋の具材を器の中に移しとりながら、無理矢理話を終わらせてしまった。そんな悟司を見ながら、阿古屋はふと手元のマグカップから口を離して言った。


「先輩の家って、確か牧場だったッスよね?」

「そうそう。『春日牧場』って看板が出てた」


「春日……」

「牧場……」


「まぁ今は一旦、先輩の話はおいといて。その木田さんの話に戻ろうよ」


 悟司が笑いながら割り箸で器の中身をつついて言った。


「現状、その木田さんって人は、アパートを引き払いそうにないんでしょ?」

「多分……。大家に聞いたんですけど、あの人もうあそこに住み始めてからもう十年くらい経ってるみたいなんで」

「その大家さんは、これまでにも与那城くん以外に苦情はあったって?」

「あったみたいですよ。一応、大家さんも何度か木田さんを説得したらしいんですよ。でも全然取り合っちゃくれない……っていうか、むしろ逆ギレされたみたいで」

「逆ギレ?」


 悟司の言葉に頷きながら、成司は阿古屋からおたまを受け取った。


「はい。『こっちも相当我慢してるんだ!』って。まるで聴く耳を持たないみたいです」

「それで、よく大家さんも追い出さないね」

「うちのアパートって未開大の学生ばかりが住んでいるアパートだから、これまでも揉め事のたびに学生の方が先に折れちゃって、部屋を出て行っちゃってたらしいんです」

「へぇ……」


 悟司も言う言葉をなくしてしまったらしく、そのまま黙々と器に入れた鍋の具を口の中に運び始めた。


「やっぱ引っ越ししかないのかな……」

「じゃああのお金で、フランス料理食べられないッスか?」

「……スズちゃん。キミねぇ……」


 横で白滝を口に含みながら喋る阿古屋に、成司ははぁと重いため息を漏らした。



 ※ ※ ※



 鍋パーティが終わり、時計を見ると既に夜の十一時を回っていた。


「じゃあウチはそろそろ」

「あ、うん。気をつけてね。道が凍ってるから足滑らせないように」


 マフラーを巻く月子に悟司が優しい笑みを返すと、すぐさま阿古屋が月子の身体にぴったりとくっついた。


「自分も月子先輩と一緒に帰るッスーっ!」

「えへへ。じゃあ、スズちゃんと一緒に帰ります」

「与那城くんはどうする?」


 悟司が振りかえる。

 成司は少しだけ考えると、申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。


「すみません……なんか、この時間だと帰る気になれないっす」

「てことは、泊まっていく?」

「悟司先輩がよければですけど……」


「まぁそれは構わないけど……その、この時間はいつも木田さんが家にいるの?」

「いつもってわけじゃないんですけど……ただもし仮にこの時間に怒鳴り込まれたら、こっちは言い返す術がないっていうか……昼間に怒鳴り込まれたら『いや、それはちょっと違うんじゃないですか』って言えるじゃないですか」

「うーん。そんなものかなぁ」


 悟司が腕を組みながら首を捻っていると、その横で月子にくっついている阿古屋が口を開いた。


「そんなことまで、いちいちこっちが気にしなきゃいけないんスか? なんか遠慮してるのもバカバカしい、同じ部屋を借りている者同士、立場は対等であって然るべきじゃないスか」


「――あの、一度こちらも怒ってみるのはどうでしょう?」


 ここで、いきなり月子が阿古屋から目を離して成司にそう言った。そのなんとも不可思議な提案に、成司どころか悟司や阿古屋も一瞬言葉を失ってしまう。


「えと、それはどういう意味ですかね? 月子先輩」


 少しの間を置いて頭をかきながら成司が尋ねると、月子は人差し指を立ててくるくる回しながら話し始めた。


「その、なんていうかね……。基本、誰だって怒鳴られるのには慣れていないと思うんです。ウチもちゃかぽこ苦手ですし、与那城くんもきっとそうですよね?」

「まぁ……そうですね」

「さきほどの話によると、木田さんはこれまで、与那城くんよりも前に住んでいた住人にも、同じように怒鳴り込んでいたというじゃないですか?」


「ですね。その通りです」

「つまり、その木田さんって人は上の階の住人に文句をつけることに“慣れ”が生じていると思うんです。文句を言いにいくことに覚悟とか、そういうのが一切ないんです。これまでにも、それで住人を追い出してきた前科があるから」


「……うん?」

「だから、もしここで与那城くんが怒鳴ったら、きっと状況が少しは変わるんじゃないかなーって……ちょっとおかしな話かもしれませんが」


 言いたいことはわかる。


 つまり月子は、木田がこれまで怒鳴ることしかしてこなかったから、怒鳴られる側になったことがない。怒鳴り慣れてはいるけれども怒鳴られ慣れてはいないから、もし彼が怒鳴られる側に立ったとき、果たしてどういう反応をするか、と言っているのだ。


 しかし、これには大変な勇気がいる。

 なにせ相手はチンピラそのものみたいな風貌なのだ。


「俺は慣れるとか慣れないとかで、状況が変わるとも思えないんですが……」


 成司が苦笑しながらそう反論した。なんというか、月子の話は少々お花畑的思考すぎる気がする。

 怒鳴るつもりできたら、怒鳴られてしまった?

 そんなことで状況が好転するだろうか。理想論と言っても良い。みんながみんな、そんな風にわかりやすいのであれば、きっと戦争だって起こらない。


 月子も月子で、あまり深く考えずに発言したらしく、


「……まぁ、そうですよね。考えてみれば、これで下手に相手の感情を荒立てたりして、余計にひどい争いになったら――」

「グーが飛んできたら、成司くん飛んでっちゃいそうッスね」


 阿古屋が軽い感じにそう言ってからからと笑った。


 その時、ふとここで成司は木田の体型を思い出して、


「いや、ちょっと待てよ……?」


 と顎に手を置いて黙考した。


 仮に、である。


 仮に取っ組み合いになったら、どうなるだろう?


 木田はどちらかと言えば痩せぎすで、背もあまり高い方ではない。怖いのは顔の造りくらいのもので、よくよく考えてみれば怒鳴りはするけれども、その言葉のチョイスには「死ね」だの「殺すぞ」だのといった脅し文句は一切ない。


 もしかすると――この月子の提案は、ちょっとアリ、かも。


「俺、帰ります」


 一度だけ。


 たった一度だけなら、やってみてもいいかもしれない。


 名付けて「逆ギレ作戦」。


 成司は悟司達に別れを告げると、足早に自らのアパートへと戻っていった。




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