キダサン(2)
安物のギターを抱えて、ピックを握る。
「つめたっ!」
しばらく人の肌に触れていなかったギターはひんやりと、そしてとんでもなくホコリっぽかった。前に使用したのは確か夏祭りの時だったか、と思いながら、成司は干したままのタオルを手に取ると、そのままごしごしとギターのボディを拭き始めた。
さて、はたしてこの行為は世の多くのギター愛好家の目にどう映るだろう。そんな風に成司は考える。
ギターのボディは、基本クロスのような柔らかい布で拭くべきだし、そもそもホコリを被らせるほど弾いていないなんてことは、およそギタリストにあるまじき行為である。そんなことはもちろん成司自身もよくわかっていた。
しかし、なぜか雑になる。
気持ち的には決して大事にしていないわけではないのだが、こんな感じでも大丈夫だろうというその妙な部分でいい加減な性格が、そのままギターへの態度に表れてしまったとでもいうべきだろうか。もちろん、このギターが仮に「ン十万」の値打ちものであったならば、まず自分の性格的にこんな扱いにはならないはずである。
ちゃんと楽器屋でクロスを買って、丁寧にぴかぴかになるまで磨き、そのうえでワックスまでかけて――そしてそのまま綺麗にケースに入れ、弾かずに封印といったところだろうか。
ともかく、ようやく見える範囲でホコリが取れたと感じた成司は、ギター弦にそっと指を乗せると、
「……錆びてるな」
と、今さら弦交換もしていないことにようやく気付いた。
もはやギタリストと呼んで良いのかどうかすら、疑わしいところである。
この時点で成司は一気に面倒くさく感じてしまった。不機嫌な顔をしながら、今日はもう弾くのをやめようか。
一瞬、成司は本気でそう思った。
が、幸か不幸か。
今日の成司はいつもと違って、なぜかやたらとやる気があった。
意地で錆びた弦に再び指を乗せると、成司はそのままFコードの形に置いて景気よくピックを振り下ろした。
じゃりじゃり、と夏に敷く竹のカーペットを爪でひっかいた様な音がして、思わず眉をしかめる。
「なんで、うまくならねーんだよ」
もう一度やってみても、同じ。
Fのコードとは、一フレット目を人差し指全部で押さえるのが特徴である。くわえて二フレット三弦目に中指。三フレット四弦と五弦に薬指を小指。
指が吊りそうと言われるのはこの形のせいである。
特に、「一フレット目を全て押さえる」と言われると、普通慣れてない人にはどうしても力任せになってしまいがちで、なかなか綺麗に音が鳴らせない。
実際のギタリストは、実のところそれほど人差し指には力を入れていない。もちろん、成司も悟司から一応そのようには教わってはいるのだが、成司からすれば「これを力入れないで弾くって、どんだけ怪力なんだよ!?」と、こう思ってしまうのである。
そんな教える側と教えられる側の微妙な認識の差が、彼にとって余計Fコードを難しくさせているのであった。
「あーっ! もう! もう!」
じゃかじゃかと、響くことのない弦の音に苛立ちを感じながら、何度も何度もストロークを繰り返していたその時だった。
突然どんっと床に振動が走り、成司はびっくりしてギターを弾く手をぴたりと止めた。
「……なんだ?」
何が起きたのだろう。地震だろうか。
しばらく様子を伺って見るも、何も起こる様子はない。携帯でも調べてみたが、北海道に地震が起きたというニュースはどこにも入っていなかった。
そうして再度ギターをじゃかじゃか弾き出すと――再びどんっと床に、今度は先ほどよりもずっとデカい衝撃が起こって、成司はまたしてもギターを弾く手を止めた。
それから程なくして、部屋の中にインターホンの音が鳴り響いた。
嫌な予感がして成司はギターを床に置くと、そのまま玄関のドアに向かって、
「あ、開いてますよー……」
と、か細い声で言った。
その声に反応したように、ゆっくりとドアが開かれると、
「――おい」
そんな低いどすの効いた声が、成司の耳に届いた。
……やっぱりか。
無意識に、ため息も普段よりずっとでかくなってしまう。
声だけでわかってしまった。
「……さっきからがちゃがちゃうるせーぞ。今何時だと思ってんだ」
その人物は、成司の下に部屋を借りている住人、「木田さん」であった。
「あ……すみません」
成司はのそのそと玄関まで向かうと、ドアからにゅっと顔だけ出している木田さんにそう言って、ぺこりと頭を下げた。
「寝れねーべや」
「すみません」
「すいませんじゃねーべ。今何時だと思ってんだ」
二回目だぞその台詞と、思いながらも成司は、
「いや……まだ夜の八時なんすけど」
とそんな口答えしてみる。
すると、木田さんはいつものように、
「俺はもう寝る時間なんだ」
と言って、叩きつけられるようにドアを閉めていってしまった。
成司はへなへなと壁にもたれかかってそのまま崩れ落ちる。
「……そんなのしるかってーの」
八時だぞ八時。人によっちゃ、今から晩ご飯のヤツだっている時間だってのに。
心の中でぶつぶつと文句を垂れながら、成司はギターを放り出したままの状態で、その場に寝転がった。
そのままテレビをつけて、聞こえるギリギリまでボリュームを絞る。
成司が木田さんと遭遇したのは当然今回が初めてではない。
彼とのファーストコンタクトは、五月の末のことであった――
当時、成司はテレビを大きめの音で聞くことがかなり多かった。初の一人暮らしということもあって、いくらか解放感もあったのだろう。それは成司自身、はっきりと自覚出来るくらいでもあったのだ。
だからこそ、最初に木田さんがやってきたときは、誠心誠意、心を込めて平謝りした。テレビの音も今のようにかなり下げて、それからはなるべく静かに平和に過ごそうと心に決めたのだ。
しかし八月にもなると、成司は徐々に、木田さんがどんな小さな物音にも過敏に反応することに気付いてしまった。
その直接の原因となったのは、一度、成司が夜の九時くらいに自炊で料理を作っていた時であった。
全て作り終えた後で洗い物をしていると、突然インターホンが鳴り、なんだろうと思って出てみると木田さんであった。
成司はきょとんとしながら、木田さんに言った。
「え、と。……なんでしょう?」
「うるせーんだよ」
「……え? なにもうるさくしてないですけど」
「水の流れる音がうるせー。寝れねーべや」
――さすがにこれには成司も参ってしまった。
似たようなことで、就寝時にトイレへ向かった時も、木田さんは不機嫌そうな顔でやってきた。最近では、部屋の中を歩いただけでやってくることもある。
歩いただけで、だ。ありえない。
そもそも、木田さんは仕事の時間が不定期だった。
朝うるさいと言われたこともあれば、夜うるさいと言われたこともある。そんな彼の生活に合わせて、こちらが文句を言われてしまってはたまらないではないか。
木田さんが来る度に成司は一言言い返してやろうかとも思った。
だが、あいにく成司にはそれが出来なかった。
なぜなら木田さんの顔は――完全にチンピラのそれであるからだ。
そうして今日も、身動きの出来ぬまま、次第にうとうとし始めてきた成司は、まだ夜の九時になったばかりのところで、そのまま意識を失った。
携帯からは、阿古屋のメールが何件も届いていた。
※おしらせ
仕事が絶賛繁忙中で、更新遅くなるかもです。
最後の短編は12月に入ってからの更新になるかもしれません。




