千佐都ちゃんグルメツアー(3)
次の店に向かう途中、千佐都はコンビニを見つけると、そのまま「天むす」を買って、悟司へと手渡した。
「これは……」
ずっしりと手に重みを感じるのは、自身の体内が食物を受け入れることを拒否しているからなのか。悟司にとってこの「天むす」は、まるで五キロの鉄アレイを持っているかのように錯覚させた。
ちなみに「天むす」とは、要するにおにぎりにエビの天ぷらが入った食べ物である。
「見りゃわかんじゃん。天むす」
「そうじゃない。さっきから俺はもう食えないと言ってるんだけど」
「んじゃーこっちにする?」
ビニール袋から千佐都は「なごやん」を取り出して悟司に見せた。これは和菓子の一種で、おやきのような皮の中に白あんこが入った食べ物だ。どちらも名古屋人にはそこそこメジャーな食べ物である。
「人の話を聞けって」
「んもーだらしないなぁ」
呆れ果てたように千佐都が悟司を見つめる。いやいや、ちょっと待て。むしろお前の方こそその小さな体躯でよくそんなに食えるなと、悟司は本気で千佐都のことが恐ろしくなった。もしかしたらコイツ、ギャル○根みたいなタイプなのか? 食べ物の栄養が全く吸収されないまま内臓を駆け巡った後、ストンと排泄されていく人間なのかコイツは。
結局二つとも千佐都が平らげてしまうと、そのまますたすたと悟司の前を歩いて、目的の店へと向かって行った。
次なるお店は名古屋市中区。
鶴舞と呼ばれる場所に位置する小さな喫茶店であった。
「あ、ここは」
悟司が思わずぴんと来て、千佐都に言った。
「これアレだろ? テレビでよく再放送してて、たまに新作がやる、あの」
「そうそう。あのローカル番組なのに全国規模で有名な、あの番組の」
「そう。その番組のディレクターの実家のお店だよね。よく喋る」
「そう。タレントよりもよく喋る、あの人の実家」
そんな、漫才みたいなやりとりを交わしながら二人が店の中へと入っていく。
店内は、思ったよりも人が多くはない。しかしやはりそれっぽいお客さんの姿が幾人か見えた。
「別にこの店じゃなくても食べられるんだけど、実際ここのは美味しいしね」
そう言って二人で注文したのは小倉トーストであった。
「これこそ小倉くんに、ぜひ食べてもらいたいところね」
千佐都がふふんと鼻を鳴らしながら、トーストの上に乗っかったあんこをぺろりと口に入れる。一方の悟司は、ちまちまと小鳥がついばむようにトーストを細かく刻んで口の中へと放り込む。しかしそれも二、三口ほどで手が止まり、
「ごめん千佐都。もうマジでこの店が限界だ……」
ナイフとフォークを皿の上に置くと、悟司は両手を合わせながら千佐都に向かって懇願するようにそう言った。
「あーあ。その目は本気だね?」
「いやさっきから俺はずっとこの目をしてるんだけど」
「そうだっけ?」
からからと笑いながら、千佐都は一緒に頼んだオレンジジュースをストローでかき回した。
「それじゃ、この辺でグルメツアーは終わりにしますか」
「助かった……」
悟司がへなへなとテーブルに突っ伏すと、千佐都はぱくぱくと嬉しそうに小倉トーストを食べ始めた。マジでどんだけ食うんだコイツは。
「なぁ千佐都」
「んー?」
もぐもぐと、口いっぱいに頬張っているハムスターのような顔で、千佐都が悟司を見下ろした。
「先輩も月子ちゃんも、一度は名古屋に遊びに来て欲しいよね」
「まぁね」
「でも、もう先輩は卒業だしなぁ……」
「卒業しても会えるでしょ」
そう軽く言ってのける千佐都。千佐都は春日の実家が牧場であることも、卒業したらその牧場を継いで働くということも全部知っているはずなのに。
それなのにそれは、まるでそのことを忘れているかのような口ぶりであった。
いや、忘れているわけではない。
……考えないようにしてしているのだろうか。
「千佐都」
「なんだいさっきから」
食事の邪魔をするなとばかりに、嫌そうな顔をして千佐都がこちらを見た。
「先輩のこと、好きなんだろ?」
しばしの沈黙。
また、祭りのときのように狼狽するのかと思っていたら、
「……まぁね」
と、意外にも素直にそう答えて、千佐都はナイフとフォークを静かに置いた。
「もうアンタにはバレバレって感じかな?」
「たぶん」
「……そっか。じゃあ他の人も何人か気付いたりしてるんだろうなぁ」
どうしてそう思うのかと問う前に、千佐都が続けて言った。
「だってアンタ、鈍そうだし。てことは、もしかしたらつっきーにもバレてるのかもね」
「……もしかしたら、本人にも気付かれてるかもよ?」
「どーだろーなぁ」
半ば投げやりな言い方で、そのまま千佐都は椅子の背もたれにゆっくりと身体を預けた。
「アンタは、どう思う?」
「どうって、なにが」
「かすがとあたしのこと」
悟司はつい「ふんっ」と鼻が鳴ってしまった。
「別に良いんじゃないか?」
「良いってなにが。はっきり言いんしゃい」
「だから……別に千佐都と先輩のコンビ、悪くないと思うよ」
悟司が顔を上げながら答えると、いささか不満そうな目をして千佐都は膨れる。
「コンビって、お笑い芸人じゃないんだぞ。おい」
「言い方が悪かった。千佐都と先輩は、普段からよく言い合ったりしてるけど、仲が悪いという感じよりもじゃれあっている感じがする。だから、別に恋人同士になったって、その関係は変わらないだろうし、見てて素直に羨ましい関係だと思う」
「……そうかな?」
「そうだよ」
「アンタとつっきーはどうなの?」
……来ると思った。
悟司は目を合わせないように身体を起こすと、もう食べたくなかったはずの小倉トーストに再び手を出し始めた。
「俺と月子ちゃんは、別に普通だよ」
「なに普通って。ここで普通って回答、さっぱり意味不明なんですが」
「いや。俺らは別に千佐都達みたいにすんなりうまくいくような段階じゃないから」
「はぁぁ? なんであたしらがすんなりといくって話になんのさ!? 何それどこ情報?」
「なんでもなにも、見たままじゃないかっ! 俺と月子ちゃんは、千佐都と先輩みたいな柔らかさがないんだよ。まだお互いに、だいぶ固い気がするの!」
「……そうかな?」
「……そうだよ」
「そういうもんかねぇ……」
千佐都もまた悟司からそっぽを向くと、そのまま頬杖をつきながらオレンジジュースを飲み始めた。
「あたしからすれば、アンタらの方が羨ましいわさ」
「なんで」
「だって君ら、なんだか恋人になる前段階みたいなノリじゃん」
そんなノリってあるのか。
「あたしとかすがは別。なんか今はお互いに、心が近づき過ぎてるような気がする。こう……結ばれる前に、既に友達って概念が邪魔して、そういう感じになれないような――」
「そういうもんかな? 逆に告白とか、すっごい言いやすそうだけど」
「言いやすい告白なんて、あるわけないじゃん」
悟司が顔をあげる。それと同時に、ようやく千佐都が楽しそうに笑いながら顔を元の正面へと戻した。
「それまでどんな付き合い方をしてようが、告白なんてそうやすやすと言えるもんじゃないよ。あたしにはわかる。だから、いつまでも同じこの状況が、もどかしくもあるし、同時に惜しくもある」
「でも、もう時間があまりないよ」
「わかってるってそんなの」
「千佐都は牧場主の嫁になるの? なんか似合わないな」
「バーカ」
くすくすと笑う千佐都。それにつられるようにして、悟司も一緒に小さく声をあげて笑った。
「……ねぇ悟司。あたし、アンタがいて良かったって思う」
「なんだよいきなり」
気持ち悪いなと思いながら千佐都の顔を見ると、千佐都も千佐都で口にするのが恥ずかしかったのか、照れ隠しのようなぎこちない笑みを浮かべて悟司を見ていた。
「最初の出会いはサイアクだったけど、気付けばあたしのこと一番よく知ってる気がする。……なんだか不思議だね。名字が一緒ってのもあるんだろうけど、あたしはアンタが本当の家族のように思えて仕方がないもん」
「……それって、また実の弟の話になるのか?」
少しだけ警戒気味にそう告げると、千佐都はゆっくりと首を振った。
「剛児のことじゃない。アンタはアンタよ。……前はそんな風に自分の中で勝手に誤解して、それでアンタや皆を困らせちゃったけど。でも今はそういうんじゃなくてもっと別の――」
そこまで言って、千佐都はしばらく悩んでいたが、やがて再び首を振ると、
「……ごめん。うまく説明できないや。でもきっとそれは、悪いことじゃないと思う」
そうしてオレンジジュースをとんとテーブルに置くと、千佐都は先ほど中断した小倉トーストをやっつけにナイフとフォークを手に取った。
それを見て、悟司がぽつりと呟く。
「結婚式をやることになったら、ちゃんと俺も呼んでね」
「付き合ってもないのに、気が早いってば」
千佐都が呆れたように笑う。
「じゃあもししたら仲人にしてやんよ。コミュ障には大層キツい仕打ちでしょ?」
「言っとくけど、最近はちゃんと喋れるからね」
「どうかなー? 大体、今でもあたしは不思議に思ってるんだから。どーして急にどもらなくなったんさ?」
「わかんないよ。そんなの」
「でも相変わらず、あたしやかすがやつっきー以外だと、ちょっと声が小さいよね」
「ほっとけ!」
――八月の終盤のこの日。
千佐都が何気なく始めたグルメツアーは、このような二人の他愛のない馬鹿話によって、静かに幕を下ろしていったのであった。
※次回は、また別のキャラが主役です。
誰なのかはお楽しみに。




