松前さんの恋愛事情(3)
「で、僕にどうしろと? お前の好みはもうわかった。結局わかったところでどうにもならんがな。はっきりいってお手上げだ」
「……降参するの早くないですか」
そう言って麦茶をすする松前とは対照的に春日は麦茶から口を離して言った。
「はっきりいってやろう。鵜飼さんのことは僕にもよくわからん。なぜならこれまで彼の口から恋愛的な話が出たことは一度もない。馬鹿な軽口なら何度も聞いたがな。女性遍歴も知らない、どのような子が好みなのかとか、どんなシチュエーションが良いだとか、そういった会話は皆無だ。だからアドバイス出来ることがない。以上だ」
「私はアドバイスが欲しいという意味でここに来たんじゃないですよ」
「なに」
松前は正座を崩して、そのすらりと細く伸びたジーンズを左右こちら側に突きだして大きく伸びをした。そしてローテーブルにどっかと身体を預けると、
「先輩、私に協力してくださいよ。この、切なく可憐な恋愛事情に」
と冗談なのか本気なのかよくわからない言い回しで春日を見上げた。
「なーにが切なく可憐な、だ。お前はそんなタマじゃないだろう。普段から千佐都とつるんで未開大で存在のハバをきかせてるくせに」
「ハバなんて別にきかせてないですよ。ひどい言い方」
「自覚なしなら尚タチが悪いな」
「協力してくださいよー。来期のライ○ーの情報教えますから」
「断るし、そんな情報はこれっぽっちもいらないね」
「……千佐都のこと、好きなくせに」
ぼそりとつぶやいたその一言で、春日は一瞬にして石化した。
そんな春日をジト目で眺めながら、松前は残り少ない麦茶の入ったコップを揺らしながら言った。
「協力してくれたら、協力してあげてもいいですよ」
「な――」
喉から呼吸がでるのと同時に、声が漏れた。
「――にをいって」
「千佐都も、きっと先輩のことが好きですよ?」
またしても爆弾発言が彼女の口から飛び出す。
「このことまだ他には誰にも言ってないです。私と先輩の秘密協定ですよ。私だって、こんなこと千佐都なんかにゃ相談出来ないし、悟司くんと月子ちゃんにはどう考えたって、相談自体に無理がある。だから消去法って言ったのはそれが理由なんです。もちろん先輩に相談して、協力してもらう以上なんらかの見返りは考えとかなきゃいけない。もちろん私が出来る範囲で、ですけど」
「策士……」
ぽろりとそんな言葉が出てしまう。
しかし、まさか誰かに気付かれていたとは思わなかった。少なくとも彼女の、松前の前でそこまであからさまに千佐都と接したつもりは一切なかったはずだ。
それにしても、なんと言った?
千佐都が僕のことを好き?
そんなまさか――
「策士とかやめてくださいよ。嫌な言い方だなー。よかれと思って言ったのにさ。なんだかせっかく切ったとっておきのカードを棒に振ったような気分」
狼狽えまくっている春日をよそに、松前は最初から至って落ち着いた様子でけろりとしていた。つまり最初からそのつもりで家に押しかけてきたわけか。
ただ……おそらく。
おそらく現状のままでは、千佐都との関係もそのままで自分は卒業を迎えてしまうに違いない。その確信が春日にはあった。
元々が音楽をやるという名目で出会って、そうして過ごしてきた仲間だ。”こういうこと”になることを想定してこれまで日々を費やしてきたわけでは、少なくとも自分自身にはその意思がまるでなかったのだ。それがいつしか、そういった感情が芽生えてしまい、ただの仲間から違う目線で彼女のことを追うようになっていた。
でも、その一歩を踏み出すきっかけがない。
だから現状のままでは、きっと何もないまま別れがきてしまうのだ。
卒業という名の――別れが。
「どうします? 先輩」
八月二十九日。時刻は正確に見ていないから未明。
とにもかくにも、春日と松前の「秘密協定」が今、ここに爆誕したのであった。
※ ※ ※
「じゃあ、以後協力をお願いしますね」
「お、おお……任せておけ」
力なく腕をあげる春日を見て、手を打っていた松前がぴたりと動きを止めた。
「ちょっとちょっと。なんでそんな元気ないんですか。千佐都の情報をしっかりリークしてあげるってのに、その反応はないんじゃないですかね」
「いや……そのことについてはいい。そうじゃなくてだな」
ゆらりと身体を揺らして、春日は椅子の上で頭を抱えた。
「よりにもよって、初めてそのことを言及されたのが、よりにもよってユニット外部の人間だとは思わなくてな……」
「仮にあの二人が先輩と千佐都を見て何か思ったとしても、言うと思いますか?」
「……言わなさそうだな」
「でしょう?」
松前はからからと可笑しそうに笑ったが、春日はちっとも面白くなかった。
「とにかく! 明後日の三十一日の土曜日に、今日の埋め合わせがあるんです」
「あったのかよ」
これまでの相談の無意味さを春日は深く思い知る。結局埋め合わせが出来ているのであれば、先ほどまでのあれこれはなんだったのかと、きっとさっきまでの春日なら憤っていたのであろうが、今は完全にその勢いもしぼんでしまっていた。
「ただ、私はこの日がすごく不安です」
「不安?」
「だって結局、いつもみたいな流れでデートが終わったら意味がないでしょ」
「ああ、そういう」
「だから先輩にも同行してもらおうと」
「ほうほう――って、はぁ? なんで僕が!」
がたっと背もたれから身体を起こしながらそう言うと、松前は当然といった顔で、
「そんなの決まってるじゃないですか。先輩から直接鵜飼さんに言ってもらうんですよ。私のことどう思ってるのかって」
「それって別に電話かメールで、僕が鵜飼さんに直接尋ねればいいだけの話じゃないか」
「電話やメールで、鵜飼さんが本気に応えてくれるとは思えない」
そんな松前の返しには一理どころか、間違いなくそうなるはずだと春日にも容易に想像が出来た。
「実際に会って話したとしても、きっとはぐらかされる可能性高しっ! だから、絶対に逃がさないでくださいね」
「逃がさないでって言われてもな」
逃げるだろう、と思う。これまで付き合ってきた鵜飼の性格からしてそれは、ほぼ確実なことだと春日は踏んでいた。
「とにかく今のお前には欲しいんだな、少しだけでも自信といったものがさ」
静かにそう告げると、松前は一瞬だけきょとんとした瞳で春日を見て、それからから少しだけ切なそうな表情を見せて笑った。
冗談めかしてはいるが、その実割と健気だなと思う。既に知り合ってから半年以上経過しているのに、未だにこんなに真剣に想い続けている女性も珍しい。
「わかったよ。手伝おう」
千佐都のことは抜きにしても、春日はついついそんな気分になってしまった。
出来ることなら、幸せな結末にしてあげたいと思ったのだ。
※ ※ ※
「――春日さんですか。なんです? こんな夜更けに」
その日の夜、春日は弘緒とコンタクトを取ることにした。当然の如く月子と違い、春日との通話の時には弘緒はビデオをオフにしている。
「お前の兄貴について聞きたい」
「馬鹿です」
絶対言うと思った。
「それは知ってる。僕が聞きたいのは兄貴の好みの女性の話だ」
実のところ、この自分の行動を松前が知ったらきっと怒るだろうなと春日は思った。
だが現状、鵜飼という人間の実態をいまいちよく掴みきれていない春日にとって、出来うる限り松前の為になりそうな有用情報を拾っておくことは、おそらく回り回って良い結果を結ぶに違いないと思った。
松前は既に自分に対してとっておきのカードを使い切っている。
礼儀というわけではないが、一応こちらも出来る限りのカードは使い切っておくべきだ。義理立てするつもりではないが、春日そう思っていた。
「好みの女性?」
「そうだ。お前の兄貴の好きな女性の好みを教えてくれ。芸能人で教えてくれると尚良い」
「それはもう、おっぱいですよ。お・っ・ぱ・い」
まさかの女子高生からおっぱい発言。しかも大事なことのように二度も。
「芸能人でいえば、サ○エリって言ってました。ボディラインが最高って」
「ああそれはなんというか……すごくそれっぽいな」
付け加えさせてもらえれば、想像の範疇でもあった。
「なんでそんなこと聞くんです?」
いきなり弘緒がそんな風に返してきたので、春日はしどろもどろになりながら、
「あ、いや。なんていうかだな。ほら、鵜飼さんって女性には誰にでもホイホイ飛びかかっていくだろ? だから好みとかあるのかなと、ついつい気になってだな――」
「まぁ馬鹿ですしね――」
よかった誤魔化せた、と思ったその瞬間、弘緒の口からこんな言葉が飛び出した。
「――あれが『処世術』だと勘違いしてるんですよ、ウチの馬鹿兄貴は」
「処世術? それはどういう意味だ」
「どういう意味って……そのままですよ? 兄は基本的に女性と話すのが苦手です。だからあのようにおどけておちゃらけて、摩擦を望むというか、あわよくば嫌われたり苦手に思われる方向へ相手を誘導しようとすらするんですよ」
「嫌われる? 苦手? なんでそんなことをするんだ。さっぱりわけがわからんぞ」
「さぁ? 馬鹿だからとしか私からはなんとも」
これ以上の情報は聞けないか。
そう判断した春日は、弘緒に礼を言って通話を切った。
「聞けば聞くほどおかしな人だな……」
女が好きなのに、嫌われる行動をあえて取る。
だが、なぜ松前にはそれが出来ないのであろうか?
そうしてもやもやした気持ちを抱えたまま、春日は当日を迎えることになった。




