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松前さんの恋愛事情(1)

 今年の八月もゆっくり終わりが近付こうとしている、そんな北海道のとある田舎町――


 日本の一番北の大地に住んでいても、今年は特別クソ暑かった気がする。


 自身の机の上に広げられた雑誌を食い入るように見つめながら、春日はふとそんな風に心の中で思った。


 まだ大学が始まって一度も実家に帰省していない。おかげで、この今年の夏休みも、外に出る機会より家の中にいる方がずっと多かった。

 おそらくそのせいもあるのだろう。体感温度は去年よりも段違いで、暑いのはきっとそれが原因に違いない。


 この町の一人暮らしの学生アパートで、クーラーがある家はひどく珍しい。春日の部屋もご多分に漏れず、クーラーが備わっていなかった。唯一室温を下げられそうな道具といえば、大学一年の時に買ったサーキュレーターのみで、あとは窓を開けて空気を循環させるくらいしかない。おかげでひどく暑い。クソ暑いぞこんちくしょう。


 日が暮れればそれなりにひんやりとするから、夜に寝る分はまったく問題ないのだが、昼間は暑すぎて昼寝すら出来ない状況。仕方なくぶらぶらと車で本屋まで趣いて、そこでふと見かけたのがこの雑誌だった。


 記事の中身は「ボーカロイド特集」。


 これまでにもこのような特集を組んだ雑誌は何冊も出ていたのだが、この雑誌だけは特別だった。じゃなければ立ち読みで済ませている。大体こういった雑誌の大半は、リスナー側の視点でしか書かれていないので、作り手である春日にとっては大したことなど何一つ載ってやしないのだ。


 ならば、なぜこのような雑誌を購入したのか。


 そんなこと、決まっている。


 春日はその特集記事のたった一点のみを、何度も何度も読み返していた。

 その一点とは「期待の新人」という枠である。


 新人も何もこちとら去年から活動しているのだがな、と思いつつも春日は一応、その中の隅っこの方に位置している名前を誇らしげに見つめる。


 書いてあるのだ。シュガーの名前が。こんなド田舎の本屋にも売っているレベルの雑誌に。曲と一緒に。それなりのデカさで。


「……キタな」


 ぽつりと春日はそう呟いてみせる。それからくっくと喉の奥から妙な音を鳴らして笑い上げると、その雑誌を両手で掲げ上げて、


「僕らの……僕らのユニットが、とうとうこのような有名な雑誌に――って、だあああっ!」


 デスクチェアーの背もたれに思いっきり体重を預けてしまったせいで、椅子ごと派手にひっくり返った春日は、そのまま勢い余って放り投げてしまった雑誌をいそいそと回収しながら、誰に見られているわけでもないくせに顔を真っ赤に染めてベッドに腰掛けた。


 しかし、これは良い報せだ。痛む腰を押さえながら、春日はさっそくシュガーのメンバーに連絡をしようと思った。


 だが、そこで手が止まる。

 今はメンバー全員が帰省中だったことを思い出したのだ。


 夏祭りが終わって数日もしないうちに、悟司のヤツから突然電話があって、「家の人間が帰ってこいって泣き喚くんです」とかなんとかよくわからないことを言い出したので、渋々千歳まで送ってやったのだ。それからわずか二日後に、今度は千佐都のヤツも「ちょっと野暮用があってさ」というので、同じように千歳まで送ってやった。


 どちらもガソリン代の徴収無しで、である。


 まったくとんでもない奴らだとつくづく思う。


 こういう風に「先輩を足代わりに扱き使わない唯一のメンバー」というのが月子だけというのも、出会った当初から薄々は感じていたものの、やっぱりなあという気分にさせるのであった。


 「人となりは外見に出る」というのもあながち間違ってはいない――いや、あながちどころかあいつら二人の外見はめちゃくちゃ対称的なくせに、こういうろくでもない時は妙に行動が一致するのがなんとも腹立たしい。


 仮に月子が、である。

 もし今回、月子が「すみませんが送ってもらえませんか?」と言ってきていたら、きっと二つ返事で送ってやっただろう。それだけはなんとなく確信めいた思いがあった。


 ……まぁでも彼女の場合は、仮に送ってと言われても旭川なのでそれほどガソリンも食わないのだが。


 いやいやちょっと待て。ガソリン代が問題なわけではない。


 あいつらに足りないのはつまるところ、その「謙虚さ」なのだ。鷲里月子という人物はとにかく一事が万事、謙虚な人間だから、ついついこちらから何かしてあげた方がいいんじゃないかという気にさせるのである。


 あるとないとでは大きな違い。それが「謙虚さ」なのである。


 自分は電話すればすぐ家の前に停まってくれるタクシーじゃないんだぞ。

 こう、春日は言いたいのだ。あの間抜けヅラの二人に。


 まぁいい。


 ――悟司と千佐都の奴からは、帰ってきた時にしっかりガソリン代を徴収しよう。


 そうして、結局「ガソリン代が問題」という結論に達したところで、インターホンが鳴った。


 ……珍しいな。


 そう思って何気なしに時計を見ると、まだ昼過ぎであった。


 春日のアパートのドアには一応、「悪質なセールスお断り」「宗教勧誘お断り」「新聞勧誘お断り」の三種の神器がデカデカと貼られている。それでも鳴らしてくる馬鹿はしばらく絶えなかったのだが、去年くらいからめっきりそういったものから縁の薄い家になってしまっていたのだ。


 前述の通り、シュガーの面子(プラス小倉)は全員出払ってしまっている。成司や阿古屋や堀内などの一年連中にはまだこの家の住所など教えていないし、水谷や安藤がやってくることはほぼ百パーセントの確率でないと断言できた。


 春日はベッドに雑誌を置いて立ち上がった。玄関の方には光が差していないので真っ暗だったが、あえて電気は点けないまま壁に手をついてするするとドアの前まで近付く。こうしておけば、仮に覗き穴を覗いてもこちら側が暗闇なので、相手側には見られているという自覚なしに姿を拝むことができるのだ。


 かくして春日は覗き穴を覗き込んだ。


 そこに立っていた人物は意外にも意外、春日はすぐに鍵を外してドアを押し開いた。


「……松前じゃないか」

「どうもです。先輩」


 一度ぺこりと頭を下げると、松前はなんだか神妙な面持ちで春日を見据えた。


「あの、ちょっといいですか」

「ふぁ」


 間抜けな声が喉の奥から漏れ出て、春日は誤魔化すように咳払いをした。


「んんっ! ……っと、あー。それは、どういう意味だ?」

「暇ですか、と」

「ああ? ああ。まあ――」


 ちらりと奥の部屋を見つめながら、先ほどの雑誌のことが頭をよぎったが、別に急いで知らせることでもない。再び松前に向き直ると、春日は玄関にあった適当な靴を履いてドアの外に飛び出した。


「あのー」

「ん?」


 そうして鍵をかけようとしたところで、松前が不可解な表情をしながら春日を見る。


「どこへ行くんですか?」


 それは表情と同じく不可解な質問であった。


「どこって……。お前が暇ですかと僕に聞いてきたんじゃないか」

「だから。なんで、それで外に出るんですか」

「何バカなこと言ってる。なにか話でもあるんだろ。隣の喫茶店にでも――」

「春日先輩の家でいいです」


 一瞬、春日はぽかんとしてその場に固まった。


「中へ入れてください」


 そのモデル並みのプロポーションを、やや崩し気味な姿勢で立ち尽くしている松前に春日は首を振って言った。


「おいおい……馬鹿言うなよ。男の部屋だぞ」

「千佐都は入れてるくせに?」

「誤解を招く言い方するなよ。あいつは一人でここにやってきたりはしない」


「私はこれまでにも何回かスキー部の連中の家に入ったりしてるから、別に先輩の部屋くらい入ったところでどうってことありません」

「それも一人でやってきたりしてるわけじゃないだろう? 大方飲み会場所のアテで偶然そうなっただけだろう」

「……それはまぁ、そうですけど」


 むくれる松前。


「でも、少なくとも先輩は私を襲うような人間じゃないでしょう」

「む。ま、まあな」

「そんな度胸もなさそうですし」

「一言多いぞ」


 じろりと松前を見たところで、春日はため息をついた。


「……一体なんなんだ? どうして僕の家なんだ? 言っておくけどこのところ最近の僕の部屋は、近ごろ誰もやってきたりしないから汚いんだよ」

「別に汚くても、構わないですって」

「そうは言ってもだなぁ……」


 困り果てた表情で頭を掻いていると、松前はぐっと力を込めた目で春日を見つめた。


「聞いて欲しい話があるんです。でも、出来ればあまり人のいない場所がいいんです」

「……。それは僕じゃなきゃダメな話なのか?」


 松前は頷きながら、


「消去法ってヤツなんですけど……。先輩くらいしかこんな話出来なさそうで」


 長身同士の男女二人に一時の無言の間が生まれた。やがて、根負けしたように男の方がゆっくりとドアを開ける。


「……あんまり部屋のものをじろじろ見るなよ」


 そうして、春日は松前を部屋の中へと引き入れた。




お久しぶりです。新作です。

時系列的には前回の「live alive」の続きになります。


今回の人物スポットは松前樹里さんです。

春日と樹里さんのカラミって実は初めてなのではないかと。


ずっと書きたかったお話を今の今まで温めてしまった自分に反省です……w

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