live alive!!(6)
「あげるわ」
取り出されたペットボトルの一つを寄こされると、悟司はむすっとしたままで小さく「いただきます」と言ってキャップをひねった。
そしてそれに、ちょうど口をつけた瞬間、
「ところで、あなたは童貞なのかしら?」
突然そんなことを言い出した薬袋の横で、悟司は中身を思いっきり口から吹き出した。
「な、なな。なっ!?」
「ちなみにわたしは処女よ」
「そ、そんなこと、別に聞いてませんよ!」
口から吹き出したおつゆを拭いながら、悟司は大袈裟に身振りを交えて薬袋に怒鳴った。
「まぁいいじゃない。こんなの、必死に隠すほどのことでもないでしょう」
「そこらにぶっちゃけてしまうものでもないだろ!」
もう嫌だこの人……。
悟司は、これ以上薬袋がふざけたことを言い出す前にペットボトルのキャップを閉めた。
「とまぁ、そんな風にぶっちゃけてしまった後で、悟司くんに聞きたいのだけれど、この歳になって処女というのは、多くの男性から引かれてしまう対象であるのかしら?」
キャップを閉めて正解だ。
「……さぁ。ただ俺としては、急いでそういうものを捨ててしまう人よか、全然マシだと思いますけどね。そもそも会長はまだ二十一とかでしょう? これからじゃないですか」
無難なコメントを残して、悟司は目の前のパイプ椅子に腰を下ろした。
そんな悟司を見ながら、薬袋は静かにキャップをひねってみせる。
「これから、ね。ふぅん」
すっと口をつけたと思うと、薬袋はすぐにペットボトルから口を離して続ける。
「わたしね、異性を好きになったことがないの」
「はぁ」
さして意外なことでもなかった。というより、そもそも好きになる異性が薬袋に現われるのかどうか。
「あなたはどう?」
「俺は……まぁいないこともないですよ」
「先ほどの千佐都さん?」
「千佐都は――まぁ、大切な友達ではありますけど」
月子のことは知らないのだろうか。
ならば、あえてここで話さなくてもいいだろうと思い、そのまま黙っていると、
「わたしはね、正直あなたが、どのような異性を好きになるのか興味があるの」
「? それはどういう――」
悟司が振りかえると、薬袋はちょうど自らのドリンクに口をつけたところだった。一口だけ口の中を湿らせる程度に飲むと、
「あなたは、わたしの見る限り、どこか超然としたというか……常に上の空のように物事を見ているような感じがしてね」
薬袋のよくわからない言葉に、悟司は一瞬戸惑う。
「えーっと……どういう意味ですかね?」
「うん……うまくは言えないんだけれど、周囲が盛り上がっている間も、あなたはどこか冷静に、そして客観的にそれを傍観しているというか。ただ、決してその場に打ち解けていないわけではないの。疎外感を感じているわけでもなければ……難しい説明だけれど、学祭のライブの時も、ギャラリーが盛り上がったかどうかよりも、その場の空気だけに満足しきっている、みたいにね」
なんともつかみ所のない話である。
「それをみて、思ったのよ。悟司くんはあまり他人に興味がないんじゃないかってね」
「そんなことないですよ」
「どうやらそうみたい。今日話してみて、なんとなくそう思ったわ」
そう言って、薬袋はくすくす笑いながら悟司から目を背けた。
相変わらずよくわからない人である。悟司から言わせれば、自分なんかよりも、彼女の方がずっと他人に興味がなさそうに思えるのである。どうして薬袋が、自分をみてそう思ったのか。
それを聞き出す前に、薬袋は話題を別の方向へと切り替えた。
「悟司くんは、プロになる気はないの?」
「あ、ああ。その話ですか」
いきなり話題が変わって、悟司は戸惑いつつも薬袋に向かって答えた。
「その話はたまに先輩とも話すんですけど。俺は、そういったことをあまり考えないでこれまで曲を作り続けていたんで、はっきり言って具体的にはまだなにも」
「そう。もったいないわね」
「もったいない?」
「ええ。もったいないわ。あなたがもっと本気になって音楽に取りかかれば、きっとどんどんと多くの人に受け入れられる気がするもの」
「そんな……買いかぶりすぎですって」
「買いかぶってるわけじゃなくてよ。はっきりいえば、才能の無駄遣いね」
その言葉にかちんときて、悟司は薬袋の方へ振り返った。
「俺に才能があるとかないとか、それでプロになるとかならないとか、そんなの薬袋会長が決めることじゃないじゃないですか!」
そこで、周囲の人間達が何事かとこちらの方を向いたので、悟司は思わず我に返った。
しまった。つい語調が荒くなってしまった。
「……確かにそうね」
反省の言葉を述べようとする前に、薬袋がぽつりとそう漏らした。
「――ちょっと……急かしすぎたかしら」
それは、独り言のように口の中で含ませるような声であった。悟司が、その発言の意味を聞き出そうと口を開いたところで、
「ごめんなさい、気を悪くしないでね。じゃあ、わたしはこれで」
と、いきなり薬袋が自身の座っていたパイプ椅子から立ち上がって、そのまま悟司の元から離れるように歩き出していった。
「ライブまでには戻ってくるわ」
そうして一人残されてしまった悟司は、とりあえず手持ち無沙汰にペットボトルのキャップを開いて、中のジュースをがぶ飲みした。
少しだけ落ち着いたところで、
「プロか……」
そういえば、先輩とそのことについて話す時も、悟司はいつもその話題を避けようとしていた気がした。音楽で飯を食べるという選択肢など、これまで考えた事もなければ、最初から違う世界のことだと思い込んでいた。
自分は、そういう世界に憧れを全く抱いていない。
悟司は自らをかえりみるに、ずっとそう思い続けていた。音楽を作って、弾いて楽しむのと、音楽の世界に没頭するのとでは、きっと同じことではない。そう思っていた。
一時、そういう話も持ち上がったが、結局お流れになってしまい、ますますそういう世界への興味は失いつつあったのだ。
大体、自分は多くの人の前に立つことが苦手で、この前の学祭の時だって、なるべく自分がステージ(そもそもギャラリーとの高低差が全くなかったので、ステージと呼べないのだけれども)に立っているということを考えまいとしていたくらいなのだ。
去年のライブと比較すれば一見、大きく成長したように見えたかも知れないが、所詮、現実の実情などそんなもので、今だってどのくらいの人がやってくるのかということは、出来る限り考えないようにしていた。
そう、客をイモかなにかのように考えて――
そこで、はっと悟司は顔をあげた。
もしかすると、薬袋がさきほど言っていた言葉の意味。
――学祭のライブの時も、ギャラリーが盛り上がったかどうかよりも、その場の空気だけに満足しきっている、みたいにね。
「そういう……ことか」
ボーカロイドをやっているときと、実際にライブをするのとでは、全然聴いている側の立場は違う。
ライブでは、その場に人がいるということだ。
自分は、今そこにいる人達に向けて演奏しているという自覚に欠けていたのだろう。それを、薬袋ははっきりと感じ取っていたのだ。
だが、それがわかったところでどうしよう、と言う話になる。客をはっきり客だと意識すれば、アガってしまってまともな演奏など出来るのだろうか。
「うう……」
悟司は椅子の上で頭を抱えてうずくまった。
やはりイモか。イモ作戦しかないのだろうか。
だが、このまま客の方へ意識を向かせないままライブを続けて、果たして「良い」と言ってくれる人がこれから先も現われるだろうか。
プロになるかどうかは別。だが、自分の曲を認めてくれる人は、多ければ多いほど嬉しい。それは、美早紀先輩との事件以降、はっきりと悟司の中に芽生えた欲求であった。
そうして悟司が頭を抱えて唸っていると、
「あーっ! 悟司先輩じゃないですかぁーっ」
この、なんとも間延びした声。間違いない。
ゆっくりと顔をあげ、そしてその声の人物の隣にいる男を見て、思わず言葉を失った。
「ほ……堀内ちゃん。それと――」
堀内の両腕を自身の右腕に絡みつかせながら、以前よりもずっとさっぱりとした、短髪姿のその男は一瞬誰だかわからなかった。
だが、その落ちくぼんだ目と、生気の薄い真っ白な顔は間違いない。
「安藤さん……ですか?」
「や、やぁ。どうも……」
安藤は恥ずかしそうな顔でぎこちなく笑うと、悟司に向かって軽く手を振った。




