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アルバイトをしよう! その3

 そんなわけで試験日前日。


「千佐都ー。これ貼って」


 事務の人から渡された紙を松前が千佐都に寄こす。


「受験番号表?」

「そうそう。これを机の全てにぺたぺたと貼りつけて」


 言われるままに千佐都はセロハンテープを持って、教室の後ろから順番に貼りつけていく。松前も、千佐都と逆の位置から順番に作業を開始していった。


「そういや樹里、鵜飼のヤツとは最近どうなのさ?」

「別にー。普通だよ」


 そんな風にあっけらかんと答える松前に、千佐都はむっとして顔を上げた。


「普通ってなにさ。アンタっていっつも人のことは根掘り葉掘り聞くくせに、自分のことになると急にはぐらかすよね」

「別にはぐらかしてるわけじゃないってば。相も変わらず、メル友状態から脱し切れておりませんよ」


 悟司の家で行なわれたクリスマス会の時に、松前が鵜飼とメールアドレスを交換していたことは千佐都も知っていた。しかし、どうもあの様子だと鵜飼は松前から好意を向けられているとは微塵も思っていないようである。

 おそらく鵜飼自身、今はそういうことに気が回っていないのだろう。以前は毎日のように悟司のパソコンにチャットや通話をしまくっていたのに、最近は再び自分の音楽を作る作業に没頭しているようだった。


「なんかこの前メールで聞いたんだけど、鵜飼さんCD作るんだってさ」

「あ、その話はあたしも悟司から聞いたなぁ」


 成人式の日のことを思い出しながら、千佐都は再び紙を貼りつける作業へと戻る。


「そんな感じで今は忙しいみたい。そろそろバレンタインだし、チョコ渡すついでに何かお手伝いしにいってあげたいんだけど」

「結構ガツガツいくんだね、樹里って」


 千佐都はさして意外でもなさそうに声をあげた。


「そりゃそうさ。いつまでも女の方がアプローチを待つ時代ってのはとうの昔のことよ。草食男子とかが話題になる昨今、自分から振り向かせるために努力するのが現代を生きる女性の姿だと思わない?」


 そう言って胸を張る松前をチラ見して、千佐都はため息をついた。


「まぁ、アナタの持論をあたしがどうこういうわけじゃないんだけど……正直、今の状態の鵜飼にお手伝いはいらないと思うなぁ」

「どうしてよ?」

「まぁ……経験から来る知恵ってヤツかな」


 千佐都は悟司のことをぼんやりと考える。実際の制作作業に入った時のヤツの集中っぷりはすごい。話しかけるなオーラどころか、みだりに近づくことも許されないような雰囲気を全身に纏い始めるのだ。

 普段あれだけぼーっとしている悟司でもあんな感じならば、鵜飼はもっと鬼気迫る勢いで作っているんじゃないだろうか。

 そこら辺の事情は個人差があるのかもしれないが、少なくともド素人がうかつに手出し出来る環境でないことだけは言える――はず。


「とにかくさ、今はチョコを送る程度に留めておいたら?」

「うーん……千佐都が言うならそうしようかな」


 松前は少しだけ残念そうに声を落とすと、


「うん。そうだね。そうしよう。んで春になれば、きっと今みたいな忙しさもなくなってるでしょ。あははは」


 そうしてすぐにぱっと顔を明るくさせた。


 最近の松前はいつにも増して楽しそうだった。今までもそういうハツラツとした元気の良さは持ち合わせていたけれども、鵜飼と知り合ってからは余計強くそう感じる。

 正直なところ、ここまでネガティブにならない人間というのも珍しい。もっとくよくよしたり、自分に自信をなくしたりしてもおかしくないはずなのに、松前はそんな姿を微塵も千佐都に見せたりはしなかった。

 それどころかどんどん美人さんになっていってる気がする。松前は、いつも化粧っ気がない自分とは完全に対照的な存在へと変貌しつつあった。


 羨ましい……。

 少しずつ大人びていく松前を見て、千佐都はついつい心の中でそんなことを漏らしてしまうのだった。



 ※ ※ ※



 一方その頃――


「――そういえば、新曲が八万再生突破してたね」


 千佐都たちと同じように別の教室で紙を貼りつけていた小倉が、突然そんなことを言い出した。


「よ、よく知ってる、ね」


 悟司は恥ずかしそうに上目使いで小倉を見る。


「一応ちゃんとチェックしてるからね。それにしてもあの動画はすごい。月子の絵がぐりぐり動いてたじゃないか」

「う、うん。弘緒ちゃんっていって、この前の学祭の時に遊びに来ていた鵜飼って人の妹さんなんだ。……結構、有名な動画制作者の人らしくて」

「その辺りの事情は月子から聞いたよ。しかも、鵜飼さんって人が有名なボーカロイド作曲者なんでしょ? とんでもない天才兄妹だよね」


 小倉の言うとおりであった。

 あくまでボーカロイド界隈での話でしかないのかもしれないが、それでもあの兄妹は紛れもなく天才だと言えるんじゃ無いだろうか。


「だ、だからこそちょっと思うんだよね。今回の曲って結局、弘緒ちゃんがいたからあそこまで伸びたんじゃ無いのかなぁって……」

「それはどうだろうね」


 小倉は作業する手をぴたりと止めて、悟司の方を向いた。


「彼女がnavelと名乗っていた頃の動画もチェックさせてもらったんだ。大半がどれも数十万再生だったけど、悟司君の曲より伸びてない動画も全然ある」

「そ、そうなの?」


 小倉は静かに頷く。


「だから自信もって良いと思うよ。悟司君の曲は間違いなく認められている。それも大勢の人達からね」

「そ、そうなのかな……?」


 悟司にはどうにもしっくりこなかった。


「そうさ」


 そんな悟司の心を見透かすように小倉がなおも口を開く。


「それにタイミング的にはすごく良い機会だと思うな。ここまで大きな失敗もなかった分、視聴者のシュガーへの評価は今、確実に高まってきてる。大チャンスかもしれないよね」

「大チャンス……か」


 冬休みが終わって動画再生数を確認して以来、悟司の心中はずっともやもやしっぱなしであった。少しでも多くの人に聴いてもらいたかったのは確かだし、競争心を持っていたわけじゃないが鵜飼の位置まで早く追いついてみたいという野心みたいなものも、全くなかったかと言われればウソになる。


 しかし、いざ今回の動画のようにどっと人が押し寄せてこられると、妙に気後れした気持ちになってしまうのはなぜだろう。


「なんでそんなに浮かない顔をしてるのかな?」


 直球で小倉がそう尋ねる。

 悟司は少し考えてから、


「……いや、チャンスってなんだろうって思って」


 と、ぼんやり答えた。


「別に俺は、ボカロで何かを目指してたわけじゃないんだ。今まで自分の曲を聴かせる相手っていうのがいなかったから、なるべく多くの人に聴いて欲しかっただけで。ずっとただ、それだけの為に勝手にやってきたはずなんだけど――」

「だけど?」

「今は……なんかもう“それだけ”じゃダメみたいだなって」


 その言葉で小倉は、悟司の心中を全てを理解して頭を下げた。


「……あまりにも軽率な発言だったね。反省するよ」

「ちょっと待って、別に俺はそんなつもりで――」


 びっくりした悟司が、慌てて小倉に向かって手を伸ばす。

 こんな反応をする小倉は初めてだった。


「失言だったと思う」

「いや、あの……」

「でもね悟司君。これだけは絶対に言わせて欲しいんだ」


 そう言って小倉はゆっくりと顔をあげると、


「……このままじゃ、君はそのうちパンクする」


 またしても、今までに見せたことがない彼の一面を悟司は垣間見た。

 これほどまでに、真剣な表情で訴える小倉の姿を見たのは初めてだった。


「な、にを――」

「忠告だよ、いいかい悟司君? 君は近い将来間違いなく、『メンバーと意識が剥離して』いく。出来ることは二つしかない。ユニットを解散させて今の状況を断ち切るか、もしくは自身の意識を大きく変えて続けていくか。そのどちらかしかないんだ。じゃないと、最悪な結果を生んでしまうかもしれない」

「意識を――変える?」


 悟司は小倉の言っていることが全く理解出来なかった。


 解散って何を言っているのだ?

 最悪な結果って、一体なんなのだ?


「君は、自分が思っている以上に才能に満ち溢れていることを忘れちゃいけない。そこに乗っかっている月子や、千佐都君や先輩の存在を、絶対に忘れちゃいけない。さもないと、みんなが悲しむ結末を向かえてしまう……いいかい? 君は自分が思っている以上に、自分が“期待されている”ってことを忘れちゃダメなんだ。絶対に」

「期待って……」


 自分はそんな期待されるような存在じゃない。

 小倉は買いかぶりすぎだ。

 いや、小倉だけじゃない。皆が自分を誤解している。自分の思考はもっとシンプルに出来ているというのに、周りはそれをあまりにも大げさに捉えすぎている。

 曲を作っているだけなんだ。口ずさむだけで誰にでも出来るメロディを忘れないように書き溜めて、聴きやすくアレンジを加えているだけじゃないか。


 誰にでも出来る。こんなことは慣れでどうとでもなることだ。


「――君がしてきたことはもう、誰にでも出来るレベルを超え始めている」


 本当に心の内が読めるのか、小倉は直球で悟司を攻める。


「ここが分かれ道なんだよ悟司君。鵜飼さんほどのレベルになるってのは、つまるところそういうことになっていくんだ」


 そうして小倉は、それ以上口を開くことなく黙々と作業を始めてしまった。

 仕方なく悟司も作業の手を再開させる。

 この時の悟司には、この小倉の語る言葉の意味など到底わかりきれるものではなかった。



 ※ ※ ※



 ――試験日当日。

 春日は月子と一緒に食堂で待機していた。


「そろそろ始まる頃じゃないでしょうか?」

「だろうな」


 月子の言葉に相づちを打って、春日は外の雪景色を眺めた。

 しかし試験監督のバイトか。公共のアルバイトならば冷やかしにもいけたのに。

 そんなことをぼんやりと春日は思う。

 未開大は一般試験の日に学生の出入りをサークル棟のみに限定している。なので、今日は本来であれば家にこもってごろごろしているつもりだったのだ。


 ところがそんな春日の元に、突然月子から一本の電話がやってきた。

 なんでもAランチを食べられないと愚痴を吐いていた千佐都の為に、わざわざAランチそっくりの弁当を作ったというのだからすごい。


『も、もし良かった、らか、春日先輩も一緒にどうです……か?』


 そんな誘いを受けたらむげに断るわけにもいかない。

 ましてや、相手は鷲里月子。


 天敵である千佐都とは違い、とても愛らしいマスコットみたいな女の子だ。

 そんなわけで本来は禁止されているはずの、この食堂に二人で集まることになった。


「しかし、よくそんな手間のかかることをすすんでやるもんだな」


 雪景色から月子の方へ目を戻すと、春日はそんなことを尋ねてみた。

 月子がタブレットから顔を離して、上目遣いで春日を見る。


「お、お料理が、好きなので」


 そこまで言うと、さっとタブレットに視線を戻す。

 びくびくしすぎのような気もしたが、春日は気にせずふうむと唸ってみせた。

 それはいかんとも理解しがたい衝動だな、と春日は心の内で不思議に思った。

 そもそも基本、作ったものは自分で全て平らげないと気が済まない春日に、月子のこの行動など理解出来るはずもない。


 ちなみに、以前春日はこのタブレットに描かれた月子の絵を見せてもらったことがあった。指で描いているにも関わらず月子の絵は、ペンで描いた春日のものとは比較にならないほどの腕前だった。

 そんな、ふと新しい疑問が沸いて出た春日はまたしても月子に話を振った。


「時に鷲里。お前はそのレベルの絵描きになるまで、どれくらいの年数をかけたんだ?」

「え? あ、あ。あの。その……わからない……です……。すみません」


 今度は恥ずかしそうにタブレットで顔を覆い隠してしまった。


 ……気まずい。

 思わず春日の脳裏に、そんな単語がよぎった。そもそも春日と月子が二人きりになることなど、これまでに数回あったかどうかといった具合なのだ。

 なにか特別な理由があったわけではなく、電話で言ってきた内容そのままの意味で誘ってきたのだろうが、こうなることは月子本人にも十二分に予想出来たことだろうに。

 春日はそんなことを思いつつも、再び声をかけることにした。


「鷲里、では質問を変えよう」

「は、はい!」


 タブレットに隠れて、ぴょこんと身体を伸ばす月子。


「昨日は大体どのくらい絵を描いていた?」

「え、ええっと……ですね。た、多分、八時間くらいでしょうか?」

「なるほどな。いつもそれくらい描いているのか?」

「ひ、日によって。でも、大体それくらい……ウチ、冬になると特に出不精なので」


 月子の言葉を聞いて、春日はようやく自分の中で合点がいった。


 一万時間の法則というのがある。マルコム・グラドウェルという人が提唱した法則なのだが、いわゆる有名なスポーツ選手や天才アーティストなどといった類の人間は、この一万時間という多大な時間をその分野のためだけに注いでいるという話だ。


 もちろん、その時間を消化しきれば誰もがそうなれるなんて春日も思ってはいない。しかし、月子は間違いなくその一万時間を絵描きに当てたに違いなく、その上で才能というものを加味していることはこの上ない事実であった。

 決して誰もが手にできるものではない。そういった技術を、彼女はこの歳にして身につけているのだ。


「なにが、そこまでお前に絵を描かせるんだ?」

「質問、お、多いですよぅ……」


 既にいっぱいいっぱいの月子が、目を回し始める。


「好きだからですぅ……それ以外にないですよぉぉぉ……」


 好き、だからか。

 そう言い切ってしまえば、自分だって音楽が好きだ。

 しかし、分野は違えど月子のようなレベルにまで到達できる自信は春日にはなかった。


「樫枝は、どうなんだろうな」


 椅子に背を預けて、春日はぼそりと呟いた。



 その時だった。


「あ、あのっ――」


 食堂の入り口に女の子の姿が目に入る。


「し、試験会場って、どこっスか?」


 春日と月子は互いに目を見合わせた。






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