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アルバイトをしよう! その2

「あらあら、小倉さんじゃありませんこと」


 千佐都はなぜかお嬢様言葉で、口に手を当てながら小倉を手招きした。


「小倉さん、もしこの中でおバイトをされるならば、どれがよろしいとお思いまして?」


 敬語の使い方があまりにもなっていない。

 そんな悟司の心中をよそに、小倉はぼんやりと求人募集の掲示板を眺めた。


「バイトするのかい? 月子も?」

「う、ウチはしないよ。するのは悟司くんとちさ姉だけ……」


 いつの間にか悟司まで数に入れられてしまっていた。


「ふーん。……ボクもやろうかな」


 そのあまりにもびっくり仰天な発言に、その場にいた誰もが一斉に身体を仰け反らせた。


「お、小倉。お前それ、本気で言ってるのか……?」

「なんでそんな冗談を言う必要があるのさ」


 その正論に為す術もなく春日はぐっと言葉を詰まらせた。

 確かに小倉がバイトしたっておかしいことなど何もない。ないのだがなぜか、悟司の中で小倉という人物は「絶対バイトをしない人間」だと決めつけてしまっていた。


 というより、おそらくここにいる全員がそう思っていたに違いない。反応でわかる。


「うーん。除雪車のバイトはないか」

「除雪車?」


 悟司が尋ねると、小倉はカバンをひょいっと肩にかけ直して言った。


「うん。深夜だから結構時給がいいんだ。基本的には除雪車を動かす人の隣で作業を見ていればいいだけだから楽なんだよね」

「時給って、いくらくらいもらえんのさ?」


 横から千佐都が割って入る。


「千円くらいもらえるよ。二十二時から六時までで、大体八千円くらいかな」

「八千円っ!?」


 そんなおいしいバイトがあるとは。

 北国出身じゃない悟司と千佐都には目から鱗が落ちた気分だった。


「しかしな、色々やることはあるんだぞ。ずっと座っていればいいなんてわけじゃないからな。それに、女子は多分ダメだ」


 春日が横から釘をさすように言うと、千佐都はぶーっと頬を膨らませた。


「えーっ。どうしてさ」

「力仕事に関係するしな。除雪車を動かしてるのも基本男ばかりだ。男女狭い車内の中で朝まで二人っきりとか、常識的に考えてもまずあり得ん」

「じゃ、じゃあ! 女子社員がやってるとかそういうのはないの?」

「あるのかもしれないですけど、ウチは聞いたことないですね……」


 月子の言葉にしょんぼりとうなだれる千佐都。

 まぁしかし、実際のところ経済危機に陥ってるのは千佐都だけなのである。


 ――どうせ自分にはそんなバイト無理だし。


 心の中でひっそりそう呟くと、悟司は別の求人を探し始めることにした。

 共に車に乗る相手がオッサンかお兄さんかは知らないが、とにかくそんな知らない相手と二人っきりで狭い車内に居続けることなど不可能だ。

 まず空気に耐えられん。


 そんなことを思いながら小倉の横に立ってきょろきょろと眺めていると、


「――あ、どしたん? みんなして」


 実はこの求人掲示板、ちょうど大学の正面玄関とエレベーターの間の通路脇に存在しており、エレベーターで別の階から降りてきた生徒には確実に視界に映る場所にある。


 そのような場所でずっと立ち尽くしていれば、誰にでも話したいわけじゃないこと(※アルバイト)を行なおうとしている人間(※千佐都)が、その中でも特に秘密にしておきたかった人物(※松前樹里)に会ってしまうことだってままあるわけで――


「あれあれ。バイト探してんの? そんなに皆さん金ナシなの?」


 そんなわけで、松前がからからと笑いながら悟司達の輪の中に押し入ってきた。


 ――いつも楽しそうだなこの人は。

 

 そんなことを悟司が思っていると、春日が松前に言った。


「僕らじゃない。探してるのはこいつだ」


 そう口にした春日の指し示す親指の先へ、松前がゆっくりと視線を滑らせる。悟司も一緒になってその視線の先を追うと、そこにはフードをすっぽりと被ってこそこそとその場を後にしようとする千佐都の姿があった。

 あいつ、いつの間にあんなところへ。


「うわー誰かと思えば、塾生とその親たちから出禁を受けてしまった千佐都さんじゃないですかー!」


 松前が、弄り甲斐のあるオモチャを発見したかのごとく嬉々としてそう叫んだ。

 その声に、千佐都の足がぎくりと立ち止まる。


「あ、あんたねぇ……」

「出禁ってなんのことだい?」


 何もしらない小倉が、求人掲示板から目を離して松前の方を向いた。


「あ、小倉クン知らないんだ? もうほんっとおかしいんだから。あのね――」

「その話はもう終わったから二度も言わなくていいってーのっ!」


 顔を真っ赤にしながら千佐都が松前に飛びついた。



 ※ ※ ※



「――で? まだ決まらんのか」


 かれこれ四十分以上。たいした求人の数があるわけでもないのに、いまだに千佐都はどれにするかを決めあぐねていた。


「待ってよ、今慎重に考えてるんだからさ」


 さすがのみんなも付き合いきれなくなりはじめているようで。月子にいたっては、再び元いた談話室の方へ小倉と一緒に戻ってしまっていた。


「やっぱ、この町で時給がいいのは○ニクロなのよねぇ……。でも、服屋ってなんか大変そうだし、もうちょい手軽なものだと――」


 ぶつぶつとそんなことを言いながら腕を組んでいる千佐都に、松前が呆れた声を上げた。


「だからー。そんなにいっぱい稼ぎたいんなら、三番街のお水が一番だって。掲示板には載ってないけどやってるコ、知り合いにいっぱいいるよ?」

「そんなのぜーーーったいイヤっ!」


 松前の言う三番街というのは、この町唯一の飲み屋街である。駅前のケンタッ○ーの辺りから脇道にそれたところにあって、スナックや居酒屋、他にもラーメン屋などがあったりする。


 悟司も噂でしか聞いたことはないが、なんでもその三番街には『ティアラ』という若い女の子をたくさん集めた、名目上スナック扱いのお店があるとかないとか。


「千佐都が『ティアラ』入ったらすぐに人気者になるって。塾の一件があってから人目をはばかる存在になっちゃったわけだし、カタギじゃもうやってけないよ?」

「誤解招くようなこと言わないでよ!?」


 千佐都が掲示板から目を離して、松前に叫んだ。


「あたし知ってんだからね。ティアラって、軽くエッチなサービス要求されるらしいじゃないのさ」


「そうなんですか?」


 悟司が春日の方を振りかえる。


「なぜ僕に聞く……」

「いや、ご存じなのかなと」


 春日はごほんっとわざとらしい咳をしてから言った。


「……“噂”でしかないがな。正直、三番街は町の人口と突き合わせてみても店が多すぎる。競争率が激しくなれば、公に出来ないことをし出す店があってもおかしくはない」

「ちょっとちょっと。仮にも我がマイタウンなのよ? あまりみだらに人の町の飲み屋街をディスるような発言は控えてほしいもんね」


 松前がぷぅっと頬を膨らませる。


「ちゃんと裏は取れてるから。『ティアラ』はそんなことするお店じゃないよ。れっきとしたスナックです。さっき言ったやってるコってのも、普通に私の知り合いだし」

「……それでもあたしはイヤよ」


 再び求人掲示板にべたりと貼りついて、千佐都は言った。


「このクソ寒い季節に、うっすい服着て接客するんでしょ……あたしはちゃんと、そういうところまで把握済みなんだからねっ」


「そうなんですか?」


 再び、悟司が春日の方を振りかえる。


「だから、なぜ僕に聞くんだ……」

「いや、お詳しいのかなと」


 春日は少しだけ顔を赤らめて答える。


「……“噂”ではドレスも貸与しているって話だ。接客する女性を指名することも出来るらしい。まぁ軽いキャバクラのようなもんだ」


 やたら詳しいところを見ると、どうやら一度か二度は行っているに違いない。

 悟司がそんなことを思っている横で、松前は千佐都の方へ振りかえる。


「別にいいじゃないドレスくらい」

「よかない……っ」


 千佐都は右手で掲示板を叩くと、わなわなと肩を震わせながら顔も見ずに悟司と春日を指さした。


「こいつらが……くるでしょ……っ。『クールかし』に……やってくるでしょーよっ」


「なんだ? 『クールかし』って?」


 今度は春日が悟司に向かって尋ねた。


「千佐都の言うことだから、おそらく『冷やかし』って意味じゃないかと」

「なるほど。相変わらずのバカ言葉だな」


 そんな春日と悟司のやりとりを無視して千佐都は続ける。


「イヤよそんなの……ずぇーったいイヤっ。羞恥心で死ねる自信あるもんね」

「めんどくさいなぁ、もう」


 松前もこれ以上の勧誘は無意味だと悟ったのか、そのまま千佐都の隣に並んで一つの紙を指さした。


「わかったわよ。じゃあ健全なヤツで」


 松前が指さしたのは、結局試験監督だった。


「これなら私もやろうかな。面白そうだし。全日程二日間で一万なら楽勝でしょ」

「結局そこになるのか。まぁ仕方ないな」


 春日も納得したように頷く。

 正直なところ、さっさと終わらせたいのだろう。悟司も同感だった。


「千佐都も、もうそれでいいだろ。そうやっていつまでも悩んでたって、このままじゃ全く決まる気しないし」

「えぇ……これ?」

「これ以上ぐだぐだ言うな。もう時間切れだ」


 そう言って、春日は月子たちを呼び戻しに談話室の方へと向かって行った。


「二日一万円とか……少ない。しかも短期バイト。Aランチも食べられないし……」

「何度も眺めに来ればその内また良い求人がくるわよ。それより試験監督って即金らしいし、条件見てもなかなかに悪くない待遇じゃない」

「……悟司は?」

「へ?」


 急に話を振られて思わず挙動不審になる。


「悟司はこれでいいの?」

「あ? 俺は別になんでもいいよ」


 どうせアルバイトなんてする気もないし。


 そんなことを思っていると、春日が二人を連れて戻ってきた。千佐都から話を聞いた小倉は少しだけ考えこむと、


「試験監督か。それはそれで面白そうだね」


 ゲーム機から目を離さずにそんなことを言った。


「面白そうだからボクもやろう」

「え、庄ちゃん本気でバイトする気だったの?」


 横からぽよぽよを観戦していた月子が驚きながら顔を上げる。


「皆がやるっていうならね。別にお金に困ってるわけじゃない」

「じゃあ私もやるー!」


 はいはいっと手をあげる松前。


「決まりだな。さっそく事務へ向かうとするか」


 そうして、六人で事務室へと向かった。



 ※ ※ ※



「――それでは、樫枝千佐都さん、松前樹里さん、小倉庄一さん、そして樫枝悟司さんの四人で登録しておきますね」

「え? え?」


 頭の中が疑問符だらけの悟司を、千佐都と春日が両脇を押さえながら外へと連れ出していく。


「こういう時は実に気が合うな、千佐都よ」

「そうですわね、かすがさん」

「ちょ、ちょっと待てよ! 二人とも」


「やっぱり樫枝は、一度アルバイトさせなきゃと思っていたんだ」

「同感よ。コイツちょっと気を抜くとすぐにダメ人間になるんだから」

「は、離せよっ。俺は卵だけで大丈夫だから――ちゃんと生きていけるからっ!」


 暴れる悟司を笑顔で押さえつけながら、二人は事務員の人に一礼する。

 事務員の人達もまた、素晴らしい笑顔で悟司を送り出した。


「は、はなせえええぇぇぇっっ!!」


 そうしてずるずると引きずられたまま事務所を出たところで、


「……庄ちゃんは、ラーメンに卵七個も入れないよね?」

「そんなバカなことするわけないだろ」



 そんな月子と小倉のやりとりが耳に入った悟司はそのままがくりと首を下げると、春日と千佐都の手によってどこまでもどこまでも引っ張られ続けていった。






※まだ続きますよ

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