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イブの日にて

プロフィールNo.9


名前:松前樹里

年齢(誕生日):19歳(9/18)

身長(体重):173.0cm(58kg)

血液型:O(RH+)

好きな飲み物:お茶系全般

苦手な物:細々とした作業

 ――クリスマスパーティをしよう。


 先日、千佐都からそんな提案を受けた悟司は雪の降り積もる中、いつものジャケットを羽織りながら駅前のとある店まで足を向けていた。

 ちなみに外は極寒である。間違いなく外気温は氷点下へと達しており、ガスストーブと断熱材で仕切られた自分の部屋が、ものの五分で恋しくなってしまった。


 ――各自、思い思いの食材を持ち寄ってくることっ!


 電話で、そのように千佐都から言われた悟司が真っ先に思い浮かんだのは、白髪のおじさんが店頭に在している、あのファーストフードだった。


 正直ベタではあるが、外しもしまい。

 そう思いながら、雪道をざくざく踏みしめ空を見上げた――歩道と車道の間は、背丈以上もある厚い雪の壁で覆われているため、他に見るところがなかったせいなのだが。

 雪の勢いは、家を出た時よりも確実に弱まっていた。

 それでもいまだしんしんと降り続く雪は、情け容赦なく悟司の両肩へと落ちてきていた。降り始めた当初こそ嬉しく思ったりしたものだが、一ヶ月以上ものあいだずっと降り続いていると、さすがに嫌でも飽きてくる。今では最初の感動などどこへやらといった感じで、恨めしく空を睨んでしまうのであった。


 ずっと見ていると、もはや雪ではなくホコリのようにさえ思えてしまう。

 ただの冷えたホコリ。

 悟司の中ではいつの間にか、そんな認識になってしまった。

 そうして空の景色から再び地上の景色へと視界を戻すと、ちょうど目の前の交差点の歩行者信号が赤に切り替わるところだった。

 駅前の商店街は、横断歩道を抜けた先である。

 急いで横断歩道を渡ろうと足を速めた。現在、信号待ちで止まっている車は三台。先ほどまで悟司の進行方向と一緒だった二台と、その対向車の一台だけであった。

 すっかり踏み固められ、つるつるになってしまった雪の道路を、慎重ながらも急いで渡ろうとした。そんな時だった――


「うわっ」


 ――スニーカーで、ここまでやってきたのがそもそもの間違いだったのかも知れない。

 悟司は道路の真ん中あたりでど派手にすっころんだ。転倒した悟司の身体に大量の真っ白な“ホコリ”がこびりつく。

 幸いにも転倒時の痛みは、雪がクッションになってあまり感じなかった。だが、同時にやってきた羞恥心だけはどうしてもぬぐい去れない。悟司は、慌ててジャケットについた“ホコリ”を手で払うと、寒さで赤く染まった顔をさらに赤くして、そのまますごすごと横断歩道を渡りきった。


 歩行者信号はとっくに赤であった。着たままのジャケットをばさばさと振りながら、なおも服にこびりついたさらさらの雪を払いのける。渡ってきた道を振り返ると、ちょうど対向車の中の人が、こちらを見ながら微笑んでいるのが目に映ってしまった。


「は、恥ずかしい……」


 いくらなんでも、盛大に転び過ぎであった。

 帰りはタクシーにしよう。そう思ってふと、悟司は転んだ際に偶然見上げる形になってしまった視界のものを、あらためて確認しようと顔を上げた。

 それはちょうど、悟司が立っている目の前の建物――二階建ての木造っぽい家屋なのだが、横断歩道を渡ろうとした時、その家屋の二階部分で何かがきらりと光った気がしたのだ。

 何気なしに建物の二階部分を見上げる――その瞬間、それがとんでもないものであると判明した。


 悟司は急いでその場を飛び退く。

 これはきっと……真下にいちゃいけないものだ。

 ごくりと唾を飲み込んでそんなことを思った。

 先ほど渡ったばかりの横断歩道の手前まで戻ると、悟司はあらためて、その「光るモノ」をじっくりと観察した。


「……それにしても――でかすぎるだろ……これ」


 それは「氷柱」であった。三〇センチ――それ以上はありそうなサイズのそれは、つい先ほどまで、ちょうど悟司の真上にあったものである。

 急いでその場を飛び離れた理由はこれであった。太さも長さも、共にかなり立派なものであった。これだけの寒さならすぐには落ちてきそうもないが、万が一ということもある。


「こんなの落ちてきたら、頭に刺さるどころか全身を貫きそうだ……」


 外気とは別の寒さを肌身に感じながら、悟司は駅前商店街の中へと入っていった。


 ようやく、目的の店までたどり着いた悟司は、店頭の白髪おじさんを見て仰天した。


「こ、これは――」


 彼のご自慢の白髪が、三倍増しで増量していた。

 ……いやもちろん、その頭に雪が積もっているからなのだが。

 こんな寒空の中立たされているなんて。さぞ冷えていることだろう。きっと、全身は凍傷まみれに違いない(注※人形です)。


「ん?」


 よく見ると白髪おじさんの横にあった壁に、レシートか何かで書かれたメモが貼られていた。悟司はそれをまじまじと見つめる。


「――12/21 一八センチ。12/22 二三センチ。12/23 一四センチ」


 これは――もしかして彼の毎日の白髪のボリュームを計測しているのだろうか。

 なんてひどい。店員の悪意を感じるこの所行に、思わず瞳が潤んでしまう。

 悟司は意図せずして白髪おじさんに同情してしまった。あまりに可哀想。あまりに不憫だ。


「おじさん……」


 涙をにじませながら店の前でそうして突っ立っていると、


「――なにしてるんだい?」


 手に特大バケツを持った太っちょの男が、いきなりそう声をかけてきた。

 悟司は慌てて目元を拭うと、声のした方へ振り向いた。


「やぁ、悟司クン」

「お、小倉くんじゃないか」


 むしゃむしゃとチキンを頬張りながら、小倉はその全身をスキーウェアのような重装備で固めていた。足も悟司のようなスニーカーなどではなく、しっかりとした雪除けブーツである。あらためて悟司は、自分の格好の不甲斐なさを痛感した。


「もしかして小倉くんも、千佐都から呼ばれたの?」

「呼ばれたって何が?」


 彼が抱えている開いたバケツの中には、大量のチキンが見え隠れしていた。

 一体どれだけの量を買ったのだろうか。


「く、クリスマスパーティのことだよ。聞いてないの?」

「ああ、そのことか」


 ごくりとチキンを飲み込むと、小倉は白い息を漏らして言った。


「僕“ら”はケーキを持っていくんだ。このチキンはまぁ、おやつみたいなもんかな」

「僕ら?」


 その複数形が何を指しているのかわかっているくせに、一応そう尋ねみる。


「月子とだよ」


 やはり。

 予期していたはずの言葉に打ちのめされてしまった悟司ががくりと頭を垂れる。


「元々、パーティがなくても二人分の小ぶりなケーキを作る予定だったんだ。千佐都くんからお声がかかったもんで、急遽ホールサイズのケーキを作る話になってさ」


 何の感慨もなく小倉はさらりとそう言いのけた。その態度を見て、悟司は寒さで固まった表情をびきびきと引きつらせた。

 悟司は、学祭でのデートの件をいまだ根に持っていた。あんなに頑張ったのに、千佐都の頼みを聞いたせいで全ておじゃんになってしまった。あれ以降、月子をデートに誘うという機会は一切やってこない。


 いや、あるにはあった。そう、いわずとしれた今日のクリスマスイヴである。

 しかし、それもまた千佐都に邪魔されてしまった形になるわけで。

 くそう千佐都め。月子への気持ちのことはあいつだってわかっているくせに。どうしてこう、いちいち都合が悪いのだ。あの女は。


 しかし、と悟司はそこではたと考える。

 考えてみればどうせ今日、月子をデートに誘ったところで、小倉が隣にいるのは確実だったのではないだろうか。今し方聞いた様子だと、パーティがなくても小倉と月子は共にいる予定だったようだ。

 見方を少し変えてみれば、下手にデートへと誘って、盛大な自爆をしそうになった悟司を、千佐都が未然に防いでくれたと考えられなくもない。

 そう思うと、途端に怒りの矛先がわからなくなってしまった。いつの間にか無意識に振り上げていた拳を、どこに下ろそうかしばらく悩んだ後、悟司は隣で絶賛育毛中の白髪おじさんに向かって振り下ろした。


「どうした? 悟司くん」


 小倉がきょとんとした顔で、悟司を見てそんなことを言った。


「な、なんでもないよ。はは……」


 悟司の拳による衝撃で、白髪おじさんは全身を揺らして笑っていた。笑いながら、せっかく朝から増量し続けていた毛がバサリと地面へ落ちてはじける。

 それを見ていた店の中の店員が悲しそうに悟司を見ていたが、構いやしなかった。

 自分の方がずっと悲しいんだ。


「で? 悟司くんは買うの? チキン」


 相変わらずの調子で尋ねる小倉に、悟司は慌てて答えた。


「い、いや。俺はこれからもうちょっと先のスーパーへ行こうと思ってて」

「なんだ。そうだったのか」


 やはり、チキンではダメだ。

 月子&小倉チームがホールケーキを作ると聞いて、悟司はもう少し捻ったモノを用意しなければいけないと思い直した。月子も喜んでくれるようなとんでもない食材を持って、こちらへと気を振り向かせてやる。


 ――やるぞ! 俺はやるっ!


 心の中でそう叫びながら、悟司は小倉に手を振ってさらに駅前の方へと歩みを進めた。




「さ、寒いーっ!」

 布団の中でもぞもぞと身体を動かしながら、千佐都は枕元の時計を眺めた。時刻は既に午後一時を回っている。寝て起きてを繰り返していたら、あっという間にそんな時間になってしまった。松前が迎えにやってくるまで、もうあまり時間がない。

 布団にくるまりながら、千佐都は急いで石油ストーブに火を入れた。

 お風呂にも入らんといかんなぁ。

 身体を震わせながらぼんやりそう思って、千佐都は外の雪景色を眺めた。


 昨日、悟司に電話をしたのは他でもない。この冬休みに、名古屋に帰るのかどうかを尋ねたかったのである。

 この町から千歳までの距離は大体三時間ほど。そこから飛行機に乗って中部国際空港に向かい、さらに名古屋駅までの電車に乗るという行程。


 長旅もいいところであった。その時間の間、ずっと一人でいるという苦痛が千佐都には耐えられなかった。事実、最初にこの町にきた時は退屈過ぎて死にそうだった。

 成人式が控えていたが、悟司が帰らないというのならば、自分も帰らないつもりであった。成人式なんて行かなくても、今の自分にはさして問題などない。

 帰省の動機なんて、今の自分にはそれほど残っていない。


「……どうせ帰ったところで」


 舞い散る雪の空を見上げながら、ぼそりとそう呟く。

 とにかく、少なくとも千佐都は自発的に帰郷するつもりはなかった。

 夏休みの時に帰省しなかった悟司を見て、きっと今回も帰らないのだろうとたかをくくっていた。

 ところが、千佐都の予想に反して悟司は明後日に名古屋に帰ると言い出したのである。なんでも夏に帰らなかったせいで母親がひどく寂しがっているらしく、その母親に折れる形で帰省することにしたのだそうだ。


 多少驚きはしたが、そういう事態もある程度想定していたので、千佐都も悟司に合わせるように同じ便の飛行機のチケットを取った。

 千佐都にとっての帰省とは、それくらい流動的で、どうでもいいことであった。

 悟司が帰るのなら暇しない――そんな程度の理由で。

 そんなわけで既に帰るための準備は済ませてある。視線を変えて、帰り支度の済んだ簡素な荷物を眺めると、千佐都はもぞもぞと布団を被ったままストーブへ近付いた。

 

 ――そういえば。

 ストーブの火に手をかざしながら、千佐都はふと思い出した。

 話に聞いただけなのだが、悟司の母親はすごく悟司のことを溺愛しているらしい。

 あのぼけーっとしたコミュ障のどこがいいのか理解に苦しむが、そこは親心という適当な答えで埋めておいて、それよりも気になることが千佐都にはあった。

 彼の母親の姿である。一体どんな母親なのだろうか。

 真っ先に思いついたのは語尾に「ざます」とつける、ステレオタイプな教育ママ像であった。しかし、思ってすぐに頭から追い払った。なぜなら悟司はバ……もとい、自分と同じくそれほど頭がいいわけじゃない。前期の単位も、確かレポート提出と出欠だけで済ませられるもの以外はことごとく取り逃していたはずだ。

 となると、もう少し若々しいイメージであろう。


 千佐都はようやく暖まってきた部屋の中で布団とパジャマを脱ぎ捨てると、そのまま浴室のシャワーをひねって中へと飛び込んだ。

 夏休みの頃に、千佐都は悟司の叔母さんを見たことがあった。学祭でフリーマーケットに参加していたのも知っていた。遠目から見るだけで話しかけたりはしなかったのだが、彼女が悟司の母親の妹にあたることは、昨日の電話で初めて悟司の口から聞いた。


「あの叔母さんよりも年上ってことは、どれくらいなのかな……?」


 見たところ、叔母さんの方はまだ三十半ばくらいであろう。ということは、悟司の母親は年齢差的に四十代前半辺りがおそらく妥当なところだろう。

 いや、しかし姉妹間で開きがあることも十分考えられる。二桁ほど年齢差がある姉妹なんて、それほど珍しくもないじゃないか。


 そうして考えれば考えるほど、千佐都は悟司の母親がどんな人物であるのか、さっぱりつかみ所を失っていた。やはり悟司と、その叔母のイメージだけでは、彼の母親像をつかみきることなど到底不可能なのだ。

 そこではっと我に返って、千佐都は浴室の戸を振り返った。

 先ほどからずっとインターホンが鳴らされっぱなしだったのである。


「ま、まさか樹里? 来るの早くない!?」


 千佐都は浴室の戸を開けると、そこから顔だけ出して玄関に声をかけた。


「ま、待ってぇー。今お風呂入ったばかりで……」


 そう言った途端、玄関の扉が強く叩かれ出した。まずい。この反応は怒っている。

 千佐都は一旦浴室から出ると、タオルで身体を隠しながら玄関の戸を開けた。


「――寒いんですけど……」


 そう言いながら松前は滑り込むようにして千佐都の家の中へと入りこんだ。ドアから流れ込んだ冷気に思わず身震いした。完全に部屋の中とは別世界の気温差である。


「あ、あはは。早すぎじゃない?」


 そう言いながら千佐都は再び浴室へと飛び込んだ。一瞬のうちに冷え切った自身の身体をすぐさまシャワーで温め直す。


「私はいつだって十五分前行動を心がけてるの。ていうか、とっくにもうそんな時間なのに、なんで今更悠長にシャワーなんか浴びてんのよ」


 そんな松前の不機嫌な声が、浴室にいる千佐都の方まで届いた。服装の薄さを見るに、車でやってきたようだった。

 千佐都の家の前で待ちぼうけをくらったおかげで、心なしか声が震えている。いつものことだが悪いことをしたと思って、千佐都はごめんと短く謝った。


「で? なんでいきなりクリスマスパーティなのよ」

「ああ。それはね、悟司と飛行機で帰る約束をした際に、流れで思いついて――」

「へぇー」


 がちゃりと浴室の戸が開いて、にやけ面の松前が顔を出してきた。


「ぎゃあっ! ば、ばか。入って来んなよっ」

「全く。いっつも本当に仲良しですこと。羨ましいわぁ」


 そう言って、口元に手を当てながらじろじろと千佐都の裸体を眺める。


「しっかし、相変わらずの幼児体型ねぇ。ホントにちゃんとご飯食べてるの?」

「ほっとけっ!」


 松前の頭をぐいぐいと押し戻して、千佐都は浴室の戸にロックをかけた。ニングルハイツにはなかったロック機能だが、ここにきて初めて活用することになるとは。相手は女子だというのに。


「……あんたの方こそどうなのさ。鵜飼のバカとよろしくやってんじゃないの」


 話題を逸らすように、千佐都は松前へとそんな話を振った。

 学祭の後、松前は鵜飼のことがいたく気に入ったらしく、アドレス交換までして、今でも頻繁に連絡を交わし合っているそうだ。

 どちらかというと、松前が一方的な好意を向けているだけで、当の鵜飼自身はその事に全く気付いてすらいなさそうだが。


「ああ、もっちーのこと?」

「もっちー!?」


 それが鵜飼のあだ名であることに、千佐都は一瞬間を置いてから気付いた。

 元就だから「もっちー」ということらしい。


「もっちーはとっても男前だけど、どうにも鈍くてねー。私のラブアタックにも全然気付いてないみたい。悲しいことに」

「は、はぁさいですか」


 そう言う割に落ち込んでいる様子も、盛り上がってる様子もない松前のトーンにいささか違和感を覚えながら千佐都は口を開いた。


「そんなあんたに朗報。今日のパーティにはあいつも呼んだから」

「えっ!?」

「良い情報でしょ? てことで、そこに置いてあるタオル取ってー」


 シャワーを止めてロックを解除すると、浴室からにょきっと手を出して千佐都が言った。

 だが、いつまで経っても目的のタオルはやってこない。なんて不誠実なやつだと千佐都がたまらず戸を全開にすると、


「――樹里?」


 松前がその場にうずくまりながら両手で顔を押さえていた。


「なにしてんのさアンタ」


 半ば不機嫌そうに、タオルをひっつかんで身体を拭く千佐都に松前がぽつりと言った。


「――千佐都。私、今すぐオシャレしてこなきゃ」

「……は?」


 頭をわしゃわしゃしていた手を止めて、千佐都は松前を見た。

 どっちがお風呂に入ったのかわからないほどに、松前の顔がゆであがっていた。

 先ほどの素っ気ない口ぶりとは打って変わるほどに乙女な反応であった。


「こんな……こんな、しょぼい格好じゃ私……もっちーの前に出られないっ!」


 そう言って、松前は両手で顔を隠しながら千佐都の部屋を飛び出していった。


「えーっと……あれ?」


 再び誰もいなくなってしまった部屋で、千佐都は呆然と立ち尽くしていた。


「まさか、そんなにマジ惚れしてんの……あの子」


 そう言ってからくしゃみが出た。

 まずい。湯冷めしてしまう。

 そう思った千佐都は、急いで下着を探すことにした。




 昨夜、いそいそと「自作クリスマスベスト」を携帯プレーヤー用に作っていた春日に、突然千佐都からの電話がやって来た。

 なんでも明日のイブの日に、パーティをするから何か一つ食材を持ってこいとの事――


『自作クリスマスベスト? 根暗なことしてるわねーあんた』

「ほっとけっ!」


 相変わらずのやりとりを繰り広げた後、千佐都との通話を終了した春日は即座に実家の方へと電話をかけ直した。


「――そんなわけで、明日の夜には帰れなくなった」

『なんでさ!? 兄ちゃんが帰ってくるっていうから、おっきいケーキも予約してきたし、じいじもばあばも、久しぶりの酒盛りだってはしゃいでたのにーっ!』

「……ウチのじいさんとばあさんは、日がないつも飲んでるだろうが」


 三睦のやかましい声に、春日はスマートフォンを数センチ離しながらそんな事を言った。


『良い日本酒を買ったって、さっきなまら喜んでたさ』


 イブの日に日本酒とはこれいかに。


「とにかく、僕は明日帰れないから」

『えーっ』


 三睦は不満げではあったが、それ以上の追求をしてこなかった。

 違和感を感じる。


「なんかお前、妙だな」

 突然、ぽつりとそんな事を口走ってみる。


『なにが?』


ベッドの上に腰を下ろしながら、春日は三睦に向かって言った。


「いや、いつもはもっとうるさいだろう。クリスマスに帰れないって知ったらぶぅぶぅ不満を垂れ流してくるじゃないか。それがないから不思議なんだよ」


 なんてことないちょっとした疑問であったが、それを聞いた三睦の反応は、


『……別になんでもないさ』

 と、先ほどよりもずっと顕著な違和感として春日の耳にこびりついた。


「本当か?」

 確認するように尋ねると、

『あーもうっ! 本当だってば!』


 またしてもやかましい、いつもの調子で三睦が春日に向かって叫んだ。

『いつまでもお兄ちゃんに文句も言ってられないっての。お友達とパーティとか、みちかだって同じ立場なら嬉しいもん』

「ふーん」

 違和感は気のせいだったのだろうか。そう思っていると、

『それとさ』

「ん?」

『もう、そっちに連れてってとかも言わないから』


「……おいおい。本当にお前、どうしたっていうんだ」

『どうもしてないってば! ふんっ』

 ……どういう心変わりだろうか。夏の時はあれだけうるさかったのに。


 とにかくそんなわけで、イブ当日。

 春日は車で少し遠目の酒屋まで足を向けていた。

 千佐都が一体どれだけの人数を集めたのか定かではないが、大目に頼んでおいた方がいいだろう。ぐるぐると店内を回って、よさそうな値段のシャンパンを見つけると、それを数本取ってレジへと向かって行った。


「――おっと。そうだ」

 悟司は酒を飲めない。千佐都の集めた連中ならば、あいつが入っていないわけがないだろう。そう思って、目についたシャンメリーを手にとって春日はふと考えた。

 あの二人は本当に仲が良い。先日のサークル同士の合同飲み会の際も、二人で何やら話し込みながら乾杯をし合っていた。

 傍目から見れば、まるでカップルのように――


「……なにをバカなことを」

 口の中でそう呟いてみる。春日は、ずっと悟司が月子に対して好意を持っていることに気付いていた。直接そう本人から明言されたわけではないが、月子を誘った際のあの緊張の仕方は、間違いなくそうであるに違いない。


 ――だが、一方の千佐都はどうなのだろうか?


 そう思った瞬間、春日はその場に固まった。

 今まで、二人の関係についてなど考えた事もなかった。端的にどうでもいいと思っていたのだ。ボーカロイドの制作だけに没頭してくれれば、千佐都と悟司がどうなろうと、月子と悟司の関係がどうなろうと知ったことではない。そう思っていた。


 少なくとも学祭まではそうだった。それまでの自分は、ずっと焦燥感に駆られながらも音楽に対して真摯に向き合い続けていた。言い方を変えれば余裕がなかったのである。

 今では、その気持ちにもある程度整理がついてしまった。そのせいなのかどうかわからないが、春日はここに来て、当たり前なメンバーの関係に思考が行き当たってしまった。


 ――千佐都は、好きな人がいるのだろうか。


 無意識にそう思って、はっとした。一体、何を考えているのだ。なぜ真っ先にあいつのことを考えてしまう?

 頭を振って、無造作にシャンメリーを買い物カゴの中へ入れる。

 そのままレジに向かいながら、春日はすっかり押し出したはずの千佐都の顔を再び思い描いた。


 悪友といってもいい。いつもけんか腰で騒ぎ立てながらも、それを楽しんでいる自分がいることにも気付いていた。

 三年間この町で過ごしてきて、異性と触れあう機会はそれほど多くはなかった。男だらけの軽音サークルではあったが、二人の先輩は春日をよく合コンなどに誘ってくれたりもした。だがもともとが仏頂面な方であるため、いつも女子からのウケは良くなく、結果的に人数調整の役割でしかなかった。

 これだけわいわいと騒ぎ立てられる異性と出会ったのは、初めてのことだった。

 だからなのだろうか。

 だから、こんなにも胸をざわつかせるのだろうか。

 そんなことを思いながら、春日はレジにカゴを置いて財布を広げた。


 会計をすませて時計を見ると、二つ針はちょうど四時を指していた。あと二時間ほどで、パーティが始まる。場所はシュガ部屋で行なわれるそうだから、一度家に戻ってからでも十分間に合うだろう。

 そんな時、電話が鳴った。


「もしもし?」

『あ、かすがー?』

 声を聞いて、どきっとした。

 先ほどまでずっと考えていた当の本人の声に、挙動不審さを隠しきれなかった。


「ち、ちひゃと?」

 声をうわずらせながら、春日は噛み噛みでそう言った。

『なに噛んでんのよ。きも』

「う、うるさいっ」

 外に出ると、先ほどまで穏やかだった雪がまた強まってきていた。夜には吹雪くかもしれないなと思いながら、袋を提げたまま春日は電話越しの千佐都に口を開いた。


「どうしたんだ? 一体」

『ああ。実はさ、樹里と一緒に買い物行く予定だったんだけど、あの子鵜飼が来るって聞いた途端、家に戻って全然こっちに戻ってこないのさ』

 樹里とは、多分牛丼屋を手伝ってくれた千佐都の友達のことだろう。確か、学祭終わりに鵜飼にやたらとがっついていたような。

『そんなわけでさ、あとでアンタんち行くから』

「なぜだ?」

『決まってるでしょ。一緒に買い物に付き合って欲しいのよ』

 思わず、心臓が高鳴った。

 そんな自分の反応に、何よりも自分が驚いてしまっていた。


『もしもーし? 聞いてんの?』

「あ、ああっ。聞いてる。もちろん聞いてる」

『……さっきからずっと変な反応ね。熱でもあるんじゃない?』

「だ、大丈夫だ。ふは。ふははは」

 そうして通話を切た後で、春日は今までずっと外で通話していたことに気付いた。

 まるで寒さを感じないまま、ずっとそうしていた自分にびっくりだった。

「なんで、千佐都なんだ……。あいつはがさつでズボラで、人のことなどお構いなしに我が道を突き進むバカなんだぞ……。なんであんなヤツを僕が――」


 気の迷いだと思った。

 それ以上春日は考えることをやめ、車の中へと乗り込むと、せっかく作った自作クリスマスベストから『デスペラード』の懐かしいアルバムを聴き始めた。

 春日は『デスペラード』のガンガンと激しいビートに身体を揺らしながら、しばらく駐車場で頭を振り続けていた。



 ニングルハイツ二○四号室――

「どうかな? 庄ちゃん」

 キレイに盛りつけた後で、指についたホイップを舐めながら月子が言った。

 バケツの中のチキンを一人で全部空にした小倉はめずらしくゲームもせずに、溶かしたチョコレートをスポイトのようなもので吸いながら月子のケーキを眺めた。


「うん。悪くないね。良く出来てる」

「あとは、庄ちゃんのスポイトでメッセージを書くだけだね」


 二人でケーキを作るのは、旭川にいた時から通例行事と化していた。去年までは実家の家族たちの分も含めてホールケーキを作っていたのだが、今年はボーカロイドの新曲動画の為の、弘緒から注文を受けたカットを描いているうちに帰るタイミングを逃してしまった。そんなわけで今年は小さなカットケーキで我慢しようとしていたのだが――


「結局、ホールケーキになっちゃったね」

「まぁこっちの方が作り慣れてるし、いいんじゃないかな?」


 今年は缶詰のフルーツを数種類使って、見た目的にも味的にもなかなかの大作になったと自負していた。


「そういえば、駅前商店街で悟司クンにあったよ」


 小倉がケーキの真ん中に「merry christmas」と描きながら、突然そんなことを言い出した。月子はぽかんと口を開けて小倉の方へと振りかえる。


「悟司くんが?」

「うん。食材を買いに行っていたみたいだけど」

「へぇ」

 なにげなしに言ったつもりではあったが、小倉はめざとく月子の反応を見てから、

「気になる?」

 と意地悪げに口を開いた。


「え? えぇ? なんで?」

 そんな素振りは一切なかったはずなのに、相変わらず小倉は月子のことを注意深く観察しているようだった。

 正直なところ、クリスマスイブにメンバーの皆と会えるのを月子は半ば諦めていた。というのも、悟司は既に実家の方へ帰省しているとばかり思っていたのだ。


 そんな矢先に千佐都からのパーティのお誘いである。春日と悟司も来ると聞かされて、月子はいつにも増して気合いの入ったケーキを作ることになったのであった。


「いやね。学祭以降、月子は悟司くんとの関係がどうもぎくしゃくしてるみたいでさ」

「そ、そうかな? そんなこともないと思うよ」

 とぼける月子に、小倉はさらりと言った。


「ちょっとしたところなんだ。普通は気付かない。なにかあったのかい?」

「え、ええー」

 しばらく戸惑ってから、月子は静かに白状した。


「た、たいした事じゃないんだよ。悟司くんに学祭一緒に回らないかって誘われて。それだけなんだよ? ホントだよ?」

「ほほう。それで?」


 小倉は面白そうにそう相づちを打つ。


「で、でも。結局おじゃんになったの。ほら、ギターの人の代わりに悟司くんがライブに出ることになったでしょ? それで……」

「……そういえば、そうだったね」


 月子の返答は予想していたものと異なったのか、小倉はいくらか残念がりながらも文字を書き終えると、手を洗いに流しへと向かった。


「庄ちゃんはどう思ってるの?」

「なにが?」

 給湯器から流れ出るお湯にじゃぶじゃぶと手を突っ込む小倉に、月子はそれとなく尋ねてみた。


「ウチと――悟司くんのこと」


「どうって。どんな言葉を期待してるんだい。月子は」

「それは」


 一瞬言いよどんだ隙に、小倉が手の水を切って振り返る。

「まるで、これから恋仲にでもなるみたいじゃないか」

「こ、こいっ!?」


 びくんと身体を撥ねさせて驚く月子。

 そんな月子を、眼鏡の奥から優しい瞳で見つめながら小倉はテーブルに置いてあったゲーム機を掴んだ。


「……冗談だよ」

 静かにそう言ってゲームの電源を点ける小倉。その後はもう喋ることなく、画面に没頭したまま指をいつまでも動かし続けていた。


 月子はそんな小倉を見て、少しだけ寂しそうな顔をして座っていると、突然パソコンの方からポンッと言った音がした。


「弘緒ちゃんだ」

 小倉を通り過ぎて、月子はパソコンの前に座り込んだ。

「庄ちゃん、ちょっとパソコン借りるね」

「お好きに」

 チャットウインドウを開くと、弘緒からのメッセージが届いていた。


 ――少し、お話しませんか?


 月子は、ヘッドセットをつけてから返信する。


 ――どうぞ。準備できてます。


 メッセージを送ってから数十秒ほどして、通話がかかってきた。

 通話開始のボタンを押して、月子はマイクを口に当てた。


「もしもし?」

『あ、月子さん。実はちょっとだけなんですけど、動画の冒頭部分が完成したので、一度観ていただけませんか?』


 弘緒からファイルを受信した月子は、完成した部分だけを拝見した。


「すごい……」


 自分の描いた絵が画面の中でぐりぐり動いていた。

 まるで命を吹き込まれたようだ。


『どうですかね?』


 相変わらずの抑揚のない調子で弘緒が言うと、月子は感嘆の息を漏らして言った。


「ちゃかぽこすごいですっ! 弘緒ちゃんって、ホントに高校生なんですか?」

『実は中学生なんです』

「ええっ!?」

『冗談ですよ』

 意地悪くくすくす笑う弘緒に、月子はぷぅっと頬を膨らませた。


「ひどいです」

『あはは。……そういえば、ひまじんから聞いたんですが今日は皆でクリスマスパーティをするそうですね』

「え? うん。そうなんですよ。ちょうどさっきケーキが完成したところで――」

『ケーキ?』

「あ、ちょっと待っててくださいね」


 月子は携帯電話でケーキの写真を撮ってから、シュガー専用アカウントに画像ファイルを送り、それを小倉のパソコンにダウンロードしてから、弘緒へファイルを送信した。


「カメラがあればいいんですけどね」


 ネット通話用のカメラは安価でも質の良いモノがたくさんでている。いつかはそういったものも買ってみようかと思っていると、

『これはすごいですね……』

 今度は弘緒の方から感嘆の息が漏れた。


『月子さんって、本当に私がイメージしている通りの人っぽいです。札幌の兄に会いに行くことがあればぜひ一度お会いしてみたいです』

「ウチも、そう思ってますよ。弘緒ちゃん」


 そう言って二人でくすくすと笑い合った。

 そんな月子を、小倉はちらりとだけ伺ってから、安心したように笑った。

 そうしてしばらく二人で他愛のないことを喋った後、月子が時計を見ると、既に夕方の五時になっていた。


『何時からなんですか? パーティは』

「確か、六時からだったと思うんだけど」


 小倉の家からだと、パーティ会場のシュガ部屋は真下だからぎりぎりまでここにいても大丈夫だろう。そんなことを弘緒に説明すると、


『では、そろそろ失礼しますか』


 といって、通話を打ち切ろうとした。


「待って。弘緒ちゃん」

『なんですか?』

「まだ時間もあるし。急がなくても大丈夫そうだし。だから、一局……やりません?」


 自分の姿など相手には見えないのに、月子はパソコンの前で人差し指を立てて笑った。

 弘緒は、月子の言葉を聞いて少しだけ悩んだ後で不敵に笑って口を開いた。


『……今日こそ、負けませんよ?』




「いーえーいっ!」

 鵜飼が持ってきたクラッカーを、誰の許可もなくいきなり引っ張る千佐都。

 ぱんっという破裂音と共に、そこいら中へと散らばったテープを見て悟司が言った。


「フライングしすぎだろ」

「いいじゃないの。こういうのって勢いが大事さね」


「勢いに任せるのは構わんが、まだ乾杯すらしていないんだからな」

 そう言って、春日が紙コップにシャンパンとシャンメリーを順番に注いでいった。


「あの、鵜飼さん。弘緒ちゃんって、今日はずっと家なんですか?」

 月子が鵜飼にそう尋ねると、鵜飼は顔をしかめながらうーんと唸った。

「……多分そうなんじゃね? 知り合いのおばちゃんも地元に戻ったっていうし。同い年の男子も、この前、海外に行ったって言ってなぁ」


「そうなんですか……」

 しゅんとする月子。

 それを見た悟司が、励ますように明るく言った。


「じゃ、じゃあ後で弘緒ちゃんにもネット通話しよう」

「よそで楽しんでるのを聞いて、果たして彼女は喜ぶのかね? 悟司氏」


 悟司の提案を至極もっともな正論で返す千佐都。


「カメラでもあるなら別だけどさー。声だけお届けしたって、楽しくないでしょうよ」

「何言ってるんだ。カメラはあるぞ?」


「「「え?」」」


 突然そんなことを言いだした春日に向かって、悟司と月子と千佐都が一斉に顔を向けた。


「驚くことないだろう。以前、僕は演奏動画をアップロードしてただろう」

 そう言って春日は、シュガ部屋に置いてあるパソコンの辺りを漁り始めると卵のような形をした小さなカメラが出てきた。


「鵜飼さん、弘緒ちゃんの方はカメラを持ってるんですか?」


 春日が尋ねると、鵜飼はいそいそとカラフルな三角帽を被りながら振り返った。


「多分ないんじゃねーかな?」

「ってことは、向こうの様子はこちらからはわからないわけか。鵜飼さんの妹ならば、一度顔を見てみたかったものだが……」


「ねぇねぇ、もっちー」

「モッチー!?」

 突然横から沸いて出た松前の言葉に、春日はびっくりして声を上げる。

 千佐都の顔がわずかに歪んだのを悟司は見過ごさなかった。


「んあ?」

 袖を引っ張る松前に向かって、のんびりした調子で鵜飼が振り返る。

「もっちーの妹さんって、どんな感じなんですか?」

「どんなって言われてもなぁ」

「ヒーローっぽい?」

 どんな外見だ。それ。


 彼女は相変わらずの特撮ヒーローオタクであった。

「弘緒だけにってか? 面白いこというねー樹里ちゃんは」

 一方の鵜飼はけらけら笑いながら膝を叩いていた。思いの外ウケたのがわかると、松前は嬉しそうに鵜飼の横へとくっついて、ちょこんとその場に座りこんだ。

 誰がどう見ても、好意ありありな態度なのだが、当の鵜飼本人は全く気付いていないようである。不憫だなぁと思いながらも、悟司は二人の様子をぼんやり眺めていると、


「そろそろ始めない?」

 小倉がそう切り出した。


「じゃあ~……とりあえず、皆の持ってきたものを披露してちょうだいっ!」


 千佐都の言葉で、月子は大きなお皿に載ったホールケーキに向かって両手を広げた。

「ここに置いてあるから今更ですけど……ケーキです」

 おおーっと声をあげる一同。それから、ぱちぱちと月子へ向かって拍手をする。


「は、はわっ。こ、ここの部分は庄ちゃんがやったんですよ!」

 自分への注目を逸らすように月子が無理矢理小倉へと話を振ったので、皆の視線がそのまま隣の小倉の方へと移動した。


「ボクはホイップを混ぜたり、字を書いたり。いわば雑用だよ」

「スクリーマーさん的な?」

 千佐都が横やりを入れる。その言葉にむっとしながらも、今度はその隣の春日が自ら手にしているビンを掲げて言った。


「僕のも今更だが、このシャンパンとシャンメリーだ。ちょうど全員分入れたことだし、乾杯しようか」

「オッケー。んじゃ、皆様。紙コップを持ってくださいな」


 千佐都の言葉に、皆が一斉にコップを握った。


「えーそんなわけで……かんぱーいっ」


 それぞれがコップを突き合わせてから、ぐいっとドリンクを煽りあった。


「さてさて。そのお隣の樹里さんは、一体何を持ってきたのかな?」

 千佐都が、いやらしい目で小倉の隣にいた松前を見ると、


「なによ。私はちゃあんと素晴らしいもの持ってきたわよ」

 ふふんと鼻を鳴らすと、松前がバッグの中から持ってきた品をみんなの前へ公開した。


「なにこれ?」

 口をぽかんと開けながら、テーブルに置かれた一つを取って千佐都が尋ねる。


「仮面ラ○ダーアイス」

「このクソ寒い真冬にアイス!?」

「ちなみにクジつきらしいわよ」

「いらないわよっ!?」


 千佐都が息を切らしながらツッコミを終えると、


「……じゃあ、次はあんたね」

 そう言って、松前の隣の鵜飼を見た。


「パーティグッズ持ってきてくれたのは嬉しいけど、ちゃんと食材も持ってきたのよね?」

「当然だ。てか、お前らせっかくオレが用意したんだから三角帽かぶれよ」

 一人だけ帽子をかぶっている鵜飼が、皆に縞々の入った帽子を手渡していく。紙製の、ドンキなどで売っているありふれたものだ。


 全員が帽子を被ったところで、鵜飼は冷凍されたビニールパックのジンギスカンを取り出した。


「げ。あたし、山羊肉嫌いなんだけど」


 千佐都が顔をしかめる中、他の皆はいたって普通に喜んでいた。


「樫枝は食べたことあるのか?」

 春日の問いに、少し考えてから悟司は言った。

「ものすごく小さい時に食べたような気がしますけど、覚えてないですね」


「こういった集まりにはジンギスカンは必須だろ。家から黙って拝借してきたけど、まぁ大丈夫だろ。きっと」

「そうですよね、私も大好き。ジンギスカン」


 鵜飼の言葉にきゃっきゃっとはしゃぐ松前を、ジト目で眺める千佐都。

 そんな千佐都に向かって、悟司は言った。


「……んで? 千佐都は何を買ってきたんだよ」

「ろくな期待しない方がいいぞ」


 春日がぼそりとそんなことを悟司に向かって言った。


「あれ。先輩は知ってるんですか?」

「一緒に買い物に付きあわされたからな」


「ちょっとちょっと! あたしのは画期的だから。安心してご覧あれ!」


 そう言って、千佐都が取り出したものは――


「なにこれ?」

 どこをどう見ても、真っ赤なマグロであった。


「マグロよ」

 自信たっぷりにそう言い放つ千佐都。


「いや、わかるよ。俺が言いたいのはなんでマグロなんだってこと」

「悟司。サンタクロースは何色?」


 突然の問いかけに面食らいながらも、悟司は答える。


「……あかいろ」

「正解っ!」


「だからどうしたってんだよ!?」

「トナカイの鼻の色は?」


「……あかいろ」

「正解っ!」

「お前なぁっ!!」


 立ち上がる悟司に向かって、千佐都はむすっと口を尖らせる。

「なによ。斬新でしょ? 普通に買ったらそこそこ値のはるものだし、クリスマスにお刺身食べてなにが悪いのさっ!」

「食い合わせが悪いんだよ」


 そんな春日の言葉も無視して千佐都が立ち上がると、そのまま松前のアイスを指さした。

「不公平よっ。だいたい樹里のアイスにはツッコミなしで、なんであたしのマグロにはツッコミをいれるんさっ。こんなの平等じゃありません。異議を申し立てますっ」

「温かい部屋でアイス食べるほど、格別なものもないわよ?」


 けろりとした松前の言葉に、きーきー言いながら千佐都は地団駄を踏んだ。

「マグロ食べたくないならいいわよっ。あたし一人で食べるもんねー。ばかばか」


「――悟司くんは、何を買ってきたの?」

 隣にいた月子がそんな風に話しかける。

 どきっとしながらも、悟司は再びおとなしく着席する。

「お、俺は結局――」

 そう言って、俯きながら箱を取り出した。

 いざ自分の番となると、なかなかに恥ずかしいものがある。


「結構でかいわね」

「開けてもいいかー?」

 鵜飼が悟司にそんな断りをいれてから箱を開けると、

「おお、これは」

 鵜飼が驚きながらも皆に向かって箱の中身を見せた。


「パイかな?」

「うおー。悟司、どこでこんなの買ったのよ?」


 千佐都がびっくりして箱の中のパイを見ながら尋ねる。


「か、かなり歩き回ったんだよ。駅前商店街は結局何もなかったから、今度は郊外の方まで行って、そこでようやく見つけたんだ。ちょうどスーパーに入ってるパン屋さんが、たまたまこんなの作っててさ。ミンスパイっていうらしいよ」

「すごいです。とっても美味しそう」

 隣で目を輝かせながら月子がそんな感想を漏らした。


 その言葉を聞きたかった悟司はようやくほっとして、同時にどっと今日一日の疲れが身体を襲い始めた。


 実は、このミンスパイは市販されているものではなかった。窮地に陥っていた悟司がたまらず電話した相手――水谷すすきの知り合いから特別に作ってもらったものなのである。

 いちじく会の助けなど借りたくなかったが、結果的に皆が喜んでくれているのなら電話した甲斐もあったというもの。

 ……水谷に借りを作った事実はこの際忘れることにする。

 とにかくこうして全ての食材が出揃ったところで、いよいよ本格的にパーティが開始された。飲み食いしながらわいわいと馬鹿話を繰り広げ、時間は過ぎていった。




 七時半くらいになったところで、月子は弘緒をネット通話で呼び出した。

『あれ? 月子さん、今クリスマスパーティ中では?』

「弘緒ちゃん、見えます?」


 そう言って、カメラをオンにしてから月子が手を振った。


『――おおおっ。後ろの方でバカな兄の姿が見えます! いやはや相変わらずバカそうでなにより』

「お前なぁ……」


 鵜飼の抗議も無視して、弘緒ははぁーっと息を漏らしながらつぶやいた。


『月子さん、そんな顔をしていたんですね』

「はわっ。へ、変ですかね?」

『……いえ』


 弘緒がくすりと笑う。


『私の想像通りのお方でした。優しそうで、とても可愛らしい』

「そ、そんなこと……」

「やっほー弘緒ちゃん」


 月子の横に、千佐都が並んで手を挙げた。既にほろ酔い状態である。


『うわ。出た』

「ひどいコメントね……」

『冗談です。もっとバカそうな人を想像してたんですけど、意外でした』

「どういう意味よ」

『可愛いってことですよ』


 先ほどの月子と違い、完全な棒読みであったが、千佐都はその弘緒の発言に気分を良くしたようであった。そのままにへらーっと笑いながら、春日を連れてくる。


「んで、この人がスクリーマーさん」

『ああ。雑用係の』

「その認識は間違ってはいないのだが、もう少し言い方を……」


 がくりと首を落とす春日をよそに、弘緒は月子に向かって言った。


『そういえば、作曲者の方は? 確か、悟司さんという方でしたよね?』

「ああ、あいつは今ダメかも」

『ダメ?』


 弘緒が聞き返すと、千佐都はカメラを手にとって部屋の奥にあるこたつへと向けた。


「寝てるのよ。この寒い中、ずいぶん歩き回ったみたいでさ」






 ――夢を見ていた。

 高校の音楽室。

 音楽の授業の後、教科書を入れっぱなしにしたままだった悟司は、放課後に音楽室へとやってきた。

 扉を開けると、そこにいた人物――岩倉美早紀が驚いたように顔を上げた。

 その頃の美早紀は、悟司のことなど知らなかった。本来ならばこの時が初対面のはずで、まだ互いに名前さえ知らなかったのだ。

 しかし夢の中の美早紀は、悟司に向かってくすりと笑いかける。


「悟司くんじゃない」

「美早紀さん」


 悟司はギターを持った美早紀に近寄った。相変わらず、冷めた目で校庭にいる運動部の練習風景を窓際からぼんやりと眺めてギターを弾いていたようだ。


「どうしたの?」

 悟司の顔も見ずに、美早紀はギターを指でつま弾いた。

 自分にギターを教えてくれた先輩――ガールズバンドのリーダーを務め、名古屋の小さなライブハウスで精力的に活動をしていた美早紀は、悟司にとって特別な存在であった。

 師匠でもあり、憧れでもあり、そして――


「美早紀さん、俺!」


 悟司はぐっと息を呑んでから、力強く言った。


「俺、ボーカロイドっていうソフトを使って、音楽活動し始めたんです。あの“俺”がですよ? ろくに友達も出来なくて、美早紀さんくらいにしかまともに話したことのなかった、このコミュ障の俺が……今は皆に囲まれて、立派に活動してるんです」


「そう」


 美早紀は静かに微笑むと、弾いていたギターの手を止めて悟司の方を向いた。


「きっと、次の曲はもっと多くの人が聴いてくれるはずです。きっと……美早紀さんも喜んでくれる、それくらい良い曲を作ったんです」

「すごいじゃない」


 美早紀はギターを置いて、悟司に近付くとそのまま悟司の身体を抱きしめた。

 あまりにもいきなりのことに、心臓がばくばくと激しく鼓動する。


「ねぇ悟司くん――」

 耳元でささやく、美早紀の声がくすぐったい。

「よく、頑張ったわね」

「はい……」

 緊張で身を硬直させながら、美早紀に抱かれたままの悟司が虚ろにつぶやく。

「どうして、そこまで頑張れたのかしら?」

「それは――」


 そこで、ぐにゃりと周りの景色が歪む。

 美早紀の手がすっと悟司の身体から離れていく。そのまま全てを飲み込むような黒い渦が、音楽室も、美早紀の姿も吸い込んでいく。


 ――待って!


 そんな言葉も、渦の中へと消えていく。

 真っ暗な闇しかなくなってしまった中で、悟司は必死になって美早紀の姿を探し回った。

 どれだけ大声で叫んでも、どれだけ闇雲に辺りを走り回っても。

 全てを飲み込んでしまった闇の中では、もはや光を探すことなどできなかった。


「……さ……とし」


 その場に打ち崩れてしまった悟司の耳に、突然そんな声が聞こえた。


「美早紀さん?」


 悟司は闇の中をぐるりと見渡した。

 しかし、依然としてどこにも光はない。

 それなのに確実に聞こえる声が、そこにはあった。


「悟……司……」


「誰……なんだ?」


 そうして途方に暮れている悟司の右手が、急にほわんと温かくなる。一体何が起こったのかわからぬまま、悟司は自分の右手を左手で掴もうとした。

 だが自身の右手に触れることはなく、その代わりに乗せられていた小さな手に触れた。温かくなった原因はこれだ。誰かが、自分の右手を掴んでくれているのだ。


「……美早紀さん?」


 ぽつりとそう言った瞬間、意識が飛んだ。




 ――目が覚めると、電気の消えたシュガ部屋で鵜飼の大きないびきが聞こえた。


 どうやら、知らない間に眠ってしまったらしい。

 クリスマスパーティはどうなったのだろう。そう思って見上げていた天井から視線を横に移して、そこで思わず息が止まりそうになった。


 悟司のすぐ横には、千佐都が寝ていた。結構飲んだのか、ほんのりと酒の匂いを漂わせながらすうすうと寝息を立てている。

 顔があまりにも近い。こたつ自体が小さいので、一つの方向からは一人しか入れないのだ。それをこの女は、強引にも悟司の隣に入りこんでいるのである。なんてヤツだ。

 こたつの電源はつけっぱなしになっていた。少しだけ身体を起こすと、他の場所にはパーティに集まったメンバーが、ほとんど雑魚寝状態で転がっている。一応月子と松前は揃って同じ布団で眠っているようだが、このバカ女はどうしてわざわざ自分のところまで――


「自分の部屋で寝るか……」


 家主の特権である。良い環境で一人こっそりと眠ろうとこたつから這い出ようとした瞬間、右手に千佐都の手が絡められているのがわかった。

 既にどんな夢を見たのか忘れてしまっている悟司は、それでも千佐都の手を見てどきりとした。一体どうしたというのだ。この女は。


「たけ……る……」


 振りほどこうとした瞬間、千佐都がそんな寝言を言った。


「……どこ……にも……いかないで……たける……」


 悟司は頭を掻いてその場であぐらをかくと、


「俺は剛児じゃないってのに……」

 そう独りごちて、ため息をついた。

 外はうっすらと陽が差し始めていた。夜明けだ。

 もうしばらくは、このままでいてやるか。

 呆れかえるように笑みを浮かべると、悟司は千佐都の手を優しく握り返した。





 外は相変わらずの大雪で、悟司達のクリスマスはそんな風にして過ぎていった――





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