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8月9日 樫枝悟司 その6

「いちじく会にはね、ランクがあるのよ」

「ランク?」

「そう。聖人、賢人、徳人、士人、凡人。全部で五段階。私は賢人になったばかりなの」

「そ、そうなんですか」


 それくらいしか悟司には言葉が出てこなかった。

 しかしそんな悟司の反応にむっとしたように、


「ちょっと、あなたね。賢人になれるのは限られた人だけなのよ? どうしてそんなに無関心そうな声を出せるのよ」


 口を尖らせながら、水谷はそんなことを言い出した。無関心にもなるだろう。信者同士の寄り合いの中では大層すごいことなのかもしれないが、あいにく悟司自身はそうではない。そんな当たり前の価値観が水谷には理解できないようだった。


「……とにかく。その賢人である私が、こんなノルマ一つ消化出来ないようなら、降格だって十分あり得るの。だから――」

「でも」


 悟司が水谷の言葉をさえぎって口を開いた。


「でも、そ、そんなの別にどうだっていいじゃないですかね?」

「どうでもいいってあなた――」


 それまで無表情だった水谷の顔に、怒りの目が宿った。

 軽はずみとはいえ、少し言い過ぎたと思った悟司は、両手を広げながら慌てて告げる。


「す、すみません! ちょっと言葉が過ぎました! でも……ちょっと俺の話を一つ聞いてもらえませんか?」

「――わかったわよ。なに?」


 途中まで腰を上げていた水谷が、再び床の上へと座り直った。

 悟司は軽く咳払いをすると、少しだけ頭の中で考えをまとめてから話し始めた。


「……俺が言いたかったのは、価値観の話なんです。残念ながら、俺は水谷さんの言うような信仰に興味がない」

「呪われろ」


 ぶすりと一言だけ、水谷は悟司の顔も見ずそう言った。

 なんてひどい。


「え、えっと。じゃあ逆に聞きたいんですけど、水谷さんは俺のやっていることに興味ありますか?」

「ないわよ」


 即答だったが、それは悟司にとって予期していた言葉でもあった。


「それです。一緒なんですよ。俺と水谷さんの間では価値観が違う。考え方が違う。水谷さんの中では神さ……ヤハウェ様が絶対なんです」

「それじゃ樫枝くんは、自分にとって何が絶対なのよ?」


「音楽かな」

 即答で答える。


「賛美歌?」

「……違います。ロックですよロック」

「ロックねぇ」


 水谷は悟司の言葉を飲み込むように、少しだけ首を上下させながら考え込んだ。


「そ、そんなわけで、価値観の違いを一旦、理解してみたらどうでしょうか? きっとそうすることで、違う生き方も――」

「ないわよ、違う生き方なんて」


 それまでの悟司の一切の発言を、水谷はばっさりと切り捨てた。

「私はヤハウェ様におつき従うことが全てなの」

「だ、だから、一度その考え方をあらためて――」

「無理」

「……もっと楽な生き方しましょうよ」

「無理なの。無理」


 いつまで経っても埒が明かない。完全に話が平行線上を辿ってしまっていた。


「……大体、ヤハウェ様と音楽を一緒にするなんてあまりにも不敬すぎるわ。あなたと価値観が違うっていうことは私にだって理解できる。でも、そんな次元の話じゃないでしょ? 創造主とその人類が生み出した音楽を同一視するなんて、どうかしてる」

「ちょっと……」

「私にはね樫枝くん。れっきとしたヤハウェ様からの使命があるの。より多くの人に救いの手を差し伸べていかなきゃならないのよ。ロックが誰かの救いになって? それってただのお遊びじゃない。そんなものが――」


「なりますよっ!」

 今度は悟司が激昂する番になった。

 水谷の言葉を遮って、悟司は立ち上がる。


「どうしてそう言い切れるんですか!? 音楽だって、十分誰かの救いになってます! 俺自身にも、千佐都や、月子ちゃんや先輩だって!」


 寝ている陽葵を起こさない程度に、多少声を絞りながら、悟司は水谷に向かってそう言い放った。突然の怒気を込めた悟司の発言に、水谷はいささか面食らったように黙り込む。


「人には人の救いがあるんです! 画一化されてなんかないんですよっ! 俺は俺の救いを他人には押しつけないっ! 水谷さんは押しつけてばかりだ!」

「わ、私は……皆のために――」

「皆じゃないでしょ――」

 悟司はぎろりと水谷を睨んだ。


 それは、言ってはいけない言葉だと思っていたのに。

 


「――それは“水谷さん自身のため”の……救いでしょうがっ」



 気付いたら、怒りにまかせて飛び出てしまっていた。



 ……再び、沈黙が訪れた。

 相変わらず水谷の表情はよく見えなかったが、顔の向きから間違いなく悟司を見上げていることは確実だった。

 悟司も同じように、水谷を見下ろしながら一切目を離さなかった。

 やがて、最初に口を開いたのは奇しくも――


「俺は――」

 悟司の方であった。


「俺は別に、宗教に興味があるから、だから今まで水谷さんに付き合ったわけじゃないんです。断る機会なんかいくらだってあったんだ。でも、そうしなかったのは――」

「――そう」


 悟司の話を最後まで聞くことなく水谷は立ち上がった。


「なら、もういいわ」

「え?」


 悟司がさらに問いかけるまもなく水谷は髪を撫でると、淡々とした口調で言った。


「もう、明日からは一緒に勧誘しなくてもいい。悪かったわね。今まで付き合わせちゃって」


 そのあまりにも突然の水谷の提案に、悟司は驚きを隠せなかった。

 あれほどムキになって悟司を離そうとしなかったのに。

 そもそも、その理由だって――


「で、でも。俺がいなかったら、誰が一緒に勧誘してくれるんですか?」

「誰もいないわ」


 あまりにもあっさりと、水谷はそう言い切った。


「降格よ。私は、新しい救いを与えるどころか、あなたすら救えなかった形になるもの」

 水谷はそのまま悟司に背を向けると、廊下に続くガラス戸を開けて首をこちらに向けた。

「悪かったわね。それと――」


 一瞬言いよどんだ素振りを見せてから、続けて静かに言った。


「少しの間だけだったけど、あなたと過ごせて楽しかったわ」


 そうして水谷は出て行った。


 止める気もなかった。今までがおかしかったのだ。


「こっちだって、清々……するよ」


 胸の奥の方で妙なつっかかりを覚えたが、無理矢理にでもそれを忘れようとした。


 後味が、ひどく悪すぎた。




 その夜インターホンが鳴って、やっとお迎えがきたと思った悟司が玄関へ向かうと、そこには千佐都の姿があった。


「千佐都!」

「あーっ! もう! また変な女性の人がでたらどうしようかと思ったさっ!」


 ……相変わらずの馬鹿でかい声である。

 千佐都はどこかほっとしたように胸をなで下ろすと、そのままずかずかと悟司の部屋へ上がり込んだ。



「お、おい。勝手にあがるなよ」

「ほいほーい。じゃ、お邪魔しまーす」


 既に上がった後でそんな言葉を吐きながら、千佐都が廊下のガラス戸を開ける。


「およ? なんだこの子は?」

 悟司が後を追って部屋の中へ入ると、千佐都は珍種の生物を見るような目で寝ている陽葵の顔を眺めていた。


「陽葵ちゃん。俺のいとこ」

「へー。あんたと全然違うね。可愛いじゃないの」

「おい」


 悟司のツッコミも無視して、千佐都はでっかいショッピング袋を放り投げると、いまだすやすやと寝息を立てている陽葵のほっぺをつんつんつついた。


「かわいいーっ。お肌もちもちしてるよー」

「お前と違ってな」


 言い終わってからわずかコンマ一秒で、千佐都の両手が悟司の首へと巻きついた。


「うごごごごご……」

「ん?」


 千佐都はすぐに悟司の首から手を離すと、突然鼻をくんくんさせながら部屋の中をうろつき周り出した。


「な、なんだよ……」

「におう」

「へ?」


 どきりとした。

 まさか以前水谷に撒かれた、聖水の匂いでもこびりついているのだろうか。


「これは――香水の匂いだ」


 千佐都は悟司の思惑とは全く別のことを言い出した。


「香水? 聖水じゃなくて?」

「聖水ってなによ」

「なんでもありません」


 千佐都は悟司の言葉も無視して、鼻をぴくぴくさせながら、なおもうろちょろと辺りを歩き回っていた。


「この匂い、どっかで嗅いだ気がするんだよなー。あれは、いつだったっけ……」

「そう言うけど、俺には全然わからないぞ」

「まぁ、あたしは鼻がいいから――って、そうだ思い出したっ!」


 ぴくんっと身体を小さく震わせてから、千佐都は悟司の方へと振り返った。


「これ、フェロモン香水だっ!」

「フェロモン?」


 なんだそりゃ、と思った矢先に千佐都が説明を始める。


「この前、樹里のヤツが面白グッズもらったって持ってきてたんだよっ。こういうのって、普通は無香料のヤツばっかだけど、樹里が持ってきてたこれはわずかに微香が漂うのよ。あんまり特徴的な匂いだったから覚えてたんだわさ」

「へー」


 なんの感慨もなくそんな相づちを打っていると、


「……あんた、女連れ込んだわね?」


 千佐都がぐいっと顔を近づけてきた。まずい。

 その瞬間、びくっと身体が反射的に動いてしまったのを千佐都は見逃さなかった。

 悟司の顔を両手で押さえつけると、千佐都が笑顔(鋭い目)で尋ねた。


「誰が来たの? この部屋に」


「お、叔母さん……」

「他には?」


「ひ、陽葵ちゃん……」

「他には?」


 既に千佐都の頭の中ではこの二人を除外しているようだった。

 叔母さんに関して言えば、千佐都は直接顔を合わせているはずなので、その時に香水の匂いがしなかったをきっちり覚えているみたいだった。


「さっさと言え。悟司」

「い、言います。言いますので離してもらえないでしょうか……?」



 後になって知ったことだが、この時千佐都が持ってきていたショッピングバッグの中身は浴衣であった。

 どうしてわざわざ浴衣を持ってやってきたのかはわからなかったが、とにかくこの時の千佐都はいつも以上の迫力があった。


 ……正直、殺されるんじゃないかと思うほどに。


※おしらせ


文量少なくてごめんなさい。

ちょっと今、別のことをしていまして……。

(告知で言っていたのとは別のことです)


一応それに関しては、近いうちにお披露目出来るんじゃないかと思います。

とりあえず、今週か来週辺りで悟司編は終わらせる予定ですので

申し訳ありませんが、気長にお付き合いください。

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