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8月9日 樫枝千佐都

短編一本目です。

時系列的にはエピソード1の直後になります。


今後もこんな風にちょっとしたエピソードを

不定期に更新していきたいと思ってますのでよろしくです。


「なぁ、小倉くんよ」

「なんだい、千佐都くんよ」


 ピコピコとゲームパッドを二人でいじり倒しながら突如、樫枝千佐都は横にいる太っちょの友人、小倉庄一に向かってそんな風に切り出し始めた。


 八月九日。


 全国どこの学校も同じように、夏休みである。


 千佐都たちが通っている北海道未来開拓大学、通称『未開大』も当然その例外に漏れることなく絶賛休講中であった。


「もしもの話だけど、あたしたちが小説とかアニメとか漫画とか、とにかくそういうものになったとしたらさ。主人公って誰が適任かなぁ?」


 ぼんやりとそんなことを呟く千佐都の視線はテレビ画面に集中していた。


 テレビ画面にはいわゆる落ちもの系パズルゲーム、その名も『ぽよぽよ』が映っていた。ゲームのルールは単純。無数にわき起こるゼリー系の物体を色ごとに揃えることで消滅させていく、これだけである。


 今は対戦中なので連鎖という技を駆使して相手を邪魔しなければならないのだが、そこは割愛。


「主人公?」


 小倉の画面のゼリーがぽんぽんと消えていく。十連鎖以上はいったであろうか。


「そ、主人公。やっぱりあたしは悟司だと思うわけ――ってあああっ!」


 千佐都も負けじと連鎖して相手の攻撃を相殺してみたが、既に小倉の方はもう一つ作られていた連鎖群に新しいゼリーを投下していた。加算される連鎖。さっきのが十連鎖以上あったはずなので二十以上は確定だ。


 あっという間に千佐都の画面が透明ゼリーだらけになって終了してしまった。


「あーっ! もー小倉くん強過ぎんよー」


 ごろごろと床を転がる千佐都の横で小倉はゲームパッドを置くと、静かに横に置いておいたコーラの二リットルペットを掴んで喉を鳴らした。


「練習あるのみだね」


 ぷはぁとコーラから口を離して満足そうに笑う小倉を見て、千佐都は小さく唸った。


「ううう……。結局、札幌大会ではどうだったのさ?」

「あんまりその結果は言いたくないんだけど――三位かな」


 そう言って小倉は立ち上がると、大量に並べられたフィギュア群の中から賞品の盾を取り出して千佐都に見せた。


「おおー。神々しい」


 きらきら目を輝かす千佐都。


「で? 主人公がなんだって?」


 小倉の住むこのニングルハイツにはエアコンがない。北海道のアパートは真冬の対策上ほとんどが断熱材を使用しており、当然このニングルハイツにも断熱材を使用した壁で囲われているのだが、このせいで真夏は外よりも室内の温度の方が高くなる。そのため、普段は上下ジャージ姿の小倉も、むっちりとしたタンクトップにハーフパンツといったいでたちで、ぱたぱたと団扇なんかを仰いだりしている。


 千佐都も淡い水色のノースリーブにホットパンツを履いて肩より少しだけ下に伸びた髪をシュシュで簡単にまとめていた。


「だから、もしあたしたちが物語の登場人物だったりしたら、きっと主人公は悟司だと思うわけ」


 悟司とはちょうど小倉の部屋の下、ニングルハイツに住む一階住人のことである。本名は樫枝悟司。千佐都と名字も出身も学部も一緒だが、全く血の繋がりなどない、他人である。


 今年、未開大に入った千佐都と悟司と小倉。この三人は四月から七月までのおよそ三ヶ月の間にそれなりのすったもんだを繰り返し、現在は皆共通の知人同士でもあった。


 特にその中でも千佐都と悟司は、およそ偶然にしては出来すぎといってもいいくらいの珍妙な出会いをしたわけだが、それはまた別のお話。


「うーんまぁ確かに。彼の視点からのストーリーならば、入学から今までの期間ってそれなりに劇的な部分も多かったからね」

「でしょ? まぁ、ちょっと絵面的には地味だったけど」


 盾に触れながら千佐都が顔をあげると、ちょうど小倉は窓を開けているところだった。


「でも、僕は君が主人公でも良かったような気もするけどね」

「ふぇ? あたし?」


 千佐都が驚きながら自らを指さすと小倉はゆっくりと頷いた。


「うん。それとまぁ、幼なじみという部分を加味して言わせてもらえば、月子でもいけるかもって思ったりしてね」


 小倉には鷲里月子という幼なじみの女の子がいる。ちなみにこの子と千佐都も共通の知り合いである。


「つ、つっきー? でもあたし、つっきーのことは『シュガー・シュガー・シュガー(!)』のメンバーに加わるまでの数ヶ月のこと、よく知らないなぁ」


 千佐都のいう、『シュガー・シュガー・シュガー(!)』とは、悟司、千佐都、月子、そして春日驚輔という三年生の先輩の四人からなる、インターネット上でボーカロイドを使用した音楽ユニットのことなのだが、このユニットの詳しい結成経緯もまた別のお話。


「僕が言いたいのはつまりそういうことだよ。僕にも月子にも、悟司くんにも千佐都くんにも、それぞれが同じ期間の中でそれぞれ互いのドラマがあったってことさ。だから誰が主人公とか言う話は一概には決められないんだよ」

「あー。なるほどねぇ」


 千佐都は盾を小倉に返すと、両足の裏を互いにくっつけながら再びごろんと床に転がった。


「春日先輩も今頃、ドラマを繰り広げてるかもよ。実家に戻ってるんだろ?」

「そういえばそうだねぇー……かすがのバカなにしてるかなぁー」


 それほど興味のないがあとで電話してみようかと千佐都が思っていたところで、玄関のチャイムが鳴った。


「お、月子かな」

「え? つっきー?」


 のそのそとイノシシのような図体を揺らして小倉が玄関へと向かう。


「明後日に僕たちも一度、実家に帰るんだ。だから今日この後、月子と一緒にお土産でも選びにいこうかと前から話しててさ」


「えー。小倉くんたちって実家旭川でしょ。すぐ近くじゃん」

「僕もそう思うんだけど、月子がどうしてもってね」


 苦笑いする小倉。やがて玄関のドアが開くと、おっとりとした声が千佐都のいるところにも届いた。


「――え、ちさ姉もいるの? ちさ姉ー。お元気ですか?」


 千佐都は玄関の方に向かって簡単に手を振ってみせる。


「北国なのに暑くて死にそうでーす」

「元気そうですね」


 満足そうに月子がくつくつと笑う。


「もし良かったら一緒にお土産選びに付き合ってもらえませんか? ウチ、歳の離れた兄弟ばかりで何選んだらいいか迷っちゃいそうで――」


 一緒についていってもいいかなと思ったが、


「うーん遠慮しとく。あたし今からそのまま悟司の様子見てくるわ。ここには何度も来てるってのに、あっちはまだ休み入ってから一度も顔を見せてないしね」


 そう言ってむくりと身体を起こした。


 ***


「悟司ー」


 玄関のチャイムを何度も何度も押す。


「いるんでしょー。実家帰んないんでしょー。あたしと一緒で。全部ネタは割れてんだぞーさっさと開けろー」


 ピンポーン、ピンポーン、ピポピポ、ピン…………ポーン。


 そんな風に時々リズムを変えてチャイムを鳴らしてみせる。そろそろイライラして出てくるはずだ。千佐都は忍び笑いを漏らして玄関のドアが開くのを待った。


 やがて、ぎぃっと扉が開いて――


「遅いぞー悟司、新曲どこまで――」

「どなたですか?」


 出てきたのは全く見たことのない中年の女性だった。


「…………へ?」


 さすがの千佐都も目が丸くなって硬直する。


「あの、悪いんですけどいたずらならやめて頂けないでしょうか?」


 そう言ってバンと叩きつける様に扉を閉められてしまった。


「あ、あれぇ?」


 思わず表札を確認してみる。間違いなくそこはニングルハイツの一○一号室で、きちんと名前も『樫枝』と書かれている。


 悟司の家は一○一号室と一○二号室が中で繋がっている。実際は一○二号室という部屋はなく、一○一号室は二部屋で構造されているのだが、そこら辺のやっかいな話もまたまた別のお話。


 千佐都はちらりと一○一号室の奥の扉、元一○二号室、通称非常口の方を見る。


「ま、まさか。新しい入居者?」


 ぞっとしない考えが千佐都の脳裏をよぎった。実質この悟司の部屋は二人が共同で住めなくもない造りになっている。だが、それはこのニングルハイツの大家さんがボケていない限り、万に一つもあり得ない話なのだ。


「そ、そんなまさか、ね……ははは」


 冷や汗が出てきた。そんなとき、千佐都のズボンのポケットが小刻みに震えた。誰かから電話がかかってきたらしい。


 千佐都は諦めて一○一号室の前を離れて通話ボタンを押した。


「はい――」

「あ、ちさとー?」


 電話の相手は千佐都が所属するスキーサークルのメンバーの一人、松前樹里からだった。


「明日のことなんだけどさ」

「明日?」


 はて? 一体なんの事だろう。そう思っていると、


「ちょっとちょっと。まさかあんた忘れてんじゃないでしょうね。温泉!」

「あ」


 そうだった。

 今から一ヶ月と数週間前に千佐都はスキー部の連中と温泉に行くという約束を交わしていたのであった。あの日は予想以上にさくさくと予定が決まってしまい、それ以降は悟司たちとの事ですったもんだしていたからすっかり忘却してしまっていたのである。


 あの後も何度かこの事について会話をしていたはずなのだが、あいにく悟司たちとのユニット、『シュガー・シュガー・シュガー(!)』の方の活動が、これまたなかなかの順調な滑り出しだった上、メンバーの春日も、「すぐにでも新曲の制作に取りかかろう」などと言い出したものだからそっちの方になかなか思考が回らなかったのだ。


「そ、そんなスケジュールって早かったっけ?」


 千佐都が頭をかきながら思い返していると、


「何言ってんのさ。もう九日だよ? 夏休み入ってもう結構経ってるでしょ。みんなその間に実家に帰ったり、補習したりしてようやく空きが出たってのに、ちさとはその間ずっとなにやってたの?」

「な、なにも……」


 アイス食べたり、小倉の家でゲームしたり、アイス食べたり、ゲームしたり、アイス食べたり、ゲーム、アイス、ゲーム、アイス、ゲーム。


 やっべ。本当に何もしていなかった。


「しっかりしてよねー。どうすんの?」

「ど、どうすんのって?」

「水着買うって言ってたじゃん」


「水着!」


 そうだったそうだった。確か行く予定の場所は定山渓といって、温泉以外にもプールまでついているというなんとも豪華なホテルを予約していたのだった。


「ちゃんとした水着選ぶなら旭川とか札幌とか大きな街行った方がいいよって。そんな話もしてたでしょ。買ってないならなんでもっと早く言ってくれないかなぁー」

「う、ううう。樹里ー」

「泣きつくな泣きつくな。……全く。今どこ?」


「うう。だ、大学近くの道路」


 松前のため息が電話越しに聞こえた。


「じゃあ、大学の喫煙所の辺りで待ってなさい。迎えに行くから」

「迎えに?」

「そ。しょうがないから連れてってあげるわよ。水着買いに」


 それだけ言うと、松前からの着信が途切れた。

 照りつける夏の北海道の日差しを浴びながら、千佐都は財布の中身を確認。


「食べ過ぎたなぁ……アイス」


 切迫するほどひどいわけでもないが、これからの生活費は抑え気味で行くしかない。宿泊代などは大分前に徴収者の人間に支払い済みなのが救いだった。


 千佐都はどんよりとした気分に包まれながら、大学までの距離をとぼとぼと歩き始めた。


 ***


 久しぶりにやってきた喫煙所のベンチに座って千佐都はさきほどの小倉との会話を思う。


「それぞれの、ドラマか……」


 確かに自分にもドラマはあった。悟司と出会って、悟司が作る曲に魅了され、一緒に軽音部へ乗り込んだりしたこととか。そんな中で出会った春日と何度も言い争いもした。それからなぜか自分が作詞を担当することになって、月子を勧誘するために茶番劇などもしたっけ。


 それとは別に、同じ講義で知り合った松前からスキー部に勧誘されて、あれよあれよという間に輪の中へと溶け込んでいったこと、とか。これはそこまで劇的な何かがあったわけじゃないが、大学生らしい飲み会やらなんやらと言ったそこそこに賑やかで愉快な思いをしたのだった。


「一概には語れない、ねぇ。そうかもね」


 そう考えると、自分は悟司とは全く別種のドラマが繰り広げられていたかもしれない。なんだかんだといって悟司は基本、出不精だし人間関係も狭い(偏見かもしれないが)。


「あ、そうだ」


 まだ松前がやってくるまでに少し時間がある。そう思って千佐都は悟司に電話をかけてみることにした。


 さっきのあの女性のことが気になって仕方ない。

 何度目かのコール音が鳴ってから、着信を取った音がした。


「悟司? あのさ、さっきあんたの部屋に行ったんだけど――」

「だぁれ?」


 突如聞こえる幼女の声。


「もしもおし?」


 千佐都は無言で電話を切った。


 それから思いっきり頭を抱えてベンチの上でうずくまった。


「ど、どうなってんのよ……ホントに」


 確認のために千佐都は携帯のディスプレイを見つめる。かけた相手の名前表示は間違いなく悟司であった。


「――まさか隠し子!?」


 ぼそりと呟いてすぐに馬鹿馬鹿しくなってその可能性を打ち消した。そもそもアレがまともに恋愛などして子作りに励むところなど想像だに出来ない。


 子作り――それはコウノトリ。ではなく、男女が交わすねっとりとした愛の調べ。


 千佐都の脳内にさっきの女性の姿が思い浮かんだ。


「――って。あたしは何考えてるのよおおおおおおおおっっっ!」

「何考えてるの?」

「ひゃああっ!」


 頭をあげて絶叫した千佐都を、松前がきょとんとした目で見ていた。


「よ。待った?」

「い、いや。そうでも、ない…………」


 松前は駐車場を指さして千佐都に言った。


「まだ昼前だし、私もちょっとドライブしたい気分だからさ。どう? 札幌まで」

「じゅ、樹里って車持ってたんだ?」


 迎えに行くとはそういうことだったのかと思いながら千佐都は松前の指さした車を見つめる。ピンク色の小さな軽自動車だ。普段の松前の、そのアクティブな態度や服装からはまるで想像の出来ないほど女の子らしい車だった。


「まぁね。私、実家暮らしだし、普段は自転車でも十分な距離なわけよ」

「あ、あのう。あたし、ちなみにあんまりお金がないので」


 言い出しにくそうに千佐都がそう言うと、松前は手をひらひらさせながら笑った。


「ガソリン代とかって話ならいいって。その様子じゃどうせ生活費に困窮してるんでしょ。でも、意外ね。前期の頃ってそんなにお金なさそうにも見えなかったんだけど」


 それは事情により、家賃を誰かさんと折半していたからなのだが。今は普通にちゃんとしたアパートに暮らしているため、仕送りだけではそこまで余裕は出来ないのだ。


 いずれはちゃんとしたアルバイトなどをした方がいいだろうなぁ。そう思ってはいてもこんな田舎町でアルバイトの求人を探すとなると、結構職種も限られてくる。あんまりえり好みをするつもりはないのだが、なんとなく気が重いままずるずると今の今まで働かずの態度を千佐都は誇示しているのであった。


「まぁいいや。さっさといこ。一般道しか使わないから大体二時間くらいかな」

「結構かかるんだよね。そういえば」


 以前、松前とは一緒に駅から出ている高速バスで札幌まで向かったことがあった。あれだと確か一時間弱くらいで時計台前に着いたはず。高速道路でそのくらいだから、まぁ妥当な時間だった。


 千佐都はベンチから立ち上がると、これからしばらく座りっぱなしの道中を考えて大きく伸びをした。


「ちさとって、ホントにちっこいね」

「うっさい」


 くすくす笑う松前を見て、千佐都は恥ずかしそうに顔を赤らめた。



 ***


 風が気持ちいい。

 開けた窓から爽快な風が流れ込んできて、千佐都はご機嫌に鼻歌を口ずさんだ。


「その曲なに?」

「んー?」


 ハンドルを握りながら尋ねる松前に千佐都は振り返った。


「あたしの大好きなアーティストの曲。ファンなんだ」

「なんて人?」

「シュガ男っていう人」

「なにそれ」


 松前は冗談だと思ったらしい。


「幸い、今日はあんまり車が走ってないねー。いつもなら排気ガスとか入ってきちゃってあんたの方の窓とか強制的に閉めちゃうんだけど」


 国道に入って、急に侍姿の石像が目に入った。見ると「赤穂浪士」と書かれている。


「北海道なのに……赤穂浪士?」


 全然ぴんと来ない千佐都の言葉を無視して、松前が口を開いた。


「そういや、最近どうなの? 彼との関係は」

「彼?」

「悟司くん」


 吹き出した。


「は、はぁ? ちょっと、樹里。あんた――」

「スキー部の中じゃ有名よ。同姓同士の珍しいカップルだって。私の目から見ても、あんたらいっつも一緒にいるしね」

「ち、違う。違います。あたしは別に悟司のことなんか――」

「否定しなくてもいいじゃん」

「否定するさ!」


 千佐都が真っ赤になって声を荒げると、松前は意地悪そうににやけていた。なるほど、いじりたかっただけらしい。


「でも、あんたがサークル入った当初は結構声かけてきてた男子いたでしょ? 最近ああいう連中がさっぱりいなくなったのは、そういうことだよ」

「そ、そうだったのか」


 余計な誤解は避けたいといった気分と、余計なナンパも防ぎたいといった気分が同居して、ひどくもやもやとした気分にさせられる。


「樹里にはしっかり誤解を解いておくけど、悟司は違うよ。あいつとは、ちょっと入学前に色々あってさ。それで、なんだかんだと行動を共にすることが多かっただけ」

「じゃあこれからはそうでもないの?」

「そ、そういうわけでもないけど――」

「はっはー。まぁまぁなんでもいいけどねー。でもいつかちゃんと紹介しておくれよ」


 千佐都の背中をばんばんと叩いて樹里は豪快に笑った。


「とにかく。あたしたちは別に付き合って、ないんだからねっ」


 背中をさすりながら恨みがましく千佐都が睨む。


「はいはい。そういうことにしときましょ」

「ちゃんと聞けよ、じゅりーっ!」

「聞いてるってばあ。あ、そういえばちさとってFacebookとかやってないの? Twitterとかさ」

「? やってないよ」


 赤信号で停車すると、松前は千佐都に自分のスマートフォンを渡した。


「アイコンがあるでしょ? タップしてみてみ」


 なんとなく千佐都はTwitterの方をタップしてみた。すると、上から下に向けてずらりと彼女のつぶやきが表示された。


「SNSって面白いよー。つっても私はほとんど学校の友達とかしかフォローしてないけどさ。つぶやきとか結構ハマるんだよ」

「ふーん」


 さして興味もなく千佐都は画面を閉じた。春日とかが好きそうだな、とぼんやり考えながらスマートフォンの右下にあったアイコンに興味を惹かれる。


「これなに?」

「ん?」


 ちらりと自分のスマホの画面を見てから、松前は信号が青に変わるのを確認して車を発車させた。


「それはネット経由で電話がかけられるアプリだよ」

「そ、そんなものもあるの? すごいなースマホって」

「ちさともスマホに変えればいいじゃん」

「いやー今は財政が厳しくてデスね……。ところで、これってパソコンとスマホ同士でもかけられるの?」

「もちろん。ネット使ってるからね」


 なるほど。時代は日々進化しているのだなぁ。


 千佐都は嘆息しながらスマホを松前に返すと、再び外の景色を眺めだした。

 北海道の道路は広い。空と交互に見比べながら、千佐都は無意識のうちに携帯を取りだしていた。


 そしてメール作成画面に淡々と思ったことを描写していく。

 いつか役に立つかもしれない。

 そう思い始めて先月から少しずつ始めた作詞の為のメモ帳だった。


「気付けばあたしも、すっかりあいつらの仲間ぞな……」

「誰のことー?」

「なんでもないぞなー」

 車は一路札幌へと進軍し続けてた。


 ***


 札幌に到着すると、松前が千佐都を連れて向かったのは駅内のショッピングモールだった。手をひかれるまま千佐都がたどり着いたのは、三階にある特設会場。


「ほらほら、ちさとー」


 振りかえると、松前はモノクロのストライプが入った水着を身体に合わせていた。


「これ、ワイヤーが入ってるよ? おっぱいのちっちゃいちさとなんか――」

「それ以上言うな」


 むすっとして千佐都もその場にある適当な水着を手に取ってみた。


「男子も結構いるからねぇ。露出の激しいので攻めるか、可愛さ狙いでいくか。悩みどころだねぇ」


 まるでスケベオヤジのような息づかいで松前がぼやく。


「あのねぇ、樹里。あたしは別にスキー部の男なんか」

「あら? ではどのような殿方をご所望で?」


 にやける松前。相手にしてられないと思ってさっさと松前から距離を取ると、ふと一つ気になるものに目が止まった。


「浴衣だ」


 水着コーナーからやや西側に浴衣のコーナーが設置されていた。無意識にふらふらとそちらの方へと向かっていくと、ラインナップが全体的に落ち着いた印象のものばかりが取り揃えられていた。


 そういえば。

 週末に、我が大学の敷地を使って盆踊りが行われるという話をどこかで聞いたような気がする。あれは確か大学の掲示板に貼られていたポスターか何かだったような。


 盆踊りは今まで毎年、町の北西にある自衛隊の駐屯地の方で行われていたらしいのだが、なんでも今年は大学側が「市民とのふれあい」をスローガンに、その無駄にだだっ広い敷地を「今年の盆踊り会場にぜひ!」と掛け合った(半ば強引に推し進めた)そうで。


 北海道の大学の中でも比較的新しいこの未開大。それでも市民の理解を深めるチャンスなんて今まででも腐るほどあったはずなのに、今まで何をやっていたんだと学生である自分ですら呆れかえる対応の悪さ。以前松前に聞いたことがあるのだが、正直未開大は地元民からは異質な存在として扱われているらしく「なぜこんな田舎町に?」といった純粋な疑問から「バカばかりで治安が心配」といった批判まで実に様々(ぶっちゃけ肯定意見はあまり聞かない)。


 大方大学の人間達はそんな良くない評判を聞いたのだろう。噂によると秋に行われる学祭には着ぐるみやらヒーローショーやら、はてにはローカルタレントを呼ぶなどといった話まで飛び交っている。


 ……未開大、残念すぎる。来る前からわかってはいたが、あらためてその現状を見せつけられるとこう、よけいにがっかり感がひどい。

 とにかく盆踊りがある。千佐都は浴衣コーナーにあった紺の浴衣を手にとってぼんやりと考えた。


 もし良かったら、誘ってみようかな。


「……って、あたしは何を考えてるんだ」


 大体、あいつは今何をしてどこにいるのだ。千佐都は携帯を取り出すとアドレス帳から悟司の項を開いて、そこで動きを止める。


「また、変なやつが出たりしないでしょうね……」


 そう思うと、素直に通話ボタンを押せない。

 その時、


「わっ」


 ぶるぶるっと大きく携帯が震えた。一瞬、悟司からかかってきたのかと思ってひどく驚いたが、見ると名前の表示が「春日」となっている。


 はぁっとため息をついてから千佐都は通話ボタンを押した。


「あのね、春日。今忙しいんだけ――」

「……あなたが千佐都さんですか?」


 ……また知らない女だ。


 一体なんなのだ。なぜどいつもこいつも携帯に出てる表示とは違う人物が出るのだ。


「あの、どなたですか? これ春日の電話ですよね?」


 知らず知らずのうちに苛立っていたのかもしれない。ぶっきらぼうにそう言い放つと、


「はぁ? なに? そのつんけんした態度。みちかは名前を聞いてるんですけどー」


 みちか……?

 全く聞き覚えのない名前と声だ。


「そうよ、あたしが千佐都。ねぇ、そこに春日がいるなら今忙しいからあとでかけ直してって言ってくれないかな」

「……お兄ちゃんは今いません」


 お兄ちゃん?

 まさか、この電話の主は春日の妹か。


「あんた、まさか春日の妹? うっそ、春日に妹なんていたんだ。へえ、何歳?」


 俄然興味が沸いて千佐都がそう尋ねると、


「うっさい! 今質問してるのはみちかの方なの!」


 耳が痛くなるほどの大声が受話スピーカーから飛んできた。


「あなた、お兄ちゃんの彼女なんですか?」

「は、はぁ?」

「とぼけないで!」


 きーんとするみちかの罵声。脳みそを揺さぶられるほど高い声だ。


「今までお兄ちゃんが誰かのためにお土産買ったりとかしなかったもん。それがなんなんですか。急にどこかへ出かけたかと思ったら豚丼のセット買ってきて、みちかが尋ねてもずっと無視。お兄ちゃんがみちかに隠しごとするなんて、小学校の高学年さんになった時におねしょした時以来なんですよ!」

「へ、へぇー……」


 これは非常に面白い事を聞いてしまったと、思わず顔が緩む。今ここに松前がいたら間違いなく「ちさとが悪魔の微笑をしている……」と戦慄することだろう。


「で、なんでそのみちかちゃんは、あたしが春日の彼女だと思ったんですか?」

「なんでもなにも……お兄ちゃんの履歴に残っているので女っぽい名前の人なんてあなたしかいないからじゃないですか」

「あーそっか」


 そういえば、悟司は普段からあまり電話に出たりはしない。自分からかけてくることはあっても、基本家にいる間はずっとヘッドホンをしてギターを弾いているので布団の上に放りっぱなしだったりするのが当たり前なのだ。そこで、春日はいつも伝言役に自分にかけてくる。おそらく春日は月子より自分の方がかけやすいのだろう。


「あのね、みちかちゃん。それはきっとね――」

「あ、やば」


 突然ぶつっと通話が遮断する音がしたかと思うと、そのまま受話スピーカーからツーツーという音が流れた。


「なんなのよ……本当にさ」


 憎らしくディスプレイを眺めると、千佐都はそのままポケットの中に携帯を押し込んだ。

 そして手に持っている紺の浴衣を見つめると、なんだかどっと疲労感が襲ってきて大きなため息が漏れたのだった。



 ***



「――で、なんでそんなの買ったのさ」


 帰り道、松前が千佐都の袋を見つめてそう言った。


「温泉から帰ってきてすぐに盆踊りあるでしょ? ねぇねぇ、露店とかもあるのかな?」

「……どうだろうね。今年は大学の敷地内でやるみたいだから大学側の反応次第ではそういうものもあったりするかもだね」


 結局、千佐都は水着を買うのをやめて浴衣を買った。安物だったが最初に手に取ったこの紺色の浴衣が一番今の自分の気分とマッチしていたからかもしれない。


「じゃあ千佐都は結局泳がないの? せっかくのプールなのにもったいないなぁ」


 赤信号で停車すると、松前が残念そうにハンドルにもたれかかる。


「いいんだって。あたしあんまり魅力的な感じじゃないしさ」

「ばか。そういう言葉はちゃんと良いモノを探したあとで言いなさいよ。ほとんど何も見ないでふらふらと浴衣コーナーに行ったアンタの台詞じゃない」

「へへ。すまんどすえ」

「全く……。どうでもいいけど、あんた時々変な語尾使うよね」

「ほっといてんかー」

「ふふ、ホントにバカなんだからちさとは」


 そうして二人で笑い合う。


 ところで。

 なんで春日は豚丼なんか買ってきたのだろう?


 思い出してみても、自分は何かお土産を買ってこいなどと言った覚えはない。かつての自分の発言をゆっくりと振り返ってみようと首をひねり始めたところで、


「あーちさと、見て見て。あれ」

「へ?」


 岩見沢市を抜ける国道の途中、オレンジ色の看板を指さしながら松前が千佐都に言った。


「私さ、もうお腹ぺこぺこなんだけど」


 確かに昼前に出てから買い物して、軽くお茶した後はのんびりと市内を回っただけ。

 ろくに食事を取っていなかったことに千佐都も今更ながら気付く。

 時刻は既に八時前。


「樹里、それはあたしも同意なんだけど。でもさ、なぜこれ?」


 デカデカと光るオレンジ色の看板。普段ならまず口にしない食べ物である。

 なんというかそれは……男の食べ物って感じがして、とても一人では入りにくいのだ。


「なんかさ、こういうお店って女一人で入るのって勇気いるじゃん? ちさとがいてくれて助かったー。私実は結構好きなんだよね」

「え、マジで?」


 照れ隠しのような笑みを浮かべる松前に千佐都はびっくりして言った。

 先ほどの春日のお土産のこともあり、あんまり気が乗らなかったが……。


「……いいよ、樹里が食べたいっていうならあたしもそれで」

「やったー」


 オレンジ色の看板を目指して松前がハンドルを切った。


「あたし実は食べたことないんだよねこれ」

「え、うそ」


 駐車場から見える店舗の入り口には大きなメニュー表があった。

 その写真を眺めながら千佐都は牛と豚ならどっちが好きだろうと考える。

 じっくり頭の中で味を思い出しながら、千佐都は一つの結論を得た。



「……あたしはやっぱ、鶏かな」



(了)

※追記

読み直して思いましたが、伏線はりすぎなクセにオチが弱すぎですねw

次回の短編はもうちょっとマシなオチを用意します……。

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