第1話 「私、なんでここに居るんだろ……」
三人称に変更しましたので、投稿します。
よかったら、作品の感想をお願いしますね。
小夜女杏の視界は、赤色で溢れていた。
商店街には生命の気配がなく、両脇に連なるどの商店にも、客どころか店員すら見られない。店頭に並べられた商品は、何者かによって棚ごと引っくり返され、石畳の通路にぶちまけられていた。目に見える範囲では、そのような光景がどこまでも続いている。
足元には果物や洋服、アクセサリーが散乱していたが、杏はそれに留意することなく歩を進める。足を踏み出すと何度も商品を蹴飛ばしたが、それでも杏は路面へ目をやることすらしなかった。彼女は、何かに取り憑かれたように空を仰いでいた。
「素敵ね……」
杏は無意識に口角を上げ、見たことのない景色に感嘆の息を吐いた。
左右の軒に狭まれ、決して見晴らしは良くないが、電線が血管のように張り巡った空は、鮮やかな朱色に染まっていた。熱湯に溶き卵を流したような雲が点々と浮かんでいたが、その雲塊の一つ一つも血を吸い取ったスポンジのように赤々としている。その赤々とした空は、杏の意識を釘付けにする吸引力があった。
遠方の空では稲妻が絶え間なく鳴り響き、その犬の唸るような音を杏の耳元まで届かせていた。
しばらく歩くと、杏の頭上にアーケードの天井が掛かり、朱色の空はガラス越しにぼやけた。セントポルタ中央町と赤文字で標記されたアーチ看板をくぐると、杏を取巻いていた空気は一変した。台風が吹き荒らしていったような有様は引き続いていたが、それに重ねて思わず鼻をつまんでしまう腐敗臭が通りを漂っていた。
杏は間もなくして、足元の石畳の縁に血液が流れていることに気付いた。眉をかすかに上下させ、声もなく驚く杏は、阿弥陀くじの線を辿るように、血の流れの先に視線をやった。
ブティックの店先に置かれた洋服の数々を、パイプハンガーごと頭にかぶった死体がうつ伏せに倒れていた。足裏がこちらに向いており、その脚の陰から血が流れてきていた。杏は、その男がまだ生きているものと誤解してか、間髪入れずに駆け出し、男の傍らにヒザをつくと洋服を取り払っていった。
しかし、洋服を取り去るごとに血の染みは広がっていき、生存の可能性も薄れていった。最後の一着は、水を含んだティッシュペーパーのように血を吸っており、手を赤に染めながらそれを路肩へ投げやると、そこにはコメカミにナイフが突き立った死体があった。首から背中にかけても何度となく刺傷された痕があり、息の根は完全に絶えていた。
杏はおののいて後ろ手をつき、商店街全域の空気を震わせるような金切り声を上げた。空の赤さがひと際濃くなり、ガラスを介して射し込んだ光は、アーケード通りを赤く濁らせた。赤シートから覗いたような世界が広がる。
「ここは一体どこなの……?」
杏は、眼前の死体から顔を背け、途方に暮れたように呟いた。
セントポルタ中央町といえば、大分駅の近辺に横たわる商店街の名称だ。駅を三つまたいだ別府市に暮らす杏も、ときたま電車に揺られて買い物に来ることがあったが、常時として人が往来しており、ここまで殺風景だった記憶はなかった。
「私、なんでここに居るんだろ……」
先ほどまでは、自分の置かれた状況に無頓着だった杏だが、ようやく何かがおかしい事に気付いた。眉間に手をやり、彼女は記憶を辿るような素振りを見せる。しかし、どれだけ頭をひねっても現状に対して納得できる答えは出てこないようだった。
座り込んで慮る杏の背後に、そっと人影が差した。血まみれの素足が音もなく石畳を這い、杏の元へと忍び寄っていく。
~第1話~
幻想的なのと現実的なのを組み合わせて執筆してみました。
どうしてそういう書き方をしたのかは次話で明らかになります。
いわゆる「冒頭で引きつけるべし!」という小説における基本ルールを守ったため、こういう始まりになりました。