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この空の下、大地の上で  作者: 架音
一章・古血統の少女
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終話(後)

 六の月一八日――。


 ここより南方の王都近辺では既に夏と言ってよい時期であり、人々の装いも軽快で開放的な物に変わる時期である。が、王国でも最も北辺に近いここヴォーゲン伯爵領の領都フィナーセータでは、まだまだ春の残り香が強く残っている。


 あの、西方諸侯との戦が終了してから三巡りほどの日数が経過した現在、戦後の処理も一段落といった所だろうか。


 後方支援に徹していたドゥガの弟である、現ヴォーゲン伯爵当主ガディウス=マーディ=ラ=ヴォーゲンは、王国随一の英雄であった兄の死で動揺する領内を巧みに治め、まずは大損害を出した伯爵領軍を構成する兵士の慰問に努めた。


 生き残っている者には褒賞を。

 死んだ兵士の家族には補償を。


 それぞれ過不足なくいきわたるように差配するのと同時に、王国宰相と西方諸侯との間で交渉を開始。

 常人なら精神がおかしくなりそうな嫌味と諧謔、韜晦と侮蔑で彩られた不健全極まりない会議をこなしつつ、戦勝の祝賀会を大々的に開き、死者の合同葬儀を計画するという離れ業をこなし切ったのだった。


 戦での指揮能力を持たないと豪語するこの伯爵は、しかしそれ以外の点では恐ろしく有能かつ果断な人物であり、この一連の戦後処理はその能力を王国中に改めて知らしめたと言ってよいだろう。


 その伯爵が、今日この日だけは普段の忙しさを欠片も見せずにただ窓辺に佇み遠くを眺めていた。


「別に見送ったって罰はあたらねぇだろうに」


 いつの間に入ってきたのか。


 背後から聞こえてくるグライフのぶっきらぼうな言葉に、伯爵はその怜悧な美貌を僅かに歪ませて苦笑を漏らす。


「私が誰を見送らなければならないんです?」

「三人の嬢ちゃん達。アクィラ、ディー……ドゥリアの三人だ」

「ああ、そう言えば彼女達の出立は今日でしたね」


 言葉を返しつつも、その視線は窓の外のある一点……跳ね橋を超えてフィナーセータの街中へと消えていく二頭立ての馬車へと注がれている。


「もう邸は出ましたか?」

「それはお前がよく知ってるだろうに」


 グライフはこの、意外と頑固なところがある伯爵に対し呆れたように言葉を投げかけた。


「知ってるか?後悔ってのは先に出来ないもんなんだぞ?」

「おや、そうでしたか。残念ながら私は後悔というものをしたことがないので知りませんでしたよ」

「……でもよぅ」

「あれは、私と何の血のつながりもありませんから……見送る必要などないでしょう?」


 そう言葉を返す伯爵の後ろ姿が震えて見えたのは、グライフの錯覚だったのかどうか。


「確かに彼女達には大きな借りがありますが……今のフィナーセータで領主の私が妖精種と懇意にしている姿を見せるのは、あまりいい結果をもたらすとは思いません」


 その言葉に、グライフも諦めたように溜息を一つついた。


 確かに伯爵の言う通りだ。未だ戦が終わってから三巡り……一年も経過したならともかく、未だ妖精種というものに対して暗い感情を燻らせている者も多いだろう。

 妖精種を領民として平等に扱うのはよいが、特別扱いをするのはそれがもたらす結果を考えるとあまりにも危険すぎるのが現状だ。


 だから、名代として末弟のレザリオに出発を見送らせるに止め、伯爵がその姿を見せないのは正しい事なのだ。


「とりあえず今晩は付き合えよ?伯爵様」

「……正直貴方のようなザルと飲み比べるのは遠慮したいところなのですが……」


 そう言って伯爵は一つため息をつくと、了解の旨をグライフに対して返し、グライフは肩を竦めて返答に替えるとそのまま執務室から出ていく。


 伯爵が執務を再開したのは、午後も遅くになってからだった。




      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇




 ――……なんと言うか……スリムなアルマジロ?


 軛に繋がれ、固くて鈍い音を立てる馬車を曳いている二頭の馬。それをヴォーゲン伯爵邸からフィナーセータの町を出るまでの間、御者台からしげしげと眺めていた少女がようやく下した結論、あるいは思い浮かべた感想はそれだった。


 その体躯は、なんだかんだで傍で見る機会の多かった角竜の半分ほどの大きさで、首は少女の知識の中にある馬よりは若干短くその頭も小さい。足の長さもあまり長くないというか、せいぜい少女のそれと同じくらい。

 その短い脚と腹部以外は黒光りする無数の甲板で覆われ、止めにその蹄は二つである。


 はっきり言って少女の知識の中に存在する馬とは似ても似つかないというか、こんな生物は見たことがない。


 見たことがないというなら角竜も大概だが、こちらはまだ恐竜というものを知っているので違和感が少なかった。が、この“馬”に対しては逆に違和感だけしか抱けないのだから変な意味で凄いとしか言いようがない。


 ともあれ、この世界の住人が“馬”と呼んでいるのだから“馬”ではあるのだろうと強引に納得すると、少女は御者台に座り直した。


 意外なことに、振動は覚悟していたほど強くない。


 過去に、この世界へ引き摺り込まれた古血統の少女がもたらしたモノなのだろう。

この世界における馬車の車軸の軸受けにはボールベアリングが採用されている上、車輪は鍛鉄製のバネを組み込んだ独立懸架機構を用いて車体に設置されているのだ。


 角竜が牽引する馬車……というのもおかしな表現だが、動物が牽引する荷車を総じて馬車と呼ぶのだから仕方がない……に、乗せてもらった時、あまりにも少ない振動に驚いた結果、荷台の下を覗かせてもらい絶句した記憶は未だ新しい。


 普通に考えるならばこの中世と言って差し支えない世界で、その機構を構成する部品を一定の精度で生産することは甚だ難しいと思われるのだが、幸いこの世界には極端に汎用性の高い魔法である“符”と言う技術が存在していた。


 特別に優秀なものを造り出すことには向かない“符”ではあるが、ある程度の質を保証された均質なものを大量に作り出すという点では、これ以上に便利なものはなかなか存在しない。


 たとえばベアリングで最も大事な軸受け部の真球の加工には、もともと宝石研磨の技術として使われていた“真球”の符が使用されているとドゥガの説明にもあり、初歩的な大量生産の技術は……向こうの世界におけるそれとはまた違った方面からではあるが……ある程度確立されていると言っていい。


 ――考えてみればハリツァイでは半自動の紡績機械が動いていたような……


 動力はまたぞろ魔法なのであるだろうが、やはり大量生産の萌芽がこの世界にはすでにあると考えた方がいいのかもしれない。


 ――まあ、さすがにゴムタイヤはないみたいだけど。


 ゴムの木が存在しなければ天然ゴムは採れないだろうし、石油等の化学物質から合成加工する合成ゴムは例え石油等が存在したとしても造り出すのは至難だろう。それが異世界の住人の魂を持つ、古血統の少女であったとしても。


「それで、考え事は終わったのか?」


 御者台に座り直したのち、微妙な顔つきで何やら考え込んでいた少女が何やら結論を出したことを感じ取ったドゥガ……今はドゥリアと名乗る少女が凛とした涼やかな声で楽しそうに声をかけてくる。


 口調は相変わらずのままだったが、張りのある艶やかな声にその口調は不思議なくらいよく似合っていた。


 少女はその問いかけに、笑いながら“馬”を指差す。それを見て、ドゥリアは少女が何を不思議に思っていたのかを察し、表情を緩ませた。


「そう言えば“馬”を見るのは初めてだったか」


 実際このような“馬”を見るのは初めてだった少女は、頭を縦に揺らす。


「最近は角竜の数が増えてきたから相対的に数を減らしているが、もともと運搬作業用の家畜と言えば、こいつらの方が馴染みが深いんだが……まあ、いかんせん走る速度が角竜よりも遅いが、その分環境の変化に対する耐性は角竜よりも高いからな。近場で使うなら角竜、遠距離の移動には“馬”という形で使い分けることが多い」


 それに、今まではあまり落ち着いて街の中を見て回ることもなかったから、目にする機会もなかったんだろう。


 ドゥリアの言葉に、少女は僅かの間この世界に落ちてきてからの事を考え……言われた通りだったので内心頭を抱えてしまう。


 それほど濃密な時間の連続で、これほどゆっくり過ごしているのは正直ディーと出会ってからの数日間以来と言っていいだろう。

 いや、ある意味警戒感むき出しだったあの頃よりも今の方が、遥かに心安らぐ時間を重ねていると言える。


「東方への国境までこの速度で移動すると大体一〇日前後……一応の最終目的地であるセジ=ネージ藩王国の主都である藩都までおおよそ一月半程度かかるだろう」

「もちろんその間何もなければですけどねー」


 背後の幌付きの荷台から顔を出したディーが、ドゥリアの言葉を引き継いでそう言うと、少女を抱えて膝の上に乗せ、ドゥリアの隣に腰を下ろす。


「こうしてると、イラちゃんと会ったころを思い出しますねー」


 でも、あの頃のイラちゃんはまだ警戒心バリバリ出してましたから、こうやって抱っこするのは随分我慢したんですよ?


 少女と同じように出会った頃を思い出したのか、そう漏らすディーの言葉に少女は複雑な笑いを浮かべた。


 確かにあのころは警戒心が溢れかえっていたが、ディーは割と頓着せずに触れ合ってきていたような気がするのだが……ひょっとしたらあれでも遠慮していたのだろうか。


「でも、サリアちゃんが付いてこないのは意外でした」


 ディーの些か残念そうな言葉に、少女も静かに同意する。自分の事を主と認めるあの第三氏族の少女は、この東方への旅にはついてこないと自分から少女に告げたのだった。理由は、もし何事かあった場合自分が足手まといになるかもしれないから……だった。


 彼女の彼女なりにあの悪夢のような出来事の部隊となった戦場で、何か感じることがあったのだろう。あるいはもっと単純に、敬愛する主人に命を救ってもらった自分の事を不甲斐なく感じていたのかもしれない。


 ともかく彼女は、あのどうにも性格がつかみきれない第二氏族の長の元で鍛錬を積む気になっているらしい。


「正直、性格までハチの奴に感化されなければいいのだがな」


 ドゥリアが漏らす憂慮の言葉に、ディーと少女は揃って頷き同意を示す。少なくともあの少女が、あの胡散臭い第二氏族の長に振り回されることだけは確定事項だろう。


「ところで、話は変わるんだがな……」

「ガリィちゃんなら大丈夫ですよ、従姉上様」


 ドゥリアにみなまで言わせず、ディーははっきりと告げた。


「大丈夫です。あの方は従姉上様が思ってらっしゃるほど弱くはないですよ?」

「……そうか?」

「ええ、何しろ私の上司でしたから」

「……そうだな」


 ドゥリアは小さく息を吐くと、第二王女の姿を思い浮かべる。自分の記憶の中にいる彼女は……泣いていることも多かったが、不敵に笑っていることもまた多かった。

 彼女の自分に向ける想いには気がついてはいたが、その想いを受け入れるつもりには結局なれなかった。

 愛していたのは間違いないが、それはディーに対するそれとさほど変わりがないモノで……要するに妹に対する愛情で、それ以上に強い思いを持てなかったのだから仕方がない。


「結果的には、いい切っ掛けだったのかもしれないな……」


 あの王女は今回の事がなければ恐らく、自分が死ぬまで不毛な想いを持ち続けた事だろう。

 それを断ち切るとまでは言えないが、それでもまた違った未来を見ることができるようにはなるだろうから……成程、この身体になってしまった事もあながち悪い事ばかりではないのだろう。


「ともあれのんびり行くことにしようか」


 ドゥリアがそう告げると、ディーとアクィラの二人も笑ってそれに応える。


 気持ちの良い初夏の陽光に照らされた街道を、のんびりとした速度で馬車は東へと向けて進んでいった。










俺たちの戦いはこ(r


というわけでようやくの事で完結しました。

……結局3月中には終わりませんでしたが……


ともあれここまでご覧いただいた皆様には感謝すること一頻りです。



まあ、色々と当初の予定とは違った部分が出てきたりしてしまったのですが、おおよその所では予定通りといった所でしょうか。

矛盾点も多分、ほとんど潰せてるとは思うのですが……



とりあえず一ヶ月ほど(多分GW過ぎてから)東方編を開始するかと思います。

詳しい予定はそのうち活動報告に書き込むんじゃないかと思います、はい。


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