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この空の下、大地の上で  作者: 架音
一章・古血統の少女
52/59

五〇・白い月砕ける時

2012/03/28:誤字修正・ご指摘ありがとうございます

「月が……砕けた?」


 誰かが呟いたその言葉が、一瞬にして静まり返った戦場に静かに響いた。




      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇




 昼も夜も大空の一角を常に占める白い月。満月になるまで意味もなく、その輝く面積を増減させる白い月。


 もっともそのことに関して疑問を寄せる人物はほとんどいない。何しろそれは自分が、父母が、その祖父母が生まれる遥か昔からそのように存在していたのだから。


 同じように満ちて欠ける赤い月と蒼い月と“違う”ことは知っていても、それはそういうものだと認識していればその在り様に、当然疑問を浮かべることはない。


 いくらその満ち欠けの周期が赤い月と蒼い月のそれと違っていても、白い月は遥かな昔からそこにあったのだから。


 その月が今、砕けた。


 ご丁寧にも硝子が砕けるのにも似た軽い破砕音を、主導者である西方諸侯の幾人かを捕縛することでようやく決着の着いた戦場に響かせながら。


 砕けた月の巨大な破片は更に砕け、戦場にいる人間すべての視線を受けながら瞬く間に無数の粒子へと姿を変えていき……天空にその光の粒子をまき散らしたかと思った途端、唐突にその輝きを失った。


 残されたのは常にその一隅に座を占めていた白い月を失った大空と、それを声もなく見つめていた兵士と名のついた群衆のみ。


 その誰もが今の異常な光景に対し、大いに不安を掻き立てられていた。何らかの天変地異の前触れか、少なくとも何らかの凶兆に違いないと皆が思い、不安に駆られ、しかしそれでも不安を誰も口にはしない。


『もし何らかの不吉な言葉を漏らしたならば、それが本当になってしまうのではないか』


 兵達の心を占める不安を言葉に直すなら、おおよそこのような内容であった。ゆえに誰も口を開かない。誰もが不安で誰もがじわじわと恐怖に囚われていく。


 そんな、遠火で炙られるように徐々に東征を失いつつあった兵達を正気に戻したのは、近衛将軍ケラス=リシ=メイフェルデン侯爵が呟いた、実に散文的な言葉だった。


「まあ、月が砕かれようが星が落ちようが、我らのすることに変わりはない。事を治めて凱旋し酒を飲む。これ以外に今、何かすることがあるのか?」


 天空に在る月が砕け、その存在が無くなるという異常事態を前にしてこの言葉が出てくるという点を、豪胆と呼ぶか無神経と呼ぶかは意見の分かれる所であるかもしれない。





      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇




「皮肉なモノよね、最後の最後に人間の役に立つなんて……」


 白い月が砕ける、その光景を釣竿をいじくりながら眺めていた第二氏族の長は、皮肉と遣る瀬無さが混じった微妙な表情で小さく呟いた。


 月が砕ける前に感じたのは、強力な魔力でゴリ押しされるように起動した『古血統を生み出す為の術式』だった。


 起動させたのは間違いなくあの少女。


 ドゥガにアクィラという名前で呼ばれていた今代の古血統の少女。白い月に刻まれた古血統の少女を生み出す術式は、基本的に規定値まで魔力が収集された時に自動で発動するモノである。そのための制御術式を、刻まれた励起文の解読もせずにその身に備えた魔力で強引に実行させるなどと言う無茶苦茶、古血統の少女以外に出来る者などこの世界に存在しない。


 本来あの月の術式は、古血統の少女が何らかの形で命を失い、その身に蓄えた魔力を世界に還元することで起動する。


 自然に月へと蓄積される魔力は微々たるものであるし、術式の遊びの部分で“はぐれ”を生み出したり等するので、古血統の少女を形作っていた魔力が吸収されない限り、規定値に届くまで数百年かかってしまうのだ。


 結果古血統の少女の死亡が発動条件の一つになってしまっていたのだが……第一氏族の長である“最初に生まれた三の者”が世界に還ったことで、九割七分ほどまで必要な魔力量を蓄積できていたのだろう。


 残りの三分はあの少女が自分の魔力を強引に注ぎ込んだに違いない。


「……でも、どうして白い月の術式なんか使ったのかな?」


 あの月に施された術の目的は一つだけ。この世界にかつての“最初に生まれた八の者達”に匹敵する存在である古血統と呼ばれる少女を生み出す、ただそれだけだ。


 己が強引にこの世界に連れてこられたことをあの少女は知っている。


 残念ながらその身に蓄えられた尋常でない魔力量……過去にこの世界に生み出された古血統の少女達の、少なくとも三倍以上の魔力量のせいで、その肉体が自己防衛反応を起こしているのだろう。あるいは言葉を口にしたら途端に世界が改変されるという異常事態を、この世界が拒絶しているせいか、あの少女は言葉を失っていた。


 それ故、意思の疎通はやや微妙な気がしないでもないが、それでもあの少女が気配りができる優しい性格をしていることくらいは、些か呑気な部分がある自分にもよく判っている。


 そんな少女が、自分と同じ境遇の人間を造り出すあの月の術式を強引に使うようなことをするだろうか?


「……“門”は開いていない、か」


 白い月の術式は、消費される魔力量がおかしいだけで、実行される内容はごくごく単純なものだ。


 一つは、集められた魔力を凝集させて器となる肉体を作り上げること。

 もう一つは、作られた器にこの世界とは違う世界から魂を強引に引き摺り込み、定着させること。


 この世界の住人の魂を使わないのは、なんと言うか“こだわり”らしい。

昔“四の者”から聞かされた話では、とにかくこの世界に対する偏見や知識を持たないものを用意したかったから、だそうだ。

 要するに理想家だったのだ、彼らは。呼び込まれた異世界の住人が公平に判断すれば、自分達の方につくだろうと無邪気に考えていたのだろう。


 その後の古血統の少女達が悉く人間の為に行動したことを考えると、これほど悲劇的な話はないだろう。あるいは見方を変えれば喜劇であるかもしれない。


 ともあれ白い月を維持する最低限の魔力さえ搾りつくしたというのに、一向に異世界の住人の魂を呼び出すための“門”が開く気配はない。


 つまり、最終的に術式は失敗したのか。もしくは……


「……あの子の周りの人間が誰か死にかけてる……ということかしら?」


 かつて話をしたことのある古血統の少女達から聞かされた、『病気や怪我を治療する魔法』はこの世界に存在しない。


 あれば便利だと思ったことはあるが、この世界の理に反するのだろう。それに類する魔法は五〇〇〇年の歴史の中に、一度として使われた記録はない。


 辛うじてそれに近いことをやったのは、あのヴォーゲン伯爵の先祖の一人になった古血統の少女カエデ=ホゥマくらいだろうか?


 それは怪我を治すのではなく、怪我をしていない身体を造り出し、魂を移し替えるという力技で……『遺伝子工学』という学問の教師だったという彼女にしか出来ない発想と技術があればこそだったろう。


 彼女が行った、ある種凄惨なその儀式を思い返すと微妙に表情が歪んでしまう。

 人が死んだりといった事こそにこそなかったが、あれはあまり思い出しても気持ちのいい光景ではない。


 ともかくあの少女が行った今回の仕儀は、カエデが行ったそれに近い。


 恐らく命に関わる怪我をした者の魂を、古血統の少女の身体へと移し替えることで強引にでもその生を、たとえその精神だけでも長らえさせようとしている……そういう事なのだろう。


「……一応見に行った方がいいのかしら?」


 あるいは放っておいた方がいいのか。


 第二氏族の長である“八の者”は、釣竿を揺らしながら深々とひとつ、溜息をついた。




      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇




 ふと気が付いて目を開くと、そこには一人の少女の姿があった。歳は自分の外見よりも大分高い一七、八歳くらい。均整のとれた身体つきで胸とお尻は大きく腰はかなり細い。

 生まれたてのその赤味がかった褐色の肌は、そのままでも艶やかに光を反射するほどの肌理細かさ。広がった長い髪は蜂蜜色。やや広めの知性豊かそうな額と、細く通った鼻梁。唇はやや厚めだが肉感的な雰囲気はなく、むしろその情愛の深さを示しているようにも見える。閉じられたその瞳の色こそ残念ながら判らないが、その容貌がよく整ったものであることだけは、恐らくこの場に少女以外の人がいればみな同意を示すだろうことだけはよく判る。


 そして特徴的な長く大きな耳。


 それが、その少女が妖精種であることを如実に示していた。


 ――成……功……?


 横たわったドゥガの身体の向こう側に、いつの間にか現れた妖精種の少女。それを見て少女は……アクィラは唾を飲み込む。


 なにしろ自分がやったことは強引な術式への介入。自分の魔力を『願い』という形で消費し、過程を無視して結果を引き出そうとしただけなのだ。


 ひとまず器となる古血統の少女の姿はそこにある。


 あとは、そこにドゥガの魂があるのかどうか。


 あるのならばよし、無いのならば……


 いつの間にか美しい古血統の少女に引き込まれていた少女は、自分の膝に何か柔らかいものが当たったことに気が付き、ふと視線を落とし……表情を凍りつかせた。


 膝に当たったのはまだ体温を保ったままの、血に塗れたドゥガの右腕だった。


 ――……私……何をして……


 既に呼吸は止まっているらしく、祈り始める前までは微かに上下していた胸の動きも止まっている。恐らく……自分を今まで守ってきてくれていたこの男が起き上がり、再び自分に言葉をかけてくれることはないだろう。


 命が終わる最後まで、自分の事を守ってくれたドゥガ。


 そのドゥガとは、二度と再び目を覚ますことのないこの肉体も含めて、ドゥガだったのではないか?


 少女は、今さらながら自分がやってしまった事に対して怖気を感じて背筋を震わせた。


 それと同時に、腹の奥底から湧き上がってきたのは、強烈な吐き気だった。


 あまりにおぞましい自分の心に、自身の身体が拒否感を覚えた結果なのだろうと少女は思考を巡らし……しかし、吐き気に身をゆだねることだけはしなかった。


 血が溢れるほどに強く唇を噛みしめ、痛みで強引に吐き気を振り払う。


 自分の行為は吐き気なんてもので、吐いたくらいで誤魔化していいものではない。


 ――……我儘なんて、可愛らしい言葉じゃない……


 自分が知る人間の中でももっとも気高く誇り高い男。


 その男との別れを嘆き悲しみ受け入れられず、魂だけでも永らえさせようとした……それは、この男の誇りを冒涜するものではなかったのか?


 最後の氷の槍を防ぎ切り、倒れようとした時この男は確かに……微笑んでいたのではないか?

 自分の事を守り切ったことで、満足して倒れていったのではないか?


 そんな男に対して自分が行ったことは……仕打ちは……


 ――酷いなんてものじゃない……


 自分の感情のまま、まるで男の魂を部品の様に扱っていたのではないか?道具のように感じていたのではないか?


 だから、この誇り高き男の肉体の存在を一時とはいえ……失念していたのではないか?


 この男の最後に……大人しく運命を受け入れ、感謝の祈りを捧げるべきだったのではないか?


「……それでも」


 いつの間にか溢れ出した涙はそのままに、言葉を話せないはずの少女は小さく言葉を漏らした。


「それでも、生きていて欲しかった……」


 自分が言葉を零していることに気が付かないまま、少女は涙を拭う事もせずに転がる鈴様な透明な声で、ドロドロに濁った心の中を吐き出していく。


「また笑ってほしかった……また怒って欲しかった……また話しかけて欲しかった……」


 この世界へと強制的に引き摺り込まれ、意に沿わぬ身体にされ、言葉まで奪われ……それほどの濃密な経験をしたというのに、経過した時間といえば、元の世界の基準で考えるならば僅か二カ月ほど。


 そのたった二ヶ月、ともにあったこの男を失う事が怖かった。この男がいたからこそ、今日まで生きてくることができた。絶望も乗り越えられた。だからこそ……それがひどい我儘だとわかっていても……


「……生きていて、欲しかった……」


 そう呟くと、少女は自嘲するかのように苦い微笑みを浮かべた。後悔することは覚悟の上で行ったというのに、湧き上がってくる己の所業に対する嫌悪感。それに対して戸惑う自分に対して……結局覚悟なんて少しもできていなかった自分に対して憎しみまで覚える。


「これからも……一緒にいて欲しかった……」


 それほどの自己嫌悪に襲われているというのに、たった一つの願いを浅ましく願い続けている自分。


「お願いドゥガ……目を覚まして……」


 少女は躯となったドゥガと、古血統の少女の中にいるはずのドゥガの魂。両方に向かって囁くように浅ましい願いを小さく、呟いた。








 最初に気が付いたおかしな点は、痛みを感じないことだった。


 ――いや、これは限界を超えたせいか?


 致命傷を負った場合、その命が消える間際には痛みを感じなくなることがよくある。薬師の友人の言葉もあるし、過去見送った幾人かの仲間や部下の末期からも、そのようなことがあることはよく知っている。


 ――……俺は、あの娘を守れたのか?


 どうにも記憶が曖昧だが、最後に見たあの娘は呆然とした表情をしていて……それがあまりにもおかしな表情だったのでつい笑ってしまったが……それでも傷は負っていなかったはずだ。

 綺麗な黒髪が血糊でべっとりだったのは残念だったが、まあそれは仕方がないだろう。あの娘の命を守れただけで十分だ。


 ――初めて会った時は、“はぐれ”の血糊にまみれていたが……別れるときは俺の血糊にまみれて、か……


 奇妙な符号に、ドゥガは心の中で小さく笑い、そして微かに溜息をつく。


 約束を守れそうにないのが心残りだが……そこは納得してもらうしかない。何しろ自分はもう起き上がるほどの力もない。


 たとえグライフが直ちに駆けつけて、神業のような速さですべての傷口を縫い合わせても助かるのは無理だ。腹から内臓が飛び出しているのだから、今は一時命が助かってもいずれ全身の血が腐って死ぬことになるだろう。あるいは傷口から腐るのが先だろうか。


 ――どちらにしろ生き延びる、それはあり得ない未来だからな……


 そう呟いて、最後の時が来るのを改めて待ち構えるドゥガだが……一向にその時らしいものは訪れず……やがて訝しげに表情を歪めた。


 あるいは既に己の身体は生を放棄しており、今こうして考え事をしている自分は肉体を離れた魂なのではないかと思った。が、身体のあちこちから感じる違和感が、自分の魂はまだ肉体に囚われている……と告げているような気がする。


 いや、それよりも今感じる最大の違和感は、左腕の感覚がある、という事だった。


 ――どういう事だ?


 自分の左腕は確かに抉られ千切り飛ばされたはずだ。


 幻痛……腕や足を失った兵士が訴える、存在しないはずの腕や足が痛むというあの不思議な病の事かとも思ったが……力が入らないせいか、とても自分の物とは思えない感覚だが、確かに指先まで神経が届いている感覚がある。


 正直訳が分からなかったが、ともあれまだ死の淵へ落ちるまでにはまだ多少の時間があるようだとドゥガは結論付けた。


 ともあれ一度死を覚悟し、それを迎え入れる覚悟をした身としては、何となくこの死を待つ時間というものに手持無沙汰を感じてしまう。


 あけすけに言ってしまうならば、暇を持て余しそうになっていた……そう言い換えてもいいかもしれない。


 そんなドゥガの耳元に、初めて聞く少女の声が……けれどもいつも聞いていたような気がする少女の声が聞こえてきたのはその時だった。


『お願いドゥガ……目を覚まして……』


 その声に含まれていたのは懺悔と祈り、自己嫌悪と怒り、諦めと願い……その他諸々が含まれた純粋で混沌とした、白くて黒い、とても強い、強い願い。


 それを耳にした途端、ドゥガの心に満ちたものは怒り、あるいは哀しみ。もしくはそれらが均等に混ざり合ったものか。


 ともかくドゥガは思わず舌打ちし、誰に対してのものであるかはわからないが怒りを多分に含んだ唸り声を上げる。


 そうだ、自分はこんな声を聞くために体を張ったのではない。こんな声を出させるために命を賭けたのではない。


 ならばどうすればいい?


 少女からこんな声を漏らさせることを止めるためには……簡単なことだ。眼を開けばいい。たとえ今の自分の姿形がどのような状態であろうとも目を覚まし、少女に言葉を掛けなければならない。


 きちんと別れの言葉をかけてやれば、少女は僅かでもその悲しみを和らげることができるだろう。少しは自分を責めることを止めてくれるだろう。微かなりとも笑顔を浮かべてくれるだろう。


 ドゥガはその声に応えるために、まるで全く新しい身体になってしまったかのように違和感だらけの身体を僅かに動かし、それからゆっくりと瞳を開いた。










ちょっとくどいかなと思いつつ、主役二人の描写をしつつ伏線回収してみたら当初の予定よりだいぶ長くなってしまいました。


そんなわけで残りあと一回+エピローグ……になると思います多分。


いや、無理に伏線とか回収しなくてもよかったかなこれ……


アクィラが突然声を取り戻した理由に関しては多分はっちゃんが解説を付けてくれると思います。多分エピローグで。




最近またお気に入り登録してくれる方が増えてまして感無量です。




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