四九・願い
2012/03/28:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
微笑んだような気がした。
左腕を根元から失い、腹を抉られ太腿が半分なくなるほどの傷を受けて、ドゥガはそれでも笑い、そして力なく倒れこんだ。
その光景を少女は……アクィラは、ただ茫然と見つめるだけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最初少女は、その光景がどういった現実を現しているのか理解できなかった。あるいは受け止めきれなかったのか。
ドゥガが無理やり取り上げたあの左手首。その指に嵌められた指輪が発光しはじめた途端、ドゥガはそれを強引に奪い取り遠方へと投擲する。直後、眩い光が一面に放たれ、冷気を纏った氷の槍が辺り一面に降り注ぐ。
その状況に、一切の反応が出来なかった。
その氷で出来た槍から自分の事を守ろうとしたのか、飛び出したドゥガは“氷壁”を続けざまに構築し……
奇妙なまでに平板な心境のまま、血塗れになるドゥガの姿を見つめていた少女は、自分の頬を流れる温かいモノに気が付くと、指先を伸ばして掬い取る。
ぬるりとした感触で指先に纏わりついてきたのは、微かな湯気を立てる鮮血で……
――っ!?
弾かれた様に意識を覚醒させた少女が目の前に立ちふさがり、少女の事を氷の槍から身体を張って守っているドゥガへとようやく視線を向けた時にはもう、全ては終わっていた。
――……何も……できなかった?
目の前でゆっくりと地面に倒れていくドゥガの姿を見て、少女が思ったのはまずそれだった。が、少女はそんな浅ましくも唾棄すべき自分の考えに怖気を振るう。
――違う……っ!何もしなかった……!
完全に意識が追い付いていなかった。
状況が理解できなかったなどと言う言い訳はできない。実際ドゥガは即座に状況を理解し的確な行動を……彼にとっては最適の行動をとっていたのだ。
その身体を賭けて、命を賭けて、自分の事を守るという行動を。
それに引き替え……
少女は思わず歯噛みする。
自分がもう少し早く自分を取り戻していたら、今の惨状はなかったはずだ。
自分はこの世界で最も強大な魔力を持つ古血統と名付けられた存在で、ドゥガが身をもって防いだ氷の槍だって難なく受け止める術を使えたはずだ。たとえば“氷壁”一枚だけでもその厚さは優に通常のそれの五倍以上のものを生み出せる。
壁と言うよりも岩と表現する方が近いそれを出現させるだけで、氷の槍の大半は受け止めきれたはずだ。
しかし結果は……
ドゥガは肉体の少なくない部分を失い、その全身から大量の血液を失いながらゆっくりと地面に倒れこんでいく。
この出血量から考えれば、程なくその命を失うことになるだろう。
と、そこまで考えを推し進めて、少女の思考はようやく現実に追いついたようだった。
――え……ドゥガ……死ぬの?
倒れ込むドゥガの身体に刻まれた傷は、そのどれもこれもが即死してもおかしくないほど深い傷だ。
致命傷……
それがもたらすものは、回避不能な死。
つまり、この目の前で倒れている男が命を失うのだ。
今まで自分の事を守ってくれていた男が命を失のだ。命だけではない。心まで救ってくれた男がその命を失うのだ。
そのことにようやく思い至った少女は、ここでようやくある意味正常な状態に戻ったのだろう。
ドゥガが大地に音を立てて横たわるのと同時に、少女は声無き絶叫を上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
筋肉が収縮しているせいか、かつて自分の事を優しく抱き留めてくれていた左腕、その付け根の部分からの出血はそれほどでもないようだった。太腿の部分は氷の槍が刺さったままな所為か、こちらもあまり出血はしていない。
同様に腹部中央部もさほどではない。氷の槍が溶け出した場合、恐らくひどいことになるだろうが。どちらも普通それだけで十分に致命傷と呼んでいい傷なのだから。
一瞬錯乱しかけた少女は、しかし踏みとどまった。
強靭な精神力で……ではない。それはごく些細な、意地とでも呼ぶ様なものだったのかもしれない。
今まさに、命を賭けて守ってくれた男に対して醜態を見せられないという、男として……否、人としての意地が少女を錯乱の淵から掬い上げたのだ。
――ここは、泣いて喚いて助けを求める場面じゃない……
そのまま錯乱してしまったら、この男に待っているのは確実な死しかない。
――たとえ悪足掻きでも……
足掻いて見せようと、少女は思い、改めてドゥガの状態を確認する。
出血が止まっている部分はとりあえず後回しと考えると、問題ある部分は右の脇腹部分だった。肉ごと抉られたせいで腹圧で内臓が傷口から飛び出し、わずかな湯気を立てているのが見える。出血もひどく、このままでは遠からずドゥガは命を失うだろう。
いや、今の状態すらただ“死んでいない”だけとも表現できる。
――何か……何か私にできることは……!
ドゥガの死……その可能性に思い至ったその時こそ絶叫を上げた少女だったが、今はそのまま呆然とし続けてはいられない。
何かしなくてはいけない。
このまま手をこまねいて諦めることは、自分自身が許せない。ひょっとすれば単なる自己満足と自己弁護に過ぎないと心のどこかで思いつつも、少女はドゥガの命が失われないですむ方法を模索する。
――治癒魔法とかあれば簡単なのに……っ!!
失われた左腕の付け根、氷の槍が刺さったままの大腿部に“応急処置法”として教えられた“氷結符”その術式を使い、傷口ごと氷の中に封じ込める。同様に大腿部、腹部も……脇腹の傷に至っては飛び出した内臓ごと氷の中に閉じ込め強引に止血する。
が、これでは全く治療になっていない。単に命を引き延ばしただけだろう。特に腹部の傷を氷で塞いだことで出血自体は強引に押し留めたが、今度は逆に氷が体温を……体力を奪っていくことだろう。
要するに即死が緩慢な死に変わっただけともいえる。
そして、そんな状況下にいることを、少女はよく理解していた。
――単に苦しみを長引かせているだけ……私が……ドゥガに死んで欲しくなくて悪あがきしているだけじゃないの?
そんな思いに捕われ少女は血塗れの髪を振り乱して煩悶する。単なる自己満足……きっとそうなのだろう。それでも少女はドゥガに死んで欲しくなかった。生きていてほしかった。
――こんな時に命を救うどころか、満足に傷を塞ぐこともできないなんてっ……!
この世界には、傷を治す魔法は存在しない。死んだ者を甦らせる魔法は存在しない。大量に人間を一度に殺し尽くす魔法は存在するのに、人の命を助ける魔法だけは存在しないのだ。
何のための魔力なのだろう。何のために自分はここにいるのだろう。今はドゥガをどうやって助ければいいのか考えなくてはいけないのに、こんなことを考えてしまうのはいけないことなのに……古血統のなんて、本当に……
その時、不意に少女の脳裏で閃くものがあった。
『古血統の少女はその身体を魔力で形作られ、そこに異世界の住人の魂を定着させることで誕生する』
細かな部分は違うかもしれないが、あの第二氏族の長は確かにそう言った。そしてその古血統の少女を作り出すために必要な魔力、それを測定するのが
――白い月……っ!
睨みつける少女の視線の先にあるのは、昼の陽光にその姿を薄れさせながらも天空にその姿をとどめている白い月。その輪郭は、正円に限りなく近い楕円。あとほんの僅か魔力を蓄えれば、自分をこの世界に呼び寄せたのと同様の術式が発動し、新たな古血統の少女をこの世界に呼び寄せるだろう。
ほんの数日前に見た時には、まるで糸のような輝きしかなかったはずの月の光が満月に近いことに、少女は訝しげな表情を浮かべたがその原因がなんなのか考えそうになる……そちらに向かう思考を強引に修正する。
原因は何であれ、これからしようとする事にとってあの臨界寸前の白い月の魔力は好都合なことに間違いない。
今考えるべきことは、あの術式をどうやってか捻じ曲げて、足りない魔力を自分の身体から捻り出し、このまま放っておかれたら霧散してしまうに違いないドゥガの魂を古血統の少女の身体に定着させることなのだから。
怪我を治す魔法も、傷を癒す魔法も、死者を甦らせる魔法も存在しないこの世界では……恐らくそれ以外に今の状態のドゥガを救う手だては存在しない。
――……恨まれるかもしれないけど……
ドゥガに生きていてほしい……そこまでは我儘とは言えないだろう。
しかしその魂を古血統の少女と呼ばれる器に移し替えることは……そうまでして生きていて欲しいと願うのは完全に自分の我儘だと、少女は自覚していた。
今まで培ってきたもの全てを投げ捨てさせ、まったく別の存在として強引に生を続けさせる……それがどれだけ絶望的で傲慢で暴力的なことかを、少女は知っている。
かつての人生……向こうの世界における自分は、確かに大したことはしていなかったかもしれない。しかしそれでもそれなりに人生を積み上げてきたし、それなりに将来の事も考えて生きてきたのは間違いない。
そうして積み上げてきた人生の全てを……過去も未来も奪われ、少女としてこの世界に呼び寄せられ生まれ変わらせられた自分だからこそ、それがどれだけ独善的で理不尽極まりないかも知っている。
それでも生きていて欲しかった。
それでもまた笑ってほしかった。たとえ自分にその笑顔が向けられなくても。
それでもまた言葉を話してほしかった。たとえその言葉がもう二度と、自分に向けられることがなくとも。
――お願いします……
全ての想いを飲み込み、少女は心の中で小さく祈りの言葉を唱える。願いを乞うのは元いた世界の神に対してか、あるいはこの世界全てに対してか。
あの妖精種の長が教えてくれた、妖精種の魔法の元となる考え。
妖精種の魔法が全て“希い奉る”で始まるその理由。
本来的な意味での魔法に励起文は必要ないのだと、あの長は教えてくれた。励起文が必要とされるのは『その方が消費魔力を抑えられるから』『その方が術の発動が簡単だから』唱えられるのだと。
ならば、この世界で最大の魔力を保有する自分ならば、その本来的な意味での魔法の行使ができるのではないか。
この世界に対して“希い奉る”ことで、自分の望みを叶えられるのではないか。
声を奪われている自分は、願いを声に出して唱えることは出来ないが……それでも願うしかない。
そう、どちらにしろ願う事しかできないのだ。
白い月の術式がどういったものなのかは知らないのだから、最初から選択肢はない。
この世界で最も強い魔力を持っているはずなのに、その行使に強烈な制限を受けている自分には祈るしかないのだ。願うしかないのだ。
――お願いします!
縋るしかないのだ。規格外と言われた自分の魔力に。ドゥガの魂だけでもこの世界に留めさせる為には……古血統の少女として生まれ変わらせるためには……ひたすら強く願うしかないのだ。
――お願いしますっ!
ドゥガの傍らに跪き、両手を目の前で組みんだ少女は真摯に祈りを捧げる。願いを何度も心の中で繰り返す。
それが独善であることも。
それが我儘であることも。
それが半ば以上自分が望んだからだという事も。
その願いが歪んでいると、自分で理解しつつも少女は願った。
時折その表情が苦しそうに歪むのは、願いが聞き届けられなかった場合の事を考えての事だろう。
もしそうなったら。
もしドゥガを失ったら、少女はこの世界に対して八つ当たりを始めるだろう。かつて殆どの古血統の少女が囚われた絶望に囚われるだろう自分が、かつての彼女達と同じような行動に走る光景が、容易に想像できる。
――お願いします……この世界にももしいるなら神様お願いします……
願う事は、白い月の術式の発動と、そこに囚われる魂をドゥガの物に指定すること。
込められている術式の励起文を知らない少女にできるのは、ただひたすら願う事だけ。
絶望も希望も、後悔も懺悔も喜びも悲しみも、全てが混ざり合ったとても純粋とはいえない願い。
だからこそ強い、強い願い。
不意に頭上で、昼間だというのに月が自ら輝いたように、少女は感じた。
週末からこっち仕事が立て込んでいて予定通りに更新できませんでした……
とりあえず最終回まであと二回ほどかと思いますので、予定通り……とは言い難いですが、今月中には完了できるかと思います。
次回更新は多分土曜日なんですが……もう一本の方が絶賛放置中なのでそっちもどうにかしないと……




