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この空の下、大地の上で  作者: 架音
一章・古血統の少女
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四八・指輪

本日のキーワード:注意一秒怪我一生

 角竜を必死に駆るハイラン公爵の後ろ姿をねめつけながら、ドゥガは小さく舌を打つ。


 それなりに優秀な竜なのだろう。ハイラン公爵の手綱捌きはお世辞にも上等とは言えないが、追いつくのに苦労している現状がそれを示している。


「厄介だな……」


 ドゥガが今少女と共に駆っている角竜も素性は悪くないのだが、いかんせん乱戦に巻き込まれ消耗しているうえに、急に乗り手が変わったせいで興奮している。

 ともすれば明後日の方向に走り出しそうになるのを、何とか抑えつつ追撃をかけているのだ。


 僅かなりとも距離を詰めたかと思えばまた離される。そんなことを繰り返すこの現状が維持され続けるなら、取り逃がしてしまう可能性が限りなく高い。


 ならば遠距離攻撃のできる”符”を使えばいいとも思うが、この場合“符”を使う事もあまり効果的ではない。


 というよりも『使えない』が正しいというべきか。


 現状ドゥガの左腕は少女を抱えているため自由が効かず、右腕は手綱捌きに全神経を集中させていて両腕は塞がった状態だった。ともかく跨る角竜を従え、真っ直ぐ走らせるだけで精一杯。


 ならば少女に頼ればいいかといえば、それも難しい。


 少女の使うそれは、変則的だがあくまで妖精種の方式に則ったものだ。

 彼女が使う符はあくまでも触媒のようなものであり、口に出さずとはいえ心の中で励起文を唱える必要がある。


 従って速射性は期待できない。


 要するに複数重ね掛けされているだろう“抗魔符”の効果全てをはぎ取ることは実質的に不可能なのだ。


 こちらが一枚剥がした端から再度構築されてしまってはまさに無駄としか言いようがない。

 無論二〇回以上……三〇回ほど続ければ符の使用限界を越えさせ抵抗を剥ぎ取ることも可能だろうが、今度は時間がそれを許さない。


 公爵が竜を走らせている方角は確かにこの陣地から離れる方角ではある。進行方向に味方がいるとはとても思えない。が、公爵の部隊は二手に分かれていたのだ。


 先程土塁の上から眺めた時に確認した、至極真っ当な判断に基づきごく常識的な傭兵を行っていた騎竜部隊。確認しないうちに飛び出してきてしまったが、あの部隊は公爵の部隊が崩壊するのを確認していないわけがない。


 ならば追ってくるはずだ。


 この公爵に従っていた割にはまともな判断ができる、あの部隊の指揮官がこちらでの騒動に気が付いていないわけがない、ドゥガはそう判断していた。


 合流されたなら厄介なことになる。


 実のところドゥガにそんな懸念を抱かせていた別働隊の指揮官……ハネス伯爵は公爵の部隊が壊滅的な打撃を受けたのを遠距離から確認すると、すぐさま逃げを打っていたのだが……今のドゥガにそれを知る術はない。


 いずれかの広域型攻撃符を少女に使うように願うかと一瞬だけ考えたが、それはこちらが巻き込まれる可能性が高いと思い直した。


 正直八方塞がりと言ってよい状況だった。


 と、その時ドゥガは目の前の光景に己が目を疑った。


 何を思ったのか、公爵が竜の足を緩めているのだ。このまま逃げ切れば少なくとも負けはないはずなのに、竜の足を緩めていたのだ。


 ドゥガは反射的に自分が跨る竜の手綱を振るい、限界まで速度を上げる。ここが仕掛ける時であると、長年培った戦いの勘がドゥガにそう告げている。


 竜の足を緩めていた公爵はやがてその足を止め、腰に下げていた煌びやかな装飾の施された剣の柄に右手を添え……抜くことは出来なかった。


 速度を上げたドゥガの角竜が傍らを駆け抜け、鮮やかな手並みで公爵のあまり鍛えられていない首を斬り落とす。


 首を飛ばされ、鮮血を吹き上げながら竜から崩れ落ちるように地面へと投げ出される公爵の身体。

 それを横目で確認しながらドゥガは竜の足を緩めると、大きく息を吐いた。


 ともあれこれで、この騒動も一段落だろう。西方諸侯の軍がどうなったかはこれから確認しなければいけないが、将軍ならばそのあたり抜かりなく差配してくれているはずだ。少なくとも今すぐ直ちにこの場へ敵兵が現れることはないだろう。


「少し待っていてくれ」


 いくら外道とはいえ、首を飛ばしたのは貴族であり、死体とはいえ……だからこそそれなりに気を遣わなくてはならない。


 正直気が進まないことこの上ないが、あとで今回の件に関して様々な思惑を巡らしているだろう宰相に付け入られる口実をわざわざ作ることはない。


 ドゥガは角竜から降りると少女を地面に降ろし、軽くその頭を撫でる。それから一つため息をつくとこの、気の進まない作業を進めるために公爵の首のない遺体に視線を向けた。


「……部下にも見捨てられたか」


 多少距離が離れていたとはいえ、右翼側に回った部隊も騎竜部隊だった。ドゥガと少女しかいないこの場、絶好の機会ともいえるこの場にそのもう一隊がいまだ現れていないということは、恐らくそういう事なのだろう。


少女が胸の中に抱えていたあの、白い地獄で見つけた遺品。戦いが終わった後にせめて丁寧に葬ってやろうと少女が考えていたのだろう、あの左手首。


 その薬指に嵌められた指輪が強烈な光を放ち、それが瞬く間に膨れ上がったのはその時、公爵に対する小指の先ほどの憐憫の情がドゥガの心に浮かんだその時だった。








“最も古き血に連なる者”は、己の物であった指輪がさらに遠くへ離れていくことを感じていた。


“人間め人間め人間め……!”


 声を出す力をなくした妖精種は、心の中で呪詛の言葉を練り上げ続ける。あともう少し、もう少しで指輪を奪っていった人間に、断罪の一撃を加えることができるというのに。


 己の魔力全てを込めた一撃を与えられるというのに。


 既に動かすこともできなくなっているはずの足に力を込め、蟻が這うほどの速度で指輪の方へと引き摺る様に、足を僅かに進ませる。続けて反対の足を、また反対の足を。


 複雑な術式の励起文を心の中で組み上げ、それにより自身の魔力を指輪へと送り続ける。


 かつて“最初に生まれた八の者達”のうち、第一氏族を導く役割を担った四名。彼らが作り上げた第三の白い月と、この世界中から魔力を組み上げ月へと溜め込む術式を改変したそれはひどく長ったらしく煩雑かつ複雑なモノであったが、妖精種の男は正確にそれを心の中で唱え続けた。


 人間へ向けた呪いの言葉を唱え続けながら。


“……止まった?”


 男は指輪の動きが止まったことに気が付くと一瞬驚き、それから焼けたただれ肉が無くなり表情を刻むことができなくなった顔にそれでも歓喜を浮かび上がらせる。


 今まで急速に動いていた者が立ち止った……それはつまり、いずれかの仲間と合流でもしたのではないか?どちらにしろ、巻き込める人間が増えたことは喜ばしい事だ。


 男はその生の最後に訪れた望外の偶然の訪れに深い満足感を覚えると、その身に蓄えた魔力全てを指輪へと送り込み、そのまま息絶えた。


 真っ白な灰で埋め尽くされた、広域型攻撃符の飽和攻撃で蹂躙された戦場の真ん中に立ち尽くす人の形をした肉塊はその後、近衛第三軍に発見され丁重に葬られることになる。


 人間式の埋葬方法で埋葬されることは、人間を厭う第一種族の中でも誇り高い“最も古き血に連なる者”に対する最大の嫌がらせ、あるいは侮辱であったのだが……幸いにしてそのような皮肉に満ちた現実を知る者はいなかった。




      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇




 少女が気が付いた時、全ては手遅れになっていた。







 この戦争が終わったら、せめてお墓を――この世界に埋葬の風習があるかどうかは聞いてみないとわからないが――作って埋めてあげようと思い、抱きしめるように持ってきていた左手首。

 血の気が失せたそれは、普通に考えれば気味悪く思う所なのだろう。が、少女の心にあったそれに対する思いは深い憐れみと悲しみ、そしてそれを上回るやりきれなさだった。


 ドゥガやディー達は口を揃えて自分のせいでないと言ってくれるだろう。あの妙にお茶目な第二氏族の長は、第一氏族の術式に巻き込まれた被害者だと言ってくれるだろう。


 それでも、この戦いの原因の一端は自分がこの地にいるからなのに間違いはない。


 この左手は、そんな少女の心の中にある罪悪感。その象徴のようなものだった。だからこそ無くさないようにずっと抱えていた。


 だからこそ、その左手の薬指に嵌められた指輪。それが突然まばゆいばかりの光を放ちだした時……何の行動もとれなかった。


 行動したのはドゥガ。


 気が付けば少女の腕の中から左手首をもぎ取り、振り向きざま思い切り遠方へ投擲する。と同時に“土塁”、続けて“氷壁”を一枚展開、更にもう一つ何らかの符に手を掛けた時、指輪の光が一瞬にして消え去り、直後無数の日の光を受けて煌めく氷の槍が辺り一面に降り注いだ。


「ぐ、う、おおおおおおおっっ!」


 かつて少女が聞いたことのない雄叫びが、ドゥガの喉から迸る。


 降り注ぐ氷の槍はほとんど一瞬で“土塁”を粉砕し、展開した“氷壁”を削り取り打ち砕き、ドゥガの腕に足に腹に容赦なくその切っ先を突き立てようと迫る。それを防ぐためにドゥガは“氷壁”が粉砕される端から“氷壁”を再構築していくが、その速度は粉砕される速度に追いついていない。


 その、“氷壁”が再構築する間隙を縫うように、ドゥガの身体を傷つけていく氷の槍。


 一つはドゥガの左腕を肩から抉り弾き飛ばし、鮮血が宙を舞った。

 一つは右の太腿に突き立った。

 一つは腹から背中へとその切っ先を貫通させた。


 しかし、それでもドゥガは倒れず残された右腕で、それこそまるで魔法の様に“符”を取り出し諦めることなく“氷壁”を構築し続けていく。


「がっ……!」


 左の足首部分を貫通した氷の槍が、そのまま切っ先を地面に喰い込ませドゥガをその場に縫いとめる。が、それでもドゥガは怯まず……その顔に不敵な笑みを浮かべた。


 どうやら自分は本気でこの娘が死ぬところを見たくないらしい。


 ここまで手ひどい傷を負いながらも、ドゥガは少女の身を守るために命を賭けている……己の行動に深い満足感を覚えていた。


 白い月の術式。


 あのうっかり者のハチのいう事が本当ならば、本来ならばこの世界とは無関係な少女。

 第一氏族の呪いともいうべき術式に囚われ、この世界に産み落とされた哀れな異界の住人。

 初めて出会った時は、狼の“はぐれ”に喰われそうになっていた不幸な少女。


 繊細で、命の大切さを知り、それを奪う事に罪の意識を持ち、けれども必要な時にはその罪を犯すことを躊躇わない勇敢な少女。


 自身に内在する魔力に怯え、過去の古血統の少女が起こした暴走を自分が起こすかもしれないことを危惧し、その時がきたら必ず殺してあげることを誓った少女。


「……まずいな、これでは誓いを破ることになるぞ?」


 そう呟いた瞬間、“氷壁”を砕いたと同時に破砕した氷の槍の破片がドゥガの顔面を襲い、右の耳を切り飛ばし左の眼球を抉り潰す。


 衝撃に一瞬上体が泳いだが、幸い左の足首は地面に縫いつけられており、無理やり体勢を立て直し……その僅かばかりの間に右のわき腹をごっそり抉り取られた。


 もう少しだ……


 あの指輪がどういった代物かは知らないが、これだけ強力かつ広範囲に猛威を振るう……広域型攻撃符にも等しい魔法攻撃がそうそう長時間続くわけがない。


 もう少しで……


 僅かばかりに氷の槍の本数が減ったように感じられたドゥガは、生き残った右目を眇めてみせる。

 そのわずかな時間でも明らかに氷の槍が放射される間隔が長く、本数は減ってきていた。


 あと少しだけ……








 ドゥガは“最も古き血に連なる者”最後の呪いともいうべき魔法の攻撃、その全てをついに凌ぎ切った。


 背後に守られた少女が受けた傷は、砕けた氷の破片がつけた、左腕の小さな傷一つだけだった。












大惨事です。

この世界は治癒魔法なんて便利なものがありませんので、ほぼ致命傷。


今後の展開的には多分大方の人が予想されてる通りになると思います


次回更新は多分月曜か火曜日です。

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