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この空の下、大地の上で  作者: 架音
一章・古血統の少女
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四六・壁

本日のキーワード:落し物は交番に

 白い……白い灰で埋め尽くされた戦場。


 少女が生まれて初めて抱いた、明確な殺意という仄暗い炎をその胸に宿したその場所よりもやや北方。


 人と妖精種とその他諸々が焼け落ちたその場所。


 積もり積もった、かつては確かに命を持ち、動き言葉を話した者どもであった……白い灰の一部が震えるように動きだし……やがてその中から一人の男が身を起こした。


 頭髪は全て燃え尽き、全身の皮膚は焼け崩れ、あるいは炭化している。その面貌も高熱だ炙られたせいか眼球は残っているものの白濁し視力の殆どを失い、鼻は削げ落ち、下顎はそれを支える頬の肉を失い力なく揺れている。


 それほどの傷を負っているというのに、男は生きていた。


 男の名は“最も古き血に連なる者”。


 第三氏族で構成された三万の軍勢を率いてこの戦場へと赴き、何ら為すことなくその手兵の全てを失った男だった。


“お……のれ……”


 高熱で喉を焼かれたせいで言葉も失った“最も古き血に連なる者”は、手首から先を失った左腕で身体を支えると、幽鬼のようにその場に立ち上がる。


 そのような姿になっても未だ命があること自体驚くべきか、それともさすが妖精種と讃えるべきか。


“おのれ……人間め……”


 最初に強烈な熱波と爆風が襲いかかってきたとき、反射的に『その身熱に犯されることなく』の魔法を使い、その身を守ったのだが……熱波がその場を支配する時間は“最も古き血に連なる者”の想像を遥かに超えていた。


 熱波が終息するまでに『その身熱に犯されることなく』を五度掛け直し、術を掛け直すその間を高熱に焼かれ、苦鳴を上げさせられた。五度目の術が効果を失った直後、炎は終息したが、度重なる熱波の襲来の中で喉は焼かれてしまい、これではまともな手段で魔法を行使することもできない。


“おのれ……下等な生き物どもめが……!!”


 自分の命が、もう後幾許も残されていないだろうことに恐怖を。生みの親である妖精種である己にこのような屈辱を与えた人間に憎悪を燃やしながら、“最も古き血に連なる者”はその濁った眼球で彼方を見据える。


 痛みという感覚も既に失い、かつて優美な耳があった場所にはただ黒い穴があるのみで音を拾うこともできず、鼻梁は熱で溶け崩れ、たおやかな花弁の芳香を楽しむことも叶わない。


 憎悪を向けるべき人間は己の傍近くにはおらず、その怒りをぶつけることもできない。


 このまま憎き下等種族に爆炎一つぶつけることも叶わぬまま息絶えるのか。


 “最も古き血に連なる者”は、そのことに絶望しつつ……やがてそれに気が付いた。


 己の失った左手首。


その薬指に嵌めていた指輪が、高熱によって失われることなく存在していることに気が付いたのだ。

世界に満ちる魔力を吸収し、持ち主に与えるという妖精種でも歳経た者にしか作れない数少ない術具……辛うじてだが南方にそれがあることがわかる。


“成程……下種な人間の考えそうなことだ……”


 あれは、見た目は白金でしつらえたように見える。妖精種独自の技法で刻まれた紋様は、術具に相応の力を与えるためのものだが……知らなければ精密な細工にしか見えないだろう。


“些か不満はあるが……これで奴らに我が苦痛の幾許かを返してやれそうだ……”


 術具の存在が感じられるという事は、未だ自分とあの術具が繋がっていることだろう。ならばできることが一つだけある。


 “最も古き血に連なる者”は、その姿勢のまま術具へと意識の全てを振り向ける。


 望む結果を得るためには、まだしばしの時間が必要であり……それまで不逞の輩がこれ以上遠くへ行かないことを、妖精種全ての母である“原初の泉”に祈った。




      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇




「……右手側は定石を踏んでいるが、左側はひどいものだな」


 斥候が去った後、一番後ろに置いた“土塁”の上に立ったドゥガは呆れたような声を漏らした。あの、指輪を嵌めた左手首を大事そうに抱えながら、心配そうにこちらを見上げる少女を安心させるようにドゥガは微かな笑いを浮かべ、とりあえず左側の”見えている”土塁のすぐ外側を走り抜ける進路を取っている騎竜部隊を一瞥する。






 短時間のうちにこの場でこれほど本格的な陣地を構築できたのは、ひとえに符の使用回数制限に左右されない上、符の効果を何倍にも拡張することができる少女の力によるところが、確かに大きかった。


 が、陣地の縄張りに関しては特段かわった工夫をしているわけではない。


 今何より大切なものは時間だ。この手の急造の防衛陣地は構築している所を見られてしまった場合、その効果が半減してしまうからだ。下手な工夫をすることでそのような愚を犯すことは出来ない。

 幸い竜の蹴爪が大地を抉る音と足元から伝わる振動から察するなら、こちらに寄せてくる連中はさほど急いではいないようだった。


「普通に考えれば生き残りを刈り取るだけだからな……」


 ドゥガは苦笑を浮かべたが、今はその敵の余裕が何よりも有難い。


「しかし……改めてこうしてみるとすごいものだな……」


 大地に穿たれた二〇あまりの濠と、それと同数の土を固めた壁。普通なら一枚の符で一ヵ所構築するモノなのだが、ドゥガの腕の中にいる少女はたったの一枚でそれを成し遂げていた。


 単に巨大な“土塁”を構築するだけならば、あのぐうたらな第二氏族の長である彼女のお墨付きをもらったこの世界最大の魔力……それでゴリ押ししたとも言えるだろう。


 しかし先ほど少女が行ったことは、複数の“土塁”を同時に造り出すという……元型になった妖精種の魔法の原理と励起文の構造を理解し、そこを書き換えなければいけない。


 確かに“土塁”は簡便に作れる符である。あのぐうたら女に確認した話では、元型になった妖精種の術式もさほど高度なものではないという。が、それにしても限度というものがある。


 確かに第二王女ガレリア、第二氏族の長……少女に“符”と妖精種の魔法を教えていた二人は優秀な教師ではあっただろうが、彼女達から教えを受けた期間は僅か一巡り……八日間しかなかったはずだ。


 言葉が話せない。僅かな文字しか読むことができない言葉を失った少女の優秀さ。術式を制御する能力の非凡さがいかほどのものかがよく判るというものだ。


 そこまで考えてドゥガは頭を振る。


 少女を都合のいい武器……その様に思いそうになったドゥガは頭を切り替えると、ある程度正気を取り戻した兵に指示を飛ばし、左右の外側四ヵ所の土塁と濠に“幻惑符”を用いてそこが地面である様に隠蔽を施す。


 更に見えている濠の中に、“符”の使用回数制限に余裕のある者を潜ませ、そこに伏兵など存在しないかのよう、同様に“幻惑符”で隠蔽する。


「まあ、嫌がらせ程度にしかならんだろうがな」


 そう呟いたドゥガはその暫く後、自分の予想が半分外れたことに苦笑を浮かべた。




      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇




 ミセレイド=エメス=ハイラン公爵。


 今まで彼が生きてきた人生、その積み重ねの大半を占めるものは無力感だった。


 公爵……それも王家に何事かあった時には王を輩出することを義務付けられた『御三公』と呼ばれる、王国でも王家に次ぐ格式の身分。


 それがハイラン公爵という存在である。


 が、持っているものと言えば言ってしまえばそれだけ、その肩書きだけだ。


 地位こそ王国に存在する七つの侯爵家。その筆頭であるとされる御三公であり、公式行事等では常に王家に次ぐ立ち位置に就くことを求められ、認められてもいる。

 

 が、実質的な権力基盤と呼べるものは一切与えられていない。


 事実そのことを知悉している御三公以外の四大公からは、その身分と格式に対する敬意以上のモノを向けられたことはなく、それは各侯爵伯爵家も同様だった。


 夜会などが開かれればその扱いは顕著で、公爵の回りに依ってくるものは下級貴族……男爵子爵、そして二代限りあるいは金で買える角爵位の者ばかり。


 なにしろ公爵という爵位に相応しい所領を持つことを許されていないのだから、高い爵位を持つ者どもが擦り寄る理由はほとんどない。


 特に現在の国王は艶福家であり、第二王女という特殊な存在を省いても王太子以下五人の子供が存在するのだからなおさらである。


 所領を持たない御三公に対して与えられているものと言えば、王宮内の一角に与えられた邸のみ。

 その邸を飾る調度品、邸を維持するための使用人。それらを賄うための費用はすべて王室歳費の中に組み込まれている。特に支出に関して口を出されるわけではないが、その出納管理は宮内官の管轄であり、常に報告書の提出を迫られている。


 仮にも公爵家当主だというのに、これでは親に無心する子供となんら扱いが変わらないではないか。


 そう思い、何とかこの状況を改善しようと足掻いたこともあったが……その時に公爵は気が付いた。


 確かに公爵という肩書があり、そのことで王国の執政部への口出しをすることができる。しかし口が出せるだけで、何らかの結果を得ることができたことはなかった。


 実際の所、公爵の考える政策やらなんやらは過去に誰かが思いついたが資金の面で実行を断念したモノや、世間の実情にそぐわないもの。あるいは単に不満を垂れ流すだけのモノであり、その為にやんわりと拒絶されたのだが……公爵は、王宮に飼い殺しにされている自分だから意見を拒否されたのだと信じた。


 自分が無能であると理解するには、高度な教育を受け過ぎていた。自分が無知であると気が付けるほど、世間というものを知らなかった。自分が有能ではないと肌で感じられるほど、自由はなかった。


 だからこそ、本質的には無能で怠惰な性格の持ち主である公爵は“英雄”という言葉『だけ』に、魅かれていったのだろう。


 英雄物語には、英雄が苦労する場面はあってもその力量を維持するためにどれだけの努力が必要であったかが書かれることはない。『英雄だから』その一言で切り捨てられてしまう様々な事柄。

 

 物語の中ではなく、現実に生きる人間にとって真に大事なことはその切り捨てられた事柄の中にあるという事に、公爵は気が付くことなく……今ここにいる。


 『英雄』になってしまえば、全ては許される。


 確かに最初は、妖精種による“導眠術”がきっかけではあったのだろう。が、ここまでの非道を躊躇うことなく実行したのは、公爵の心が、目にしている世界が現実ではなかったからに間違いない。


 「英雄の傍らに常に存在する古血統の少女」


 それを手に入れさえすれば、自分は公爵以外の存在……『英雄』になれるのだ。そして『英雄』にさえなってしまえばすべては肯定されるのだ。


 それ故の非道。それ故の無謀。


 肩書き以外に何も持たなかった公爵は、新たな肩書を手に入れれば新たな世界が広がると、幼い子供の様に無邪気に信じ込んでいたのだ。だからこそ戦場の定石、作法、人として越えてはいけない何か……それらを無視することによって、一定の戦果を挙げられたのだろう。


 だからこそ今、壁に突き当たった。


 真っ当でない戦術を使わなくても、勝利を掴めると思い込んだために。圧倒的な兵力の差があるならば、全てを揉み潰せると信じた故に。


 戦場で名を馳せた『英雄』である万騎長、ドゥルガーという壁に……公爵は突き当たった。





















小者その2であるハイラン公爵の過去が今明らかに……


しましたけど、小者ですね。はい。小者らしさが出ていればと思うのですが……しかし小者好きですね私。


週末はちょっと忙しいので次回更新は多分週明け……多分。


その前に森の方の続きを何とかせねば……




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