四五・蛮勇
本日のキーワード:全力で〇〇
2012/03/17:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
「これは……」
目の前に広がる光景に、一瞬理解が追い付かなかった。
邪魔な妖精種の軍勢ごと敵を焼き払うという、人を殺して功を為す戦場においてすら忌み嫌われる行為で蹂躙されているはずの場所に存在するそれに、ハイラン公爵と共に騎竜隊を率いてきていたハネス伯爵はたまらずに呻いた。
そこにあったのは二〇を超える“土塁”と“土塁”に土を奪われることで穿たれる濠だった。
「……ふん、壮観ではあるな」
「……あれを凌いだというのでしょうか?」
不本意極まりない上官……軍制上では非常に怪しい身分ではあるが、ともかく自身の上位者が鼻を鳴らしながら不快そうに漏らした言葉に、伯爵は言葉を返した。
自分達がどれだけ悪辣で非道な策を巡らせたのか、彼自身よく判っている。
巻き込んだのが妖精種の軍とはいえ、後々何かを言われるのは間違いない所業だった。が、それ故にもたらされるだろう戦果もまた、多大なものになるはずだった。
しかし現実として目の前には騎竜の突撃を防ぐための“土塁”が構築されている。さすがにヴォーゲン伯爵の全軍が生き残っているとは思わないが、それでもある程度の戦力は維持されているとみるべきだろう。
さすが、と讃えるべきだろうと伯爵は心の奥底で賞賛の言葉を呟いた。
さすが万騎長ドゥルガー。
「……進みますか?」
そんな内心の称賛など欠片も露わにしないまま、後退の命令を出してくれることを望みつつ、伯爵はそれとは真逆の事を公爵に尋ねる。
おそらく自分の願いが聞き届けられはしないだろうと感じつつ。
「勿論だ。あれだけの符をつぎ込んだんだ。生き残りがいるとしても組織的に反撃なんてできるわけがないさ」
予想通りの公爵の言葉に、伯爵は自分の命がここまでだろうことに思い至った。
やはりこの公爵は戦というものを理解していない。
確かに今回罠にかけた妖精種とヴォーゲン伯爵の軍に向けて使用した“積層する炎柱”は、特別性だった。出所は王都にある新しい術式の“符”を開発する機関『創符研究府』から公爵が持ち込んだものなのだ。
どんなやり取りがあったか伯爵は知らないが、とかく攻撃に特化した“符”の研究者ばかりなあの魔窟から持ち込んだそれは、火力はそのままで従来のものよりもその持続時間は三倍という、恐るべき性能を発揮していた。
普通に考えれば……実戦の場というものを知らなければそれだけで悉くを焼き尽くすと考えてしまうだろう。
しかし世の中そんな簡単にいくものではないのだ。
従来の広域型攻撃符による飽和攻撃でも、運が良ければ生き残る者がいる。それどころか適切な指示を下せる人間がいるならば、ある程度の戦力を保持したまま攻撃を切り抜けるだろう。
例えば……恐らくあの“土塁”の向こうにいる万騎長ドゥルガーの様に。
伯爵は背筋を伝った冷や汗に、思わず背中を震わせる。
数年前、西方国境で発生した紛争中に広域型攻撃符の飽和攻撃に巻き込まれたことが伯爵にはあった。
あの時伯爵とは別の部隊……傭兵集団を取り仕切っていたのが万騎長ドゥルガーであり、共に飽和攻撃に巻き込まれた味方同士だった。
その時使用された攻撃符は、人の頭ほどもある氷塊を天空から降らせる“嘆きの涙”。暫くのちに確認したその使用された枚数は五〇枚。
“嘆きの涙”使用時に発生する前兆現象……急激な気温の低下と頭上に突然姿を現した暗雲に気が付いたあの男は、声の届く範囲の者にまず陣地構築用の符である“掘削符”で深さ七ロイ(約二m)幅三ロイ(約一m)程の溝をまず掘らせた。
そして指揮下の傭兵達をその中に潜り込ませると、剣と鑓を溝を渡す梁のように置かせ、盾を持っている者はそれも剣や槍と同様に頭上に置かせ、更にその上に“氷壁”を複数枚重ねて展開させることで、直撃を回避したのだ。
その後あの男は「たまたま効果範囲の一番外側だったから」などと言って、称賛を固辞したが……あれがなかったら一〇〇〇名の傭兵隊と、何より伯爵自身が率いてきた三〇〇名も生きながらえることは出来なかっただろう。
戦死者一万八千という大損害を受けたあの攻撃で部隊ごと生き残ることができた男が、今度も生き残っていないわけがない。
それは伯爵にとって確信に近い考えだったが、公爵が見る世界は、また違ったものであるらしい。
「それにここで引き返したら、あれだけの符を使用した成果を不意にするかもしれない……それはもったいないじゃないか?」
侯爵の言葉に、伯爵は暗鬱な気分になるのを留めることができなかった。
辛うじて表情を取り繕う事には成功していたが……出来る事ならこの若造を罵倒してやりたい気持ちでいっぱいだった。
無論そんなことは出来るはずがないのだが。
正確に敵情を掴んでいるならばともかく、相手がどれだけの戦力を残しているのかもわからないまま、もったいないから、せっかくだから……そう考えて行動した結果、過去どれだけの指揮官が成果を不意にしたのか……知らないのだ。
しかしそれを知っている伯爵は、指揮権を持たない。
伯爵は表情を変えないまま、心の中で溜息をついた。が、次の公爵の言葉に思わず耳を疑った。
「部隊を二手に分けて挟撃すればいいだろう。右から私が、左からは君が回り込んで殲滅することにしよう」
それは、伯爵が今まで願っても得られなかった好機だった。今まではずっと公爵の傍近くに控えさせられ、逃亡の機会を得ることが出来なかったが……この土壇場でその好機を得られることになるとは……
「……わかりました」
「言うまでもないと思うが、全力を尽くすようにな?」
「言われずとも」
そう。
言われなくても全力を尽くすつもりだ。こんな好機は二度とない。
このまま進めば間違いなく破滅しかない。現状でも様々な罰則を王宮……あの宰相から下されるだろうことは判っている。
しかしそれでも、こんなところで死ぬことは我慢ならない。
死ななければいつか、帰ることができるのだから。妻子が待つ、田舎ではあるがそれ故に長閑なあの故郷に帰る事ができるのだから……
全力を尽くすことを伯爵は決意した。
「陣立ては?」
「第一大隊は私が率いることにする。第二大隊は君に任せる……陣立ての変更にどれくらいかかる?」
「精霊が瞬きするほどあれば」
「わかった。では完了次第挟撃だ」
「斥候は出しますか?」
「……小隊を一つ、“土塁”に寄せて確認させよう」
「は」
伯爵は短く返答すると、斥候に出す小隊に命令を下すため、公爵の傍を離れる。その後ろ姿を見やりながら、公爵は僅かに眉を顰め小さく声を漏らした。
「……進言してくるという事は、まだ逃げるつもりはないのか?」
伯爵が叛意……とまではいかなくとも、自分に対して不満を持っていることに公爵は気が付いていた。
もっとも伯爵の方も気が付かれていることに気がついてはいるので、その件に関してはお互い様ではあるが……ともかくその伯爵が同意を示し、進言までしてくるのだからとりあえずこの場での離反や離脱はないだろうと公爵は判断を下した。
斥候に出した小隊から、土塁の向こう側に万騎長および妖精種の少女がいるとの報告が届くと公爵は驚きの表情を見せたが、生き残りの兵は歩兵ばかり三〇〇あまりとの報告を合わせて受けたことで公爵は攻撃に移ることを決定した。
三〇〇も残っていることは予想外だったが、あれだけの攻撃を凌いだのだから“符”の使用可能回数も限界に近いはずだ。
ならば挟撃し、揉み潰してしまえばいい。
あのドゥルガーといえど、三〇〇の歩兵のみで一〇〇〇を超える騎竜の挟撃に耐えられるわけがない。
「これで、あの古血統の少女を手に入れることができる」
そう思うと笑いが零れるのを止めることができない。
妖精種を利用し、西方諸侯を巻き込み、王都の『創符研究府』の創符師に頭を下げた末にようやく、英雄の証であるあの少女を手に入れることができるのだ。
公爵は、勝利の果実をその手に入れるために全力で、最も短い進路を選び騎竜を走らせる。
そんな公爵の進軍をちらりと振り返った伯爵は、冷徹な笑いをその口元に浮かべる。
伯爵が考えていることは、生き延びること。ただそれだけだった。
ただそれだけに全力を尽くすべく、騎竜の進行方向を扇の縁をなぞる様に……まるで進行方向に何かがあると確信しているかのように、大きく迂回するように指示を下す。
あんな迂回してくださいと言わんばかりの“土塁”の傍を駆けるなどと言う、正気を疑うような行為に走る気はさらさらない。
定石ならば、あの一番外側に見える“土塁”外側に、後二つ三つは“土塁”もしくは“掘削符”で掘られた溝が、“幻惑符”あたりで隠蔽されて設置されているはずだ。
そんな所に全力の突撃を掛けられるほど蛮勇に溢れてはいない。
「確かに全力を尽くすとお約束はしましたがな」
お互いの全力に関する解釈に大きな齟齬が発生していたが……伯爵は馬鹿正直に最短の距離で迂回しようとしている公爵の部隊に冷たい一瞥をくれて呟いた。
「まあ、何に対して全力を尽くすか……特に聞かされておりませんでしたし」
苦労人の伯爵が、ついに逃亡の機会を得ることができました。
果たして彼は見事生き延び妻子が待つ領地に帰還することができるのか?
……これだけで一本話が書けそうです……おっさん主人公になりますが
まあ、命令は正確に下しましょう。特に従順でない人が部下にいる場合は。
しかし、一番登場頻度が高い魔法が”土塁”二番手が”氷壁”って……




