四三・灰
本日のキーワード:現象だけは奇跡
2012/03/07:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
人間関係において、誤解はつきものである。
それが発生する理由はいくつもあるが、その一つに『つい相手も自分と同じように考えて行動すると考えてしまう』というものが挙げられよう。
同じ人間同士だからといって、全ての人間が同じ思考をたどり同じ結論に達するなどという事は、考えるまでもなくありえない。
例え導かれる結果が同様なものだとしても、そこにたどり着くまでの思考経路はまさに万人万様である。
が、人というものはつい、そのことを忘れてしまうのだ。自分と同じ思考を辿ることができるのは、世界で自分一人であるという事を。
それ故人は、自分に近しい存在を、その考えを誤解する。
自分から遠い存在に関しては「知らない」ことで誤解し、自分が知る人間に関しては「知っていると思い込む」ことで誤解を生む。それは些細なモノから永遠の決別に至るモノまで様々であるがそれは常に、日常の中生まれ続けている。
そしてそれは日常とは最も遠い環境である戦場でも、同様に発生する。
同じ部隊の中でそれは発生し、あるいは同じ国内の部隊同士で発生し、指揮官同士でも発生する。
それどころか敵と味方の間でも、誤解は発生するのだ。
それが発生する理由も、日常誤解が発生する時の理由とあまり変わらない。
部隊を率いる者は、油断しているとつい、相手も自分と同じような思考を辿り作戦を立て判断を下していると思ってしまう。
自分と同じように思考し、あるいは戦況を判断した上で指示を送っているものと、つい考えてしまうのだ。
敵対している者同士がどうしてそのような、親しい間柄で発生するような形の誤解に基づいた判断を下してしまうのか。外から眺めているとやや不思議に感じるが、実際に『敵』と相対してみればそれはよくわかるだろう。
相手は間違えようのない存在……我らに仇為す『敵』なのだ。
当然『敵』であるからして、自分が所属する陣営に対して曖昧な態度を取ることはない。誘惑してくることもない。ただ厳然として、自分達に抗う存在として迷うことなく眼前に存在しているのだ。
これほど確固として揺らぎなく、そこにあることを信じる事ができる存在を、日常生活の中で得ることができるだろうか?
それ故に誤解が発生する。自分ならば、軍を率いるものならば、そのような手段を取るはずがないとつい、考えてしまうのだ。
定石と呼んでいい戦術が確かに存在することも、そういった思考に拍車をかけてしまうのだろう。
ヴォーゲン伯爵軍を率いるドゥガ、近衛第三軍を率いる将軍ケラス=リシ=メイフェルデン侯爵が、ハイラン公爵の事を誤解したように。
そしてまた、自分を基準にして戦場を俯瞰していた公爵が、二人の力量を誤解していたように。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その大地の上にはただ、静寂が広がっていた。
やや離れた所から響く剣戟の音、符が行使される音がはっきりと聞こえるほど静かなその大地の表面は、極端な高温に長時間さらされることで硝子化し、歩を進める度足元で破砕音を立てる。
そこかしこで空気が揺らめいているのは、融解するほど熱せられた剣や鎧であった物が、蓄えられた熱を放出するせいだろうか。
誰かが唾を飲み込んだ音が、不気味な音を立てて響く。
硝子化した地面に広がる白い灰の山は、かつて人であったもののなれの果てだろう。
――露天でこんな状態になるまで焼き尽くすなんて、どれだけ高温だったんだろう……
死を象徴化したような……そうと知らなければ穢れない雪原のようにも見える真っ白な灰で埋め尽くされた大地を見て、少女は自分でも場違いなことを考えていると感じつつもそう思った。
この世界に強制的に呼び寄せられてから、少女の知る暦で換算しても僅か一ヶ月。だというのにもう遥か昔に感じられるほどに遠い元いた世界で経験した出来事の記憶。
祖父が火葬された時の事を思い出す。
あの時は密閉した空間であったにもかかわらず、終了まで三〇分以上はかかったはずだ。それでもすべてが燃え尽きることはなく……小さくなった祖父の遺骨を骨壺に収めた思い出がある。
――思ったよりも小さくなっちゃうんだよな、骨って……
ぼんやりと、ここが戦場であることを忘れそうになるほど静謐な死の大地をぐるりと見渡した少女は、そこに変わったものを見つけ、フラフラと歩み寄る。
――……これって……?
どのような奇跡の結果だろうか。
そこには不思議と火傷ひとつない綺麗な左手が……手首の先だけが転がっていた。
恐る恐るそれに近づいた少女は、その焼け残った左手の前に力なく跪くと、おずおずとそれに小さな手を伸ばし躊躇いなくその手に取る。そして、まるでそれが祭壇に捧げる供物であるかのように慎重に、掲げるように自分の目の前へと持ってくる。
余熱で温められてでもいたのだろうか。
生きている者とさほど変わらない熱を保っていたそれを、不思議そうにしげしげと眺めていた少女は、薬指にはめられている銀色の指輪に気が付き……そこでようやく今まで麻痺していた感情が追い付いてきたことに気が付いた。
この世界に結婚する際に指輪を交換する風習があるかどうか、少女は聞いたことはなかった。
しかし、この左手の薬指に嵌められている指輪が恐らくそれに近いものであるだろうことを、少女は直感で理解した。あるいはそれは少女の思い込みであったのかもしれない。少女自身頭のどこかでは自分の思い込みかもしれないと、そう考えていた部分もある。
だが、やはりこの指輪は誰かがこの左手の持ち主に贈ったものなのだろう。そう少女は思った。これが女の勘というやつなのかもしれないなと、自嘲しながら。
なぜならこの指輪は、剣を握り、武器を振るう武骨な男の指に嵌まるにしては、あまりにも細かった。施された筋彫りの装飾は繊細だった。
男だった時ならばおそらく気が付かなかっただろうが、小さいとはいえ女の身体を持った今ならば判る。
この指輪は、この左手の主を大切に思う女性が贈ったものだと。
安全を祈って送ったのかもしれない。結婚することを約束して送ったのかもしれない。あるいは夫婦である証であったのかもしれない。
――こんな、死に方って……
少女は急速に熱を奪われていく左手を……人間のものとも妖精種のものとも分からない左手に言いようのない感情を覚え、両掌で抱え込み、僅かな膨らみを見せる自分の胸に押し付ける。
嫌悪感はなかった。
そこにあったのは、この左手の……あるいは左手すら残せず灰になるしかなかった無数の兵達に対する憐れみだった。哀しみだった。嘆きだった。
確かに敵だった。立ち向かう以上命を奪う心積もりは出来ていた。あるいは命を落とす可能性があることも覚悟していた。そして実際幾人かは、自分が符の力を借りて行使した術で命を奪った。
しかし、これは違う。
ドゥガがあの穴倉の中で叫んだ通り……これはもう戦じゃない。
灰と化した兵士たちが、一体どこの誰であったのかを示すものは、もうここには存在しない。
「……西方で二度、似たような光景を見たことがある」
いつの間に背後に立ったのか、背中からドゥガの声が聞こえてくる。
「一度は敵が……もう一度は王国軍が、広域型攻撃符の飽和攻撃を喰らっていた」
俺は運よくその範囲外に居たお蔭で生き延びたがな。
そう言うとドゥガは少女の腰に手を回すと、腕の中に抱え上げる。
「あの時も地獄だと思ったが……今この光景を見ると、あれでもまだマシだったと思う……正直“積層する炎柱”の飽和攻撃でも、ここまで悉く焼き尽くすことはありえない。どう考えても適正な符の使用量を逸脱しているこれではまるで……」
顔を顰めるドゥガに、少女も頷いて同意を示す。
確かにこれは、ただ強力な符を使用してみたかった……それだけがもたらした結果なのだろうと思う。
要するに、これが作戦と呼べる代物であるとするならば……半ば以上作戦立案者の個人的な都合……あるいは楽しみのためだけにこの光景が出現したのだろう。
――ミセレイド=エメス=ハイラン……
ドゥガが憎しみに塗れた声で読んだその名前を、少女は心の中で呼ぶ。
恐らくその男が、この光景を作り上げた元凶なのだろう。
ただ自分達を討ち破るためだけに、これだけの味方を灰に変えることのできる人物。
――ミセレイド=エメス=ハイラン!
少女は胸の中に抱え込まれた左手を強く抱きしめ、もう一度心の中で強く叫ぶ。
「……なるほど……敢えて南から寄せてくるか」
恐ろしいほど鋭いドゥガの耳が、何かを捕らえたのだろう。
男の呟きに少女ははっとして見上げると、そこには今まで見たことがないくらい獰猛な表情を浮かべた男の顔があった。
だが、今度は少女も驚かない。身震いもしない。
なぜなら少女もまた、ドゥガと同じ想いにとらわれていたからだ。
――ミセレイド=エメス=ハイラン……ここで殺さないと……また同じことをどこかで絶対にやる……絶対に繰り返す……だから……!
明確な個人に対する殺意。
この世界に来て初めて、少女が自分の手で特定の誰かを殺すこと……それを心に決めた瞬間だった。
戦争も半ばを過ぎましたところで、アクィラが殺意の波動に目覚めました。
戦争で敵を殺す覚悟とはまた別の感情です。
そして何気に思考が女性よりになってる……はず。
いえ、そろそろタグの性転換が詐欺っぽいなと思っていたので……




