四二・悪夢のような
*今回はちょっとひどいことになってるので注意。
本日のキーワード:攻撃魔法って本来これくらい残酷だよね?
2012/03/05:誤記修正・ご指摘ありがとうございます
2012/03/05:文章のおかしかったところを修正
戦場において、「悪夢のような」と表現される事例が存在する。
それはたとえば追撃戦の過程で発生する戦死者の激増であったり、興奮した兵による虐殺であったり、あるいは通り過ぎる軍隊の徴発により根こそぎ食料を奪われ住民が死に絶える村が存在することであったり。
が、それらは厳密には「戦場で」発生する悪夢ではない。それらが発生するのはあくまで戦場の外であり、戦の前、もしくは勝敗が決した後に発生するものである。
悪夢であり悲劇であることを否定するものではないが、それはあくまでも戦場の外での出来事といえる。
ここで言われるものは、軍の構成員たる兵が囁く戦場での「悪夢のような」事例であり、それが示すものはただ一つ……広域型の攻撃符を用いた魔法の飽和攻撃の事を指す。
例えばそれは、高熱の炎の柱を複数出現させる“積層する炎柱”
例えばそれは、小さな雷を降らせる“奔雷”
例えばそれは、人の頭ほどもある氷塊を天空から降らせる“嘆きの涙”
例えばそれは、足元に灼熱の溶岩を湛える池を出現させる“紅き浴槽”
一枚だけでも使用されれば多大な被害をもたらすそれらの符による魔法が、限定された範囲に複数使用される……それはまさしく悪夢以外の何物でもない。
無論そのような事態を防ぐための用兵があり、戦術があり戦略があり、数々の対抗魔法が込められた“符”が存在する。
また、直接的な対抗手段ではないが一度それが行われてしまった場合、“殺し過ぎてしまう”という事実それ自体が抑止力として働いているという点もある。
戦争という行為自体において、敵兵の殺戮と勝利は必ずしも同異義語ではない。
皆殺しを行うなど、人という種の存在自体を認めていない第一氏族以外よほどの狂信的集団でもなければ行うはずもない。
戦場で殺し過ぎた結果得られるのは、敗戦国から拭い消し去りようのない憎悪だけであり、それは以後の統治という観点から考えれば明らかに障害となる感情だからである。
だからこそ、軍を率いる者は敵を殺し過ぎない。
だからこそ、軍に命令を下す者は、殺し過ぎることを許さない。
それは、戦争というあくまでも政治的な手段が目的に取って代わってしまうことを意味するからだ。
それ故に。
様々な枷を嵌められ、滅多なことでは実行されることのないこの広域型攻撃符による飽和攻撃が、一度その威力を発揮してしまった場合それに巻き込まれた兵が取ることができる手段はさほど多くない。
限界まで符を使い魔力を枯渇させて死ぬか、せめて即死できる事を願うか、あるいは億に一つの奇跡を祈りそのまま死ぬか。
その程度の事しかできはしない。
戦闘の継続云々の話ではなく、一個軍団が丸々消滅……軍事用語でいう所の全滅でも壊滅でもなく、その存在が丸ごとこの世界から消えてなくなってしまう。
場合によっては短時間で十万を超える兵をこの世界から存在ごと消し去ってしまう、広域型攻撃符による飽和攻撃。
そんな「悪夢のような」光景がこの日、この戦場に姿を現した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「正気かあの公爵!?」
遠方……近衛将軍ケラス=リシ=メイフェルデン侯爵は、ヴォーゲン伯爵の軍が攻め手を務めているはずの西方諸国連合の左翼で立ち上った爆炎を見て、たまらずに呻いた。
大を生かすために小を殺すことはままある。
かつて国境紛争の続いた西方の地で、そのような決断を下した経験は将軍にもある。いや、これは部隊の指揮をするという立場に立った者ならば、多かれ少なかれ経験することだろう。
それが軍というものであり、戦というものであり、指揮官というものだからだ。
そこにあるのは善悪という観念的な判断ではない。あくまで“勝利”を希求しなくてはならない軍というものは、勝利という現実的な結果を得るために合理的な判断を下さなければならないからだ。
しかし今、将軍の視界の先、戦場の一隅で発生したその光景は、大のために小を殺すという合理的判断……そう言える範囲を遥かに逸脱していた。
あの男……万騎長の事をそれだけ評価し恐れていたとも取れるが、正面の敵の半数を支える右翼全てを敵であるヴォーゲン伯爵の軍勢もろとも、業火の中に叩き込む必要性が一体どこにあったというのか。
「妖精種との争いとは違うという事をわかっているのか……いや、まさか?」
将軍は自分の漏らした言葉に思考を引き戻される。
これが西方諸侯の軍兵ならば、後々問題になるだろう。
後腐れなく当主ごと丸焼けにするという事も可能だろうが、それではこの場で勝ったとしても、あの宰相が黙って見過ごすことなど考えられない。
しかし、だ。
あそこに置かれていた一軍が、今まで遊軍として独自に動いていると考えられていた妖精種の軍勢だったのならばどうか?
確かに今の今まで同じ軍として行軍していることなど考えもしていなかった。
そんなことは過去の第一氏族との確執を考えればありえない事だったからであるが、そもそも考えてみれば、妖精種の一軍が手を貸していること自体があり得ない事なのだ。
そして、後々面倒なことになることが目に見えている妖精種の一軍と、ヴォーゲン伯爵軍を同時に始末しようと考えているのならば……今向こうに見える無数の火柱の存在も、ありうる事態であると考える事が出来る。
「ならば……大森林の中にいるのはいずれかの貴族の軍か……」
推論に推論を重ねる危険性を意識しながらも、将軍はめまぐるしく頭の中で周辺の地図と西方諸侯の軍勢が取るであろう行動を照らし合わせていく。
南方はヴォーゲン伯爵軍が大隊単位で複数の進路を進軍していたから、それに接触せずに南方から回り込んでくるとは考えられない。
ならばやはり北方の大森林の中を迂回してきているのだろう。妖精種の従軍を取り付けたくらいだ。大森林の中を行軍するくらいの事はやってのけるだろう。
「真実がどうあれ備えておくことに越したことはないな」
大森林の中から、もしくは背後から増援が来るだろうことは間違いないだろう。それが妖精種であれ貴族軍であれ、対応できるようにしていれば問題はないはずだ。
「しかし……あの男が死んだ風に思えないのは何であろうな」
最後にもう一度業火に襲われる右翼に視線を送った将軍はそう呟くと、眼前の敵を駆逐するべく騎竜隊に再度の突撃命令を下した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それはまるで、映画の様な光景だった。
分厚い氷によって外界の音一切は遮られ、僅かばかりの振動が濠の中の空気を揺するのみ。
その、唯一外の様子を伺う事が可能な氷の向こう側では現在進行形で地獄絵図が展開していた。
荒れ狂う炎、逃げ惑うことも許されず高温によって膨張し荒れ狂う大気によって吹き飛ばされる人だったモノ。
天まで届かんと言わんばかりの炎の柱に巻き込まれた者は、瞬く間もなく人の形をした炭と化し、ひび割れ黒化した皮膚が剥がれ落ちる間もなくその肉が骨が砕け散っていく。
炎に巻き込まれなかったものはその高温で全身の皮膚が解け崩れ、むき出しにされた筋肉から血液が溢れ出し、流れ落ちることなく蒸発し赤黒い瘡蓋へとその姿を変えていく。皮膚の下にあった脂肪は形を留められず油となり全身を覆い、何かの拍子に着火し全身を火柱へと変えていく。
広域型攻撃符による飽和攻撃がどうして恐れられるのか。
それはその防ぎようのなさにある。
確かに“抗魔符”はあらゆる魔法攻撃を防ぐことができる、万能の対魔法防御手段である。だがそれは一度だけ、使い切りの効果しか持たない。
単発で使用される場合には、使い切りの“抗魔符”があれば十分対抗できる。あるいは多少の時間があれば防御陣を展開することもできるだろう。
だが、使用されるその数が複数に渡った場合はどうなるのか。
あるいは副次効果として発揮される、魔法が関係しない熱や打撃、結果として自然現象に分類される……この戦場における高熱の乱気流などを相殺するためには一体どれだけの符を使用しなければならないのか……
故に、幸運にも生き残ることができた僅かな兵は陰鬱そうな表情で口を開くのだ。
――地獄……
少女は氷の向こう側の光景に対して一言だけ胸の中で呟いた。
それはまさしく地獄というしかない光景だったからで、それは未だに続いている、
いつの間にか、氷の天井はかつて人であった何かによって埋め尽くされていた。
死に切れなかった者達が、唯一高温とは無縁の状態にある“氷壁”……アクィラが構築した、異常な高温の中でも溶けない氷の回りに集まり、少しでも体の火照りを冷まそうとその身を押し付け合いだしたからだ。
腕や足を、皮膚を失い肉の塊としか言えないような姿になった彼らは、氷の上に集まり、蠢き、後から寄ってきた者による重さで潰されていく。熱でもろくなった骨を砕かれ、肉は焼かれ溶かされ、肉塊あるいは肉汁へとなり果てていく。
それはかつて少女が、少女でなかったころに目にしたことのある映画やテレビの中でしか存在しえなかった光景だった。あるいは……東京大空襲の、関東大震災の、原爆の映画、絵画、写真の数々の中にあった光景。
あるいはそれらよりも悲惨なそれ。
それらの光景が、一切無音のまま展開していく様は悪夢どころの話ではない。
――こんなのって……
この光景を生み出したものは少女ではない。
そのことは少女自身よく判っている。しかし、手を伸ばすこともできずにただ眺めているしかないのもまた、少女なのだ。
目前の兵達を救う術は既に存在しない。
未だに生きている者がいるかもしれない。しかしそれはまだ死んでいないというだけの話。そんな死にかけた人間を自己満足の為に助けようとするならばこの天井の氷を……この壕を安全なものにしている、外の熱波を遮断している“氷壁”を解除しなくてはならない。
無論そんなことは出来はしない。
いくら少女の保有する魔力が極大であると、あのこの世界で最も古い存在である第二氏族の長に太鼓判を押されていたとしても、同時に二つの術を使用することは出来ない。
媒体に“符”を用いているとはいえ、少女が行使している術はあくまで妖精種が使う“魔法”と同じものなのだ。言葉にこそならないがその心の中で励起文を唱え、“符”を一種の起爆剤に用いて行使する、限りなく妖精種の使う魔法に近い術なのだ。
故に、妖精種が使う魔法の理に支配される。
単発式のモノならばともかく、“氷壁”の様に長時間それを維持し続けなければいけない術は、常に制御下に置かなくてはならないのだ。
だから少女はその光景を見続ける事しかできない。
人が肉へと変わっていく光景を。
「こんなのって……」
ディーが力なく呟きを漏らす。
その手に握られた幾枚かの符から考えて、何らかの手段を講じようと考えたのだろう。そして結局手を出す方法を考えられなかった。
それはある意味当然でもある。
間に“氷壁”が存在するため、下手な“抗魔符”は使えない。何がどう干渉して“氷壁”が失われるかわからないからだ。
ならば何らかの方法で“消火”という事になるのだが、外界で荒れ狂う炎……あそこまで極端な業火の坩堝と化した空間に干渉し、その炎を消そうとするならば……それこそ土砂崩れや大洪水を起こす程の符を使用しなければならない。
無論そんな符の効果範囲にいた人間が無事ですむかといえば……焼死が溺死や窒息死に変わるだけである。
それが分かっているからこそ、全員がこの地獄絵図を見つめ続けるしかないのだ。
氷の壁と覆いかぶさる他者の重みでザクロの様に割れた兵の頭部を。水分を失いただの紐のように変わった腸を残して消し炭になった死体を。苦悶の表情すら浮かべることのできなくなった、眼球と皮を失った無残な顔を。
「ミセレイド=エメス=ハイラン……!」
ドゥガが呻くように声を漏らし、その声に含まれていた男の感情に気が付いた少女は思わず男の顔を見詰める。
その表情に浮かんでいたものは、その声に含まれていたものは……暗く深い憎悪そのものだった。
腕の中にいる少女が一瞬身体を強張らせるほどの憎悪。
それは少女が初めて見るドゥガの表情だった。
何気に使われる火炎系の魔法を、どれだけ凶悪なモノにできるかと考えつつ書いてたらこんなんなりました。
ちなみに“積層する炎柱”の飽和攻撃で発生する効果は
炎柱による燃焼、輻射熱による二次火災、二次火災による酸欠、高温の乱気流の発生とそれに伴う局地的な突風
になります……これ、実行され巻き込まれたら完全に詰みますね。
一応広域型の魔法はその効果が発生するまでに、若干の時間がかかるので(行使者が逃げるための時間が設定されていますので……時間にして三〇秒程度ですが)本来はもうちょっと色々と防ぎようがあるのですが、今回は限りなくフレンドリファイアなのであれほどの大惨事になってます。




