三九・前夜
本日のキーワード:地面は大事
2012/02/23:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
「お久しぶり。一八〇〇年振りかな?」
不意に聞こえたその声に、第一氏族の長“最初に生まれた八のうちの三であり氏を束ねる者”は僅かばかりに表情を震わせた。
「……いきなり空を渡り、突然背後から声をかけるなど……同じ時に生まれた“最初に生まれた八の者”でなければ問答無用で滅ぼしていた所だぞ?」
囲炉裏に掛けた鍋で薬湯を造りながら、第一氏族の“氏族を束ねる者”は背後からかけられた懐かしい声の持ち主に言葉を返した。
「出来もしないことをするつもり?今度は貴方の存在全部が消えるかもしれないのに」
「ふん……それで何の用だ?“最初に生まれた八のうち八であり分かたれた一より劣る二の氏族を束ねる者”よ、旧交を温め直しに来たわけではないだろう?」
「その長ったらしい呼び方やめてくれない?私としては気軽に“はっちゃん”て呼んでほしいんだけど?」
“氏族を束ねる者”の言葉に肩を竦めながら第二氏族の長は囲炉裏をぐるりと回ると、部屋の隅に積まれていた編茣蓙を勝手に取り寄せると、その上に腰を下ろす。
「名は体を表すのだぞ?そんなふざけた名で呼ばせているから、お前は一八〇〇年経っても小娘のような態度しか取れんのではないか?」
「呼び名ごときで私の“本質”が損なわれるわけないでしょ?」
“氏族を束ねる者”が漏らした、思いのほか強い皮肉の言葉に、第二氏族の長はやや小ばかにした口調で答えた。
「……それで?なぜ今この時ここに現れた?」
「いい加減気が付いたんじゃないかと思って」
人間ならば五〇歳くらいの外見の“氏族を束ねる者”の言葉に、二〇くらいの小娘に見える第二氏族の長は、こちらも端的に言葉を返す。
「“最初の八の者”が貴方達と私達に別れてから一八〇〇年。あの月を空に浮かべて一〇〇〇年。いい加減理解したんじゃないかと思って来たんだけど」
「……」
「一の者、二の者、四の者は貴方達が行ったあの月に纏わる術式の制御の失敗で、この世界に遍在する魔力へと戻った。五の者、七の者は生きるのに飽きたと言って、俗事は任せたとか言って同じように魔力へと還った」
「それが、どうしたというのだ?」
「韜晦するのは楽しい?」
第二氏族の長は、普段ドゥガ達に見せるふざけた態度の一切を仕舞い、この世界に残されたたった二人だけの“最初に生まれた八の者”の片割れをじっと見つめる。
「第一氏族にはもう、“次に生まれた八〇の者達”も“最後に生まれた八〇〇の者達”も、残っていない……最初に貴方達に賛同した者は存在せず、現在の第一氏族を支えているのは彼らの子や孫達のみ。なのにどうして純血主義なんか続けてるの?」
「……それが、我等の在り様だからだ」
「……挙句滅びそうになってるなら世話ないわね」
挑発するような第二氏族の長の言葉に、“氏族を束ねる者”は、言葉を返せなかった。結果だけを見るならば、確かにその通りではあるからだ。
「……貴方、本当に気が付いてないのね?」
再度の問い掛けに、“氏族を束ねる者”は訝しげに眉を顰めた。その表情に第二氏族の長は落胆と……僅かばかりの軽蔑の光を混ぜ合わせた眼差しを向ける。
「結局なにが言いたいのだ?」
「……いいやもう、心配してた自分が馬鹿らしくなってきちゃった」
これでもこの世界に残されたたった二人なんだから、ずっと気にはしてたんだよねー。あんた頑固だし。
第二氏族の長は自嘲交じりの声音でそう言うと、正面から、殺気と間違えるほどの強い光をその目に宿し、“氏族を束ねる者”を睨みつけた。
「私達が……妖精種がどうしてこの世界に生まれてきたのか、その理由……考えたことってある?」
「理由?そんなものがあるわけないだろう?我らはここに在り、そしてこれからも在り続けるそれが……」
「不思議に思ったことはない?“原初の泉”の魔力は、私達が生れ落ちてから後も減ってはいない。なのに新しい同胞は生まれてこない。人間の数もそうよね……彼らは私達から生まれたのは確か。だというのにどうしてその数が五〇〇〇を越えたあたりから、妖精種の間から生まれなくなったのか……普通に考えれば、そんなことはありえないってわかるでしょう?」
「……それが如何したというのだ?単に間違いが正されただけでは……」
「結局のところ」
“氏族を束ねる者”の言葉を強引に断ち切り、第二氏族の長は自分たちが到達した結論を、第一氏族には受け入れがたい結論を口にする。
「人間を生み出す為だったんじゃないの?私達が生まれた理由って。もしくは彼らの雛形だったとか……魔法的に言うなら彼らの元型なんじゃないかしら。私達妖精種は」
まあ、誰がその元型たる私達を作ったのかはわからないけれどもね
第二氏族の長はそう言うと、冷えた眼差しで“氏族を束ねる者”を見据える。
「雛形……だと?」
「そう、雛形。だから私達は最終的には彼らに駆逐される。少なくとも共存の道を選ばなければいけなかったの」
「馬鹿なことを言うな!」
“氏族を束ねる者”は久方ぶりに……およそ一〇〇〇年前に『月』を天に据えた時に起こった事故の時以来の大声を張り上げた。
「我等よりも劣った存在が!あのような矮小な存在が!我等の完成形だとでも言うつもりか!?」
「劣っているって言っても、たかが魔力と寿命が極端に少ないだけじゃない。それ以外はすべて私達と同等、もしくはそれ以上に優秀よ。まあ、個々人における能力のばらつきはあるけど……総合的には私達を越えてるじゃない?」
「馬鹿を言うな……魔力と寿命が少ない事こそ劣等であるとの証ではないか!」
「そう言い続けて一八〇〇年……貴方達は何かを生み出すことは出来たの?」
その言葉を“氏族を治める者”は鼻先で笑い飛ばす。何かを生み出すなど、それ自体劣った存在であることの証明であると思っているからだ。
世界に在るように在ることこそ最上なればこそ、何事かを生み出す行為なぞ考える必要もない。
「ま、だからこそここまで堕落したのかもね……」
「聞き捨てならんな……我らが堕落したと?」
「そー言ってるじゃないの先刻から間接的に。あなたこの一八〇〇年ちゃんと考えるってことしてた?頭の回転昔より鈍くなってない?」
「お前こそ正気なのか!?」
「おかげさまで。貴方達の仕出かした失敗の数々を見てきましたから」
辛辣な第二氏族の長の言葉に“氏を束ねる者”は押し黙ってしまう。言われた通り、一〇〇〇年前の人間の大反乱以降、局所的な勝利を収めたことはあっても大局的には負け続けていることになる。
第二氏族が手助けしたからともいえない。
彼らがしたことは精々が薬草の知識を与えたことと、東方で生まれた“符”というものをこの地に持ち込んだくらいであるからだ。
「あの月の術式だってそう。生み出され、呼び出された魂の持ち主が貴方達に従ったことなど一度としてなかった。それこそ導眠術でも使わない限りは……当然よね、あの子達の魂はここではないどこかの世界の“人間”の魂だったんですもの」
「……」
「結局貴方達第一氏族のやってきたことは、私達第二氏族が東方でやってきたことと同じだったってわけ」
「同じだと?人間なんぞと友誼を通じるようなお前たちと我等が?」
「結果だけ見ればおんなじでしょ。人間をより高い所に導いたという結果よ。貴方達は乗り越えるための壁として、私達は糖蜜を鼻先に置いて、という違いはあるけど」
第二氏族の長の言葉は再び“氏族を束ねる者”の言葉を奪う。言われた通り、結果だけを見れば彼女の言う事に間違いはない。
自分の言葉に反論できない“氏族を束ねる者”を、第二氏族の長は冷ややかな視線で見つめ、一転朗らかな口調で次の話題を口にする。
「ところで話は変わるんですけど」
「……何だ?」
「貴方、今代の古血統の子の姿は知っている?」
第二氏族の長の言葉に、“氏族を束ねる者”は首を横に振り、その態度に第二氏族の長の心がまた少し冷える。
自らが命じ、必ず確保するよう第一氏族と従属する第三氏族を動かしていたというのに、肝心の古血統の少女の姿すら知らないとは……
結局一八〇〇年前からこの男は変わっていなかったという事なのだろう。
この世界に生れ落ちてから二〇〇〇年ほどの間は、人間の言葉で言うならば兄として慕っていた“氏族を束ねる者”の頑迷さを一八〇〇年ぶりに改めて認識した彼女はもう、最低限の礼儀すら維持することに困難を覚えていた。
「“第一氏族を束ねる者”ともあろう者が、そんなことも知らないで追いかけっこをしていたなんて、ね」
第二氏族の長はそう言うと、人の悪い笑顔をそのどちらかと言えば愛嬌のある顔に浮かべ、言葉を続けた。
「あの子の器は“六の者”よ。見た目こそ二〇と少しくらいの可愛いものだけど、あの黒髪と黒い瞳は間違いない」
「な……」
「貴方達が禁忌を犯した相手が今、この世界に再び現れたことになるわ。もちろんその身体に宿る魂は人間のモノなんだろうけどね」
「……」
「貴方と番だったあの子……人間を守るために貴方達と戦い、けれども貴方達には決して手を出さなかった心優しいあの子。“星落し”から人間を守るためにその魔力を使いすぎてこの世界の魔力へと還っていったあの子」
それは一二〇〇年ほど昔の話。六番目にこの世界に生まれた彼女は、無力な人間を愛し慈しみ、その全力で人間を守り、結果この世界から姿を消した。
一の者、二の者、三の者、四の者が共同で行った、天から星を落とす大魔法から人間を守るために魔力を使い果たし、魔力へと還っていった黒い髪と黒い瞳の彼女。
「今度も貴方は彼女を手に掛けるのかしら?」
それだけ言うと、第二氏族の長は“氏族を束ねる者”の言葉を待たずに席を立ち、いまだ人間には伝えていない『空を渡る』励起文を短く唱えると、その場から姿を消した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少女はぼんやりと、夜空を眺めていた。
少女が今いる場所は、西方諸侯連合軍の南方から南西方向にかけて、距離約二ミル(五.六キロ)前後の距離である。ドゥガとグライフが率いるヴォーゲン伯爵領の軍勢一万八千は、大隊ごとに野営を行っており、そのうちでもやや南東側に配置された大隊の野営地の中である。
当初、少女の従軍に強硬に反対していた兵士たちは、言葉のつかえない少女が発揮した符の威力に息を飲み、ドゥガの傍から離れないことを条件に従軍を承諾した。
――あれは自分でもちょっとない感じだったなー
その時少女が使ったのは、妖精種の使用する励起文に起源をもつ『石弓』だった。当初その名称から単純に石礫のようなものを飛ばす符だと思っていた少女だったが、実際に符を使ってみて自分で驚きに目を見開いた。
符を使用した直後、少女から約五ロイ(一四m)程離れた地点を始点にして扇形に地面から石が弾丸のように上空へと放たれたのだった。
その勢い、その数はまるで石でできた逆向きの滝の様であり、符の効果が切れた途端上空に舞い上がった石は重力に惹かれ地面に落ちてくるという、二段構えの効果を持つ符だった。
いや、足元の地面が地中の奥深くから呼び出された石によって液状化していることを考えれば三段構えと言ってもいいだろう。
その効果範囲も異常だった。
ドゥガが判定したところ、三個中隊規模の人員が完全に符の影響範囲に入るほどの面積であり、通常使われるときの有効範囲のおよそ五倍という効果範囲だったのだ。
地面から呼び出された石の量も言わずもがなである。
『これならば、彼女一人で中隊規模の騎竜突撃を押さえ込めるぞ?』
その言葉に否応もなく兵たちは頭を縦に振った。
――直接相手に打撃を与える符は、簡単に破られてしまう……か
実戦的な符の使い方を教えてくれたあの王女は、そう言っていた。
例えば火炎系統の符は、確かに見た目は派手だし、直撃した時の破壊力は群を抜いているが、それだけに対抗手段がたくさん考案されている。
『個々人同士の戦闘ならともかく、戦争で最も使いでが良い符は大地を操る系統の符であろうの』
王女はそう言うと、理由を簡潔に述べた。
『人は歩いて敵の元に行かねばならんからの』
――言われてみればもっともな話だなー
なにしろ大地を操るのだから、その打撃は常に間接的な物理攻撃になり、単純に無効化されることがない。つまり発動した現象に対して対抗するか解除するための符を使う形になり……結果対応は常に後手に回る形になるというわけである。
――あとは、自分の覚悟次第
正直今でも覚悟が出来ているとは到底思えない。ひょっとしたら、目の前で戦いを見て取り乱すかもしれない。
それでもここからは離れられない。
今回の戦いに至るまでには様々な思惑や、この国自体が抱えている問題などもあっただろう。
けれども、自分という存在がこの戦争の直接的な切掛けになったことだけは間違いない。
ならばこそ後方で震えて、ただ守られているだけという事に納得はできない。
怖くても……自分の目でその結果を見届けないといけない。
「……そろそろ休まないと身体が持たんぞ?」
下生えを踏みつける音すら立てずに近付いてきた男の声に、少女は振り返りもせずに小さく頷くと立ち上がる。
「……早く寝ておけよ?」
ドゥガも余計なことは言わず、それだけ言い残すと傍に来た時と同じように全く足音を立てず、自分に割り当てられた毛布の所まで戻るとごろりと横になった。
それを見届けてから、少女も同じように横になる。
夜明けとともに人の命が奪い、奪われる戦場に少女達はその身を晒すことになるだろう。
戦いの朝が来るまで……時間はもう少しだった。
一寸間が開いてしまいました。
今回のお話でようやく必要な前振りが完了しました。
妖精種側の裏事情の方が多くなってしまったのは……配分間違えた気がしなくもないですが……
とりあえず次回はようやく戦争です。
当初自分で考えてたよりも”符”を取り混ぜた戦闘描写が厄介というかなんというか……
何も考えずにドカーンってのにはならないように色々足枷を考えていたので……結果やはり地味になりそうな予感がひしひしとしています。




