三六・それぞれの夜(前)
ちょっとまとまった量が書けたんで投下します
本日のキーワード:ヤケ酒いくない
2012/02/18:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
――ふう……
一つため息をついて、少女はポテンとベッドに倒れ込んだ。風呂に入ったあとの火照った肌に、シーツの冷たさが心地よい。
――まったく……ディーもサリアもちょっと過保護すぎ……
右腕がまだうまく動かないという事で、ディーと第三氏族の少女に入浴を手伝ってもらったのだが……その本気で痒い所というか、身体の隅々まで洗われてしまった事を思い出し、少女は顔を赤くした。
入浴中はディーとサリアの二人の牽制……どちらが少女の体を洗うのかという果てしなくどうでもいいやり取りの末、髪をディーが洗い、サリアが身体を磨くという少女の意向を無視した結論に落ち着いた後のことは……正直あまり思い出したくない。
いくらこの身体に慣れてしまってはいても、越えてはいけない一線があるはずなのだ。
――服だって別に手伝ってもらわなくとも左手だけで……
どうにかなるのに、と続けようとして少女は眉を顰めた。
『外部から魂を呼び込めば』
夕食前の長い話の中で、あの第二氏族のとぼけた長は確かにそういったはずだ。
『何らかの術式で魔力溜を作り出し、そこに外部から魂を呼び込めば』
その言葉が本当なら、あの森の中にいることに気が付いた時、自分はどうして服を着ていたのか。コンビニの袋も持っていたはずだ。
本当に魂だけ呼ばれたのならば、そんなものまで一緒にこの世界に来るはずがない。
――……まだ何か、秘密にされてることがある?
どんな意図があるのかはわからないが、とにかくまだ語られていないことがある。
そのことに気が付いた少女がその理由を考えようとした時小さく、扉を叩く音が聞こえ、ついでやや硬い女性の声が扉越しに届いた。
「……少し時間頂けます?」
聞こえた声は、あののんきそうな第二氏族の長の声だった。
ただしそこに含まれている感情は、今までになく真剣なものだったが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宰相閣下はいつ寝ているのか。
それは王宮における数ある不思議の一つだった。
爵位こそまだ息子に譲ってはいないが、領内の経営権は全て譲渡している。だとしても自領にはここ一〇年ほど帰らずに、ほぼ執務館と必要な部署との往復だけで日々を過ごしているというのは些か常軌を逸していると言ってよいだろう。
そんな多忙極まりない宰相の働きぶりを揶揄した言葉なのだが、宰相自身は自分が睡眠不足であるとはあまり感じていない。
体質なのか、長年の習慣のせいか、長時間の睡眠をとらずとも一日に数度短い睡眠をとれば事足りてしまうからである。
そんな宰相の執務時間は本人の意図はともかく、あまり時間に左右されない。
宰相から様々な役割を与えられている秘書官団。その筆頭がハイラン公爵の西部行きの直後から進められていた案件の報告の為に宰相の執務室の扉を叩いたのは、夜も大分遅くなってからだった。
「本日夕刻ハイラン公爵邸にて内偵中だった対象を確認。私以下秘書官団にて捕縛を実行しましたが抵抗が激しくこちらへの被害が出る可能性が出てきたため捕縛は断念。対象を射殺しました」
ほんの数刻前に、ある意味この王国始まって以来の大捕り物を指揮していたはずの筆頭秘書官はそんな捕り物に参加していた疲れを欠片も見せず、淡々と報告書を読み上げた。
「申し訳ありませんでした。口を割らせられなくとも最低限確保くらいはしておきたかったのですが」
対象……二巡りほど前からハイラン公爵の屋敷に隠れていた第一氏族の女を確保できなかった筆頭秘書官は、自分の上司に頭を下げた。
「構わん。どうせ奴らは下賤な人間の手に落ちるくらいならば死を選んだだろうからな……それにどうせあらかた裏は取れているのだろう?」
宰相は目の前に積まれた決済待ちの書類に目を通しながら、自分が最も信頼する男に話の続きを促す。
「は……おそらく公爵に賛同した西方諸侯の半数は導眠術の影響下にあると思われます」
結果、今日の昼に報告が上がってきた事態が今朝方発生したわけではあるが……今はそのことを考えても仕方がない。王国を支えるべき有意な人材と貴族領の住人とはいえ国民の命が多数奪われたが、失ったものは返ってこないのだ。
既に西部諸侯の軍が進む進路上の貴族領には各所の王国直轄領から急使を派遣し、物資の提供と通行税を免除させるように伝えた。相応の対価も王国側が負担するとも添えている。その上で西部諸侯に通行税を要求するような愚か者は……ウェルトマス男爵領の件を知った上ではいないだろう。
内面にある様々な思いを一切面に出すことなく、宰相は疑問を口にする。
「導眠術か……人間ごときにその技を使うなぞ、いよいよ奴らも追いつめられてきたという事か?」
導眠術……妖精種の一部が使用する術で、被術者に暗示を与え特定の方向に思考を誘導する魔法と言われている。
が、記録を見る限りその術が人間に使われたことは一度もない。理由は様々だが『動物に使う術ではない』と妖精種……第一氏族が考えていたからだと言われている。
ともあれ理由はどのようなものでもかつてその術が人間相手に使われたという記録は判明した限りでは存在しない。王国に残る数少ない記録であるのは五〇年前の古血統の少女との面会時、その他の事例は王国内在住の第二氏族に使われたらしいという数例のみ。
「まあ、表に出ないだけで実際は裏で色々やっていたという可能性も……ないな」
念のための可能性も考えてみたが、それはないと断定する。そのあたりの線引きに対して第一氏族という連中は非常に厳格だ。人間と家畜が決して同じ位置に立たないことと同じくらいに。
「それだけ“今”が特別という事になるが……そうなるとあの男が連れて歩いているという妖精種の少女が原因ということはほぼ確定……だろうな。しかし、奴らにとってそれほど価値があるのか?その少女は……五〇年前とは明らかに奴らの反応が違うぞ?」
「判りません……が第二氏族の長が伯爵領に入った報告もありました事ですし」
「そう見做すのが順当という事か……いっそここへ呼び出してみるか?」
長年続いた第一氏族との対立。だがそれはある種決まりきったことを繰り返し続けていた……そうとも表現できる。
それが“今”という時になり、大きく変化が生じているのだ。その少女が妖精種にとってどんな意味をもつ存在なのか、気にはなる。
「伯爵家と対立することまで念頭に入れるのならば、その方策も構わないかと思いますが」
「冗談だ。最終的に屈服させることは可能だろうが、それで国が滅びては元も子もない」
「ならば」
「派遣した近衛第三軍に伝えろ。西部諸侯連合は国を乱す輩に成り果てた。騒動が沈静化するまではヴォーゲン伯爵と共にあらゆる方策を用いて事態を収拾せよとな」
「あらゆる方策を用いても、ですか……?」
宰相の命令に含まれた、将軍に与えられるその裁量の幅。そこから導かれるものに筆頭秘書官は眉を顰め、少しばかり咎めるような表情を作る。
現在は宰相が統括しているとはいえ、近衛の兵権は建前上国王が握っていることになっている。であるというのに宰相が伝える命令、そして将軍の気性を考えれば。
「私は現場の人間の判断は尊重する。結果が伴うなら目を瞑ることも知っている」
「……わかりました。それでは命令書を……」
「これを持って行け」
踵を返そうとする筆頭秘書を呼び止め、宰相は蝋封のされた封筒を取り出し、書類を避けた執務机の上に放り投げる。
「承りました」
封筒を受け取った筆頭秘書が退室して暫くして、忙しなく目を通していた書類と動かしていた筆を置いた宰相は、小さく呟きを漏らした。
「……陛下に奏上する必要が出てきたな……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……少しいいかの?」
近づいてくる足音から当たりを付けていた人物……王女がかけてくる遠慮がちな声に、ドゥガは型をなぞっていた剣を下ろして振り向く。
「相変わらずわが師の型稽古は見ていて惚れ惚れするの」
王女はそう言うと、傍らに建てられた四阿に入り藤製の椅子に腰を下ろし、少し大きめの酒瓶とグラスを長机の上に置いた。
「……こんな所で酒盛りか?」
ドゥガがやや呆れた声を上げる。
「なに、折角こうしてまた会えたというのに、考えてみればずっとバタバタしていて……まだゆっくり話もしていなかったからの」
「……そういえばそうだな」
ドゥガは剣を鞘に収めると王女が腰を下ろしている四阿に入り、備えてあるランプに火を灯した。
「手慣れたものだの」
ランプと共に備えられていた火口箱から火付け石と火種縄を取り出し、数度火付け石を打ち鳴らしただけで簡単に火種縄に着火、起こした火種でランプに火を灯すまでの一連の作業を淀みなく熟す男の手慣れた様に、王女は感心したように声を上げた。
「こんなものは一巡りも野宿を続ければ誰でもできるようになる」
「そんなものかの……それはあの娘もできるのか?」
「アクィラか?ああ、割と器用に火をつけるな。それにあの年の割には意外と料理の腕も悪くない。あの森からハリツァイまでの間に何度か作ってもらったが、ディーも感心していたな」
「それはよかったの……」
なぜか不機嫌そうな声を漏らす王女に男は首を傾げた。
「何か気に障ることでも言ったか?」
「……いや、気のせいであろう。それよりもドゥルガー、お前あの女の話をどう思う?」
「……まあ、嘘は言っていないだろうな」
王女の問いに、言外にあの友人でもある第二氏族の長が全てを語っていないことをほのめかす。
確かに彼女は男の大切な友人の一人ではあるが、彼女自身は妖精種第二氏族の長でもあるのだ。人間の自分に言えないことなど山ほどあるのだろう。
「それだけに、あいつが話してくれたことは恐らくすべて本当だ」
「……まったく……一から十まで学者どもが聞いたらひっくりかえるような話だったぞ?」
そもそもの始まりである……人間の祖が妖精種であるという話だけで、下手をすれば王国の屋台骨が揺らぎかねない。
だからこそあのとぼけた女性は人数を限って話をしたのだろう。
「あの娘は……生まれた時からあの姿ではなかったという事なのだな」
「そういう事になるな……言われてみれば思い当たる節は色々あったと思う」
ただ、あの少女は声を失っていたせいで、そのあたりを伝える術がなかったのだろう。
どこか人に頼り切ることを良しとしない潔さが、その不自然さを隠していたのかもしれない。
「……恐ろしくはないのか?」
ぽつりと漏らした王女の言葉に、ドゥガは僅かに眉を顰めた。
「私は、少し怖いぞ……古血統に纏わる話の大半が真実であるなら……あの娘はいつ発動してもおかしくない攻撃符と同じような存在であろう?」
「……確かに、そう考えても仕方ないな」
ドゥガは王女の言葉を肯定した。第二氏族の長の話を真実とするならば、古血統の少女という存在が相当に危険な存在であることは間違いではないのだから。
王女が恐れを抱く気持ちも判らないわけではない。しかし……
「まあ、一度アイツとちゃんと話してみればわかる」
「……話すと言っても、あの娘は口がきけぬであろう?」
「まあな。だが、あいつはそのことを自分でよく理解している。こちらがきちんと話題を振ってやれば、表情と身振り手振りで大体言いたいことは判るものだぞ?」
あの表情を一度でも見れば、あの娘がそんなに危険な存在であるとは思えなくなるだろう。
「それに、あの娘は命の重さをきちんと知っている。早々にその力を暴走させるとは考えられんな。そして……」
何よりそんな事態にはこの自分がさせない。その為の約束を……自分の命が尽きるまで守ることを誓っている。
だから、あの少女が過去の古血統の少女のように大破壊をもたらすことなどありえないのだ。
ドゥガが続けなかった言葉の先、そのことをどのように受け取ったのか、王女は少し不安そうに言葉を告げる。
「……その先の言葉を聞きたいというのは不調法なのであろうな」
「すまんな。あの娘とした一つだけの約束だからな」
「そんなにあの娘が大切か?」
「少なくともお前やディーと同じくらいには大切だぞ?」
男の言葉に王女は大きく目を見開き、視線を泳がしそして深々と溜息をつくと持ってきた酒瓶の蓋を開けるとグラスになみなみと酒を注ぐと一息にそれを呷った。
「お前……それはヴェニトの澄酒だぞ?」
その飲みっぷりに、ドゥガは目を丸くし、呆れたような声を漏らす。
伯爵領の南西にある小さな村で作られる米を原料とする透明なその酒は、薫り高く口当たりが良いことで有名だが、その強さもまたよく知れ渡った特徴である。
今王女がやったように一息に飲むような酒ではない。
「ふん……飲まずにやってられるか……いいから付き合え」
王女はそう言うと再びグラスに……今度は二人分注ぎ、片方をドゥガの方に押しやる。
「それとも私が注いだ酒は飲めんというのか?」
ほのかに目元を赤く染めつつ、胡乱気な視線を向けてくる王女の言葉に逆らうわけにもいかない。ドゥガは手元のグラスを手に取ると小さくため息をつき、ランプの光を受けて煌めく透明な液体を呷った。
主食が米なので、お酒は純米酒ということで
何気に吟醸酒だったりします
ドゥガのスルーっぷりは立派に主人公スキルだよなと思いつつ……相変わらず主人公は超受身です。




