三四・侵攻
本日のキーワード:ピーに攻撃符
燃えている。
街が、畑が……そしてそこで日々の生活を営んでいた住人が、燃えている。
その光景を、この小さな箱庭のような所領を治めていたウェルトマス男爵は、自らの屋敷の庭から為す術もなく、呆然と見つめていた。
三つの月が沈み、太陽もまだ昇りきらない早暁にやってきた先触れの使者から告げられた口上は、
『ヴォーゲン伯爵領に王宮から姿を消された王女が軟禁されているとの報告あり。事の真偽を糺す為に我ら王女に忠なる者の手により武威をもって伯爵にその翻意をうかがうものなり』
というものであった。
その口上を聞いた時、男爵は先触れの使者の前で思わず吹き出しそうになり、それを抑えるために必死で渋面を保っていた。
――確かにあの伯爵家の行いには、王国の藩屏である貴族としては色々と言いたいことはあるが……
公人としてではなく私人としてならば、特に敵意を抱いたことはない。
数年前の小麦の不作時には……小麦ではなく、米という不思議な穀物ではあったが……食料の援助までしてもらったことで、領民から餓死者を出さずに済んだという恩すらある。
王女の軟禁という言葉にも不自然さがある。
あの伯爵家は妙に第二王女と縁が深い。
もう一五年ほど前になるが、王都をお忍びで出歩いておられた第二王女が暴走する馬車に巻き込まれそうになった時、あの当時はまだ伯爵家を継ぐ者と思われていた長男が、王女の命を救ったという事件があった。
その後しばらく王女の傍付の武官のような立場にいたその長男は、妾腹であることを理由に継承権を弟に譲り、王都から姿をくらました。
王女の剣術指南役にいつの間にか納まっていたことを考えると、その後も王女とだけは連絡を取り合っていたのではないかと思われるが……ともあれ第二王女とは縁が深いことには変わりはない。
そもそも第二王女を軟禁する理由が、損得だけで考えても一つも存在しない。
名前だけは知られてはいるが、それでも先祖返り。王位継承権を持たない。されどある程度は王族として遇しなければならない。そんな王女を攫って何らかの利益を上げることなど土台無理な話なのだ。
そこまで考え、男爵は今回の件の一部であの食わせ物と名高い宰相の思惑が一枚噛んでいることに気が付いた。
細かな政策面の話は分からないが、ここ最近公爵と西部諸侯……つまり今回の軍勢を率いる方々が対立し始めているという話は、この田舎男爵の耳にも入ってきている。
詳細はわからないが、対立している西部諸侯と、王国内最大の不穏分子と言われているヴォーゲン伯爵家を争わせ、その勢力を削ぐことが目的なのだろう。これくらいなら田舎者の自分でも想像することができる。
口上の中には『王の名に於いて』とも、『武威をもって王女を救い出す』とも含まれていないことも、暗にそれを肯定しているだろう。むしろ大っぴらに、今回の件に王家は関わっていないと宣言しているに等しい。
おそらく伯爵家との交戦の自由、それにまつわる軍事行動の許可、戦後の行動の保障あたりが認められた限度なのだろう。
ならば、今回は既定の通行税を貰い、余剰物資を供出する……くらいが現実的な対応であろうと男爵は結論付けた。
確かにヴォーゲン伯爵に個人的な恨みはないし、ある程度の恩義は感じている。伯爵家が負ける可能性もさほど高いとは思えない。しかし、所領のすぐ外に大規模な軍勢が控えている今、明確に伯爵側につくという態度を取るわけにもいかない。
男爵は先ほど下した結論を使者に伝えて屋敷から退去させると、必要な書面の作成に着手した。
執務室からも眺めることが出来る、まだ生育途中の青々とした麦畑。
そこに業火の火柱が複数立ち上ったのは、余剰物資の供出とその対価に関する書面を作成した直後だった。
「よろしかったので?」
先ほどまでこの小さな所領を治めていた男だったモノを一瞥し、様々な意味を含んだ一言をこの混成軍の副官であるハネス伯爵はハイラン公爵に対して漏らした。
広域型攻撃符『積層する炎柱』により、あらゆるものが燃やし尽くされ、妙に広々とした男爵の屋敷跡にいるのは、この惨劇を命じたハイラン公爵と副官扱いのハネス伯爵他数名。本来この場にいるべき他の貴族は、自領の兵士と共に略奪した物資の分配に勤しんでいるようだ。
正直なところ、ハネス伯爵は叶うものならばこのまま自分の手勢を引き連れて、所領に帰りたくてたまらなかった。馬鹿公爵という噂はさんざん聞かされていたが、噂は噂に過ぎないと実感してしまったからだ。
この公爵は馬鹿ではなく、壊れている。
言動は一見まともだが物事の理非を弁えていない…というよりも明らかに逸脱している。でなければ、作法通りの対応をしたウェルトマス男爵領をいきなり焼打ちになどできはしない。宣戦もなく火をつけるなど……凶悪な野党ですら滅多なことではやりはしない。
――完全に貧乏籤だなこれは……
ハネス伯爵がこの混成軍にいる理由は、親族とのしがらみから生じた結果からであり、伯爵自身は第一氏族からの提案がろくでもないという事に繋がるだろうことを、毛の先程も疑っていない。
そんな伯爵がなぜこの混成軍に在籍し、ハイラン公爵の副官などという胃に穴が開きそうな立場に立っている理由は、具体的には妻の実家……セルデイン侯爵家が今回の騒動の中心を占める貴族の一つだったからである。
セルデイン侯爵家がこの件に関わっていなければ、伯爵はありとあらゆる手練手管を用いてでも、今回の騒動に関わることはしなかったであろう。
が、現実として彼はこの場におり、混成軍の副官として、ハイラン公爵につき従う位置にいる。
長年西部国境付近での小競り合いを指揮し続けてきた指揮能力、実戦経験を買われてである。実際のところ五万近い規模を誇る混成軍の軍勢であるが、実戦経験のある者は伯爵が従えている千を含む五千がいいところだった。
大部分の兵士は領内警備と、せいぜい盗賊団の捕縛くらいしか実践経験はないはずだ。
――そんな兵であの男と剣を交えろというなど……
公爵の副官となることを、義父であるセルデイン侯爵から言い渡された時に一通りの反論はした。
確かに数の上ではヴォーゲン伯爵家が揃えられる軍勢の三倍以上はいるだろう。
しかし練度の点ではヴォーゲン伯爵家の方が数段上である。ヴォーゲン伯爵は定期的に自領の兵を西部国境に派遣し、マナート山での小競り合いや西部の蛮族討伐、あるいは国境防衛戦などに従事させ、常に一定の実戦経験を積ませている。
確かに国政に口出しをしないという王家との約定はあるが、外敵と戦わないという約定は結んでいない。なにより王国のための派兵であるのだから、口を挟むことなどあの宰相ですらできはしない。
――自分たちの代わりに、誰があの辺りの安全を守ってきたのかも覚えていないのか?
加えて伯爵領に存在する煉符師の養成学校の存在もある。有事の際に用意できる戦闘用の符がどれくらいあるのか……
そして、恐らくはヴォーゲン伯爵の軍を率いて出てくるであろうあの男……かつて西部国境付近で轡を並べたこともあるあの男が率いる、傭兵ではない訓練の行き届いた軍勢と矛を交えるなど……ハネス伯爵にとって悪夢以外の何物でもない。
敵……ヴォーゲン伯爵軍の事を考えるだけで、それだけの悩みの種が出てくるというのに、今回の狂気の沙汰だ。
伯爵が漏らした先ほどの問いかけに、劫火で焼き払われた男爵領を眺めていた公爵は、うっとりとした表情で言葉を返した。
「何を言っている?英雄に協力できない奴なんて、敵に決まってるだろう?」
その公爵の言葉に、表情を変えなかった自分を伯爵は褒めたくなった。
忌憚ない意見を言わせてもらうならば……今の公爵は完全におかしかった。確かにろくな噂しか聞かない男ではあったが、ここまでイカレているという話だけは聞いたことがなかったはずだ。
それがこうも壊れているというのは……この軍勢が行軍を開始した時か、男爵領が更地に変わったあとか……それとも遥か以前からなのか。
さらに問題なのは、公爵の壊れ具合が中核の三つの貴族にまで伝染していることである。善人とは決して言えないが、だからこそそれなりに常識人だった義父のセルデイン侯爵が今回の仕儀に反対すらしなかったことも気にかかる。
「心配しなくても大丈夫さ。この件が済めば誰もが私の事を英雄と呼ぶようになる……そうなればこのような些事、誰も気にしなくなるさ」
――英雄、英雄、英雄か……
伯爵は心の中で毒づいた。
ともかくこのままこの英雄狂いの公爵に付き合っていたら、待っているのは破滅しかない。
――どこかでうまい事捕虜にでもなるしかないな……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「つまり、あれらの御伽噺はほぼ史実であると……そういう事ですか?」
ヴォーゲン伯爵家当主ガディウスは、さすがに表情を硬くしながら確認するように、目の前で茶をすすっている第二氏族を束ねる長にそう言う。
「まあ、大体はねー。あれらの話を広めたのって、ほとんど私ですし?」
「……初めて聞いたぞ?そんな話」
長の言葉にドゥガが渋面を作るが、彼女は気にせずに茶請けの干したマレアの実を一つつまみ口にする。
「だって聞かれなかったから?」
いっそ清々しいほどきょとんとした表情でそう返してくる第二氏族の長に、王女はため息をつき、ディーと伯爵は小さく笑いを漏らし、ドゥガと少女は同じように頭を横に振った。
五人のいる場所は伯爵邸の執務室である。話を聞いているのは伯爵と王女、ディーとドゥガと少女の五人のみである。
伯爵家の血筋の問題にも繋がる話がポロリと零れる可能性が多分にあったため、人数を限ることを伯爵が提案した結果である。
少女の自称従者である第三氏族の少女だけは最後まで渋ったが、少女に両手を握りしめられ、その黒い瞳で懇願された結果顔を真っ赤にしながらし渋々引き下がったという一幕もあったが、とりあえず現在の話には関係がない。
「まあ、お前がそういう奴だという事は判っていたがな……」
「……あれ?そこはかとなく貶されてる?」
「それで、初代『槍の王』の奥方が古血統だという話は本当なのか?」
「本当よ?」
なぜか疑問系で返答する長は、手で弄んでいた茶碗を机の上に置くと、暫く考えてから口を開いた。
「古血統の女の子は……と言っても女の子しかいないんだけどね?凄い力を持ってるの」
「さっきの御伽噺での話かの?確かに凄まじい魔法をつかえるようであろうが……」
「んー……厳密には魔法じゃないのよねぇ……それに魔法では、妖精種から人間にその身体を変じることは出来ないでしょう?」
その言葉に、少女以外の魔法の理論をある程度理解している一同は表情を強張らせた。
生命力の相互不干渉原則……そう呼ばれる現象がある。
細かい理屈は省くが、要するに生きている生物の肉体に変化を及ぼす魔法は存在しない、そういう事である。
だというのに、その大原則を外れた事象……妖精種から人間へと種族の変化を起こしたなどと言われれば……正直どういった反応を返せばいいのか。
「ま、そんなわけで古血統が特殊だっていうのはそういう所にあるのよね。確かに普通に蓄積してる魔力も相当なもんですけどね?」
「魔力でないとするなら、イラちゃんを含めた古血統の力って、なんなんでしょうか?」
恐る恐る尋ねるディーに対する答えは簡潔だった。
「一言でいえば奇跡よねー」
そう言ってから、これでは説明がさすがに足りないかと思ったのか、長はポリポリと頬を指先で描きながら言葉を続けた。
「これは説明でも何でもないような気がするけど、そういうものだと思って聞いてくれると嬉しいんですけど?」
その言葉に一同はそれぞれ首を縦に振る。
「古血統の子には、世界を書き換える力があるの」
週末はきつかった……
けどとりあえず復活したような感じです多分。




