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この空の下、大地の上で  作者: 架音
一章・古血統の少女
32/59

三一・月下の約束

本日のキーワード:指切り


2012/02/01:誤字修正・ご指摘ありがとうございます

 少女は空に浮かぶ三つの月を、窓辺からぼんやりと見上げていた。


 ――ここの所ちょっと寝すぎてたからなー


 矢で射られるという、あちらの世界では恐らく一生出来ない経験をしてから今日で一巡り……こちらで言う一週間、八日が過ぎている。

 もっとも、最初の五日間は意識を失っているか朦朧としていたせいでそんなに過ぎたと感じなかったのだが、眼下の光景を見るとそれくらいは経ったのかなと、そんな風に思えてくる。


 闇を見通すという妖精種の目。今は人間ではない自分の目は月明かりだけでもある程度夜の世界を見渡すことができた。


 ――これだけは便利……そう言っていいのか悪いのか……


 いい点は今のように真夜中でも昼と同じくらい……とまではいかないが、人間だった頃よりも遥かに夜目がきくこと。

 悪い点は……今の場合、一巡り前に起きた襲撃事件、それがもたらした結果がはっきりと認識できてしまうという事か。


 天から地へ。


 巡らせた視線の先に会ったのは破壊の爪痕だった。この街がどれくらいの広さがあったのか、そのことを知る間もなく襲撃を受けたせいでよく判らないのだが、被災した建物は全体の三分の一と聞かされている。

 自分の身柄を狙った第一氏族の手でそれは為されたのだと聞いたことを思い出し、少女は寒さではない感覚に背筋を震わせた。


 目に見える範囲には、実のところ燃え落ちた建物の残骸はそれほど多くない。あるのは整地された更地と、建て直され始めた建物の骨組みがほとんどである。

 ドゥガから聞いた話では、生き残った商人には援助金が出され、税金の免除等の補償がなされているらしい。人足の手配なども一括して伯爵家が行うことで、復興を速やかに行う予定だとも言っていた。


 復興にどれだけの資金が必要になるのか、少女には見当もつかない。が、眼下の光景は街の再建に向けてこの街の住人が動き出している証拠である。本来ならば歓迎すべき事柄なはずだ。


 しかし……その手が付けられ始めた土地や建物の間に存在する、放置されたままの残骸が何を意味するのか……

 墓標のように佇むかつて建物を支えていた柱だったモノ。それが示す事柄はつまり、その所有者がすでにこの世界にいないという事を示しているのではないか?


 所有者がたまたまこの街を離れていた……そういった可能性もなくはないだろう。しかし、全てがそうとも言い切れない。


 だからこそ余計にその残骸が少女にとっては痛々しく……それ以上に禍々しく見える。


 決してそんなことはないはずなのだが、燃え残り、真っ黒になったかつて建物であった残骸、建物の骨ともいうべき柱や、崩れ落ちた梁はまるで地の底からはい出そうと足掻く死者の手のようにも見え、無言のうちに少女の心を責め苛む。


 ――……死者約五〇名、行方不明者三七名、怪我人約六〇〇名か……こういった場合の行方不明者って、ほとんど死んでるよな……


 それが今回この街が被った人的被害である。


 ドゥガは『この規模の火災で、しかも第一氏族が絡んでいたにしては奇跡的に被害人数が少ない』と、そう言っていたが……それでも五〇人……“約”とついているのは……一人分か二人分か、それすらも判らないほど焼き尽くされた死体が混ざっているかららしい。行方不明者を含めるなら八七名……約一〇〇名と言ってもおかしくない死者の数だ。


 ――俺の事を手に入れるために、か……


 直接的な責任はない。

ドゥガやディー、イーシェとジェネリア、セシル、それとなんでこの街にいたのかよく判らないが、第二王女様まで違う言葉で同じようなことを言ってくれていた。


 理屈では、わかる。


 この土地を治める王国と、北に広がる大森林に住む妖精種の一つ、第一氏族との間の協定も教えてもらった。だから今回のこの件は、全面的に襲撃してきた方が悪い。宝石の価値が恐ろしく高くとも、宝石自体に罪はない。宝石を手に入れるために形振り構わず、手段を選ばなかった方が悪い。

 今回のそれはそういった類の事件なのだから。


 ――……けどまあ、俺は宝石じゃないから……


 意思を持たないただの宝石なら、この目の前に広がる傷ついた街並みや、失われた命、傷ついた人達についてこんなにも悩まなくてもよかっただろう。

 そしてその悩みは巡り巡って根源的な問いかけに変わっていく。


 ――俺は何で、こんなところにいるんだろ……


 当初は悪夢だと思ったが、そんな些細な勘違いは圧倒的な恐怖で切り裂かれた。たまたま出会ったあの男から、少しずつこの世界の事を教わり、自分がこの世界でもかなり特殊な存在であることを理解した。その後に起こった貞操の危機……


 そのことを思い出し、少女は怪我を負う前よりもそのことを重く受け止めていないことに気が付いて思わず噴き出した。


 ――そう言えば、セシルさんて男だったんだよなぁ……


 外見は完全に女性にしか見えない妖精種の男性。


 ――それとグライフのオジサン……あの人にはもうちょっと拒否感あってもよかったはずだよな?


 別に人物の好き嫌いではなく――確かにやや下品な所には閉口するが――少し前の自分なら、あんな男くさい人物は身体が勝手に拒絶し、恐怖に震えていたはずだ。その拒否感が今は綺麗サッパリなくなっている。


 ――死にかけることに比べたら、些細なこと……そういう事なんだろうな


 少女は嘆息すると、胸に残された傷跡に自由に動かせる左掌をそっと被せる。その下にあるのは心臓と、身体に喰い込んだままの鏃。


それは勲章……そして、自身に与えられた罰の象徴。


 勲章は、ディーの事を助けられたことによるもの。罰は、自分の手で一つの命を奪ったことによるもの……事によるならば、自身の存在そのものだろうか?


 ――二人目……か


 最初に殺してしまった男に関しては事故だった……そう言えないこともない。しかし二人目の妖精種の男は違う。

 ディーを助けるという目的があったことは確かだが、自分の意思で、自分の手で、一つの命を奪ったのだ。

 それ自体も少女にそれなりの衝撃を与えてはいたが、むしろ少女は殺したことをあまり気に病んでいない自分に気が付き……そのことの方がむしろ少女には衝撃だった。


僅かに二回。この世界に来てからまだ二〇日程度しか経過していないのに“殺す”という事に慣れるのが早すぎないだろうか?


 ――漫画や小説なんかじゃ、自分の掌に血が見えたりするらしいんだけどな


 じっと左手を見ても、そのような幻視を見たことはない。いつも通り、小さく繊細な女の子の白い手があるだけだ。


 ――古血統か……何者なんだろな、俺は


 ドゥガから聞かされた話……かつてこの世界に存在した古血統の御伽噺……そのどれもこれもとまでは言わないが、その多くの話は人間の友となり、不当な妖精種第一氏族からの迫害から人間を守り、多くの敵を滅ぼしたと……讃えられている。


 けれどもそれは、見方を変えれば古血統というものが、大量殺人者であるという事を示しているのではないか?


 御伽噺の少女たちは“魔力”という目に見えない力に溢れ、その力の導きのまま戦い、勝利を呼び込んだと言われている。が、あるいはそれは力に振り回されながら、殺戮を繰り返していただけなのではないか?


 そして自分はそんな少女達と同じ姿形をしている……殺人に対する忌避感が、こんなにも急速に薄れているというのは、つまりはそういう事ではないのか?今回の件も、自分という存在自体が死をまき散らす根源的な存在であるからではないか?


 ――ならばいっそのこと、この胸の傷を……


「……そんな恰好でいると、また体調を崩すぞ?」


 不意にかけられたその声に少女は一瞬肩を竦ませ、それから一つため息をついた。


 ――どうして落ち込んでるタイミングが分かるのかなー……


 この男の察しの良さは、本当に超能力じみていると思いつつ、なんだかおかしくなった少女は微笑みを口元に浮かべて振り向く。


 ――用意がいいなー


 男の手には軽くて柔らかそうな肩掛けが用意されており……それから考えるなら、恐らく夕食の時にはもう、おかしな雰囲気を察していたのだろう。


「珍しくディーのされるがままになっていたからな。何か考え事をしていたんだろうと思ってな」


 その男の言葉に、判りやすすぎる自分の態度に少女は呆れ、小さく息を吐いた。そして思い直すように小さく頭を振ると再び笑顔を浮かべ、ベッドに上がるとペタンと腰を下ろし、自由な左腕で自分の傍らをポンポンと叩いた。

 いささか幼すぎる行為だと少女自身も思ってはいるが、言葉が話せない以上、オーバーアクションな、子供っぽい仕草になるのは仕方がないという割り切りが最近は出来てきている。そのことでディーにやたら可愛い可愛いと構われまくるのはいただけないところであるが。


「……こうして二人だけで過ごすのも、考えてみればずいぶん久しぶりだな」


 腰を下ろしたドゥガは右肩が不自由な少女の肩に肩掛けを掛け、妙にしみじみとした口調で言葉を漏らした。


 ――言われてみれば、そうだなー


 思い返してみれば、この男と二人きりだったのは最初の四日間だけだった。あの森から出たその後はあの村での事件と、ディーと合流。その後は特にディーがやたらと構いたがったせいで、男とこうして二人きりになるという事はなかった。


 ――でもまあ、五分の一はこいつと二人きりだったという事だよなー。一応この世界での人生が二〇日前から始まったと考えれば、結構長くも感じるか?


「今更だが……傷の方はどうだ?」


 その問いに、少女は些かさびしそうな微笑みで答える。


 結局右腕は傷口は塞がっても以前のように動かすのは難しいという話だった。回復訓練……リハビリをすればある程度は可動域を増やせるという話だが、筋を損傷しているためある程度の範囲までしか回復できないらしい。

 胸の傷に至っては、強い衝撃が加わった場合命に係わるとのことだ。


「だが、今悩んでいたのはそのことじゃない……だろう?」


 ――まあ、ね……


 今悩んでいたのは、自身の正体についてだった。結局のところ、古血統とは何かという事を教えてもらい、考えてみても『物凄く強い能力を持った妖精種』という事くらいしかわからないのだ。


 『物凄い能力』が、自分の意思で制御できるのかどうかすら判然としない。


 ことによれば、その『物凄い能力』は無差別に猛威を振るうかもしれないのだ。自分の意思を離れて。この世界で出会った恩人……大切な人たちを巻き込んで……


 今回の襲撃で第一氏族が自分の事を並々ならぬ熱意で欲していることを知り、この国で五〇年近く前に起こった事件の事を教わり、古血統の御伽噺を聞くことにより……それは少女にとっての恐怖になった。


 このまま無力な少女のまま……その方がずっといい。


 今までずっと、無力な自分であることを悩んでいた。けれども不必要に周りを傷つけるような存在になるのなら……無力なままでいい。いや、むしろいっそのこと……


「ひとつ、約束をしよう」


 暗い顔で俯いてしまった少女の頭を軽く叩き、ドゥガは優しい声音で続けた。


「もし、お前がお前の意思に反して誰かを傷つける……そうなった時には」


 ――……そうなった時には……?


「そうなった時には、俺が責任を持って、お前の命を終わらせてやる」


 その、限りなく優しい口調とは裏腹な内容に、少女は思わず呆気にとられてしまい……続けてその顔を笑顔で綻ばせた。


 ――……そっか


 我ながらおかしすぎると、少女は笑いながら思った。何かあったら殺すと言われたことが、こんなにも嬉しいなんて予想もできなかった。


 ――うん。命の恩人を傷つけるくらいなら、殺された方がいいもんな


 笑顔を浮かべる少女の頭を撫でながら、ドゥガはゆっくりと、優しく言葉を紡いでいく。


「結局お前は、誰かを必要以上に傷つけるのが嫌なんだろう?」


 ――うん


「そして、それが平気な自分に変わってしまうのも嫌だと思っている」


 ――うん


「古血統という存在が御伽噺の通りなら、その力がどれだけ強大で……場合によっては自分の意思にもかかわらず、周りに被害を巻き起こすかもしれない……それを恐れている」


 ――うん


「ならば、もしその時が来たら……俺が責任を持ってお前の命を絶ってやろう。誰かが傷つく前に、お前の手が必要以上に穢れる前に、終わりにしてやることを約束しよう……だから」


 ――……だから?


「だからそれまでは自分で自分の命を終わりにしようなんて思うな、考えるな……正直この部屋の扉を開けた時、死ぬほど驚いたんだぞ?すぐにでも死にそうな雰囲気で……」


 そう言って正面から覗き込んでくるドゥガの言葉に少女は目を見開き、それから僅かに苦い笑みを浮かべた。確かにあの時……声を掛けられた時、自分はいっそ死んでしまった方がいいんじゃないかと考えていた。


 が、とりあえず最大の懸念事項は解消された。この男ならもしもの時、間違いなく自分の命を奪ってくれるだろう。素早く確実に、だ。

 だが、申し訳なく思わないでもない。明らかに余計な仕事を背負わせてしまうし……何よりこんな子供を斬ることを約束させてしまったのが、少々心苦しい。


「お前は子供と言い難い時が多々あるが……こんな言い方も変だが、子供があまり気にしなくてもいいぞ?」


 ドゥガの、珍しく多少ふざけた物言いに少女は目を丸くし、それから腹を抱えて苦しそうに声のない笑い声をあげる。時折びくっと身体が震えるのは、胸の傷が痛むせいなのか。

 そしてひとしきり笑った少女は穏やかな表情のまま、左手の小指をドゥガの小指に絡めた。何しろこちらの世界の約束事の儀式は一つも知らないのだ。自分が知っているやり方で進めるしかない。


「……何かの儀式……ああ、さっきの約束は成立したという儀式か?」


 ドゥガの問いに、少女は小さく頷いて答え、何度か指をからませたまま手を振り、指切りを成立させる。


 契約者はドゥガとアクィラ。

 契約内容は、現在そんな御伽噺のような能力があるかどうかも判らないが、今後アクィラがその能力を暴走させるような事態に陥った場合、速やかにドゥガがアクィラの命を奪うこと。

 契約期間はアクィラが死ぬまで。

 対価はなし。


 その契約のすべてを知っているのはドゥガとアクィラ。そして夜空を照らす三つの月。


 それだけだった。








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