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この空の下、大地の上で  作者: 架音
一章・古血統の少女
3/59

二・死の光景

2012/01/13:サブタイトル修正:改行の修正

2012/01/21:誤字修正・ご指摘ありがとうございました。

 それはほぼ同時に起こった。


 右手前方から聞こえた小さな風切音に晶が耳をピクリと震わせ、弾かれたように狼が跳躍しようとして果たせず、その巨大な左後頭部に一本の矢が突き立つ。


 直後、このどれだけの広さがあるのかも分からない森の隅々まで届くような、雷鳴のような咆哮がその咢から吐き出され空間を震わせる。その、あまりにも激しい怒りの色に染まった轟音に、晶は咄嗟には両耳を押さえきつく目を閉じて体を縮こまらせた。

 直後ビシャビシャと音を立てて晶の小さな身体に降りかかってくる生暖かい液体は、狂乱の叫びをあげる狼の咢から吐き散らされる唾液か、それとも別の何かなのか。


 ――なんなんだよこれ!なんなんだよもう!


 形を成さない叫びをあげ、固く目を閉じ耳を押さえ震える晶の傍らに何者かが走りこんでくるような音が響き、金属同士が打ち合わさるような奇妙に清涼な音が耳を押さえる両手をすり抜けて晶の耳朶を打つ。

 そこからはもう、嵐のような振動と騒音の大合奏だった。


 そして晶自身にその嵐に抗う術は一つもない。


 ただその場に蹲り、今この状況に置かれている自身の不運。自分の事などまるで眼中にないかのように命のやり取りをしている獣とその相手。自分をこんな場所に導いた何か。

 それらもろもろに対しての呪詛をその役に立たない唇から零し、その数倍の罵倒を脳内で晶は繰り返す。


 ――早く終われ!なんでもいいから早く終わってくれっ!……これが夢なら……!悪い夢なら……早く覚めてくれよ……!


 そんな呪詛と祈りを繰り返し、きつく目を閉じ耳を塞ぎ蹲る晶に獣とその相手がどういった戦いを繰り広げているのかはわからない。

 かろうじてわかるのは、お互いのたった一つの命を賭け金とした戦いがその過程で引き起こす闘争の不協和音のみ。

 悪魔のような狼の咆哮、固いものと柔らかいものをぶつかり合わせたような鈍い音、何かを引きちぎるかのような気味の悪い音、不吉な音色を奏でる獣や鳥の合唱。どちらの身体から迸ったものか生ぬるい……恐らく血液が晶の身体にも飛び散り、その気持ちの悪い感触にも晶は体を震わせる。

 限界を超える緊張から晶の身体は再び自分の身体から排出された生暖かいもので汚され、その一つ一つが、晶の精神を少しづつ削り取っていく。その過程で再び晶は自分の下半身が生ぬるいもので汚れるのに気が付いたが、そのことに心を振り向ける……獣に餌と見定められ、絶望的な死を自覚したあの時にあった僅かばかりの余裕もなく。


 それ故、晶は嵐が終わったことにしばらく気が付かなかった。


「……?」


 恐る恐る手を放した耳が捉えたのは、風が揺らす葉擦れの音、遠くから聞こえてくるどことなく愛くるしさを感じる優しげな何らかの生き物の鳴き声。そんな優しげな音の中に混ざる場違いな激しい息遣い。

 しかしその呼吸音も段々と落ち着いたものに変わり、最後に大きく息が吐き出されて静かになり……

 

「大丈夫だったか?」


晶の耳に届いたのはやや気遣わしげな、よく響く男の声でありそして晶にも意味の通じる言葉だった。


 ――……っ!?


 晶は自分の耳を疑った。英語ですらろくに聞き取ることのできない晶にとって、意味の分かる言葉は日本語しかない。しかし……そんなことがあるのだろうか?あんな巨大な獣の姿を見てしまったというのに?


 ――……日本語……?でも、なんで?ここは日本?日本にあんな化け物がいる土地がある?けどでも……ええっ!?


 あまりにも現実離れすぎる状況が続いた末に、届けられたありふれた言葉。それ故に晶は混乱し、それ故にそこにあるものを想像することができないまま男の声が聞こえてきた方に顔を向け……その凄惨な光景を視界に収めてしまう。


 獣と男という二つの生き物が闘った結果が存在するその方向に。


 四本あった足のうち二本を切り飛ばされ、倒れ伏している狼の腹は斜めに切り開かれ、黄色い脂肪のこびりついた赤く、黄色く、ピンク色の内臓がいまだに湯気を立てている鮮血のテーブルクロスの上に陳列されている。

 今の自分の身体くらいの大きさの巨大な頭部の半分は抉られ、つぶされており、灰色がったピンク色の脳が、眼窩から飛び出しているつややかな眼球とともに震えているのが見える。

 呆然としたまま、晶は先刻まで自分を餌にしようとしていた獣をしばらく見つめ続け、……そしてその傍らにいた男にようやく気が付いた。


 獣からほとばしったものだろう。その手には血にまみれた真っ赤な剣を握り、その半身を真っ赤に染め上げた男に。


 命が助かったことで気が緩んだのか、鼻を突く生臭い血の匂いに酔ったのか、悪鬼もかくやという凄惨な男の姿に恐怖を覚えたのか。


 それともそれらすべてが理由であったのか。


 男がその血まみれでさえなければ恐らく魅力的に映るのだろう微笑みを浮かべるのを見たところで、まるで発条の切れたおもちゃのように晶はそのまま意識を手放した。


とりあえず晶君のトラウマになりそうな出来事はここで一旦終了。

今後もいろんなトラウマ事件は出てくる予定ですが。


かわいい主人公はいじめられて何ぼです……よね?


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