二五・ハリツァイ襲撃事件その顛末
本日のキーワード:名医は口が悪い法則?
2012/01/26:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
「補償の問題は早めに片を付けた方がよかろう」
王女はそう言うと、今回の件で街が被った被害を、とりあえずではあるが書き出した書類を眺め、グライフにそう言った。
妖精種の一団が古血統の少女を拉致しようと、この町で騒動を起こしてから既に一日半が経過している。
少女が襲撃者の手から放たれた矢によって負傷した直後、“門”での転移を終えたドゥガが街に降り立った。
そして、確保するはずだった“姫”である少女に自らの手で傷を与えてしまった事に動揺していた襲撃者は、静かに怒りを燃やしたドゥガに一気に殲滅させられる。
その後、とにかく大量の水を発生させる“符”を種類構わず使用し、イーシェとジェネリア、ディーの手だけでなく遅まきながら駆けつけた衛士隊の手も使い、街の三分の一まで広がっていた火災を食い止めることに成功させた。
王女と伯爵家三男、そしてグライフと即時出発ができた角竜騎兵二〇騎がハリツァイに到着し、辛うじて焼け出されることのなかったヴォイド商会の商館にたどり着き、ドゥガ達と合流できたのが今日の早朝だった。
合流すると同時にドゥガは矢傷を負い、応急処置は施したがそのまま意識を失っていた少女をグライフに任せ、残敵がいないか市街の巡視に向かう。
グライフは難しい顔で少女の傷を診た後、切開処置法を施すべく火が付くほどの熱い酒と大量の湯を沸かしておくことを指示し、少女に持参の麻痺毒と催眠毒を飲ませてから処置に入った。
残された王女は、自分がどう動けばいいのか決めあぐねている伯爵家末弟に街の損害をまとめた書類を作るように助言を与え……それから休むことを強制した。
成人前の子供に無理をさせることを王女が嫌ったせいだが、無論それだけではなく……このような火急の場合末弟のような経験のない者が現場にいても、邪魔になるだけであるからだ。
――可哀相だが、今はそのようなことを気にしている事態ではないからの……
伯爵領で当の伯爵代理をないがしろにする行為に若干後ろめたさを感じつつも、王女は上がってきた報告書に目を通し、先ほど少女の処置を終えたばかりのグライフを呼び出し告げたものが、冒頭の言葉だった。
本来なら代理であるヴォーゲン伯爵家三男が決済すべき内容を王女が口に出しても、グライフは一向に気にしなかった。
理由は王女と同様で、さすがに今回のような異常事態に末弟を対応させるには経験が足りず……無理があると判断したからである。
なにより金銭が絡む事柄ならば『王国の金庫番』以上に任せられる者はこの領内にいないだろう。
「こういったものは早ければ早い方がよいからの。なに、金額は些少でよいからまずは全住人に見舞金を出してやるがよい。その後怪我人と死亡者には相応の見舞金を追加で出してやるがよかろう。それくらいの蓄えはあるであろう?」
王女の問いに、グライフは笑って応えた。伯爵領は現在王国内における半独立国のような状態になっており、歴代の当主は質素倹約が倣いとなっているためもあり、急場で動かせる資金の量は下手をすると主家である王家よりも多い。
「ま、蓄財の量にしては聞かんよ。今の私は王家の人間であるのかどうかもあやふやな状態であるしな。さて、次は商人についてだが……そうだな……」
王女はしばしの間黙考し、軽く息を吐く。
「直接金を渡すのはよくないからの。当座の資金繰りに窮するような被害を出した者には年限を限って無利子での融資、それ以外は低利での融資。あとは伯爵領内での商取引に関する税の免除……この辺りが妥当かの」
「やっぱり落としどころはそんな所か……ったく、綿の収穫時期じゃなかったのがせめてもの救いかね?」
「せめてもの救いであろうよ。あとはまあ、人手の手配かの?復興でいずれ必要になるであろうから、伯爵家で一括で募集した上で振り分けた方がよかろう。商人どもに任せると人の取り合いになるからの」
「そうだな……よしわかった。相談に乗ってくれてありがとうよ王女殿下」
そういうとグライフは口調とは裏腹に、丁寧に頭を下げた。
「なに。ただ飯ぐらいというのも居心地悪いからの……ところで話は変わるが」
「ん?なんだ?」
「あの古血統の娘はどうした?お主が診たのであろう?」
グライフはその見かけどおりというべきか、見掛けによらずというべきか……多才、あるいは多芸な男だ。その才の中に――かつて戦場と旅で身に着けたものであるが――知らない人間ならば目を丸くするくらいの医術の心得がある。
特に麻痺毒と催眠毒を併用した切開処置法の腕は、生半な医術者よりもはるかに高い。
「正直あそこまで、当たり所が悪いとは思わなかったからな」
王女の問いに、グライフは先程処置を終えたばかりの少女に施した施術を思い返しながら答えた。
「一本はまあいい。妖精種にしては珍しく射損なったんだろうが、胸の真ん中の骨に当たって罅を入れただけだったからな……もう一本も経過を見ないとわからんが……悪くとも右腕が多少不自由になるくらいだろうよ……命に係わるのは最後の一本だ」
その、三本目の矢がどういったものだったか説明した時の、ディーの今にも泣き出しそうだった表情を思い出し、グライフは頭を振る。
「一本目の矢が刺さった所の一寸下のあたりだな……もう少しずれていたら心臓に刺さっていた所だが、それはなかった……が」
「が?」
「鏃が矢から外れた……心臓のそばに鏃が残っちまったんだよ」
「それは……取り出せないのか?」
「無茶言うな。あの辺りはぶっとい血の流れる管があるんだぞ?下手に手を入れてそいつを傷つけたら、それこそすぐに死んじまう」
「……そうか」
王女は未だ直接その姿を見たことのない古血統の少女の事を思い出す。あのカレント男爵捕縛の夜、三枚の符を組み合わせた投影符術越しに見た黒髪の彼女は、まだ一〇歳になるかならないかくらいだったはずだ。
そんな少女がこれから一生、胸の中にいつ発動するか判らない遅動式の発火符を仕込まれたような状態で生きていくというのか。
「あとはまあ、あのお嬢さんの体力次第だな……出来る限りのことはやったが、体力が落ちると腐血病や痙攣病が出やすくなる。いつまでも目が覚めないとなると、かなりまずいことになるかもしれん」
さっさと目を覚まして飯を食えるようになってくれれば、心配の種が一つなくなるんだがな。
グライフはそういうと大きく伸びをする。
夜を徹して角竜を走らせ、ドゥガ達と合流した直後に切開処置法を披露させられたのだ。さすがに疲れがたまっている。
「それじゃあ俺は少し眠らせてもらうぜ?何かあったら起こしてくれ」
「私も寝ていないんだがな?」
「んん?そうだったな……それじゃあ坊主にでも頼んでおくか。お前さんも今のうちに寝とけよ?」
自分が貢献している少年の事を身も蓋もない呼び方で表現したグライフはの言葉に、王女は人の悪い笑いを漏らして答えた
「そうさせてもらおう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少女はヴォイド商会の商館の中にある、直接日の光が差し込まない部屋に寝かされていた。
汗をかくと無駄に体力を消耗する上、体内の水分を減らすことになる。
意識が回復しない以上失った水分を補給することはできないので、その消耗を抑えるような環境で休ませる以外、ディーには施す術がなかったのだ。
グライフの処置を受けてから精霊が一休みするほどの時間が経過しただろう。すでに正午を周り太陽は西に傾き始めているのだが、少女の意識は戻っていなかった。
「……これじゃ立場が逆ですよぅ……」
少女が寝かされているベッドの傍らに置かれた椅子に座ったまま、ディーは涙が零れそうになるのをこらえて囁いた。
あの時、少女がその身を犠牲にして切り倒した男の手からこぼれた木筒の中に入っていたのは、大森林に生息するオオイワドクカエルから採取した毒薬だった。
一〇〇倍に希釈しても十分な毒性を持ち、僅かな傷からほんの爪の先でも滲入すれば確実に対象の命を奪うという猛毒である。
味方を巻き込むのを承知の上であれを撒かれていたら……今頃ディーの命はなかったはずだ。いくら投剣や矢を避けられても、広範囲にまかれる液体を避ける術はない。しかもその液体は一滴に満たない量でも確実に命を奪う猛毒なのだ。
その毒からこの小さな少女は守ってくれた。その腕に余る剣を掲げ、忌避しているはずの、命を奪うという行為を為してまで。
「……お前も少しは寝た方がいい」
いつの間に部屋に入ってきたのか。音もなくディーの背後に立ったドゥガは労わるように、従妹に声をかける。
「……従兄上様……でも、寝てられなんかいられませんよぅ……」
「アクィラが目を覚ました途端倒れるぞ?いいから休め」
「……従兄上様は……?」
「俺ももう暫くしたら休ませてもらう。もうじきイーシェとジェネイラが起きてくるだろうから……そうしたら代わってもらう」
「……わかりました……」
従兄の言葉にようやく納得したのかディーは椅子から立ち上がった。その従妹に対してドゥガは手の中のものを差し出す。
「ルーオムの実だ。昨日から何も食べていないだろう?」
見回りの最中に手に入れたのだろう。水分が多く甘みの強い薄紅色の果物を手に取り、ディーは複雑な微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます従兄上様……従兄上様もご無理をなさらないように……」
その時……ケホリ、という小さな音が静まった室内に響いた。
その音に驚いた二人が慌ててベッドの上を見ると……少女がうっすらとその瞳を開けようとしている所だった。
「イラちゃん……っ!」
ディーはそう少女の事を呼ぶと思わずいつものように抱きつきそうになり……慌てて自重する。
相手は矢傷を負った怪我人なのだ……しかもその胸の中に鏃を残したままの。
いつもと違うディーの態度に少女は不思議そうな表情を浮かべた。普段ならすぐに抱き着いて頬ずりをしてくるはずのディーが自重している姿がよほど珍しいらしい。
「イラちゃん……あなたの身体に矢が刺さったことは覚えていますか?」
ディーの問いかけに少女は小さく頷いた。
「……なので、傷が塞がるまではしばらく我慢します……ただ、髪だけは漉かさせてくださいね?ちょっとひどい状態ですから」
言いつつ手を伸ばしてくるディーに呆れたような表情を浮かべたものの、実際に髪をその手で優しく漉かれると、くすぐったそうな微笑みを浮かべる。
「……とりあえずは大丈夫そうだな……喉は乾いていないか?」
ディーに髪を漉かれながら、少女はしばし眉根を寄せて考え、それから小さく首を縦に振る。
ドゥガは小さく笑うと、手にしていた木筒からやや薄赤い色が混ざった白い液体を水差しに注ぎ、ベッドの傍らに跪き、吸い口を少女の口元に差し出した。
「慌てて飲むと咽るから、ゆっくりとな?」
男の言葉に小さく頷き、少女はゆっくりと液体を吸い上げ……その甘さに驚き瞳を大きく開いた。
その少女の表情を見て、ドゥガはニヤリと笑いを浮かべる。
「沸騰させた牛の乳にルーオムの実と解熱の薬草を混ぜたもので、発熱を抑え体力を回復させる……子供が怪我をした時に飲ませる薬だ。苦いのは好きでないだろう?」
ドゥガの説明の“子供”の部分で少女は一度ドゥガの事を睨みつけたが、大人しく水差しの中のものを飲み干す。
その様子を見て、とりあえずは大丈夫だろうと確信したのかドゥガは少女の頬を優しく一度撫でて立ち上がった。
「あとでまた見に来るから、もう少し寝ていろ。起きたら何か軽いモノなら食べられるだろうから……ジェネリアに頼んで何か甘いものを用意しておいてやるからな?……ディー」
「はい従兄上様……それじゃイラちゃん、またあとでね?」
従兄に言われ、ディーも髪を漉く手を止め立ち上がる。
「おやすみアクィラ」
「イラちゃん、おやすみなさい」
部屋を出る際でかけられた二人の言葉に、少女は小さく首を縦に動かして答え……先ほど飲んだ甘い薬湯で腹が満たされたおかげか、再び眠りについた。
日が暮れるころ、少女は目を覚まし、卵と魚の身を解したものを混ぜた粥をディーの手で食べさせてもらい、いくばくかの話をしている最中、不意に眩暈を覚えそのまま横になる。
熱が高くなり、少女が意識を失ったのはそれからしばらく経ってからだった。
ここにきてまさかの王女活躍……地味ですが
ここにきてまさかの禿家令の活躍……やっぱり地味ですが
そしてドゥガとディーとアクィラ……まんま親子なんですけど……どうしてこうなった……
ここに王女は割り込めるんでしょうか?
ルーオムの実は棗の実に似た果物だと思ってください。
寒さに強かったり収穫時期が違ったりしますけど、薬効は似たようなものという事で。
ともあれようやくドゥガとアクィラ合流しました。片方が本気で死にそうになってますけど……無事合流しました。
予断を許さない感じですが。
これでようやく主人公が話の中心に……戻ってくるのかなぁ……寝たきり主人公だし




