一八・予想できなかったもの
本日のキーワード:意外な発見
2012/01/26:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
2012/01/26:一部見落としていた表現を修正しました。
謹んでお詫び申し上げます。
話は数日前にさかのぼる。
カレント男爵領における不法土地収用および違法な人身売買の件が決着し、王女が羞恥で身悶えていた翌日。王女は数名の腹心を使い、古血統に関する資料を集めるように命を下した。
その内容は問わず、しかしあくまで隠密に、国政の中枢には知られることなく。
この件を他の部署……はっきり言えば父王と兄皇太子に預かられることになるのは非常によくない……というよりもまずいと王女は考えたのだ。
二人は暗愚……と、評するほど悪い支配者ではないが、凡庸ではあった。あるいは決断する力がないと評するべきか。その政策に国内の大貴族の意向が常に反映されているほど、物事を決められず、貴族の顔色を伺うのに終始している節も見える。
そんな所に古血統の話が流れたらどうなるのか……話がどのように拡散するのかすら予測できないというのは、最悪よりもなお悪い。妖精種との協約までからんでくるとなるならば、どこに何が潜んでいるのかわからないという状況になりかねない
それ故に王女は黙って行動する道を選んだのだ。この件を自分が集中して取り扱うという既成事実を作るために。取り立てて騒ぐほどの事ではない。普段の徴税調査もそのようなものである。
ともあれ古血統の少女と接触したのがヴォーゲン伯爵家の人物、現伯爵の兄であるドゥルガーであったのは幸いだった。
先祖返りである妖精種の身体的特徴を持つ王女は、名前だけならば確かに第二王女と呼ばれており、ヴォーゲン伯爵家と懇意にしているとはいえ、とにかく自身が持つ権力基盤がかなり脆弱なのだ。
何しろ王位継承権が与えられていない。
王家との繋がりを持ちたい貴族からすれば、何のうまみもない存在である。それ故にしがらみをほとんど感じることなく動き回れる……徴税室の室長となり貴族相手に辣腕を振えるほどに自由でもあるのだから、何とも皮肉な話である。
もっとも、彼女が辣腕を振るい始めたのはドゥガに剣を師事し始め、ヴォーゲン伯爵家との付き合いが深くなって以降である。
存外に強かであるとは思うが、それくらいの事を計算できるが故に辣腕も振るえるとも言えよう。
もっともそのことが、当人の恋愛事情に大きな影を落としてしまっているのは不幸と言えばいいのか。
王位継承権を持たないがゆえに、彼女は王家の人間としてはかなり夢見がちな恋愛観のまま育ってしまっている。たとえば白馬の王子様が云々といった感じの。
彼女にとっての白馬の王子様とはまさしくドゥガの事であり、それ故現状ヴォーゲン伯爵家をある意味利用している状況下では、好意を表明することにかなりの抵抗を感じているといったわけである。
好意を表明していないと思っているのは当人ばかりであるのだが。
大雑把な調査は指示を出してから二日ほどで完了し、ある程度纏められた資料が王女の城である徴税室室長の部屋に運び込まれ、書類仕事の傍ら斜め読みではあるが目を通す作業を続け……三つの月が夜空に昇る頃にそれらの資料に目を通し終わった王女は呆れたような溜息をついた。
「ここまで訳が分からん存在だとは思ってもみなかったな……」
集められた資料は基本的に城内に存在する各種資料室。蔵書室。数少ない王女に対して友好的な貴族などから集められたものであるが、そこで語られる古血統とはかなり特異な存在のように思えた。
「どう思う?」
王女は傍らに控える専属秘書……王女付きの侍女であり、有能な徴税室副室長のアーケス子爵の娘でもあるメリンダ=マナ=アーケスに視線を向けて問いかける。
「御伽噺そのままですねとしか言いようがありませんが」
仕事を外れれば柔らかい微笑みを浮かべるやや垂れた瞳に怜悧な光を浮かべて、秘書は王女の問いに答えた。
「メドゥイン湖が出来たのは三二〇年前に現れた古血統の広域魔法のせい。大森林の成立は四〇〇年前の古血統の魔術暴走……神話になりそうな話もあるな……一〇〇〇年前最初に妖精種に反旗を翻した人間が、戦いの末追いつめられていた時、どこからともなく現れて当時の妖精種の半数を塵に変えた……初めて聞いたぞこんな話。何でこんな話が表に出回ってないんだ?」
「最近のでしたら……東征王の行軍中に槍の王が古血統の少女らしき妖精種とともに従軍していた、なんて記録もありますね」
「なるほど……ヴォーゲン伯爵家はよほど古血統とかかわりが深いと見える……しかし他にもまあぼろぼろと……必ずしも妖精種に味方ばかりしているわけではない……というよりもほとんど人間に対して友好的な話しか残っていないな……」
「明確に人間に敵対していたというのは……ああ、四六年前の西方動乱の際ですね。モーゼン砦が守備兵と援軍八〇〇〇と共に山ごと消滅した」
それは五〇年前に発生した妖精種との国境紛争の最後に発生した事件だった。
王国西方の山岳地帯……協約で不可侵となっている大森林が切れた場所に存在していたマナート山と、その中腹に築かれていた砦、守備兵二〇〇〇と援軍として派遣された八〇〇〇が一晩のうちに消滅。何もない更地へと姿を変えたという、天変地異どころではない事件の事を差す。
「あれか。確か史学の講義で聞いて大笑いした覚えがあるぞ?妖精種の将軍の一人が『我らが古血統の姫の力により、この一帯を焦土と化そう。命が惜しければ、旧来通り我らの奴婢として仕える栄光に浴するがよい』などという、頭の悪いことを言い出したと教えられたな」
「まあ、その後砦は実際消滅していますから……笑い話なのは攻め寄せていた妖精種の被害も甚大だったという事でしょうか?」
モーゼン砦と一万の将兵が犠牲になったのは事実であるが、何が理由だったのか攻め手の妖精種の包囲軍七〇〇〇も、その異常現象に巻き込まれて消滅している。件の口上を述べた将軍も、その中に含まれていると言われている。
「……時期的に考えるなら、あの紛争の直前で“導眠”で連れ去られた古血統が関わっているとみるべきなのだろうな……」
結果双方に被害が出たせいで、痛み分けという形であの紛争は決着がついた形であるが、妖精種の思惑としては、あの山を押さえ、王国への橋頭保としようとしていたのは明白である。
王女はしばらく考えるような表情をしていたが、やがて諦めたように大きく息を吐いた。
「何もかもが出鱈目な話だな……本当に妖精種に分類される存在なのか?」
「それは何とも言えませんが……見た目は妖精種ですから」
「私だって見た目は妖精種だがな」
王女の容姿は人間の中でまれに表れる先祖返り……妖精種が人間の起源であり、妖精種の中で特に魔力に劣り、共同体から放逐された集団が源流であるという学説を示す恰好な、明確な証拠でもある。
故に疎まれているわけだが……古血統はそんなものとは根本的に違う存在であるとしか言いようがない。
その姿こそ妖精種のそれではあるが、起こした騒動は神とも言うべき権能を持っていたと伝えられる、始まりの妖精種が起こした事跡にも匹敵するほどで……はっきり言えば滅茶苦茶である。
このままでは情報としての使い道がない。
「結局現在わかっているのは、古血統は世の中に大騒ぎを起こす可能性が高いことと、妖精種がとにかく古血統の少女を手に入れたがっていること……それだけか」
それだけでは御伽噺にただ詳しくなっただけである。
古血統という存在が起こした騒動を知ることは確かに重要であろうが、それだけでは古血統とはなんなのか……そのことを知ることには繋がらない。
王女は一つため息をつくと、引き続き資料を集めるようにとの命令に、国内国外問わずの条項を書き足し、筆を置いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――米……だと……?
ディーの着せ替え人形にされ、半ば魂が抜けた半死人のような状態で食堂に案内された少女は、上機嫌なディーとは正反対に今にも意識を失いそうだった。
具体的に言うならば、非常に眠かった。
不慣れなというよりも、慣れているわけがない女物よりも精神的に厳しい少女向けの衣服をとっかえひっかえ、延々と着替えさせられ続けたのである。
疲れないわけがない。
そんなわけで食堂のテーブルについてからも、半ば以上意識が飛んでいた少女だが、それがテーブルに供された瞬間、意識が現実に強引に引き戻された。
そこに並べられていたのはやや素朴さは感じるが、それでも手の込んだ数々の料理であったが、少女の意識は皿に軽く盛られたそれに集中していた。
――間違いない!
軽く湯気を立てている白く輝く小さな粒。それは今の少女にとって同じ大きさの銀にも等しい価値を持つ……間違いなく銀シャリであった。しかも炊き立て。
傍らを見れば、材質はよくわからないが木製の御櫃からまた一皿盛られていく。使われているのが杓文字ではなく、フライ返しのような食器なのはご愛嬌だがこの際そんな些末なことはどうでもいい。
――まさか……野宿生活から解放された途端米に会うことができるとは……
この世界に迷い込んでから今日で九日目。
最初の三日間は森の中だったので言わずもがな。
その後立ち寄った村では……まああれな状況であったわけで。
さらに休む間もなく村を出て五日目間はやっぱり野宿というか野営だったので。
少女がこの世界でまともな料理というものを目にするのは、実のところ今日が初めてなのだった。なんというか、境遇も含めて考えるとかなり不幸な話ではある。
「?イラちゃんお米見るの初めてなのかしら?伯爵領内ではそんなに珍しいものじゃないわよ?」
――珍しいんじゃなくて懐かしいんです!
「……イラちゃんちょっと表情が怖いんですけど……」
食い入るように銀シャリを見つめる少女と、珍しくそんな少女に対して若干引き気味のディーという見世物に、苦笑を浮かべる使用人の二人。
ちょっとあの子のあんな真剣な表情、初めて見るんですけど……
あれは、お米を初めて見るという表情ではありませんね……
そうね……懐かしさというか……まあちょっと食いつき過ぎな気もするけど……
今後お出しするお食事はお米中心にした方がよろしいでしょうか?お嬢様……
とりあえずはおまかせするけど、それでいいんじゃないかしら……?
でも……何かお預けされてる子犬を見るみたいで微笑ましいですね……お嬢様……
……私……お嬢様がなぜあんなに構いたがるのか少しわかった気がします……
……ふふふ……これであなたたちも同志というわけね……
などというある種不穏な会話が聞こえてくるのにも気が付かず、少女はやがて満足したのかひとつ大きく頷いてから、椅子に座り直し、それからふとあの大男の姿を思い出した。
――あのでっかいのがいないのがちょっと寂しいかなー……
出会ってからずっと……途中でディーも加わったが、これまではずっと一緒に食事をとっていた人間がいないというその事に、少し寂しさを覚えている自分に少女は小さく笑いを漏らす。
――……これじゃまるで、本当にあの男の娘になったみたいだな……
とりあえず視覚で炊き立てご飯を十分堪能した少女は、この場にいないドゥガが今頃何を食べているのかちらりと考え、椅子に座り直した。
いつからパンが主食だと錯覚していた?
……すいません調子乗りました……
というか最初からパンなんて名前も出てきてませんでしたし……書いてないよね?
そんなわけで水が豊富で温暖な気候の伯爵領での主食はむしろ御飯です。ピラフだったりパエリヤだったりも食卓に供されます。
携帯保存食として餅なんかもあったりします。
連作障害は麦でも気にしなくてはいけないですし、作付面積当たりの収穫量が多い米は伯爵家自ら率先して耕地を増やしちゃったりしています。
そのせいでまた、小麦でパン食主体の王国の他の領地と微妙に仲が悪かったりします。
好きな食べ物が正反対な人間が同じ料理が出てくる食卓で食事して、お互い満足できるのかという問題ですね。
食文化の違いは時に政治的な問題になるというそんな話です。




