序話
2012/01/29:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
思わず取り落としたビニール袋が軽い音を立て、晶は自分が――どれくらいの時間かはわからないが呆然としていたことにようやく気が付いた。
目の前に広がっているのは、見慣れたはずの自宅周辺の風景ではなかった。
そこにあったのは鬱蒼とした木々の連なりであり、鼻を刺激するのは濃密な樹木と土の香りであり、時折吹く風が木々の梢を揺らす音。
端的に言うならば、東西南北もわからない深い森の中。
が、彼が借りている賃貸アパートの周辺には記憶をたどってもこんな濃密な森林などなかったはずであるし、そもそも普通に道路を歩いていただけでこんな場所に普段着のまま迷い込むわけがない。
明らかに普通ではない異常な事態であり、そしてそれは周辺の環境ではなく晶の身体にももたらされていた。
「……、……!?」
呆然として、だからこそ何事かを呟こうとして無意識に唇を動かした晶は、今度は己の身体に起きている異変の一つに気が付いた。
――声が……出ない!?
思わずその両手で喉を押さえ、それから今度はゆっくりととりあえず50音を唱えてみようとやや腹に力を入れてから口を開く。
しかしやはり喉から声が出ることはなかった。
僅かばかりに出てくるのは、声帯を震わせることのできなかった肺からの呼気が起こすささやかな風の音だけであり、何らかの意味を成す言葉も何の意味も持たない単なる叫びもついに形を成すことはなくそして……晶は己の身体に起こった異変が声だけでないことにようやく気が付いた。
――おれの手じゃ……ない?
最初に気が付いた箇所は声を出そうとし続け、思わず咳込んでしまい、涙を目元に浮かべつつ口元を押さえることになった自らの両手だった。
まるで丈のあっていないぶかぶかのダウンジャケットからちょこんと飛び出している色白で、華奢で、可愛らしい指先。
それは、いくらデスクワークが中心であまり身体を動かすのが得意ではないとはいえども成人した男性である晶の手では断じてない。
呆然としていた時間は、この森の中にいると気が付いた時よりも長かったのか短かったのか。
慌ててジャケットを脱いだ拍子に自分の頬をなでるのは、しばらく床屋に行く暇がなかったせいでやや長めになっていたとはいえ、腰まで届くほど長かったわけなどなく。
その自らの身体の異変に慄きながらも晶は半ば機械的に自分の身体を目で追い、小さくなった掌で触れながら確認していく。
明らかにだぶだぶになっているシャツとその上に着込んでいたスウェット。ゴムのおかげで腰の部分でかろうじて引っかかっているだけの同じくスウェットパンツ。締め付けが緩くなったせいで足首までずり落ちている靴下と明らかにサイズの合っていない靴。そして……
股間を押さえる掌には、あるべきはずのものの感触がない。
――女の……身体だって?
一周してようやく落ち着いたのか、あまりの事態に精神が摩耗したのか、晶は平板な調子で呟く。もっともそれが言葉になることはなかったわけであるが。
ガサリ
背後から何者かが下生えを踏みしめる音が響いた。
初投稿になりますのでぼちぼち修正をしながら続けていく予定です。
当面の目標は週2回更新……できるといいなぁ。