初恋に別れを
土曜日、居酒屋へ行き、同僚と別れた帰り道、ふと懐かしい歌声を耳にした。
見ると、路上でギターの弾き語りをしている。
「島田……くん?」
街の明かりに照らされたその顔は、故郷の高校の同級生だった。
「もしかして洋子? 奇遇だなぁ。こんなところで会うなんて」
「ほんと、何年ぶりかな。十年……? 確か、歌手になるって都会へ行ったわよね」
「あれから、あちこちオーディションを受けたけど全然ダメでさ。バイトしながら三年くらい頑張ったんだけど……」
「そうだったの。大変だったね」
「それで諦めて、今は会社員なんだ。でも歌は諦められなくて、土曜日だけここで歌ってるってわけ」
「へぇ、そうなんだ」
「うん、土曜日だけね」
「島田くん、私のために曲を作ってくれてたよね。なんだか、あの頃が懐かしいなぁ。そうだ! 今さぁ、あの頃みたいに私のために曲を作ってよ」
「できるかなぁ」
その時、黒い軽自動車が目の前に止まり、小さな女の子の手を引いた女性が降りてきた。
島田はにこやかに女性に手を振ると、
「紹介するよ。僕の妻と娘。この人はパパの高校の友達だよ。さやか、ご挨拶は?」
すると、小さな女の子はスカートの裾をつまみ、お辞儀をした。
「しまださやか。さんさい」
「はい、よくできました。次は妻の番。僕が紹介するよ。仕事で知り合った、僕の一番最初のファン、美知子」
その言葉に、一瞬胸がざわついた。
美知子は言葉少なに軽く会釈をした。
島田は美知子のお腹にそっと手を添え、笑顔で言った。
「今度、二人目が生まれるんだ。僕ももっと頑張らなくちゃ。ね、さやか。パパ、頑張るぞ!」
「パパ、がんばれぇ!」
美知子は恥ずかしそうにうつむいている。
なんだ、この光景は。
私は何を見せられているんだろう。
一番最初のファンは私なのに。
あの淡い初恋は、十年前にすでに終わっていたはずなのに、
私の居場所を、あの二人に奪われたような気がした。
今でも彼を思っているわけではない。
それなのに、なぜか虚しさだけが込み上げてくる。
「それじゃ、さようなら。お幸せに……」
私は笑顔で別れを告げた。
去って行く私に、島田一家は三人で無邪気に手を振っている。
私は振り返ることなく、夜の街へ歩き出した。
もう、この道は通らないだろう。




