1-5 王妃の誇り
大きなゴンドラのような黒塗りの四輪馬車は、金で王家の紋章が施されている。
高さがあるため、踏み台を用意しようとする従者を待たず、オスカーはひらりと先に乗り込む。彼は、無言で上から手を差し出した。
戸惑うリリアナの手を、オスカーは強く引いた。
「きゃ……」
馬車に引っ張り上げられたリリアナは、思わずバランスを崩す。
シトラスの香りに包まれ、恐る恐る顔を上げると、間近に不機嫌なオスカーの顔があった。
「申し訳ございません!」
大急ぎで身を離し、隣に座る。
彼といると謝ってばかりだ。
後ろに金モールの軍服を着た男性が二人立って乗り込むと、従者は真っ白な馬を二頭馬車につないだ。
馬がぶるるっと鼻を鳴らし、従者が手綱を引く。
ガタンっと重力がかかり、馬車はゆっくりと動き出した。
しばらく行くと、リリアナの視線の先にはエルジオの民がぎっしり詰めかけている。
「馬車がお通りだ! 前に出るな」
衛兵がおさめているが、どの者も押し合いへし合い、少しでも主役の二人を見ようと必死だ。
花道に入った馬車はスピードを落とす。
一人ひとりの顔がはっきりわかるほど近い。
誰もが興奮したように二人に歓声を送る。
「国王陛下ばんざーい!!」
オスカーは国王として、民に慕われているようだった。普段は見せないような優しい眼差しを民衆に送っている。
リリアナはそんな彼の一面に、心動かされた。
(きっと、私が知らないオスカー様は他にもたくさんあるんだわ……)
「王妃さまー!」「リリアナ王妃ばんざーい!」
呼び声に手を小さく振ると、わーっと民衆達は沸き立った。
リリアナは胸がぎゅうっと熱くなった。
(こんなに沢山の人が、私のために……)
リリアナの胸に、これまで経験したことのない感情が芽生えた。
――この先なにがあっても、エルジオの民のために尽くそう。
たとえ望まぬ結婚だったとしても、自分はエルジオ国の王妃だ。
この気持ちを、人は“誇り”と呼ぶのだろうか。
にじんだ涙に霞む視界で、リリアナはそんなことを考えていた。
◇
予定していたパレードを終え城に帰り着いたリリアナは、休む間もなくソフィと共に城内を見学していた。
「とっても広いんですのね」
実質を優先した簡素な執務室や書斎、シャンデリアがかかったホールなどを見て回った。
衣装やアクセサリーだけをしまうためだけの大きな部屋や、お茶会をする王妃専用のサロンもあった。
「リリアナ様、オスカー様がサロンの調度品をお選びになってくれと……」
「あら、このままで十分よ。アンティーク調で素敵だわ」
ソフィは残念そうな顔をした。
「そうですか? 慎ましいんですねぇ。ナターシャ様だったらきっと金銀と高価な家具で埋め尽くすでしょうに……」
ナターシャ――オスカーの成年と同時に宮廷入りした側室の妃で、一番古株ということだった。
ソフィの言いようから察するに、羽振りが良い妃なのだろうか。
そんな事を考えながら、中庭も見てぐるっと戻ってきたとき、リリアナの中には抑えきれない疑問がわいていた。
「あの……」
リリアナは言いかけてやめた。
ここにはピアノも、バイオリンも、オペラを楽しむ舞台もない。
音楽後進国というより、まるで意図的に音楽を排除しているようだった。
(それなのに、この違和感は何?)
壁には歌う女神やハープの彫刻、天井には音符が舞う装飾――なのに、音はひとつも聞こえない。
そのちぐはぐさが、リリアナには不気味に感じられた。
ソフィは明るく言った。
「北に図書館もございますわ。少し遠いので今日はここまでにいたしましょう」
「どれくらいの本があるんですの?」
「さぁ、私は本なぞはあまり読みませんから。でも、確か天井までぎっしり詰まっていたと思いますよ」
「それは楽しみだわ」
実家で居場所がなかったとき、本と音楽が心の拠り所だった。
知識を得たり、物語で知らない誰かになることが楽しかった。
今からでも図書館に行ってみたかったが、足にじんじんとした痺れを感じた。
長い距離を歩いていたようだ。
「ありがとう、ソフィ。とても勉強になりました」
「いえいえ、ディナーはナターシャ様と一緒ですからね。お迎えにあがります」
少し心配だったが、リリアナは部屋に戻って休むことにした。




