2-6 ホワイトムスクの香り ※R15
※R15 身体接触があります
―――――――――――――
王妃としてやることは山のようにあった。
民や有力候補との謁見や、書類チェック、公務をしているうちに一日は飛ぶように過ぎていく。
オスカーは、今日もふらっと寝室に来る。
馬車で距離が近づいたように感じてから、ほぼ毎日のように通いがあった。
彼はいつも、部屋で本を読んだりお茶を飲んだり……そのときどきで過ごし方は変わったが、最後にいつもリリアナの歌を聞きながら眠ってしまう。
(オスカー様のお母様が歌っていたという歌……)
不思議な歌だった。
歌詞はとても短く、ずっと繰り返していられるような単調なメロディー――
歌う側の気持ちの込め方で、力強く鼓舞することも、悲しみを嘆くようにも歌えた。
今日の彼は、部屋に入るなりベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
(お疲れなんだわ……)
アロマを焚いたら少しは癒されるだろうかと選んでいると、オスカーはうつぶせのまま、顔だけこちらに向けた。
「予算の件は、指摘通り横領だった」
――リリアナがチェックしていて不審な箇所を見つけたのだった。
「そうですか……」
「会計帳簿の見方など、どこで身につけたんだ?」
「……」
実家で使用人のように扱われていたため、小口の精算や会計帳簿も担当させられていた。
ここでその経験が生きるとは思わなかった。人生分からないものだ。
この度の横領者は、ナターシャの叔父だった。
再びベッドに顔を埋めた彼の顔は見えないが、どう処罰するか悩んでいるように見える。
『王に逆らったものは即処分』などと噂されていたが、少なくともリリアナがここへ来てから、そんな理不尽な場面は見ていなかった。
処分されているのは、不正をした者だけだ。
それも王の独断などではなく、法手続きをきちんと踏んでいた。
疲れているならアロマオイルはどうかと、リリアナが小瓶を手に取ると、オスカーが言った。
「ホワイトムスクがいい」
――ほんのり甘い、透明感のある香り。
リリアナの好きな香りだったが、オスカーには似合わない様な気がした。
「シトラスやレモングラスでなくていいですか?」
「ホワイトムスクがいい……」
心なしか、彼の声が小さかった。
「では、そうします」
金属皿にオイルを入れて、温めるための火を探すと、オスカーがむくりと起き上がった。
「火が切れていたな」
と言い、新しい魔鉱石を手に取ると、暖炉にそれを投げ入れた。
ぼぉっと火が燃え上がる。
何度見ても不思議だった。
(魔力の工場見学の日に、実際に色いろなものを見せてもらおう)
オスカーが、リリアナの隣に来て暖炉の火を分けると、部屋にホワイトムスクのふわっとした甘さが漂う。
「いい香りだな……」
肩が触れそうなほど近い距離でそんなことを言うので、アロマについて言っているのだとわかっているのに緊張してしまう。
「リリアナ」
伏せた目を上げると、オスカーの顔が直ぐ傍にあった。
じっと見つめられて、時が止まったように感じられる。
パチっと暖炉の火が音を鳴らす。
キスされるのではと思い目を閉じると、何かが近づく気配――
リリアナに触れたのは、オスカーの指だった。両手でリリアナの左右の眉毛を触り、眉間を伸ばすようにしている。
「皺が寄っているぞ……」
オスカーは喉の奥で笑いを堪えていた。
こんな姿を見せてくれるのは、きっと私にだけ――
そう思うと、胸のなかにどろどろとした不思議な感情が沸き起こり、掻きむしりたくなる。
黙ったままのリリアナを怒っていると勘違いしたのか、オスカーは「悪かった」と言い、ベッドに腰掛け、手で隣を指し示す。
リリアナは、そこへ腰を下ろした。
柔らかい雰囲気が流れる。
(今なら音楽のこと、聞けるかも……)
「陛下……」
せっかく勇気を出したのに、聞き終わる前にオスカーが口を開く。
「……名前で呼んでくれないか」
意外な要求だった。顔を背けている彼は、今どんな顔をしているのだろう。
こんなところが、リリアナの胸をぎゅっと締め付けて離さない。
この感情に名前が欲しい――そう思うのに、答えを出すことが怖い。
(オスカー様……そう。そう口に出すだけ……)
まだ口にしてもいないのに、妙な高揚感が彼女を包んでいた。
リリアナは一度深呼吸して、決意を固める。
「……オスカーさ、ま……っ!?」
言い終わる前に抱きしめられて、そのまま二人でベッドに倒れ込んでいた。
仰向けのリリアナの髪に、オスカーは顔を埋める。
「……やはり、ホワイトムスクと同じ香りがする」
「そ、そうですか……?」
間の抜けた返事だなと思ったが、混乱してどうしようもなかった。
オスカーの息が耳にかかる。
「ん……」
甘い熱に思わず身をよじると、横向きになった背中に、彼のぬくもりを感じる。
「リリアナ」
「んっ……」
名を呼ぶのと同時に首筋に唇をおとされ、肩が震える。頭が真っ白になった。
「い……や」
「怖いか?」
低い声に、リリアナは小動物のように身を縮め、必死に首を左右に振る。
もはや、自分がどうしてそうしたのかも分からないが、『怖くはない』と痺れる頭の片隅で感じた。
仰向けに戻ったリリアナの上に、オスカーが覆いかぶさるようになると、緊張が頂点に達し、彼女は息を止め、目を見開き、固まった。
どくんどくんと心臓が波打ち、ものすごい速さで、血液を身体に送り込んでいるのが分かる。
オスカーの手が頬に触れ、リリアナは覚悟を決めて目を固く閉じた。
急に、張り詰めた空気は解けた。
「今日はここまでだ」
(……え?)
オスカーは、リリアナを抱き枕のように抱きしめた。
「あの……?」
「十分だ」
唐突に終わりを告げられ、リリアナの気持ちは宙ぶらりんになった。
先程は"これも王妃の務め"などと、自分に言い聞かせていたのだが、こうなってみるとどこか物足りない。
「歌ってくれないか?」
リリアナの胸に残る熱を、その一言がそっと撫でた。
「……ずるい」
聞こえないくらいの小さな声で呟き、リリアナは歌い出す。
今宵の歌は、どこか熱っぽく甘い響きだった。
その歌が、翌日の運命を大きく動かすとも知らずに――




