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第1章 守護者 第3話


森羅万象と時の奔流が少女の精神を揺さぶっていた。

希望と絶望が入り込んでくるが、彼女の力では()べることができない。


もうすぐだ。

異なる二つの意志は激しく渦巻き、一つの「時」に向っている。

見届けるのは私の役割。

どこに行けば良いのかは分かっている。

古森(ふるもり)だ。

老いた森。

太古から変わらない森。


「姫様、お顔が真っ青だ。これは酷い。何か呪いを受けているのですか?」

「いえ。強い力を感じ取っているだけよ。とても強い力」

「城に戻りますか? 私は何をすれば良いのか命じてくだされ」

「古森へ行くのよ」


「あなたがいてくれて良かった。私一人では無茶だったみたい」

彼女は気を失いそうだった。


ヘンダールは馬から彼女を降ろすと、彼女の馬を縄で繋いで後ろに従え、彼女を抱えるように自分の馬に乗せた。


このまま進むことに疑問を抱きつつも、王女の命じるまま、古森に向けて馬を進めた。


彼も周りの空気が異常であることを感じていた。


王女は重い病の床で悪夢を見る者のようだった。

彼女の手を取った。冷たかった。同時に魔力が伝わって来た。不意に切迫感が生じ、全身に冷たい汗をかいた。


ふと気づくと、木々が後ろへと流れていた。古森に入っていた。

二人を乗せた馬は怯えながら森の深みへ進んでいく。


「まもなく神殿ね」

目を閉じたまま、彼女は言った。


 ◇ ◇ ◇


フェナンと別れた後、エゼンが自分の執務室に戻ってくると、扉の外に二人の男が待っていた。

「タイダル。それに、ザルベレス殿。こんな時間にどうした?」

「エゼン様、今から陛下に報告したいことがあり、ご同席いただきたいのです。フェナン様もお呼びいたします」


タイダルは、宰相のエゼン、守りの長フェナン、城内では予見者と呼ばれているザルベレスを連れ、王の執務室へ向かった。

王はまだ仕事をしていた。

「陛下、夜分遅く、失礼いたします。火急の報告です。闇の魔物の噂は事実であることを確認いたしました。調査のために送った二人の影士は、4日前、ウェン地方で幽鬼ヴァルシフと遭遇し、一人は殺され、もう一人は重傷を負いつつ逃れました。その者からの知らせによると、幽鬼は少なくとも五人で、南に向かっていたとのことです。つまり、既に我が国に侵入している可能性が高いです。もっと事前に把握できなかったことを深くお詫びいたします」

タイダルが頭を下げた。

「影士の部隊はいつでも出られる状態です。速やかな王国軍派兵の準備を進言いたします」

「タイダル、苦労をかけるな。すぐに影士を出してくれ」

「フェナン、軍の準備を頼む」


「ヴァルシフが五人」

フェナンがつぶやき、王の執務室は、痛々しく沈黙した。


「陛下、闇の力は古森に在り、同時に、抗う力もそこに在ります」

予見者が告げた。


王は娘を想った。


 ◇ ◇ ◇


空気が狂っていた。

突然強風が吹き、雲が渦巻いている。

森に生き物の気配が消え、風に大きく揺れる木々の音だけが響き渡る。


ヘンダールと王女は神殿への道と交差するところまで来た。

彼女は目を開けた。蒼い瞳に月が映り込んだ。


薄暗い森の中から、闇の使徒、幽鬼ヴァルシフが現れた。


ヴァルシフは人間よりも二回りほど大きい巨人で、頭に二本の角があり、濁った赤い目に狂気の闇を宿している。

鎧に身を包み、片手に巨大な剣を持っていた。

ゆっくりと二人に近づいてきた。


ヴァルシフは、闇の王が付与した強大な魔力を宿しており、常に闇の魔力を放っている。存在自体が人の精神を狂わせて力を削いでしまう。

ヴァルシフ一人を倒すには、優れた剣士や弓使い十人以上で相対する必要があった。つまり、十人の死が代償となる。


王女の顔に恐怖が浮かんでいた。

ヘンダールは自分の頭が狂気に侵されるのを感じた。

冷静な思考が奪われていく。


「姫様!逃げるのです。私が時間を稼ぎます。さあ早く!」


ヘンダールは、彼女を抱えたまま馬を降りると、もう一頭の馬に彼女を乗せようとした。しかし、彼女はぐったりしたままだった。

「姫!お気を確かに!」


ヴァルシフが近づいてくる。

狂気を宿す赤い眼は、王女に向けられていた。


さらに、人影が現れた。

神殿に通じる道を、二人の方に歩いてくる。


王女は、今、その「時」に居合わせた。


その人影は人間、若い男だった。

衣服は薄汚れており、ただの旅人のように見えた。


若者は二人に何か言おうとしたが、ヴァルシフに気づき、身を硬くした。

彼は携えていた長剣を抜くと、ヴァルシフに向かって対峙した。


ヴァルシフが若者に近づいた。

邪魔だと言わんばかりに、巨大な剣を振り下ろした。

若者はかわした。

続けて幽鬼の剣が来る。

今度は剣で受け流し、素早く距離を取って、体勢を整えた。

すぐに幽鬼が襲いかかる。

再び受け流して横に動く。

彼は幽鬼から目を離さない。


若者は相手の品定めをしているようだ。

ヘンダールは気づいた。

彼には闇の魔力が効いていない。


森の中から、もう一人のヴァルシフが現れた。


ヘンダールは自分の死を覚悟した。


大きな戦斧を持ち、この幽鬼も王女に向って歩いてくる。


「姫!早く逃げるのです。さあ!」

彼女は若者の方を見ていた。

ヘンダールの言葉に反応しない。

「クレスティア様!」


反応したのは若者だった。

彼は二人を振り返り、斧を持った幽鬼を一瞥した。


すぐに目前の幽鬼に視線を戻し、剣を構えて踏み込んだ。

そこには闇の使徒が打ち倒されていた。


「大丈夫ですか?」

若者は息を弾ませながら声をかけ、二人に走り寄る。


クレスティアは我に返り、ヘンダールの腕から離れて立ちあがった。


戦斧を持った幽鬼が二人に襲いかかって来た。


ヘンダールは王女の前に出て、剣で防いだ。

その後ろで、彼女は右手を開いて腕を伸ばし、幽鬼に向けた。

強烈な風が幽鬼に当たって後ろに押しやり、動きを鈍らせた。


若者は、幽鬼の背後から飛び込んで、斧を持った腕を切り飛ばすと、そのまま剣を返し、幽鬼の首に一撃を加えた。

幽鬼はゆっくりと地に伏せて動かなくなった。


二人のヴァルシフが倒れていた。


ヘンダールは正気が戻ってくるのを感じた。

彼は若者を凝視した。

「君は、ラヴェンなのか?」

「ラヴェン?」


森の奥から、さらに三人のヴァルシフが現れた。


剣を手にした若者が幽鬼に向かっていく。

しかし、彼一人で三人を相手にするには無理があった。

若者の間合いから抜け出た一人の幽鬼がクレスティアに近づく。


ヘンダールは再び狂気に侵されつつ、彼女を(かば)いながら、ヴァルシフの攻撃を防いでいたが、思い通り剣を振るえない。

王女はヘンダールの後ろから、風魔法を放ち、幽鬼を牽制している。


ヴァルシフの剣がヘンダールの腕をかすめた。

「うっ!」

ヘンダールは鋭い痛みによろめいて転倒した。


クレスティアは目を閉じた。

友よ、力を貸して。

目を開けると、両手を幽鬼に向けた。

掌の先から出た青い炎が幽鬼の頭部を覆う。

幽鬼は苦痛に身悶えている。


若者は、既に、三人目のヴァルシフを(ほふ)っていた。


彼は、青い炎にひるんだ幽鬼に駆け寄ると、跳躍して剣を振るい、その首をはねた。


すぐさま、最後の一人となった幽鬼へ向かう。


幽鬼の巨大な剣が振り下ろされる。

一撃目は剣で受け流す。

次の攻撃は身体ごとかわしながら、幽鬼の足に一太刀をあびせる。

幽鬼は膝をつきながら剣を振るが、空を切る。

若者から突き出された剣が、幽鬼の眉間に深く突き刺さった。


辺りには五人の闇の使徒が横たわっていた。


座り込んでいるヘンダール、立ち尽くすクレスティア、肩で息をする若者は見た。


いずれの幽鬼も、次第に黒い炭のように変化し、灰のような塵となって舞い上がりながら虚空に消えた。

身に着けていた鎧や武器を残して。



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