◆第34話「千心千拍の祭、恋愛動力学・完全式」
霊泉都中央広場。蒸気管が街路の上空を縫い、透明な動脈のように脈を打っていた。足元の石畳に仕込まれた拍動計が、一千人の鼓動を吸い上げるたび、薄桃色の灯りが街路灯の中を走り抜ける。私は胸の“世界側”の焦点を大きく開き、息を呑んだ――これが〈共有心臓〉の予行、千心千拍。
獅峯 燈真は判決剣を杖のように構え、裁くためではなくテンポを刻むために刃を上げた。
「〈第零刻〉補遺(共同署名制)は既に宣言済みだ。今日は“計る装置には増幅回路を”という第四条を、公開で実装する」
――“彼(彼女)が来なければ”なんて曖昧な保留は、もうここにはない。第零刻の原筆者(薬神ミリア)に承認を仰ぐ必要はない。現在の署名権限(司法官+再点火者)で補遺は動く。私の胸の鼓動が、その事実を受け入れて速度を上げる。
豹条 祈継が黒曜石の義指で大気に式を描く。
「最終式は、こうだ」
E = Σ(Hi × Li) / C
Eは世界再点火エネルギー。Hiは各心臓の熱量、Liは恋のベクトル長、Cは〈共有心臓〉の冷却係数。
「“増幅”が無ければ、計るだけで恋は痩せる。第四条で義務化された増幅回路が、Cを暴れさせず、Eを暴発させない」
銀夜の月鋼刀が拍を鳴らす。朔月の尻尾が弱起を刻む。キティアの氷雨が冷却係数の無駄な上昇を抑え、サーヴァルは塔から盗み返してきた“増幅回路の仕様”を、幻影ではなく現実の装置へ焼き付けていく。雷を失った雷雅は、両手で空気を叩き、側撃心拍で各区画のリズムを配給した。
「心臓、配るよ」
彼の声は稲妻を持たないのに、私の胸の火輪を正確に震わせた。
拍が重なっていく。五十、百、五百――一千。
その瞬間、私は個の二焦点では到底聴き取れない規模の「うねり」を、確かに感じた。誰かが泣く音と、誰かが笑う音が同じ拍に乗って届く。火傷した皮膚が、遠隔で冷やされる感覚。氷に閉じ込めた痛みが、他所の炎で暖め直される感覚。配ることが、戻すことになる。
「……動いた」
キティアが「氷声」で呟く。封印時計の地下バックアップ――《時脈管》の針が、第五刻から右へ、わずかに震えたのだ。
燈真が剣を振り下ろす。
「第零刻・補遺(第四条)は有効。計量+増幅が法になった。――だが“方法の最終更新”は、まだ先だ。条文と補遺を一本化し、再番号付け(上書条)する場が要る」
“彼(彼女)が来るなら”などと曖昧に期待する必要はない。私たち自身が来るのだ。
胸の拍は、一瞬だけ静かにそろい、すぐまた多様な乱れを取り戻した。乱れがあるから、拍は生きる。私は汗の塩味と硫黄と薬草の匂いが混ざる空気を吸い込み、遠く《時脈管》の奥で蠢く“顎の音”を、まだ見ぬ戦いの前兆として胸の“世界側”で受け止めた。
――次は噛み砕く者が来る。
そして、私たちは“嚙み砕かれない法”を、拍で書く。
(第34話 了)