◆第32話「氷宮炎上、二焦点心臓の限界値」
氷は燃えない――その前提が、音を立てて崩れる瞬間を、私はこの目で見た。
霊泉都北端、氷宮。天井一面に広がる乳白晶が、〈千心千拍〉の予行演習――一千人の心拍を同期させる試験――の熱で、逆に蒸気を吸い過ぎ、内部で過熱蒸気が相転移し、氷の管が炎色反応のような橙を帯びて唸ったのだ。
「温度を保って!」
キティア=フロストヘルムの氷杖が氷床を叩き、氷の花脈が走る。だが二焦点の心臓を持つ私の“世界側”の焦点には、すでに予兆が響いていた。――二焦点では千拍を支え切れない。拍は増幅し、戻り、また膨張する。その往復に、私の火輪も、雷雅の鼓動も、すでに悲鳴を混ぜていた。
祈継が解析盤を叩きつける。
「二焦点のまま“千”は無理だ。個々の二焦点を束ねる中間器官が要る。――〈共有心臓〉の試作を、今ここで走らせる!」
共有心臓。名前だけは決まって、式だけはある。だが“法的な鞘”は、まだ作り始めたばかりだ。
私は一瞬だけ迷い、すぐにうなずいた。方法は、現場が先に作る。法はその後で追いかけてくる――燈真がそう言った顔を思い出す。
氷冠が火を吹き、蒸気が悲鳴を上げる。私は火輪を最大限に展開して、熱の逃げ道を作る。
「私の研究を切るの?」
キティアが歯を食いしばる。氷膜がひびを入れ、白い破片が花弁みたいに落ちた。
「今は切って、生かす!」
銀夜が天井を斬り、朔月が風圧で落下コースを変え、サーヴァルが幻影で市民の“恐怖波形”を鈍らせる。雷雅は雷を失ってなお、側撃心拍で倒壊リズムを乱し、崩落を“ズラす”。――雷のない彼が、拍を配る指揮者になり始めているのがはっきりわかった。
「共有心臓を“個人の三焦点”と誤認されないよう、**法の側の補遺も同時に走らせる必要がある**」
祈継が早口でまくし立てる。
彼の言葉は戦場まで、まっすぐな導線を伸ばしていた。
※戦場※封鎖師カラカルが“三焦点禁忌”を噛み砕こうとする場
「つまり、“個は二焦点まで、群れで一焦点”って書き直すのね」
私は息を切らしながら言う。
「そう。分散合成で一本――法的にも生理学的にも、個が三本持つのとは別物だ」
氷宮の炎は、じきに収まった。冷気の中で、キティアが私の指を握り、すぐに離す。
「嫉妬は、また今度でいい?」
私は笑った。こんな地獄の温度の中で、こんなに愛おしい温度があることが、救いだった。
――二焦点の限界を越えるには、共有心臓が要る。共有心臓を法に認めさせるには、補遺が要る。補遺を刻むには、審理と共同署名が要る。
胸の中で、拍が増える。怖い。でも、怖いほど生きている。
(第32話 了)