◆第30話「猫虎族の家督試験、朔月は尻尾で嘘を斬る」
砂と湯気の境界。猫虎族の天幕は、砂漠の色と霊泉都の蒸気の白を混ぜたような薄金色で、風が吹くたびに砂糖菓子の飴細工みたいな音を立てた。虎啼 朔月が呼び戻されたのは、家督試験のため――“恋か忠義か、どちらかを選べ”と。
「両方だろ、普通」
朔月は笑い、尻尾で私の腰に輪を作る。
族長――虎瀞 錫羅は、琥珀の瞳を細め、低く言う。
「忠義は一方向。恋は多方向。猫は多方向を嫌う」
「猫は自由を愛す。――自由に一方向へ尽くしたって、いいじゃん」
朔月は肩をすくめ、笑顔の裏で瞳孔を細める。戦いの顔だ。
試験は“嘘斬り”。巨大な水鏡が天幕の中央に置かれ、心臓の波形を映し出す。族長が問いを投げ、朔月は尾で水面を裂き、“嘘の波形”だけを切り離すのだという。
族長:「恋を配るなんて、嘘だ」
朔月の尾が、風刃の音を立てる。配分された恋の波形は、細いが深い。尾先が“浅く広い波”だけを切り裂き、飛沫が蒸気に変わる。
「“薄めた恋”は嘘。でも“共有して戻す恋”は、真」
族長の眉がわずかに動く。
「忠義と恋は両立する、これも嘘だ」
尾が再び唸り、今度は二つの波形が絡み合って、別々の周期でありながら同じ拍で打つ図形を切り取る。
「両立は“同時に同じ方向を見る”って意味じゃない。“違う方向を見て、同じ拍を刻む”ことだよ」
最後の問いは、私の名を含んでいた。
族長:「草薙蓮火への恋は、一生続くのか?」
水鏡が複雑に揺れた。波形は揺らいで、しかし底の温度だけが変わらない。朔月の尾が一瞬止まり、彼がこちらを見る。尻尾の輪が、私の腰で少しだけ強く締まる。
「続ける。形が変わっても、温度は続く」
斬撃。水鏡は粉々にならず、“真”だけを残した。波形は細く、強い線になって底へ沈む。
族長はしばらく沈黙し、やがてため息をついた。
「嘘を斬る尾を持つ者に、家督を与える。……だが、尾を縛るな。自由であれ」
朔月はくるりと尻尾を回し、私の耳元に唇を寄せる。
「自由に、君へ忠義を尽くす」
遠く、霊泉都の方向で、判決剣の音がテンポを刻んだ気がした。法は拍で刻まれ、忠義も恋も、その拍に合わせて形を変えられる。
雷雅の雷は戻らない。銀夜は孤独の刃を捨てる準備をし、キティアは氷の研究を共有心臓に降ろす覚悟を整え、祈継は黒曜石の指を震わせながら冷却係数を計算し、サーヴァルは“塔の条文違反”を盗んでくる企みを整えている。
私は――私の二焦点心臓は、今日も“世界側”と“彼側”に均等ではなく、揺れながら配分している。揺れることを恥じない。揺れがあるから、拍は続く。
天幕を出ると、砂と湯気の境界に、新しく張られた蒸気の弦が細く震えていた。誰かが“共有心臓の前奏曲”を、もう始めている。
「行こう」
雷雅が言う。
「うん。次は、方法を“上書き”する番だ」
(第30話 了)