◆第21話「裏切りの仔猫、サーヴァル転身」
夜更け。焔夜祭の余韻が炭火のようにくすぶる路地で、薬帝蓮の苗が忽然と姿を消した。朱緋の巫女袖に残るのは切断された蔓だけ。甘い土の匂いが夜風に千切れ、蒸気の街はひそかな凶兆で静まる。
雷雅の稲妻が路面を焦がし、朔月は鼻先で匂いを追い、銀夜は刃を月光に翳す。私は胸の火輪を抑え、「盗ったのは……サーヴァル?」と呟いた。
思えば彼は狐火の夜市でも幻影で私たちを試した。薬帝蓮ごと心を預けようとした矢先、彼は仔猫の爪のような裏切りを選んだ――いや、まだ断定は早い。だが心臓が落下する感覚は騙しようがない。
廃寺の鐘楼跡。水面のない盆地に仮面が落ちていた。白磁に銀の葡萄唐草、左頬の欠片が血で斑に染まっている。
「奪ったのは所有か、それとも守護か」銀夜が呟く。
キティアから飛来した氷鳥が肩に止まり、「北東へ逃走」と囀る。
私は石畳へ膝を着き、血と火薬の匂いの混合で目眩を堪えた。恋は甘いはずなのに鉄錆の様な味がする。
雷雅が私の肩を抱き寄せる。「裏切られても、また信じるのか?」
「信じる。それが恋の動力学」私は『恋愛動力学』の頁を思い出し、唇を噛む。
――花は奪われたが、根は残る。
火輪が静かに熱を上げ、朔月の耳がぴんと立った。「香りが戻ってくる」
次の瞬間、屋根瓦を踏む軽い音。サーヴァルが月を背負い、薬帝蓮を抱え現れた。衣は裂け、肩には蜂の毒針跡。仮面の下の唇が震え、声は笑いと痛みの境界線。
「悪い癖が出た。奪えば価値が測れると思っていた――だが測れなかった」
銀夜が刀を上げる。「言い訳には刃で値を付けるぞ」
サーヴァルは薬帝蓮を高く掲げ、月華に透かす。「白夜機関に売る気はない。奴らに盗られる前に、盗賊として先に盗んだだけさ」
そして苗を私へ差し出す。指先が触れた瞬間、花芯が脈動し淡い紅を散らした。
「信じて還る場所があるか、確かめたかった――愚かと言うなら笑ってくれて構わない」
私は首を横に振り、火輪を収束させる。「愚かじゃない。恋も信頼も、測らず抱き締めるものだって……教えてくれた」
雷雅が拳を下ろし、朔月は安堵で尻尾を大きく振る。銀夜は刀をしまい、キティアの氷鳥は融解して霧に還る。
だが安心の隙を突くように、遠方で爆鳴。月鋼精錬炉から蒼白火が昇り、封印時計の針が十一刻目へ跳びそうだと鐘楼の鐘が絶望的に鳴り始めた。
私は薬帝蓮を抱え直し、サーヴァルの血を拭う。「還ってくる場所ができたなら、今度は一緒に守ろう」
彼は流れる血と涙をごまかすように笑い、傷の痛みをごまかすように私の額へ「怪盗の誓い」と称してキス未遂。
雷雅が稲妻を噛み殺し、朔月は囃子のように口笛。銀夜は蒼い瞳孔を細め、「また嫉妬の火種が増えたな」と呟く。
私は彼らの手を重ね、「次に裏切る時は一緒に裏切って」と囁いた。刹那、花蜜と硫香の風が吹き抜け、月が雲を裂いて微笑んだ――裏切りすら恋の燃料になると、夜が教えてくれた。
(第21話 了)