◆第19話「氷雨の契り、嫉妬の稲妻」
霊泉都の北端、高度差二百尺の断崖に穿たれた氷宮。壁は万年氷と温泉蒸気が幾重にも融結してできた乳白晶、天窓から射し込む月光が青薔薇の紋様を彫り、冷気は薄荷と雪菓の甘やかな香りを帯びて肺を鎮めた。
だが胸の奥の火輪は鎮まらない。封印時計は十刻目前、加速する針音がこめかみで脈を打つ。
氷宮の主、キティア=フロストヘルムは「恋人同伴」を条件に氷結研究区画を貸し与えた。私は雷雅と腕を絡め、朔月は尻尾で私の腰を抱き、銀夜は無言で肩越しに視線を送る。そして――廊下の柱影、《猫鼬》のような身のこなしでサーヴァル=アッシュカットが現れた。
「冷気で火は消えるか、試したかっただけさ」
白金仮面を半分外した彼の瞳は琥珀に曇りなく、けれど底に揺らぐのは獣特有の気まぐれな光。仮面から滴る霜露が私の頬を撫でた瞬間、雷雅の背痕が稲光を孕んで震えた。
キティアは氷杖を叩き、氷床を薄香水晶に変える。「嫉妬は熱源。氷の間で燃え残る炎は真実だけよ」
言外の挑発に胸が高鳴る。
私は研究室中央の実験台へ薬帝蓮を置き、〈焔命合成式・低温域》を試行した。火粉をミクロの霧にし、花芯を−二十度に凍結、そして雷雅の稲妻を誘導し微弱プラズマで再加温――氷と炎と雷が刹那に交差し、淡紅の蒸気が辺りを満たす。
「――綺麗だ」銀夜の呟きは刀鳴より微か。
朔月は私の肩にあごを乗せ、「香りが甘くても、嵐は甘くない」と風牙を研ぐ仕草。
蒸気の幕が晴れた時、氷宮の壁一面に私たち五人の影が連続写真のように映っていた。手を差し出し合い、触れそうで触れられない距離――私の心臓が暴走気味に鼓動を上げる。
キティアが告げる。「願いは?」
私は答えた。「終焉の針を止める。そして……この恋心を、燃え尽きさせずに灯し続ける」
氷杖が床を打ち、青い氷花が咲いた。花弁に宿る光は心拍と同期し、雷雅の稲妻が花脈を巡る。
「誓いの証に“氷雨の契り”を」キティアが私の指へ極薄の氷輪をはめる。触れた瞬間、指先は痛みと共に甘い痺れで満ち、氷輪は体温で溶けず、むしろ火輪と共鳴して煌めいた。
その光景にサーヴァルが口笛を吹く。「氷指輪とは粋だ。でも――炎より熱い嫉妬は解けないかもね?」
雷雅は臍下で稲妻を爆ぜさせ、「試すか?」と低く唸る。
私は二人の手を取った。「嫉妬は悪くない。燃料が増えるだけだから」笑うと、蒸気が弾け薄荷の香と稲妻の オゾン が混ざった。
氷宮の天窓から月がゆっくり欠け、外界は黎明の蒼。《終焉》への残り二刻、氷雨は静かに降り続けた――が、胸に宿る嫉妬の稲妻は雷鳴より熱かった。
(第19話 了)