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わたしが死ぬと、幼なじみが勇者として覚醒するそうです。

作者: 紫藤市

「わあっ!」


 大声を上げてリリが地面に尻餅をついた。

 先ほどまですぐ目の前に()(ふさ)がっていた野生の熊が、いまは黒焦げになって目と鼻の先で転がっている。


「大丈夫か!? ()()はないか?」


 屈強で大柄な黒髪の男がリリに駆け寄ってきて尋ねた。

 どうやら彼が熊を倒してくれたようだが、どうやったのかは不明だ。

 突然青い炎に包まれた熊は、断末魔の叫びを上げる暇もなく一瞬で燃えた。まるで魔法のようだった。


「だ、大丈夫、です」


 リリの心臓は早鐘を打っていたが、なんとか頭を縦に振って答えた。

 黒ずくめの服の男は村では見かけない顔だ。旅人のような格好だが、街道から外れた森の中を歩くよそ者には注意するよう大人たちからはいつも言われている。

 一応相手を警戒しながら、リリは礼を言った。


「あの……さっきのは、あなたの魔法ですか? ありがとう、ございます」


 声が震えたのはまだ熊と遭遇した恐怖心が消えていないためだ。


「間に合って良かった」


 男は(こわ)(もて)だったが、ほっと息をついた瞬間の黒い瞳は優しかった。

 魔法が使える者はこの村にはいないため、リリはこれまで旅芸人が魔法と称する奇術めいた大道芸のようなものしか見たことはなかったが、熊を倒した技は間違いなく魔法だと思った。


「あんた、名前は?」


 長身の男は腰を落としてリリと視線を合わせながら尋ねた。


「――――おじさん、誰ですか?」


 知らない人と喋ってはいけない、と親から口うるさく注意されていたことをいまになって思い出したリリが(くち)()もると、男は「おじさんではない。お兄さんだ」と訂正してから「俺の名前はダンだ」と名乗った。


「あんたがリリか?」


 なぜかダンはリリの名前を言い当てた。

 大きく目を見開いて息を飲んだリリは、しばらくしてから小さく頷いた。直接喋ったわけではないので、身振りで返事をするくらいは親の言いつけに逆らったことにならないと思うことにしたのだ。


「俺は、あんたを守るためにやってきた」

「へ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてリリは相手を凝視した。


「あんたが死ぬと、あんたの幼なじみが勇者として覚醒するんだ。だから、それを阻止するため、俺はあんたを守る」

「え? 幼なじみって……アンのことですか?」


 驚きのあまり、名前だけは知っているけれどさきほど会ったばかりの命の恩人に聞き返してしまった。

 リリが暮らす辺境の村は七世帯が暮らしているが、子供はリリとアン、それにリリの四つ下の弟だけだ。リリにとって幼なじみと呼べる存在はアンしかいない。


「でも……アンはまだ六歳の女の子ですよ?」


 そういうリリも先日八歳になったばかりの女児だ。

 リリには十八歳以上の男性は皆「おじさん」であるため、明らかに成人に達しているように見えるダンも「お兄さん」ではなく「おじさん」だった。


「アンは男の子みたいに活発な子ですけど、女の子でも勇者になれるんですか?」


 リリがこれまで聞いたことがある旅の吟遊詩人が歌う詩に登場する勇者は、すべて男性だった。


「別に性別は関係ない。勇者としての力に目覚めれば、勇者の剣を携えることができる」


 リリの疑問に対して丁寧に説明してくれたダンは、彼女がすぐには理解できない話を始めた。

 それは、近い将来リリが魔獣に襲われて死んだことをきっかけにアンが悲しみから勇者として覚醒し、その力を見込まれて国に勇者として召喚され、魔王討伐に向かうという未来の話だった。


「未来といっても、俺は魔王陛下の城に勇者たち魔族討伐隊がやってくるのをこの目で見た。討伐隊は城内で殺戮を繰り返し、勇者は魔王陛下を討ち取ろうとしていた。俺も、魔王陛下と一緒に討ち取られる寸前だった。魔王陛下はこのままでは勇者に勝てないと判断し、残りの魔力のほとんどを使って時間を巻き戻した。そして、この世界は勇者がその秘めたる力に目覚める前の、幼なじみであるあんたが死ぬ前に戻ったんだ」

「――――わたし、死ぬんですか?」


 いまのダンの話からリリが理解できたのは、そう遠くない将来に自分が死ぬということと、アンが勇者になるということ、そしてダンが魔族だということくらいだった。

 魔族に会うのは初めてだが、熊から助けてくれたということもあり、悪い印象はない。

 この村では、人族と魔族で差別することはない。

 野生の熊と魔獣の熊が同等に危険であるように、人族と魔族も種族で良し悪しを判断しないのだ。


「俺は、魔王陛下からあんたが死なないように守る役目を命じられてきた。勇者が力に目覚めなければ、魔王討伐隊が組まれることはなかった。魔族と人族の関係は悪くはないが、人族の一部の権力者は魔族を殲滅する機会を常に窺っている。魔族が人族に戦を仕掛けたわけではないのに、人族の王の中には勇者の力に目覚めた者が現れると魔王を倒そうと動き出す厄介な連中がいる。そういう奴らは、国内の不況や災害を魔族のせいにして国民の不満を自分たちから反らそうとしているんだ」

「えっと……言ってることがよくわかりません」


 ダンがつらつらと力説してくれた魔王討伐隊が編成される人族の事情が、リリには理解できなかった。村から出たことがなく外の世界を知らない彼女にとって、国王だの国内情勢だのは一生縁のないものだった。


「簡単にまとめると、俺があんたを守ってやるってことだ」

「守る……わたしが死なないようにってことですか?」

「そうだ」

「でも、どうやって? 魔獣がいつ襲ってくるか、わかるんですか?」


 どうやら自分は一度死んで、魔王が世界の時間を巻き戻してくれたおかげで生き返ったということは理解した。ただ、死んだ記憶はないので、生き返った実感もない。


「あんたを襲うはずだった魔獣はもう始末している。他にも、この近くに生息している魔獣はほとんど駆除した。しかし、この辺りの森から魔獣がいなくなったことで、魔獣に食われるはずだった熊や猪、狼といった獣が森をうろついている。そういった獣が今度はあんたを襲うようになったようだ。どうやら世界は、あんたの死をきっかけにしてどうしても勇者の力を目覚めさせたいらしい」


 ダンはリリの頭を撫でながらため息をついた。


「心配しなくていい。俺が、あんたを死なせない」


 リリの目をまっすぐに見ながら、ダンは宣言した。


「アンが勇者にならないようにするために、あなたがアンを殺すことはないんですか?」

「そんなことはしない。勇者の力を秘めた者を襲うと、命の危機から脱するために確実に勇者の力が目覚めてしまうんだ。勇者の力というものは、本人が死にそうな目に会うか、それに近い悲しい出来事に遭遇しなければ目覚めない。つまり、勇者を刺激しなければいいんだ」


 心配するリリに対してダンは断言した。


「魔族の穏やかな未来のために、あんたの命を守り抜いて、勇者が勇者として覚醒しないようにする。それが、俺の使命だ」


 こうして、ダンはリリの護衛になった。


     *・*・*


 当初、ダンはリリに魔石が付いた腕輪を渡していた。

 それは編んだ糸に魔石を通した紐状の物で、彼が手首に結んでくれた。


「なにかあったら、この石に触れろ。すぐに俺が駆けつける。この石はわずかだが魔力を放っているから、多少は魔獣避けにもなる。熊や狼も魔族の魔力の気配を嫌うから効果はあるはずだが、腹を空かせた獣は見境なく襲ってくる可能性があるから用心しろ。あと、知らない人間には気をつけろ。この村は辺鄙なところにあるが、だからといって安全というわけではないからな。この森にも今後は一人で入らないことだ。子供だけで入るのも駄目だ」


 こんこんとダンは説教するようにリリに言い聞かせた。

 前にリリが死ぬ原因となった魔獣はもういないが、リリが事故や事件で死ぬ可能性がなくなったわけではない。

 リリが病死した場合はアンが勇者としての力に目覚めるきっかけにはならないらしいが、ダンはリリを見て「健康そのものだ」と断言した。魔族は病や怪我など身体の不調に影響する負の気配が見えるそうだ。


 ところが、リリとダンが出会った一年後、ダンは頭を抱えていた。


「なんでこんな辺鄙な村で何度も死にそうになるんだ!?」


 ほぼ十日に一度、ダンはリリを助けに来る羽目になっていた。


「なんででしょうね?」


 尋ねられても答えがわからないリリは、拾った大鷲の羽根を指でもてあそびながら首を傾げるしかなかった。

 今日は野良犬に襲われていた山羊を助けようとして反対に襲われた。その前は近所で飼われいた馬が暴走して蹴られそうになった。その前は突然飛んできた大鷲に襲われそうになった――と数えればきりがない。

 村の周辺から魔獣が減った分、野生の獣や猛禽類が近くでよく見かけるようになったせいだ。

 この村の人口は四十人ていどだが、獣に襲われるのはいつもリリばかりだ。アンやリリの弟も一緒に獣に襲われることはあるが、獣たちが標的にするのはリリだけだった。


「毎日毎日、あんたが危ない目に遭っていないかと魔王陛下と一緒にやきもきするのも精神衛生上悪い。こうなったら、俺もこの村で暮らす」

「えぇ!?」


 ダンの決断にリリは目を剥いた。

 この村は街道から離れた辺境な場所にあり、森を開拓して畑と牧畜でほそぼそと生計を立てている貧しい村だ。よそから移住してくる住民はおらず、先祖代々この村で暮らしている人ばかりのため、よそ者に対する拒否反応が強い。

 リリがダンを警戒しないのは、彼が最初に野生の熊から助けてくれたからだ。


「大丈夫だ。誤認識の魔法を使えば、俺一人くらいなら村に紛れ込める」


 ダンの宣言通り、彼は「二十年前まで村に住んでいたリリの祖父の親友の孫」ということでリリの家にやってきた。

 そして、そのままリリの家の()(そうろう)となった。

 ちょうどリリの祖父が腰を痛めて農作業があまりできなくなり、リリの父は足を骨折していたため、農作業の男手としてダンは歓迎された。

 リリの弟は兄ができたと言って喜んだ。ダンが十五歳くらいの少年の姿になっていたからだ。


「ダンって、本当はいくつなんですか?」


 初めて会ったときは二十代半ばくらいに見えたが、いまは自称十五歳のダンを見上げながらリリは尋ねた。九歳のリリには、十五歳でもダンは立派な大人だ。

 リリの母は「ダンって若いのにしっかりしていて落ち着いたところがあるわよね。きっと、ここに来るまでにいろいろと苦労したんでしょうね」と言っていたので、若々しさは魔法で出せていないのだろう。


「魔族の中では十分若造だ」

「魔族って、人族よりも何倍も寿命が長いんですよね?」


 魔族や妖精族は人族よりも長生きであることはリリも知っている常識だ。

 だから、魔族の「若い」年数が人族の「若い」年数と異なることも、魔族の見た目と実年齢が比例しないことも、リリは聞いたことがあった。


「そうだな。寿命は長い。でも、俺はおじさんじゃない」


 どうやらダンは、最初にリリと会った際「おじさん」と言われたことをいまだに気にしているようだ。


「ダンは、魔王様のお城でお仕事をしなくていいんですか?」

「いいんだ。俺の仕事はリリを守ることだから」


 牛舎で牛の乳搾りをしながらダンが答える。

 彼は魔王の側近のようだが、農家の仕事が抜群にうまかった。畑仕事をさせれば鍬を持って人の二倍の早さで土を耕すし、草抜きも早い。リリが弟と一緒に森へ薬草や茸を探しに行くと言えばついてくるし、二人よりも先に目的の薬草や茸を見つけてしまう。

 人前では魔法を極力使っていないが、リリが危険な目に遭いそうになるとすぐ駆けつけて助けてくれる。

 いくら魔王を倒す勇者を覚醒させないためとはいえ、自分がここまで世話になって良いのだろうか、と次第にリリは考えるようになった。


「ねぇ、最近のリリってば、いつもダンと一緒にいるよね」


 山羊に雑草を食べさせるためにアンと一緒に村の中を歩いていると、アンがにやにやしながら言った。


「ダンってあんまり喋らないけど、リリには優しいよね。リリが石につまずいて転びそうになるとすぐ腕を伸ばして抱えてくれるし、川に落ちそうになると手を引いてくれるし、リリのそばにいてリリから離れないよね」

「わたしがおっちょこちょいだから、怪我しないか心配してくれてるの」

「ダンは心配性だね。でも、それだけリリが大切ってことだね!」


 うふふっと楽しそうにアンが笑う。

 この幼なじみは、最近いとこが恋愛結婚したため恋愛に興味を持ちだしたのだ。女子は十六歳前後が結婚適齢期のため、十三歳のアンが恋愛や結婚を意識するのは不思議ではない。

 リリも恋愛や結婚に興味がないわけではないが、いまいち自分事として考えられなかった。

 十日に一度はいまだに獣に襲われたり怪我をしそうになったりと危険な目に遭うため、生きるのってこんなに大変なんだ、と感じることが多いせいかもしれない。

 ダンが優しいのはわたしが死んでアンが勇者として覚醒すると困るからだよ、とはさすがにリリも説明できなかった。

 アンが期待しているような甘い話はかけらもない。

 すべては、魔族の存亡がダンの肩にかかっているからだ。


「ダンにとってわたしは妹みたいなものだよ」


 二十歩ほど離れた背後を歩くダンに視線を向けながらリリは告げる。

 今朝だって、リリが井戸から水をくみ上げて運んでいた桶を落としそうになり、ダンに助けてもらったばかりだ。

 そのとき「大丈夫か?」と尋ねられながら頭をぽんぽんと軽く叩かれた。


「妹かなぁ? そうかなぁ?」


 アンはにやにやしながらダンを振り返る。


「あたしには、ダンがリリのお兄ちゃんのようには見えないけどなぁ」

「そりゃそうでしょう。ちっとも顔が似てないもの」

「そういう意味じゃないんだけどなぁ」


 アンは相変わらずにやにやしながらリリの顔を見たが、すぐ前の山羊が走り出したためアンが走り出す。

 つられてリリも走ると、背後からダンが「転ばないように前を見て走るんだぞ」と声をかけてきた。


「確かに、ダンはお兄ちゃんってところもあるよね」


 リリと一緒に走りながら、アンは納得したように呟いた。


     *・*・*


 アンが十六歳で結婚した。

 相手は隣村の農家の長男だ。

 この十年でアンには妹と弟二人ができたため、アンは隣村に嫁ぐことになった。


「アン、たまには帰ってきてね」

「うんうん。リリも元気でいてよ」


 結婚式は隣村で挙げるのだが、村までは馬車で一日かかるためリリは行けない。畑仕事や家畜の世話があり、家を空けられないためだ。

 祖父母や両親は「アンの結婚式に出席しておいで」と言ってくれたが、結婚式に出られるような晴れ着は持っていなかったし、行くとなるとダンも一緒についてくると言うだろう。ダンが一日不在になると両親が困ることはわかっていたので、リリは村の皆と一緒にアンを見送ることにした。

 迎えに来た隣村のアンの婚約者と一緒に、アンは荷馬車に荷物を積んで村を出ていった。


「アンは、もう勇者の力に目覚めることはないんでしょうか」


 馬車道をアンが乗った荷馬車が見えなくなるまで見送ったリリは、目を細めながら隣に立つダンに尋ねた。


「多分」

「そっかぁ。――良かったです」


 アンが勇者になって魔王との過酷な戦いに身を投じることがなくなったとわかると、リリは胸をなで下ろした。

 この世界にはアンの他にも勇者の力を秘めた人はいるらしい。

 ただ、アンほどの力を持った勇者はいまのところいないそうだ。


「じゃあ、ダンのお仕事もこれでおしまいですね」

「俺の仕事?」


 リリが告げると、ダンは怪訝な表情を浮かべた。


「わたしを守るお仕事。ようやく、魔王様のところに帰れるんですね」

「――――帰って欲しいのか?」

「だって、アンが勇者にならないってわかったんなら、もうダンがわたしを守る必要はないじゃないですか」


 それは、ここ数年、リリがずっと考えていたことだった。

 アンが勇者として覚醒する可能性がなくなれば、彼が魔王から命じられた仕事は終わりだ。魔族である彼は、村人から自分に関する記憶を消して村から去るだろう、と。


「いつもいつも面倒をかけてごめんなさい。そして、これまで本当にありがとうございました。わたしがこれまで生きてこられたのは、ダンがそばにいてくれたおかげです」


 アンという勇者の力を秘めた幼なじみがいなければ、自分はダンと出会うことはなく、とっくに魔獣か野生の熊や猪に襲われて死んでいたかもしれない。ダンのおかげでこの十年間を無事に過ごせたのだ。


「俺がそばにいると、迷惑だったのか?」

「違います! とても助かっていたし……うれしかったです。でも――」

「あいつがいなくなったからといって、あんたが危険な目に遭わなくなるわけじゃない。俺がそばにいなくなってすぐにあんたが怪我をしたり死んだりするようなことがあったら、俺だって寝覚めが悪い」

「わたしは人族ですから、どうせいつかは魔族のダンよりも先に死にます。だから、これからはわたしがいつ死んでもダンが気にすることはないですよ」


 リリは早口で捲し立てた。

 これはずっと前から言わなければいけないと思っていたことだ。


「俺がいなくなったら、人族の男と結婚するのか?」


 ぼそりと低い声でダンが尋ねる。


「どうでしょう? 結婚するかもしれませんし、しないかもしれません。わたしはもう十八ですし、まぁちょっと()き遅れみたいなものですし、わたしはアンみたいに美人ではないですし……」


 なぜか祖父母や両親はこれまでリリに結婚を勧めてこなかったが、リリも結婚する意志はなかった。

 ダンがいなくなったら、また魔獣が森に戻って来るかもしれない。

 そのときは、今度こそ自分は魔獣に襲われて死ぬかもしれないのだ。結婚したところですぐに死ぬのであれば、結婚相手にとっては迷惑なだけだろう。


「魔王陛下からの命令では、俺があんたを守る期限を区切られたりはしていないし、俺はずっとあんたを守るって決めてここに来たんだ」


 リリが顔を上げると、ダンがじっとリリを見下ろしていた。


()()()なんて言ったら駄目ですよ」

「じゃあ、()()()じゃなくて()()だ」


 ダンがぼそぼそと言い直す。


「俺は、一生あんたを守りたいと思ってる。あんたが嫌じゃなければ、一生あんたのそばにいたい」

「こんな辺鄙な村にいても、面白いことも楽しいこともなにもないですよ」


 俯いてリリが告げると、ダンの両手がリリの頬を包んだ。


「ここには、あんたがいる。俺は、魔族の未来のためじゃなく、あんたとの未来のためにここにいたい。駄目か?」


 リリが視線だけ挙げると、ダンの顔が目の前にあった。


「……駄目、じゃないです」

「そうか」

「わたしもダンがそばにいてくれると…………とってもうれしいです」

「それは、良かった」


 初めて森で会ったときのような、ダンの優しい黒い瞳と視線が絡み合う。

 彼の落ち着いているその顔がいつもより赤く染まっていることに、リリにそのとき初めて気づいた。


     *・*・*


 魔王城では、勇者覚醒阻止作戦が着々と進んでいた。


「ダン王子はようやくあの人族の娘とご成婚となりましたね。おめでとうございます」


 書類を抱えた宰相が魔王に挨拶する。


「うん。ようやくだ」


 執務室の椅子に座った魔王は気だるげに答える。

 かつて魔王城を襲った勇者たちの手から逃れるため、魔王は世界の時間を十年分だけ巻き戻した。その際に膨大な魔力を消費したが、いまだにその魔力は半分ほどしか回復していない。

 そのため、世界中にいる勇者の力を秘めた者たちの覚醒を阻止することが、魔族存続の鍵となっていた。


「ダン王子が戯れに飼っていた魔獣が、王子の初恋の君を襲って死なせたときは本当にどうなることかと思いましたなぁ」


 老齢の姿をした宰相は、やれやれと肩をすくめる。


「まったくだ。あの娘は死ぬし、最強の勇者は力に目覚めてしまうし、最悪だったな」


 魔王は、思い出すだけでも恐ろしいといった様子でぼやく。


「あのとき娘をすぐに生き返らせておけば、勇者が目覚めることはなかったのではないかと何度悔やんだことか」

「さようでございましたなぁ」


 宰相が同意するように何度も頷く。

 当時六歳だったアンは、幼なじみのリリが魔族に魔獣をけしかけられて襲われ死んだと誤解し、魔族に対して激しい憎しみを抱いた。その憎しみがアンの秘められた勇者の力を目覚めさせ、アンが魔王討伐隊に加わり魔族の殺戮に突き進むきっかけとなった。

 魔王の第九王子であるダンは、自分が飼っていた魔獣がリリを殺したことに絶望し、勇者に殺されることを望んだ。


「ダン王子も勇者も幼すぎて、あの娘の死を受け入れられなかったのでしょう」

「そうだな」

「ダン王子は、今度はあの娘に弟のように見られたくないと言って二十歳くらいの姿で会いに行ったそうですが、『おじさん』と言われたそうでえらく落ち込んでいましたぞ。若気の至りと言いますか、女心の機微に(うと)いと言いますか」

「あの馬鹿息子め。いい格好をしようとして年をごまかすからだ」


 呆れた様子で魔王がため息をつく。


「初恋の君より一歳年下だからと言って気になさるとは、ダン王子もかわいらしいところがありますなぁ」

「いまや奴は、魔獣狩りが日課のようになっている猛者(もさ)のような顔をしているが、な」


 魔獣は魔族の眷属ではない。

 魔族とて魔獣の扱いに困ることはある。


「三日前に西の森の魔獣狩りをダン王子に頼みましたところ、面倒臭そうな顔をされましたので、あの方にあなた様の実年齢をお教えしてもよろしいのですよと申しましたところ、半日ですべて駆除してくださいました」

「脅したのか」

「別に隠すほどのことではないと思うのですがねぇ。魔族であることは伝えてあるのに、いまだに年齢を偽っているのですから、まだまだ好きな女性の前では年下に見られたくない若者の複雑な心境が(にょ)(じつ)に表れていて、なかなか楽しめますぞ。そのせいで『おじさん』と言われたり、幼児愛好癖があるのではと疑われたこともあったようですが、まぁそれもいずれは笑い話となりましょう」

「年齢や性癖よりももっと重要なことを隠しているではないか」

「あの娘の、前の死因のことですか? まぁそれは、王子のためにも黙っておいてあげましょう。魔獣の飼い主がダン王子であったことよりも、あの魔獣が――陛下に操られて娘を襲った事実の方が問題ですから」


 魔王の耳元で宰相がささやくと、魔王は顔をしかめた。


「人族との恋愛などまかりならぬ、とおっしゃった陛下がここまで方針を変更されるとは、よほどあの勇者の脅威が効いたようですなぁ」

「――――」

「ま、終わり良ければすべて良し、と言うことにしておきましょう。陛下のご尽力のおかげで、いまの平穏があるわけですから。陛下はご自身の魔力をかなり費やすことになってはしまいましたがのう」

「年寄りの嫌味はまどろっこしくてかなわぬ」

「おやおや。儂は陛下より二つ年下のはずですが、お忘れですかな」


 人族であれば三十代半ばの姿をした美女に向かって、老宰相は告げる。


「そなたの年齢など、いちいち覚えておれるか」


 ふん、と魔王が鼻を鳴らすと、老宰相は「いかにも」と笑った。


「そういえば、第六王子のネビー様でございますが――」


 宰相は書類を執務机の上に広げながら次の報告を始める。

 魔族による地道な勇者覚醒阻止作戦によって、勇者ら魔王討伐隊による魔王城襲来の危機は今日もなんとか回避できていた。

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