第二十話 繋がる
ある美術館の一角に飾られている絵は、美しい。
陽に照らされる鮮やかな緑と影の黒。
色とりどりに咲く花は芳しい香りを放っているようで。
松島豊先生が言いかけた言葉が気になって仕方がない。
「“そもそもあの子は”の後に何が繋がるんだろう……?」
あの後、彼女はそのことに関しては一向に口を閉したままだし、お暇しますとばかりにさっさと去ってしまったのだから。
いつも飄々として掴みどころがない一ノ瀬智先輩に、いったい何があるのだというのだろうか。部員が少ないけれど部長もやっているし福祉委員長だって買って出ていて、イメージと違ってリーダーシップもあるみたいだし。先生方にお咎めされた所なんかは見たことがないし、取り敢えず卒なくこなす人って感じで。
つまり、マツシマ先生が口籠もるような生徒ではないような気がするのだ。まぁ、私、若葉春流の勝手ながらの想像だが。
「というよりも、ちょっとどころか大変なことをしている気がする……」
課外活動に遅れそうになった朝に母から頼まれた「ハルル、部活帰りに御使い行っていなさい」と渡された保冷バック付きの買物袋に苦笑いをする。そう、今日の晩御飯は好物の親子丼。ミツバの匂いに、身が引き締まった鶏肉、そしてトロトロの出汁が効いた玉子。弁当を食べた後だというのに、ヨダレが出てしまう。メモに書かれた品が入ったら重くなるという若干の不幸は置いといて、晩御飯、晩御飯。そう、思ってただけなのに……。
見てしまったのであった。
手を繋いだ二人のシルエット。妙に見覚えがあるというよりも、今日見たことがあるというか……、いや事実を言えば見たのだけど。
ショッピングモールの中に、イチノセ先輩とルリちゃんがいたのだ。
いや、疑わないでほしい。え、さっき“松島豊先生が言いかけた言葉が気になって仕方がない”って書いてあったって? いや、確かに気にはなるよ? でも、人の事情に土足で踏み込むような真似はしたくはないじゃないの。
それに、ほら、タイミングが悪い人っているじゃない? 二の足を踏んじゃうどころか挫いて転んじゃうヤツ……。まぁ、私のことなんですけどね。
仲睦まじいというか、意外と……。
「過保護だなぁ」
声に出してみると、納得してしまう。
私の従兄妹とかだと、イチノセ先輩とルリちゃんと似たり寄ったりの歳が開けているだが、その二人は手を繋ごうとはしなかったっけ。不貞腐れて「俺の後ついてくりゃぁ良いんだよ」とムスッとして。今更ながら思うけど、無愛想な人だからで片付くのかな、コレ……? いや、コレが世の兄妹仲の基本なのかは、兄とか姉だとか、妹とか弟だとかがいない私からは判断つかないけれども。
なんだか、壊れものに触れているような丁重さというか、慎重さが表れているような気がする。一歩先どころか、それ以上先のことを考えていそうな感じが、イチノセ先輩から漂ってきている……多分。
「でも、それだけ大事だってことだよねぇ」
ルリちゃんは素直そうでさっきの一面で兄のことを好いていて健気だ。いいなぁ、私も妹ほしい。いや、私に妹がいたら恐らく私に似てそそっかしいんだろうな……、変なところが似てて問題に突っ込んでしまうのかもしれない。
羨ましくなるくらい仲が良いあの兄妹は、イチノセ先輩とルリちゃんだから成り立っているのかもしれない。
微笑ましく二人を見ていて、ふと思った。これ以上、彼等を見ていたらヤバいのではないかと。だって、跡をつけていくようで、世に言うストーカーに私の片足が突っ込んでいるような……。いや、たまたま何だけどね、部活後に御使い行って来いって言われているし……。いや、自分を正当化しているわけではないのよ⁉︎
そう、悶々と唸っている時に、視界の端から見覚えのあるワンピースの裾がはためく。そこから伸びゆく色の白い足に履かれたアンティークのブーツが綺麗に音を立てていた。
「スミレ姉さん……?」
幼馴染の中学生の胡川すみれ。頼りになる私のお姉さんみたいな人だ。自らデザインした衣服はいつも輝いて見える。今、すみれ姉さんが着ている藍色に花柄が散りばめられたワンピースだって、先月お披露目してくれたものだ。
私は手を振って、彼女に呼び止めようとした。
スミレ姉さん、そう声を掛けようとしたその時。
「あ、コガワ部長」
イチノセ先輩は、彼女の長いおさげを目に通した一瞬、私の聞き慣れない名称でスミレ姉さんを呼んだのだ。確かにスミレ姉さんは、私と同じ小学校に通っていた時、ある部活の部長だった。そこで、いつも何かしらのアクセサリーや衣類を作っていたので、被服部かソーイング部とかに違いない。けれど、そんなクラブなんて愛好会さえもなかったのだから、今年初めて見た部活動紹介の時に不思議だと感じたことを思い出した。
私の背では雑貨の棚に隠れてしまうらしい。彼等は私に気付くことはなかった。そう違う世界にいるみたいで。
ショッピングモールの天窓から梯子のように掛かる陽が、色素の薄いイチノセ先輩の髪をチリチリと色とりどりの粒子が光って、彼の顔をよく見せていた。珍しく高揚とした表情が目に映る。
そんな彼を見て「もう私は部長じゃないわよ」と、スミレ姉さんは涼やかな声で言ったのだ。
そして、彼女は綺麗な笑みを浮かべて。
「久しぶりね、サトルくん」
その時は、イチノセ先輩と手を繋いでいる筈のルリちゃんの姿が見えなくなるくらい、素敵だった。
掴みどころがないけれど、眼鏡の奥には意志のある輝きを湛えた少年。自信を持って年々と綺麗になっていく少女の二人。
かつて、美術館で見た美しい男女の絵に、似ていた。
絵描かれたのは居心地の良い森の風景ではない。
お互いを見つめ合って、このひとときを大切にしている。
そんな思い出を切り取ったかのような甘い匂いを漂わせて、あの美術館に今もクリーム色の壁に彩りを与えている。




