第十四話 サンサンと
印象ってそうそう変わらない。
一度抱いたものを塗り替える芸当なんて、簡単に出来るわけないのだ。
でもね、綺麗だなって、一瞬思ってしまっても。
次に知った、強烈さで、塗り替えてしまう。
トビタツ市ハバタキ町には、赤い屋根の家がある。そこの二階へ左側の窓がある所が若葉春流の部屋だ。その寝室の窓辺から見える庭に置かれたプチトマトの苗入りプランターが花壇の横に置かれているのを、私は眺めた。
丁度、その時、洗濯物を取り込もうとハルルの母はガラリと戸を開けた。花壇に植えられているケイトウに浴びるはずの陽が掛からないのを見た母は、不満たっぷりな顔をした。
「ハルル〜、庭に置いときなさいと言ったけど、ちょっとは花のこと考えてよ」
お母さんが直しておくから、そう母は言いつつ青々しい生い茂った苗の位置をドッコイショと正していた。
「ハ〜イ」
庭の手入れに勤しむ母を、二階の窓辺から眺めた私は気が抜けた返事をする。
今日は快晴、七月の二十八日、お昼過ぎ。
多少のクラブ活動はあるけれど、体育会系ではないから、ほぼ暇になっている。そんな夏休みを迎えたばかりで、どうしようかと手持ち無沙汰気味だ。
鞄から出したプリントや課題類なんかは勉強机に放り出したままだし、手を付けた様子の欠片もない。何せ未だ二、三日しか経っていないのだ。
そんなダラけている自分に喝を入れるように、どうしようかと伸びをする。
私こと、ハルルは、一枚の紙を睨んでいた。この夏休みの計画表の欄には一言だけ書く日記のようなものがあるのだ。コレの所為で昨年度どれだけ苦労したかと涙する。この紙一枚を放置していれば、後で首を絞めてくるのが分かるからだ。最終日に嘘八百を書いたとしても、他の人の表を見ればウソを吐いたと呼び出しをされるのだ。何故かって? そりゃ、デタラメな天気の羅列の時点でバレますて。
真白のままの出来事欄に、何を書けば良いのだろう? 昼寝しました……、いやコレはダメだ、昨日のとこと被っているし。終業式の後にアキ先生によるホームルームで話されていたことと、違う事柄しか書けない自分にため息を吐く。
「今しかできないこと……かぁ」
そういうものに挑戦するどころか見つけられない、そんな私が情けなくて仕方ない。
項垂れていると、カッと思い出すのだ。
「アイツ……自分だけ違うって、何よ‼︎」
先日、皇月レノンが言っていたことが脳裏に過ぎていく。私自身が変わり映えのしない夏休みを送るだろうなと、伝えたコウヅキは手で綴ったのだ、『すくなくとも僕はちがう』と、口角を片方だけ上げて‼︎
「馬鹿にしているに違いないわ、多分」
その名で呼ぶなとことごとく言っているのに不審者呼びを辞めないし、私のドジを揶揄って笑う。初めて出会った時の印象ではリアル月の王子様でも、あんなんだから、たった数秒で急降下。最初は嫌な奴だって思っていたけれど。
そんなコウヅキでも、ちゃんと人を見ていて、努力を惜しまない。私の手の平にできたマメを見て、頑張っている手だなんて言ってくれた。優秀な成績を収めるコウヅキは甘んじることもなく、苦手な教科でも何度も立ち向かっているのだ。そんな人だって知ったから、見直していたのに……!
一人で憤慨していても、きっと、ヤツはほくそ笑んでいる。私がそういうリアクションすると、あっちは笑うんだもん。
私はクッションに抱きついた。ギュゥと抱きしめて、悩みなんかコウヅキごと押し潰してやるとばかりに、締め付けたのだ。
私は、この時は覚えてなかったのだ。
「ちょっと、ハルル、電話〜」
アイツが言っていた『たのしみだな』の意味を成していた、ある出来事が。
受話器の声から聞いた言葉に、私は驚愕したのだ。
「え、聞いてないよ!」
記憶にない事実が展開している状況に、私は混乱していた。
あったっけ、あったっけ?
「もう、みんなで決めたじゃないの」
友人で同じ班の花江由希子が呆れたような声色をしていた。
グループ研究なんて宿題にあったっけ?
「いついつ?」
私は焦って受話器を抱え込んだ。知らないで済んでしまうわけがないし、信頼だってガラリと音を立てて崩れていってしまうかもしれないし、同じ班の皆に迷惑を掛けてしまうことになってしまうところだったのだから‼︎
「何時って、ほら、社会の授業の時……」
出た出た何時もの忘れん坊、と由希子ちゃんは私を茶化した。グゥの音も出ませんでした。
それは、今学期最後の社会の時間が四年三組に迎えた時に始まったのだった。五班のコウヅキ、私ことハルル、ユキコちゃんに、それから呼乃邉哲ことテツ君は悩んでいた。
「グループ研究か」
黒板にデカデカと書かれた、合同研究の文字に私はげっそりとしていた。だって白いチョークで書かれた大きい文字の下に、米印で注意文が書き加えられているのだ。「ただし、合同研究しないと決めた班に所属する者は自由選択の宿題がもう一つ増える」って!
その注意文を見ると、私達は黒板へと向けていた首をサッと戻し、真面目にしようとしだした。コウヅキは何時もの調子で涼やかだが、こっちのサイドについては宿題とか課題だとかには小心者になってしまいがちな者達なのだ。直ぐに終えてしまうだなんて、羨ましい賢さを彼はお持ちのようで。
「トビタツ市についてねぇ……」
コレは一学期の復習だから、このテーマは教科書を丸写しにしたらできるのかもしれない。そのことに気付いた私は、机にベッタリと張り付いたのだ。出来れば、額にくっついた資料集から、収録されている内容が入ってこないかな……。
そんな私に生暖かい眼差しで見ながら、ユキコちゃんは「ちゃんと真面目にしなさい」とばかりに私を起こしあげた。
「でもさぁ」
ちょっと言葉を選びながら私は言う。
「皆、同じテーマだよね、トビタツ市」
そう、一同に決められたものなんだから、同じの続きではつまらない。
それに……。
気付いたユキコちゃんは口に出したのだ。
「下手したらカブらない?」
そう、それ。真似っこしたと言いがかりされるかもしれないし、逆にする側に陥るのかもしれないのだ。
私達はウンウンと唸っていると、今までの状況を手話で伝えられていたコウヅキは意見を出したのだ。
『ぐたいてきなことをきめればいい』
「具体的なことを決めたら良いって!」
彼の手の動きを見て、私はキラリとコウヅキを感心した。そうだ、ウチの班には四年三組きっての秀才君がいるではないか……‼︎ 苦手な科目の社会でも、彼はちゃんと考えを持って言えるんだから凄いのだ。
そうかぁと続けたユキコちゃんは、分かったらしい。
「具体的かぁ……。確かに、トビタツ市についてのままでは漠然だもんね」
それに合わせるように、クラスの元気印が入り込む。
「つまり、歴史について調べるのも良し、地形を研究するのも良し、名物をひたすら上げ出すのも良しってところか」
テツ君は顎に手を据えていた。
意外とこういう時に状況を把握しているテツ君に、ユキコちゃんがすかさずフォローを入れる。
「そこで、研究物に私達の個性を出していこうってわけね」
人差し指を立てて、ユキコちゃんはウインクを器用にしたのだ。
寄せた机に顔を寄せた私たちに対し、コウヅキは姿勢良く座っていたものだから、私は彼をグッと輪の中に入れた。ギョッとした表情はミモノだったが、今は話し合いに集中しなくちゃ、私は班の皆を見た。
「トビタツ市の何を調べようか」
「どうするの?」
「それを今から決めるんじゃないか」
「トビタツ城については?」
「良いんじゃない」
ああだのこうだの、言い合うがいまいちピンと来るものがない。トビタツ城という立派なモンがあるのに、何故ピンッと来ないのかって? 確かに殿様が居座ったら可笑しい外観をしているわけではないけれど、だってアレ、カラクリ屋敷だよ、集客率上げる為の! それに本当のトビタツ城だなんて江戸時代で既に跡地しかないわねぇって、お婆ちゃんが言っていたもの。
ユキコちゃんは「今の所ひとつだけかぁ」と呟いた。
「でも、他の意見も聞いてみないとね」
彼女のノートに書かれた、トビタツ城、ただ一つだけでは心許ない。
そこに、ハイハイと手を挙げたテツ君は元気良く言った。
「美味しい食べ物とかどうだ?」
その言葉に、私達は食いついた。
「良いねぇ!」
「食べ歩き調査とか楽しそう!」
商店街にはサクサクほっくりな美味しいコロッケを売っている惣菜屋さんがあったし、街外れには静かだけれど良い雰囲気のカフェ、遊びながら食べられるちょっとしたオヤツが売りな駄菓子屋さんがある。トビタツ市は結構うまいスポットが多いのだ。食べ盛りの私達にとってはよだれものである。
でも現実はあるわけで。
「市内を歩き回るなら、交通費や食事代とか掛かるよね。予算とか決めなくちゃね」
ユキコちゃんがそう言った時、私達はガッカリとした。学校から研究費なんて支給されるわけがないし、それなら、自分のお財布からとなると手厳しい。自分達のお小遣いだって雀の涙、そもそも、他所の家のお小遣い制度だって違うのだ。
「そっかぁ」
「結構タイヘンだな」
無理を言っちゃぁダメだよな、私達は肩を落としたのだ。
そんな時に、私は思い付いたのだ。
「伝説とか、どうかな……?」
私のその言葉に、「伝説ぅ?」と首を傾げるテツ君。
「伝説」
私は繰り返した。
ユキコちゃんは、私が何が言いたいのか分かったらしい。
「ほら、祭りの踊りに使われている、アレだよアレ」
そう、これからの季節にぴったりなアレなのだ。
「あぁ、月獅子伝説」
テツ君は魚の小骨がやっと取れたようなすっきりとした表情をした。
ひとりだけ置いてかれている人がいる。
『つきじしでんせつ?』
彼は、私的には謎に満ちた顔をしながら指文字で尋ねてきたのだ。
キョトンとしながらユキコちゃんは私を見る。
「あれ、コウヅキ君、知らないの?」
いやいや、私を見ましても、コウヅキが月獅子伝説を知っているか知っていないかだなんて分かりませんよ。私は、大まかな点字と手話の初級がちょこっと分かるだけで、コウヅキ図鑑ではありません。
「オイオイ、コウヅキは転校生。それに帰国子女ってやつだろ」
テツ君がユキコちゃんに合いの手を入れる。何だか、合うんだよなこの二人。
私は「地元は此処みたいだけど……」と言いつつ、コウヅキの手の中に手話を綴る。
「『じもと、ここだっけ?』」
ちょっと辿々しい私の指文字に彼は『三歳までな』とスッと応えた。
コウヅキが話したことを私が話すと、テツ君は肩を上げて言う。
「じゃぁ、仕方ないよな」
やれやれとした調子のテツ君である。
そんな空気にお構いなしとばかりにコウヅキは質問した。
『つきじしでんせつ、何だ?』
心底、不思議そうな表情をするコウヅキ。彼は、勉強熱心なヤツだが、それ以上に知的好奇心が高いのだ。
「『ああ、ごめんごめん』」
ちゃんと説明するからと私は手話で彼の手に綴る。
そんなコウヅキと私を他所に、ユキコちゃんとテツ君は話し合っていた。
「丁度近いし、調べてみる?」
地図帳を広げて指を指し示すユキコちゃんは、テツ君に良く見えるようにしていた。
「祭りとか、神社とかな……。おっ、チャリで行けんじゃん‼︎」
繁々とトビタツ市の地図を見たテツ君は初めて知ったとばかりに喜んでいた。
「テツ君、トビタツ神社に行ったことないの?」
「オレは毎年、ウバネ神社派なの」
ユキコちゃんに対し、そう言い切っていたテツ君。
そんな様子の彼等を見て、私はコウヅキに密やかに手話で伝える。
「『あの二人、いいふんいきよね』」
『何が』
彼は意に介さないようだった。
電話口の向こうから聞いたことを、私はやっとのこさ思い出したのだ。
「………そうだった、そんな話してた……」
私はアチャァとおでこを抑えながら、ごめんと言う。
「明日だからね、計画表ちゃんと見てよ!」
ユキコちゃんがそう念押しすると、私は手に持っていた夏休みの計画表を繁々と眺めた。
「十時半……オーケー!」
赤のマジックペンで大きい円を付けたのだ。
そういえば、コウヅキ言っていたな……。
『たのしみだな、なつやすみ』
まさかだけど、これのことではないよね……?
印象は変わらないって言うけれど。
不思議とコロコロ変わってしまう存在が、誰にでも一人はいるって知っているのかな?
嫌なヤツだ、意地悪なヤツだ、そう思っても。
また知った、新しい一面で、また変わってしまう。




