前夜祭 4
「あ、あの……」
「どうして、俺はお前みたいな女を婚約者にしてしまったんだ」
両手で顔を覆い嘆く様子にココレアはどうしていいか分からず戸惑う。
「レンオ様」
「俺は、メイサと結婚したかった」
ざわつきに消えてしまいそうな声が、ココレアの体を刃のように貫いた。
「え……」
「なんで、こんな女なんかと。どうして……」
指の間から憎悪すら感じる眼差しを向けられヒールの足は後ずさる。
「俺は、お前なんて大嫌いだった」
そしてその決定的な一言に、ココレアは危うくその場に座り込んでしまいそうになる。
今まで見ないようにしてきたもの、そうやって信じてきたもの。それは幻想どころか更に残酷な現実を突きつけられる結果であった。
「そんな」
せめて何かを言おうとした喉がからまり、言葉が出てこない。
絶望し立ち尽くすだけの2人の周りでは、浮かれた生徒達が大広間に向かって歩いてゆく。
「レンオ様……」
「帰ったら、話がある」
もうパーティーの開始まで時間がない。表情なくレンオは歩き出したが、動けぬココレアはその背中を凝視するだけだった。
「聞いた? ティア様の装飾のお話し」
そんな時、誰ともなくの会話が聞こえてきた。
「控室で盗まれてしまったとか」
「それはそれは高価な特級装飾だそうよ」
耳を澄ませば誰もがヒソヒソとその話題を交わしあっていた。
「どんな装飾なの?」
「ネックレスですって。金のチェーンに紫色の宝石が三つあしらわれた……」
その瞬間、ココレアの背中にぞわりとした寒気が走る。
「あ、シェトーさん。ここにいたのね」
咄嗟に控室に戻ろうとしたココレアの肩にくいこむ手指。振り向けば、ティアの取り巻きである3人の少女達にいつの間にか周りを取り囲まれていた。
「あの、なにか」
「探してたのよ。あなたに特別な場を用意してあげようと思って」
「え……」
普段の態度からは考えられぬ猫なで声に、ココレアの予感は段々と確実なものになってゆく。
「ほらほら、こっちよ」
重厚な扉は既に開け放たれ、パーティーが始まろうとしている大広間。無理矢理3人分の力で押さえつけられた体は、楽器隊の横を通り抜け中央の一段高くなった舞台への下まで引きずられた。
「さあさあ、皆さんご拝聴を」
ざわめく一堂を見回し、イェオラ伯爵嬢が声高々に呼びかける。
本来この舞台はパーティーの主役が挨拶をしたり、客人が歓待を受ける際に使用される特別な場所。そんな所で何が始まるのかと、一斉に会場中の注目が集まった。
「前夜祭の場をお借りして恐縮ですが、私達の友人、ココレア・シェトーをどうか助けてあげてもらいたいのです」
甘ったるい声で告げるイェオラ伯爵嬢。ティアの取り巻きということもあり、観客はその演説を好意的に傾聴する。
「彼女はお父様を亡くし、貧しい暮らしの中で貴族学校に通っています。持ち物もドレスも使い古しで友達もあまりいません。それでも毎日健気に頑張っています」
芝居がかった話し方をする姿を観客は静まり見つめた。
「そんな哀れな友人に皆さまのご慈悲を。少しでも可哀そうと思う方は、ぜひ施しをお願いします」
その訴えには歓声と拍手が起こり、それを聞いたココレアはがっくりと項垂れる。こうなってしまえばこの場から逃げ出すことは出来ず、もう弁明の機会も与えられないだろう。
「なんてお優しい方々。さあ、ココレアからもお礼を」
取り巻き達が注目の中に杏色のドレスを引きずり出し、舞台へその体を押し上げる。地獄の門でもくぐるように重々しく歩き出した後ろ姿に顔を見合わせてせせら笑った。
「……その」
ふらつく足で舞台の上へ立つと、その場に集まった全員が自分を見つめている。一体なにをどうすればよいのか戸惑いながらなんとか口を開いたココレアだったが。
「おい、あれ」
誰ともなく発した声に、人々の間にはざわめきが波のように広がる。
「あのネックレス……」
そんな光景に、最悪の予感が当たっことを確信したココレアは絶望の淵に落とされる。その胸元には、金色のチェーンと三つの紫色の宝石をあしらったペンダントが燦然と輝いていた。
「ティア様が盗まれたと仰っていたのと同じ特徴だ」
「え、じゃあ彼女が?」
段々と大きくなってゆく非難や怒りの声。舞台上に一人立たされたココレアは胸の前で両手を握り、足元で怒鳴る顔という顔を見渡す。
「ち、違います!」
弱々しいながらも張り上げた声に、大広間には一瞬の静寂が訪れた。
「なにが違うっていうんだ!」
会場のどこかからの怒声に、周囲からもそうだそうだと賛同する声があがる。
「これは……家にあった装飾品です。決して盗んだりなどしていません」
震える声で精一杯叫ぶが、そんなココレアを見る目は既に誰もが冷淡であった。
「物乞いまでするくせに、そんな見事な装飾を持っているはずないだろう」
「じゃあ、ティア様のネックレスが盗まれた時はどこにいたのよ」
完全に犯人だと決めつける雰囲気に、どこから説明をしたら信じてもらえるのか焦れば焦るほど言葉が出てこない。そして悪いことに、ココレアはティアのネックレスが無くなったと思われる時間は建物の裏に一人きりでいたのだ。
どうして、こんなことになってしまったのか……。心臓が早鐘を打ち、苦しい呼吸の中で今にも倒れてしまいそうだと思った。
「ココレア」
そんな中、周囲の糾弾とは別の声が耳に届く。聞き知ったその声音に、安心して振り返ったココレアだったが。
「これは、どういうことだ」
舞台の階段を上り来るレンオの額には怒りと屈辱の青筋が浮かび上がっていた。
「……信じてください。私は決して」
「黙れ!」
せめてとすがった相手から跳ねのけられ、その唇から次の言葉は失われる。
「なんて、ことをしてくれたんだ」
わなわなと震える口元。血走った目は、もう婚約者ではなく卑劣な犯罪者を蔑むものであった。
「まあまあ、皆さん。どうしたの」
大広間に集まった者達がこの状況を注視する中、取ってつけたような台詞を呟きながら赤いドレスが満を持してこの場に現れた。
「ティア様」
「ああ、ちょうど良かった」
取り巻きに迎えられ、右手を頬に当てた可愛らしい仕草でキョロキョロと周囲を見ては首を傾げる。その目が、ココレアを捕らえた瞬間だけ不穏に歪む。
「……あら。どうしてシェトーさんが、私の失くしたネックレスを持っているのかしら?」
初めて気づいたようなティアの呟きに、収まっていた喧噪は再び激しく燃え上がった。
「やっぱりティア様から盗んだものじゃないか!」
「この泥棒女」
背後から石でも飛んできそうな異様な空気、それに怯むも真正面には怒気をまとったレンオの体が立ちはだかる。
「ここで己の非を認め、皆の前で膝をついて謝罪するならば許してやろう」
わななく唇から絞り出された最後通告に、ココレアはただ立ち尽くした。
「レンオ様も皆も、そんなにココレアさんを責めちゃ可哀そう。きっと魔が差してしまったのよ」
後から舞台へと上がってきたティアの言葉は、集まった観衆達からはさぞ慈悲深い情けに聞こえただろう。